第14話 月光の怒り

 「まっでぐれ夕日!!」


 僕は首を絞められた状態で叫ぶ。


 狼少女の頭上から自由落下で脳天へとナイフを突き刺さうとする夕日は僕の言葉に反応してくれたのか、はたまた気まぐれか、ナイフの軌道を晒し狼少女の右肩、僧帽筋の辺りにナイフを突き立てる——。


 「ぎゃあぁっ!!! いだいいだぁぁいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」


 夕日はナイフを突き刺したまま、狼少女の背中を踏み台に後ろにバク宙、練り色の髪を月光に反射させ足音なく着地してみせた。


 僕は今だに狼少女の手の中、しかし夕日が突き刺したナイフのおかけで首を締める力が緩んだ——その隙を見逃さず目一杯の力で親指と人差し指の間に噛みついた。ナイフの痛みに続いて噛みつきの痛みに耐えかねて狼少女はまたしても僕を放り投げた——。一瞬の浮遊感、しかし今度は投げた先が良かった。夕日が待ち構え難なく受け止めてくれたのだ、大人台の男を軽々受け止める夕日の腕力もまた人の領分を超えている。


 「夕日……す、すまなぃ」


 声が掠れて思うように声が出せない。頸部前面を強く押し込まれたせいだろう、声帯がかなり損傷している。咳き込んだ際、唾液には血液が混じっていた。


 「あまり喋るな命、ただでさえ昨日の今日、首を絞められたばかりなんだ、無理したら喋れなくなるぞ」

 

 夕日は蹲る僕の背中を摩る。夕日はいつものようなつっけんどんな態度とは違い甲斐甲斐しく介抱してくれる、これがツンデレってやつか。しかしそんな嗜好よりも——僕は言わなくてはいけない、夕日の不意をつく不可避の一撃を妨げてしまった理由を——。


 「た、たのむ夕日、あの子をこ、殺さないでくれ——あの子は——」


 「それはできない」


 にべもなく、一蹴された。


 違うんだ。夕日は知らないのだ、あの子が実は小学一年生で、経緯はわからないけど狼人間にされた被害者であることを——「ちぃ、ちが」


 「違わない」


 それ以上何も言わせてはくれなかった、声帯への気遣いだったのかは定かではない。


 夕日はゆっくりと右腕をあげ指差す。それは僕の後方、最初にいた位置とは反対側、それは狼少女が、例の音の発生地——僕は恐る恐る後ろを見遣る。


 そこには——首がない肢体。それは首のない死体。臆測を言えば狼少女の食べ残し、首はもちろん所々欠損が目立つ。さらに死体の周りにはおよそ人間を構成していたであろう部位が乱雑に、おもちゃ箱をひっくり返したように転がっていた。


 饐えた臭い、水分を含んだ生肉を貪るような音、音の正体が、目前に転がっている。職業柄、遺体を見ることはよくある……だけど食べかけの遺体がこうも、グロテスクであることは知らなかった。


 「惨い……」


 吐き気が迫り上がってくるの抑えて、遺体を視る。数は二人か、遺体の損傷が酷いため正確な人数はわからないけど、この人たちの職業はすぐに分かった。特徴的な青色の開襟シャツ。濃い紺色のズボン。そして同系色の制帽が二つ転がっている。制帽には旭日章きょくじつしょう、それは昇る朝日と陽射しをかたどった紋章。日本の国家機関のシンボルマーク——彼らだった物、その正体は警察官。

 


 狼少女は半狂乱になっていた時言っていた。外に『怖い人』がいたと……きっと巡回中の警官が取り乱した結果、拳銃か何かで威嚇した際に狼少女の逆鱗に触れたのだろう。でもそれは致し方ない事、例えここが人外蔓延る街だとしても規格外の化け物を目の前にすれば誰だって取り乱すだろうよ。


 夕日は遺体を見ながら眉根を寄せ、心情を口にする。


 「お前が言おうとしてる事なんて、まっぴらごめんだ、聞きたくもない……あの化け物に情が芽生えたところでな、アタシがする事は変わらない……変わんねーんだよ」


 既知としているように言う。それは僕の言動を見て悟っているのか、それともこれからする事へ余計な情を抱きたくないからか。


 「でも……あの子は、被害者なんだ……」


 痛む声帯に鞭打ち何か夕日を納得させる言葉はないかと模索するが、浅はかな感情論では夕日は納得しないだろうことは目に見えている、だって……。


 「だってもへちまもねーよ。人、二人死んでんだよ、見るも無惨にな、お前が今しようとしている事はそこに転がってる仏さんを蔑ろにしようとしてんだよ……しかもよさっきは急に叫び出すから狙いがズレちまった……どうしてお前は、いつもいつも……」


 嘆息。


 言を終えて夕日は含みを持たせ、事態の収束に取り掛かろうと腰を上げる。


 憤りを隠しきれず、夕日の腕を掴もうとしたが、腕を上げる力も僕には残されていなかった、なんとも惨めで非力なのだろうか。


 被害者、それが生死とした基準ならば、被害者はこの警察官の二人のことを言うのだろう、被害では済まない惨事、取り返しのつかない大惨事。これは紛うことなき殺人——実年齢6歳の魂を宿した器は人の世では持て余す怪力無双、撫でるように肌を切り、抱擁で握り潰す事ができる怪物……僕は一寸の希望を見ていた。夕日やイリスさんであればこの子を元に戻す事ができるのではないのか? 出来ないにしても保護できるのではないのかと……浅はか早計と窘められるだけなのは、わかっていた。僕だってわかっていたさ、この工場に漂う死の匂いに何も連想できないほど蒙昧もうまいではない。


 あの子が誰かしらを殺しているであろう事は予想がついた——でも気づきたくなかったんだ……どこまでも被害者でいてほしかった。だって、そうじゃないと、救われないじゃないか。あの子もお兄さんも……。


 夕日は既に狼少女を見据えていた。狼少女は追撃するのであれば十分な時間があったにもかかわらず何のアクションもない。見れば狼少女は頭を抱え蹲っていた……怯えていると言った方が正しいだろうか——やはり中身は小学一年生、夕日のナイフを受け戦意喪失したんだ、攻撃の意思はないんだ——。


 「夕日、保護するんだ」


 「……チッ」


 夕日は舌打ちで返事をし、それ以上は何も言わず、狼少女の元へズンズンと歩き出した。四〜五メートル程離れた所で止まり罵声を浴びせ始めた。


 「おいっ! 人間もどきの化け物、よく聞け。これからアタシはお前を完膚なきまでに叩き潰したあと、確実に殺す——アタシが言ってることわかるか?」


 夕日は蹲った狼少女に不意打ちを入れる訳でもなく、脅迫のような脅かしをしてみせた。それに反応するように両手で頭を抱えていた狼少女は手を解き、横目に夕日を視る。肩には夕日のナイフが刺さったままだ。


 「お、オネェちゃ、んもわだわだしをいじめるるのぉ?」


 夕日は不敵にほくそ笑む。それはまるで悪役にでもなったかのように。


 「あぁそうだ、今からお前を、イジメる殺す


 それを聞き、狼少女の様子が先程までの怯えきった表情から一変、今は当初見た、顔つき、眉間に皺を寄せ歯茎を剥き出しにしている。さらに両腕を地面につき腰を低くし、さながら狩りをする獣のような、今にも飛びかかりそうな姿勢だ。最早人とは呼べない風体に夕日を威嚇するような唸り声を発している。


 「はっ、らしくなったじゃないか、ちったぁ、足掻けよ、お前はもう窮鼠猫を噛むしかねーんだからよ」


 獣であった矜持なのだろうか、およそ小学一年生が放つ殺気ではなかった。頭部が狼であるというだけで、全身が野性の狼のように見えてきてしまう。僕は息を呑む。

 

 夕日は徒手空拳、武器は狼少女の肩に刺さったまま、傍目の戦力差は歴然、身長150センチくらいしかない人間対二メートル強の巨躯を持ち片腕で大人台の男を振り回す怪力。そして狼少女の爪は鋭利で十本のナイフを持っているようなもの、如何ようにすればこの戦力差を埋められるのか——。

 

 初めに動いたのは夕日だ、均衡状態であった場を床を蹴り砕く速力で、間合いを一気に詰める。きっといい判断だ、クラウチングスタートのような姿勢をとっていた狼少女が飛び込んできたのならばかなりの脅威であった事は間違いない、そうなれば先手必勝で懐に飛び込んだ方が最善にして、虚をつける。しかしそんな事、普通の人間にはできない、できるはずがない。最善策であろうとなかろうと自ら進んで死の元凶に飛び込める胆力など夕日くらいしか持ち合わせていないだろう。


 虚をつかれた狼少女。虚をつくでは語弊があるかもしれない、狼少女は毛ほども油断などしていなかったからだ。臨戦体制、戦いに臨む体制まさに全神経を夕日に注いでいたにもかかわらず、虚をつく、それは狼少女の視界から見れば瞬間移動、突然目の前に夕日が現れたとしか感知できていないだろう、それ程の速力で間合いを詰めたのだ。


 そして夕日はまるでサッカーボールを天高く蹴り上げるが如く狼少女の顎を蹴り上げた。

 

 蹴り上げられた衝撃で狼少女の身体は数センチ浮き、完全な無防備になった。その最中、狼少女の腹部にそっと手を添えた夕日は「おやすみ」と一言添えた、瞬間、夕日の足元のコンクリートが割れ、そこから伝わる力を手に伝え発散させる、これは無影打法『寸頸』と言われる近接戦闘術。聞こえは如何にも武術を嗜んできた風だが、夕日の場合は異なると言うより失礼に値する。それはただ動画で見て真似しているだけというのに地力がありすぎてそれっぽく出来ているだけなのだ。げんに腰を割って構えるわけでもなく、ほぼ直立状態での寸頸である。しかしそれは本場を凌駕する破壊力を生み出しているのは地面に刻まれた地割れが物語っている。


 寸頸を受けた狼少女は腹部を押さえ二、三歩後退し口から血を吹き出し前のめりに崩れ落ちて行く。夕日は吐血を避けるわけでもなく練り色の髪に纏わせた。

 

 完全に崩れ落ち、うつ伏せに倒れた狼少女に近づき肩に刺さったナイフを引き抜くために足を掛けナイフを引き抜いた。ナイフを下方に向かって振り払い、血振りを行い、静謐とし、氷河を想わせる冷たい刃が姿を現した。


 緊張が走った。戦闘に入ってものの数十秒の決着、そして夕日は引き抜いたナイフを狼少女の首にあてがう、右手で柄を握り刃先の方に左手を置き、まるで魚の首でも落とすかのように構える。


 僕は全身に力を加え立ち上がり走り出した。僕は嫌だった、このままこの子が死んでしまう事がたまらなく嫌だ。少しでも可能性があって助かる命があるならば助けたいというのが僕の心情だ、それが例え偽善だとしても、死にたがっていたとしても、助けたい。そう思わずにはいられなかった。


 「りりかちゃん!」


 叫んでいたこれではまるで本当に夕日が悪役のようだった。けどこれ以上の惨劇は僕が見たくないんだ。


 「命……」


 夕日は僕を見遣る。


 「お、おにぃちゃん?」


 それに呼応するように狼少女りりかは覚醒した。


 「おにいぢゃんっ!!」


 覚醒した狼少女は足を掛けていた夕日を振り払う、振り払った手が夕日の腹部に直撃「ぐっ」と呻き吹き飛ばされた、それと同時にナイフも手放しキーンと甲高い音が鳴り響いた。


 狼少女は夕日の刃渡り30センチはあるコンバットナイフを拾い上げる。それは正に鬼に金棒——怪力無双に金棒……僕の判断は正しかったのだろうか。夕日の邪魔をした挙句、反撃の手段を与えてしまったことに……。


 狼少女は月明かりに反射し怪光放つナイフを静穏とした眼差しで見つめている——。

 






 

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