ペイトンさんと一緒にいても、こんなふうにはならなかった


「はぁやれやれ、容赦なく婆(ばばあ)を責め立てやがって」


 エルゼ嫗が毒づいてから説明を始める。


「まずね、変わった客人が訪ねて来ることを、あたしは事前に察知したんだよ。それで『呪いの鏡』に訊いたのさ――『訪ねて来るのは誰だ?』と。すると鏡にあんたたち全員の名前と顔が浮かび出た。『呪いの鏡』は便利でね――それぞれの過去も少し見ることができる。それでディーナの元婚約者である『ペイトン』の姿も確認した。ああ――どうでもいいけれど、あたしはペイトンの見た目は結構好みだね。ディーナはどうなんだい? まだペイトンのことが好きなの?」


 なんて嫌な質問……私はヒヤリとした。


「いいえ、まったく」


 速やかに答える。


 そして答えたあとで、隣にいるアドルファス王太子殿下の顔を覗き込み、繋いだ手にキュッと力を入れた。


「……アドルファス王太子殿下、本当に私はペイトンさんのことを好きじゃないですからね?」


「うん、分かっている」


 アドルファス王太子殿下がこちらを見つめ返す。ずっとピリピリしていたのだけれど、私を見る時だけはいつもの彼に戻る。私はホッとした。


「よかった。あなたには誤解されたくないから」


「でもさ」とエルゼ嫗が声を張り上げる。「あんた、元々はペイトンの見た目が好きだっただろ? アドルファス王太子殿下とはタイプが違うじゃない? 王子は美しいけれど、あっちはワイルドだよね。情とか抜きにしてさ、純粋に見た目でいうとどっちが好み?」


 この人には『デリカシー』というものがないのだろうか?


 私は冷静に答える。


「過去は過去です。ペイトンさんのことは、もう好きじゃない」


「でも昔は好きだっただろ」


「どうしてそんなことを訊くのですか。アドルファス王太子殿下が嫌な気持ちになるから、やめてください」


「アドルファス王太子殿下を嫌な気持ちにさせるために訊いているんだよ。正確に答えな――ペイトンの顔、元々好みだっただろ?」


 いいえ――初めは誠実な人だと思ったから、ペイトンの好ましい点を見つけるようになった。だから元々好みのタイプでひと目惚れしたとか、そういうんじゃない。


 だけど何を言ってもエルゼ嫗は信じないだろう。


 怒っちゃだめ……深呼吸してから返す。


「どうしてアドルファス王太子殿下を嫌な気持ちにさせる必要があるのですか?」


「そりゃ理由があるよ――この鍵を壊すためさ」


 よっこいしょ……エルゼ嫗がかがみ込み、ローテーブルの下から木箱を引っ張り出した。幅が三十センチくらいある箱で、そこそこ大きいが、女性が持てないというほどでもない。表面には彫刻が施してあり、古そうな木箱だ。


 エルゼ嫗はドン! とそれをローテーブルの上に置いた。


「アドルファス王太子殿下を怒らせると、この鍵が壊れるはずで――……て、あれ? もう鍵が壊れているぞ。なんで?」


 しばらく事態を静観していたルードヴィヒ王弟殿下であるが、『さすがにこれは』と思ったのか、げんなりしてエルゼ嫗に言う。


「なんで、ってあんた――その木箱が何か知らんが、怒りで鍵が壊れる仕組みなら、条件が達成されたからでしょうよ。さっき出入口のところで、アドルファスが怒っているのを見ましたよね? ゲオルクくんにチカンされかけたディーナさんを助けた時、アドルファスは珍しく腹を立てていた」


「いや、これは結構強い呪いだからね、解呪役のアドルファス王太子殿下が箱の近くにいないと効かないはずだよ。一メートル以内で怒り狂わないと、解呪できないはずなんだけどねぇ……」


「だったらちょうど今ですよ。あなたがペイトンのことでアドルファスにヤキモチを焼かせたから、それで鍵が壊れた」


「違う――鍵が壊れた音がしなかっただろ? だからだいぶ前に壊れたはずだ……アドルファス王太子殿下は出入口付近にいたのに、数メートルも距離があって、この鍵を壊したのか? ……ちょっとあんた、神がかかった強い力を持っているね」


 エルゼ嫗が呆気に取られてアドルファス王太子殿下を眺める。


 アドルファス王太子殿下は少し機嫌が悪そうで、彼らしくない冷ややかな表情でエルゼ嫗を見返している。


 私は心配になり、アドルファス王太子殿下に身を寄せた。


「……怒っているの? どうしたら許してくれる?」


 アドルファス王太子殿下が肩の力を抜き、こちらに視線を戻す。


「ディーナには怒っていない」


「でも」


「ほんとに君には怒ってない……怖がらせたなら、ごめんね」


 弱ったように謝られて、私の心臓がドキンと跳ねる。


 それで彼に気持ちを告げた。


「私……過去、ペイトンさんのことを好きかもしれないと思っていた時期がある。でも、違ったのかも」


「ディーナ?」


「少なくとも、あなたに対して今感じているこの気持ちとは種類が違う。ペイトンさんと一緒にいても、こんなふうにはならなかった――あなたを見ていると、キスしたくなる」


 アドルファス王太子殿下が顔を赤らめた。


 私の胸が甘くうずいた――あなたがこういう顔をするのは、私に対してだけね。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る