髪を撫でてください
ルードヴィヒ王弟殿下が手紙の続きを読み上げる。
「時間になったら、庭園迷路の入口に集合せよ。ゲームの参加者は二名――ディーナと対決するのは、使用人のデボラだ」
……デボラ? 誰だろう?
ほとんどの人が戸惑いの表情を浮かべる中、ユリアには心当たりがあったようだ。
「デボラ……キッチンメイドね」
これは『ユリアが秘書をしているからなんでも知っている』ということでもない気がする……私はそんなことを思った。ユリアは優秀だから、様々な事情に通じているのだろう。
王宮の使用人ともなれば末端まで合わせると、とんでもない数になるはず。数百か、あるいは千以上か。ユリアが直接関わるのはおもに上級使用人だろうし、キッチンメイドは上級使用人ではない。それを把握しているのだから、ユリアの優秀さが分かるというものだ。視野が広く、フットワークも軽いのだろう。だから知り合いも多い。
ユリアが微かに瞳を細めながら続けた。
「確か……南部の出身で、ソバカスのある素朴な女の子だったと記憶しています。正直な性格で、職場の評判は良いですね。病気のお母さんがいたかな? それから、ええと……恋人がいて、もうすぐ結婚だったような……あー……ちょっとこの辺ははっきりしません。今思い出せるのは、そのくらいです」
「ユリアさん、すごい記憶力ですね」
私が微笑みかけると、驚いたことにユリアが赤面した。『照れ』とは無縁のタイプだと思っていたし、この時の様子がものすごく可愛らしかったので、私はびっくりした。
ユリアがモゴモゴと呟きを漏らす。
「ディーナさんに褒められちゃった……嬉ちい」
「よかったな、ユリア」
ルードヴィヒ王弟殿下がポンポンと頭を撫でてやる。これぞ大人の余裕だと私は思った。
ユリアが頬を赤らめたまま、ルードヴィヒ王弟殿下を見上げる。この仕草も可愛いかった。
「にっこりされました。やったぁ」
「うんうん」
「えへ♡」
イチャつくふたりを久しぶりに見ることができて、なんだか私も胸がキュンとした。
アドルファス王太子殿下は相変わらずの『無』。
ルードヴィヒ王弟殿下はもう一度ユリアの頭をポンポンしてやってから、
「――じゃあユリアの優秀さが分かったところで、手紙の続きを読むとしよう――デボラはこちらで現地に連れて行く。だから君たちは深夜0時に庭園迷路まで来てくれればいい。現地に着いてからルールの説明を行う」
「迷路で『夜明けの卵』探しか」
アドルファス王太子殿下がそう言った。
「より多くの卵を見つけ出せたほうが勝ちとか?」
とユリアが複雑な形に眉根を寄せる。
「じゃあ現地を先に見ておいたほうがいいですね」
ふと思いついてそう提案してみた。実は私、方向感覚についてはちょっとばかり自信がある。事前に下見をしておけば、たぶん中で迷うことはないだろう。
「僕が案内するよ。一緒に回ろう」
アドルファス王太子殿下がそう言ったところで、ルードヴィヒ王弟殿下が、
「あ」
と声を上げた。
どうしたのだろう? 皆がルードヴィヒ王弟殿下のほうを見ると、手紙の裏を眺めおろした彼がため息を吐く。
「裏に注意書きがあった――事前に庭園迷路に入っちゃだめだってさ。開始時間まで結界を張っておく、と書いてある」
アドルファス王太子殿下が小首を傾げた。
「もしかすると今の僕なら結界を破れるかも」
「やめておけ」
ルードヴィヒ王弟殿下が首を横に振ってみせる。
「ルールを破ってややこしいことになるより、今は言うとおりにしておいたほうがいい」
「……確かにそうですね」
結局、深夜0時――四時間後に現地に向かうことになった。
* * *
「指定時間まで、各自仮眠を取っておこう」
ルードヴィヒ王弟殿下がそう宣言した。
「賛成です」
一同、その意見に同意した。
勝負の前に仲間と一緒に過ごして、心を安定させるのもいいかもしれない。けれど体が疲れていると、頭の回転も鈍くなる。休息を取って、ベストな状態で臨んだほうがいいだろう。
「――ディーナ」
珍しくアドルファス王太子殿下のほうからハグを求めてきた。彼は私の父と約束したことを気にしていて、普段は自分から触れてこようとはしないのだが、今回は特別だった。
私は嬉しく感じて、彼の懐に飛び込んでいた。
アドルファス王太子殿下に抱え込まれていると、ものすごく安心する。
ペイトンの顔をしたゲオルクに抱き着かれそうになった時はあんなに怖かったのに、アドルファス王太子殿下に触れられてもまったく嫌じゃない。
それどころか私のほうがもっと甘えたくなる。
彼のシャツに頬を寄せると、清潔な匂いがした。
……ずっとこうしていたいな。
「何かしてほしいことがあったら言って」
アドルファス王太子殿下に促され、私は口を開きかけ、閉じた。
ずっと一緒にいて……と言ったら、彼を困らせてしまうだろう。
「じゃあ、髪を撫でてください……それで可愛い、って言って」
くす、と彼が笑みを零す気配がした。抱きしめられているので目で見ることはできないけれど、髪に吐息がかかる。
そんなことでも心臓が小さく跳ねた。
ドキドキしながら待っていると、温かい手のひらが後頭部を包み込む。
「可愛いディーナ――大好きだよ」
アドルファス王太子殿下が髪を撫でてくれる。
私はそっと目を閉じた。自然と口元に柔らかな笑みが浮かぶ。
「私も……大好き」
「大丈夫だから、安心して仮眠を取って」
「はい」
「いい子だね、ディーナ」
優しい声……ハグが解かれた時、私は満ち足りた笑みを浮かべていた。
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