第5話 羞恥の事実


 僕に馬乗りになっている夕日は額に冷や汗を流し頬が火照り、堰を切ったように息遣いも荒く途切れ途切れだ、小さく体も震えている。と此処までは官能小説のような展開で下から眺める近景はまさに官能的、しかし僕の首にあてがわれているナイフまで、カタカタと震えて傷口に触って優雅に近景を愉しむ余裕は皆無!!


 薄暗い室内、【ルイン★】を彷彿とさせる室内、だけどあそこほど闇深くはない。大きな正方形の部屋は壁面に等間隔に配置された電球色のブラケットライトで部屋を照らしている。しかし所々電球が切れているし、電球自体の光量が足りていないのか部屋はかなり薄暗い、ただ唯一、壁際の僕と夕日がいる場所には年代物の赤錆色をしたスタンドライトが怪しげに僕らを照らしている。


 コツンコツンとゆっくりと踵を鳴らしながら声の主が近づいてくる。

 

 夕日は足音が近づく度に身をビクビク震わせていた、緊迫した空気感に何歩目かの足音で耐えきれずソファーから飛び降りる、まるで脅かした猫のように俊敏に背後にジャンプし着地と同時に目にも止まらぬ速さで反対側にあるドアに駆ける。それを座って眺めながら一声かけてやる「おーい、一応言っとくけど無策で逃げても無駄だと思うぞー」言い終わった瞬間、隣りに無くなったはずの気配が忽然と表れる——僕はゆっくりと隣を一瞥いちべつする。


 隣には声の主そしてこの部屋の主にして僕達の首領ドンである【イリス•アルケミスティ•イグノランティ】通称【イリス】さんがソファーにもたれ掛かりリラックスした状態で足を組みお気に入りの細長い煙草を喫っている。


 「【落陽らくよう】も中々に動けるようになったじゃあないか【感心】してもいい、だが【命】の言う通り無駄な事は感心できないな【落陽】は少し動物的本能が有り余りすぎているな、戦略的撤退、脅威からの逃走、あれではまるで獣だ、しかし【命】、お前もあれくらいのアジリティがあれば深手を負うこともなかったのではないか? 【落陽】を模範しろとは言わずとも近接での往なし方くらい必要だと思うのは私だけだろうか?」


 淡々と語られる感心と駄目出しにぐうの音もでませんです。一方で夕日は開かずの扉を殴る蹴るで何とかこじ開けようとするがびくともしないようで、轟音だけが鳴り響く、ドゴン! ガン! と。


 「アハハ……それもそうですけど早くアレなんとかした方がいいような」


 逃げるように夕日を指差して話題を変えるが、そんな事をあまり気に留めていない素振りだ。

 

 「あぁ子猫が遊んでいる程度であの扉は開かんよ、出入りの仕方はだからね」


 そう言うとフィンガースナップで音を鳴らす。


 パチンッ


 と綺麗な音が鳴ったなと思った瞬間——……いつ? 一度瞬きをしている間に、20メートル程先の扉を無我夢中で叩き壊そうと躍起になっていた夕日が、イリスさんの膝を枕に頭を乗せた状態で忽然と姿を現した、うつ伏せで猫が膝の上で伸びているみたいだ。


 瞬間移動と言えば簡単だが、もともとそこに居たのでは? と思うほど意識の中に自然に入り込んできたような感覚。そしてこちらから顔は見えないが夕日の表情は、大方想像がつく。


 優しく夕日の頭を撫で始めるイリスさん、まるで甲斐甲斐しく世話してきたペットを愛でる様だ、しかし触れられている本人は小さく震えているのがよくわかる。


 「【落陽】の髪は本当に気持ちがいい……ところで【命】私が用意したみそぎは愉しめたか? 片手でも扱える様な物を用意したつもりだったのだが、【落陽】の様子を見る限り事後と言うやけではなさそうだが……」


 「……イリスさん僕は残念な事に鞭で愉しめる程歪んでなかったみたいです」


 ふむそうか、と返事をする【イリス】さんは僕達の完全無欠の絶対上司、夕日もこの通り骨抜きにされた飼い猫以下にさせる圧抑。


 いつくしみを込めた眼差しで夕日を眺めているイリスさん、前髪が長く左耳に髪をかけていて、右目は前髪で殆ど隠れてしまっている、全体のレングスは腰くらいまであるが、全体的にレイヤーが入っているので俗に言うウルフカットの様になっている、髪色がまた特徴的で僕にはまるで理科の実験で使うガスバーナーの内炎と外炎のあらわしたような青色のグラデーションをしている。


 イリスさんを象徴する特徴がもう1つそれが腕、この人の両腕は黒腕なのだ、簡単に言えば指先から腕と肩を繋ぐ肩鎖関節あたりまで真っ黒の、【ブラックアウトタトゥー】が施されている、本人曰く数多の術記号を入れ過ぎた結果こうなったと言う、そしてそれを強調するように清潔感のある白色のノースリーブテーラードシャツ、パンツは光沢のあるレザーパンツに、10センチくらいのヒールブーツを履いていて、身長が170センチのイリスさんはブーツを合わせると180センチくらいある。


 背が高いのだがその分スタイルは抜群にいい、出るとこは出ているの具現化、腰回りの括れを強調する様に女性らしい大きなお尻にそれを支える脚は長く、まるでランウェイモデルを彷彿とさせる御御足。そして野郎どもお待ちかねの1番歓喜する胸は——


 「Jだ」


 「ふぉうっ!? イ、イリスさん一体な、な、何のアルファベットを……」


 正鵠せいこくを射るとはまさにこの事、僕の目玉は日本水泳連盟も度肝を抜く泳ぎを見せる。


 「先程から目線だけで胸囲を測る練習でもしていたのではないのか? 正確な数字は分からないが、下着はそのサイズで間違い無い、それとも……」


 表情の読み取りにくい顔を鼻先が当たりそうな程の距離まで近づけてくる、さらにテーラードシャツは谷間が見える様にボタンが外されている、くそいつの間に……。


 その脳殺Jカップを腕で少し寄せてくる姿は蠱惑的な淫魔に魅えてしまう。そして体臭なのかフレグランスなのかわからないがレモンに微量の甘さが合わさった様な柑橘系の香りが心地いいほどに香る、それが緊張感、逼迫感を緩和させ全てを委ねそうになる。


 「情欲をそそられ刺激が副交感神経を介して血液が流入し始めているならそれはとても嬉しいぞ【命】、望むなら視覚情報だけでなく皮膚感覚全てを使って私を堪能してもらっても構わないのだぞ?」


 やめてイリスさんそんな僕も知らない体の神秘聞きたくない!! てか顔が近すぎる! 何でこの人こんな綺麗なんだよ! まつ毛長! 鼻高! 唇なんてプププププププルプルだぁ!! 胸が胸がぁあぁ、チョモランマだぁ!!


 しかし僕は知ってる、この人がこんな簡単に詰め寄ってくる理由を。


 「い、いやぁ堪能したいのも山々なんですがぁ、チョモランマだけに……。ゴホンッ右腕がこんな状態ですので、今日のところは遠慮しておきます。そう言えば包帯まで巻いてもらったみたいでありがとうございます!」


 ギリギリの? 理性で何とか話題を変えたのは英断だろう、ちょっとしたジョークを交えた、少し変化球気味の返球に表情では分からなかったが雰囲気は落胆している様に感じる。無慾恬淡むよくてんたんな奴だ、と一言嫌味を言い顔が離れていく。


 危なかった、僕の心臓は律動を乱して、内側から何度もハンマーで殴られているような鼓動で胸が張り裂ける勢いだ、これが早鐘を打つってやつか。


 「ふー、包帯を巻いたのは【落陽】だ、巻かせたが正解だがね」


 どうりで五平餅みたいな腕になってると思ったよありがとう夕日。そう言うとイリスさんは、煙を吐きながら猫の首を掴むように夕日の首襟を掴み、隣りに座らせる。夕日は起こされても硬直状態継続中のようで、両手でスカートをギュッと握り俯いたままだ。


 「おい夕日いつまでいじけてんだよ、イリスさんに怒られたのがそんなに怖かったのか? どんなお仕置き受けたらそんな事になるんだよ」

 

 いたたまれない姿に冗談混じりで声をかけると夕日はピクっと反応し乾いた唇が開く。


 「……おし……おっおししししお仕置き? どどどどんな?」


 そう言うとイリスさんの顔を見る、見られている本人は、ん? と疑問顔だが、夕日はガタガタ震え出す。

 

 「ひぃやーーーーわー!!!! もうお仕置きやだぁ!!」


 逃げ出そうとする夕日に肩を組み立ち上がれない様にするイリスさん。


 「【落陽】私は暇と退屈が好きだ、以前にも話しただろ? 暇と退屈があれば人間は探究と追求という欲望を満たすことができるのだと、しかし暇と退屈を持て余し妥協を重ねやるべき事から眼を背け、豚の欲望を満たすのはいただけない。結果として【命】はこの通り、危うく命を賭して名前負けするところだった。そして【落陽】ここから逃げる事が妥協ならば私はまた同じ事を繰り返す事になる……ここまで言えば【落陽】ならわかるだろ?」


 夕日はものすごい速さで小刻みに震えながら答える。


 「……も、もう……逃げたり……しま、せん、ゴクリ」


 生唾を飲み込む音が聞こえ夕日の緊張感が伝わってくる、ここまで来ると流石に可哀想だな……と言うより。


 「てかイリスさん名前負けって、その嫌味はさっきの仕返しですか?」


 「さてな、しかし換言すれば本人が死んで名前だけ一人歩きするところだったな、これでは名前勝ちだ」


 全くこの人は意外といけずなのだから。それとは対照的にイリスさんは少し口角上げて夕日に向き直り頭を撫でてご褒美をあげるようだ。


 「そんな事よりすまなかったな【落陽】、私も少しやりすぎたと思っていたんだ、お詫びに【落陽】の好きなチュッパチャッピー苺フロート味を取り寄せておいたんだ食べるかい?」

 

 「……食べたい」


 長年、人に心を閉ざした猫が心を許す瞬間のようだ何だか感動的。てかちょろすぎやしないかい? そしてイリスさんは夕日の反応みて、包装紙をとり夕日の口の中に柄のついた飴を入れた、みるみる顔が緩んでいく夕日は正直可愛い、人に点数なんて付けちゃいけないけど1万点をあげよう、もちろん百点満点中さ!


 「ふむ、【落陽】も正常に戻った事だし、私は戻るよ来客を待たせているのでな。【命】、腕は【朝陽あさひ】に治してもらうんだよ」


 スッと立ち上がりその場を去ろうとするイリスさん。それを静止するように僕は口を挟む。


 「あっ怪我はそうしますけど今回の件はどうしたらいいですか? 正直ただの犬探しになってないんですけど」


 そのまま聞き流すように立ち上がりゆっくりと歩きながら話し出す。


 「今回の依頼に私は干渉しない、その代わり報酬全額を賃金にする約束だったはずだが? 【命】何でも問いに答えが返ってくると思わん事だ、教訓にするといい。だが咬傷を見た限り微弱ではあるが【霊奇】の残穢を確認できた、一度そこに居る底抜けに依頼人の話しを仔細しさいに聞いてみる事だ、叩けば埃が出る年代ものだ。後喧嘩はするなよ」


 しまったイリスさんは、くれくれ君には厳しいのだ、でも干渉しないとか言いつつアドバイスありがとうございます。そう言うとイリスさんは黒い煙の様なものに包まれ、姿を消した。最後に「後ろの扉から出られる様にしておいた」言葉だけ聞こえ後ろを振り返るといつの間にか鉄扉が現れていた、最初はなかったよな?


 何はともあれ今日は疲れた、帰りながら夕日に依頼人の話しを根掘り葉掘り聞いてみよう。当の本人はイリスさんから解放されて、安堵のため息をつきながらソファーで横になり、飴を舐めている。

 

 「はぁ、夕日帰るぞぉ」


 さぁ事件を振り出しに戻そう。

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