第9話 緋色の黄昏 1 独白

          ◇◇



 私は10歳まで母と2人で暮らしていた。私が物心つく前には父親と離婚していて、顔も声も名前も知らない、およそ形容できる事柄が全くない、だから父親の愛情云々に一喜一憂する事がなかった分、私は冷めた子供だった。


 父親がいない分、母が私を愛していたかと言われたら——正直わからない、昼はパートをして夜はキャバクラ、義務的な誠心誠意で日銭を稼いでいたと思う、そのせいで私は、家で1人の事が多く六畳一間のアパートで何時間も孤独に母の帰りを待っている事なんて日常茶飯事だった。


 あの頃は、夕方アパートの下にある公園で近所の子供達が母親たちと遊んでいるのを繁々しげしげと眺め、17時と同時に蟻の子を散らしたように子供達が帰っていくのを確認してから私は誰もいない公園でブランコを漕ぐのが日課だった、静かな公園、賑やかさは室内に移り変わり静謐せいひつ的な公園にギィギィとブランコのチェーンが擦れる音が耳障りだったな、だけど、ブランコは好きだった、誰かに背中を押されて大きく弧を描いて乗れた時は、一瞬の浮遊感が空を飛んでいるみたいでとっても楽しい、でも私は1人で漕ぐのが下手で、誰かに背中を押してもらいたかった、母に友達に顔も知らない父に——毎日希望的観測に縋っているうちに孤独は私の心を徐々に蝕んでいった。


 そんな日々に突然変化が訪れた、ブランコの後ろの茂みからガサガサと葉が擦れる音がしたのだ、私は恐る恐る音の方に近づく、そこには茂みに身を隠し怯えた子犬が体を振るわせいた。生後数ヶ月くらいの雑種だろうか? 親と逸れたのだろうか? など慮るおもんぱかる。けど一目でわかったのは、私と一緒で孤独だという事、そう思うと苦手な犬とでも友達になれるんじゃないかと期待してしまった……期待なんていつぶりだろうか? 学校でも1人の私は友達と約束した事もない——でも一度だけ母と遊園地に行く約束をしたことがある、その日の夜は期待に胸を膨らせ眠れなかった——たとえ約束を反故にされたとしても——そして久しく味わうことの無かったこの感情、この犬とまだ見ぬ楽しい日々を想像してしまった私は、恐る恐る手を伸ばす「私とお友達になってくれる?」そんな事を呟きながら———っ!! 


 痛みが駆け巡る、触れようとした手を子犬が噛み付いたのだ、驚いた私は噛みつかれた状態の手を反射で引いてしまい結果的に傷口が裂け、子犬に噛まれたとは思えない程の傷になってしまった、傷口はジワリジワリと血が滲み始めポタポタと私の足元と靴に血が落ちていた。子犬はなおも威嚇を続けている。


 流れる血と一緒に先程まで抱いていた希望も流れ落ちていくのがわかる………痛い……傷の痛みなんかじゃない、そんなのもう痛くない、もっと痛くされた事なんてたくさんある、この痛みは傷心、これは落胆の痛み裏切りの痛み、心が痛いと叫んでいる。そして痛みと一緒に沸々と憎悪が目覚める『どうして? 何で? 何で? 何で!! こんな酷い事するの!? 私、何も悪い事なんてしてない!! どうして! 私を虐めるの! 学校でも、知らない間に教科書は破かれて机に落書きされて太ももをコンパスで刺されて母をビッチだと罵られても私は我慢して、我慢して、我慢して……るのに、何で、あなたも私をいじめるの?』———「……ねぇ、何で? 何で、何で! 何で何で何で何で何で何で何で何でぇ!!!!」涙と一緒に心から溢れ出た言葉は声に出て嘆きとなっていた——。ゴトリと私は両手で握っていた石を落とした。「……あれ?」我に帰ると私は近くにあったちょうどいい石、撲殺するにはちょうど良い石で子犬の頭を何度も何度も殴りつけた後だった。


 無我夢中で石を振るったのだろう息も絶え絶えになりながら目の前の惨状に足がすくみ膝から崩れ落ちる、「あれ、あれ? わた、わたしなんでこんなこと……あはは犬さん死んじゃった」不思議と笑みが零れた、噛まれた傷の血と子犬の血が混ざり合った手でそっと子犬の体を撫でる———「ねぇ友達になってくれる?」


 死体は数ヶ月間放置され白骨化していた、私は初めての友達を丁寧に拾い上げ私は想う『これくらいの距離感がいいのかも』と。

 


          ◇◇


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