第15話 アンハッピーデイズ【side『私の』】

きららが入学した初日。

きららはアステリオスとユーノのことを【推しカプ】と言い掛けていた。

それだけ聞いて『私』は強ばっていた気持ちが、一気に緩むのを感じた。

多分、きららも『私』と同じゲームを知っている。

そして、アステリオスとユーノを推していたんだと思う。というか、学園生活を続けるうちに、推してたって確信できた。


────ユーノたんとアステリオスが二人で並んでる時、顔真っ赤にしてるんだもんなぁ


思い出す度に笑ってしまいながら、それでも『私』は注意深く観察していた。

だって、何が起こるか分からないのが人生だ。

ある日突然、知らない暗闇の中に放り出されることだってある。


だけれど、観察すればするほど、きららは本当に善良で優しく、ただ一生懸命な女の子だった。


オルフェウスが暗い顔をすれば、

「私にできること、ありますか?」

と話を聞き、オルフェウスと一緒になって彼の両親をギャンブルから引き離し。


アドニスが弟に対するコンプレックスで自暴自棄になりかければ、

「私、アドニスさんの良いところ一杯知っています。一晩中だって話せますよ!」

と言って、ずっと側に居続けた。


ゼファの能力の高さを恐れる同級生が、彼を苛めようとすれば、

「未知を恐れるのは、野蛮な人がすることです。それでも高貴な青い血が流れているのですか!!」

と、激昂しその前に立ちはだかって守ってもみせた。


イカロスがユーノを諦めきれないと嘆き、宝物庫の奥に眠っていた魔神の宝玉から魔王を復活させた時は、魔王に飲み込まれるイカロスを抱き締め、

「私と元の世界を結ぶ命の糸を、イカロス様に捧げます。どうか、辿って戻ってきて」

と、元の世界に一生帰れなくなることを知りながら、奇跡の力で魔王を追い出しイカロスを救い出した。


これが約半年の間にヒロインがこなしきった、タスクである。


────リアルで乙女ゲーやるのって無謀すぎん?


アステリオスとユーノも手助けしてたけど、それでも段々窶れていくきららの姿に、『私』はめちゃくちゃ心配になった。

倒れるんじゃないかと思うほど、皆のために動き回るきらら。そんなきららを、救われた攻略対象たちがサポートしていく。

その間にも、彼らはどんどんきららに夢中になっていった。

でもそれは、健全な範囲でのことだ。

『私』は心底、ほっとしていた。


────ハーレムエンドになんてならなくても、いけるじゃん。そうだよ、現実なんだもん。問題解決しちゃえばさ、結婚までしなくても良いよね。


『私』は、この先明るい未来が目の前に広がっているんだ、って確信していた。


────だから、ハッピーパウダーが出てきた時は、心底驚いたんだよ


ファンの間では『はぴ粉』とか『ヤバい粉』って呼ばれていた、禁断の課金アイテムだ。

攻略対象たちの好感度を爆発的に上げるアイテムだけど、効果はそれだけじゃない。

これを盛らない限り、ユーノを溺愛しているアステリオスルートは解禁されないのだ。


ユーノが誤って、はぴ粉を大量混入したマシュマロをアステリオスに食べさせた時、私は血の気が引く思いだった。

でも、この時の出来事はあくまで、事故でしかなかった。


────もしかしたら、他の攻略対象を救うために好感度調整で使っていたのかもしれない。それだけハードスケジュールだったもんね。事故は仕方ない、事故は


そう、思っていたのに。


────…、…なんで、効果が切れないの?


はぴ粉が禁断の課金アイテムと言われる由縁は、その効果に期限があるからだ。

リアル時間で一週間だけ、爆発的に好感度が上がる。

イベント回収や、同時攻略なのに好感度が足りない。って時に購入し、有料アイテムの手作りマシュマロに混入する形で攻略対象に贈ると、効果を発揮する。


だから、ユーノが間違えて混入したとしても、一週間後には元のアステリオスに戻っているはずだった。

なのに、一週間経っても、二週間経っても、効果が切れない。


要するに、はぴ粉を盛り続けてる。ってことだ。


────きらら、最初に推しって言ってなかったっけ?それはアステリオスが好きだったってこと?ユーノから取り上げようって、そんなこと考えてたの?それとも…


バンッ!!

と、急に『私』の思考を叩き潰す音が、響いた。

いや、正確には半ば現状から逃げだしていた『私』を、騒音が現実に引き戻した、という方が正しい。

会長の席から眺めれば、床に書類が撒き散らされていた。

書類を辿って視線を向ければ、顔を真っ赤にして泣きそうなユーノの顔があった。

いつも美しく、華やかに笑うユーノの顔が、憤怒の形相へと歪んでいく。


「わたくしのっ、アステリオス様を返して!!きらら!!わたくしのあの方を元に戻してよっっ」


勢いよく身を翻したユーノは、壁際で呆然と立ち尽くしているきららへと迫った。

乱れた黒髪が、白い額に掛かる。

前髪の合間から見えるユーノの表情は凄惨で、まるで鬼女のようだった。

きららの前まで詰め寄ると、ユーノの白い手が勢いよく振り上げられる。


ばちんっ!


と、肉を打つ音が響いた。

崩れ落ちるきららが、頬を手で押さえながらユーノを見上げていた。


「ユーノ…ちゃん…」


何か言いたげに震える、きららの淡い桃色の唇。

これ以上ないぐらい傷ついたきららの顔に、『私』の鈍くなっていく思考が、引っ掛かりを覚えた。


────アステリオスを奪おうとしてるのに、なんでそんなに傷付いた顔、するの?


床から起き上がれないでいるきららの周囲を、オルフェウス、アドニス、ゼファ、イカロスが囲っていく。

それぞれの男がきららに傅くと、手を取り、抱き締め、髪を撫で、指先に口付ける。


「可哀想にきららさん、唇が切れてしまって…貴方は悪くないのに」

「ほんっとに女の嫉妬は怖ぇよなぁ?ユーノはそんなんだから、愛しいアステリオス様に捨てられんじゃねぇの?メス犬みてぇにキャンキャン吠えやがって」

「きらら…ユーノ…消す…?いらないよね、あんな…女」

「ユーノ姉さん、いくら貴方でも女性に暴力を振るうなんて…見損ないました」


男達は心酔し、汚泥のような恍惚を宿した瞳をきららに向け、同情の言葉を次々注ぎ込み。同時にユーノを責め立てていく。


「待って、私…そうじゃなくて。あの、大丈夫だから…っ」


上手く言葉を選べず、止められないまま泣き出しそうに周囲を見渡すきららの元へと、『私』…いや、アステリオスが立ち上がって、ゆっくりと足を踏み出した。

以前よりも優美で、退廃的な気怠るさを帯びるアステリオスの姿は、『私』の知るものじゃないように思えてならなかった。


「アステリオス様…、…」


ユーノの顔が見える。

凛々しくて、可愛くて、格好良い、『私』のメインヒロイン。

彼女の凍った湖みたいに澄んだ瞳が、今はゆらゆら悲しげに揺れていた。

祈るように組み合わされたユーノの指は、力が入りすぎて真っ白になっている。

アステリオスが微笑む気配を『私』は感じた。


「なんて醜いんだろうね、ユーノ…自分の顔を鏡で見てごらん。きっと二度と、私に顔向けしようなんて思わないだろうから」


人を傷つける愉悦が、滲む声。


「お前を愛していたなんて考えると、反吐が出る…、…卒業式に婚約破棄を申し渡すから、楽しみにしておいで」


絶望したユーノの瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れていく。

大きく見開かれたユーノの瞳には、アステリオスの艶然と嗤う顔が、映っていた。


「ユーノちゃん…ユーノちゃん、あの、違うの…っ、お願い、話を聞いて!」

「────っ、ぅ…煩い、煩い、うるさい、うるさいっ、っ!!」


必死に言い募ろうとするきららを、ユーノは怒りに燃える目で睨み据えると、生徒会室の扉を開け放って駆け出していった。

どうして、こんな事になってしまったんだろう。

『私』は、半ば呆然としながら、働かなくなっていく頭に鞭を打って、必死に語り掛ける。


────みんなも、アステリオスも、なんか、…なんか…変だよ。はぴ粉ってこんな怖いものだったの?ねぇ、食べるのやめようよ…アステリオス。


きっと、今まで通りこの声は届かない。そう思っていたのに。


「マレビトというのは、誰も彼も余計なことに首を突っ込む性格みたいだね。でもね…私のために囀ずる小鳥は、一匹だけで十分だよ」


そう、口の中で呟く声が聞こえた。


────あ、これ もしかして、 アステリオスじゃない…?


そう思った瞬間、


ぶつんっ、


と『私』の意識は途切れて、暗闇の中に放り出されていた。

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