第8話 マシュマロ

学園祭も過ぎ、剣術科を対象とした武道大会も慌ただしく終わり、制服の衣替えを迎えた頃。

大きな行事が終了した反動で、一時だけ緩む空気。そこに混じり込む、ふんわりとした甘い香りが鼻先を擽った。

執務机に肘を乗せて頬杖をつくと、きららが運んできたワゴンの上に乗せられている、ガラスコンポートに盛られた菓子に私の視線は吸い寄せられていく。


「それが今流行っているマシュマロかな、きらら」


パステルカラーの四角い物や、雲のようにふんわりとした物。同じものとは考えられない多様性は、私の目にも面白く映る。

見慣れたクッキーにサンドされたクリームからも、香ばしい甘さが漂ってきた。


「はい、一度ユーノちゃんのために作ってみたんです。そしたらとっても気に入ってくれて、支援するから事業として興してみないか…って、協力してくれたんです。ね、ユーノちゃん」


ぱちり、と瞬いたきららの榛色の瞳。

そのまま嬉しそうに笑うと、尊敬の眼差しをユーノに向ける。

そして私の前で、きららは百合の蕾を思わせるユーノの指を両手で握ってみせた。


「わたくし、一口食べて素敵だと思いましたの。それに、きららは身一つでこちらに来てしまったんですもの、財産になるものがあるのは大切なことでしょうから」


きららの手を優しく握り返す私の婚約者は、人間というよりは女神に近い存在なのかもしれない。

愛情と慈愛に満ちたユーノの眼差しを一身に受けるきららの姿に、ほんの少しだけ面白くないと思う私は、狭量だろうか。


「ユーノちゃんが…食べてくれたから…、…だから貴族の人たちも受け入れてくれたんです。ありがとう、ユーノちゃん…」

「どうという事ないわ、きららはわたくしの妹みたいな子なんだから」


マレビトとして腫れ物を扱うように遠巻きにされていたきららだったが、マシュマロという流行と利権のお陰で、周囲に人が集まるようになっていた。

その流行り作りの立役者は、我が婚約者であるユーノだ。

次期皇妃という貴人が口にしたことで爆発的に人気が広がり、機を見て店舗を出すように提案し、個人資産から出資までした。

しかも、無償で。


────だからゲーム内でマシュマロが課金アイテムになってたのねぇ


訳知り顔で呟きを漏らす頭の中の声に、時折もどかしくなる。

問いただせれば、どれだけ楽だろう。


────あー、でも百合も良いよね。百合も。昔は課金でユーノ様ルート解放されるって思ってたのに…


例えばこの百合という単語とか。

何を意味しているのか知らないが、ユーノたちの様子からして、なんとなく私にとって都合が悪いもののように思う。

そろそろユーノときららの間に割って入ろうと、私が口を開き掛けた時だった。


「今日準備してくださったのは、お店で販売しているものですか?」


二人の世界を作り出すユーノときららの間に、長身の男が一人割り込んだ。

上半身を傾けて、ワゴンの上のお菓子を覗き込むように然り気なく身体を入れたオルフェウスは、新緑の瞳をこの上なく優しく細めて、きららに問い掛けている。


空気を読んで、全力で壊しにいく。流石オルフェウスだ。


オルフェウスに見つめられて、恥ずかし気に瞳を伏せているきららの頬が、ほんのりと熱を帯びているのが見える。


「いいえ、これは皆さんと一緒に食べようと思って、私が作ってきたんです。よろしければ…」

「おや、きららさんの手作りをまた頂けるなんて、嬉しいですね。ところでこの間の件に関して、また相談が…」


オルフェウスは柔らかくまろい声に甘さを乗せて、囁き掛けていた。

きららが彼を見上げようとした瞬間、不意に、どんっ、と重い音が響く。

衝撃で舌を噛んだらしいオルフェウスが、口許を押さえながら反射的に背後を振り返ると、背中にアドニスがのし掛かっていた。


「ッぅ…ぅ」

「いただき!」


アドニスはオルフェウスの肩に乗せるようにして腕を伸ばすと、武骨で大きな手でマシュマロを一つ取り上げ、口に投げ込んでいく。


「甘いものはそんなに好きじゃないでしょうに、アドニス」

「きららのモンは別だからな!この間愚痴聞いてくれた時に食べさせてもらって、ハマっちまってな」


作り物のような美しい微笑みをアドニスに向けるオルフェウス。

幼馴染みの冷えきった表情など意に介さない天才剣士は、オルフェウスの棘だらけの言葉を薙ぎ払い、返す刃で切りつけるように開けっ広げに言い放つ。


アドニスとオルフェウスの姿に戸惑うきららの傍らに、いつの間にかそっと寄り添っていた美少年が、きららの制服の裾をちょん、と引いていた。


「僕も好き…、…魔術の研究に没頭してる時、紅茶に…ミルクと一緒に入れてくれてる、よね?すごく…ほっとする」


普段無表情なゼファが、ふにゃり、と眦を溶かすようにして僅かに頬を染めていた。

応えに窮して戸惑うきららが、視線をこちらに向けてきた。


「えっと、アステリオス様は召し上がります?」

「いや、私は甘いものは苦手でね。遠慮させて貰うよ」


私は眉尻を垂らすようにして笑って、断りを入れる。


「…、…そうですか」


ほんの僅かな違和感。

きららの瞳は安堵を奥に宿しているのに、瞳孔は不安気に焦点を乱していた。

残念、なんて軽い言葉では言い表せない感情の揺らぎが、確かにそこにあった。


「大丈夫かい、きらら」

「はいっ、えっと、何でもないですよ」


感情を隠すのが下手な彼女は、焦りながら両手を前に付き出してぶんぶん左右に振ってみせる。

そんなことをしても、見せたものは掻き消せないのに。

重ねて問い掛けようかと思った瞬間、私と彼女の合間に割り込む後ろ姿が、一つ。


「そんなに落ち込まないで、きらら。兄の代わりに、俺が貰うよ…俺は君が、いや、君のお菓子が好きだから」


思わず、私は言葉を失った。


まさか、密かにユーノを思い続けていたイカロスまで、きらら争奪戦に名乗りを上げるだなんて思わなかったのだ。

幼い頃から優秀で、無口な、可愛い私の弟。

同時に油断のならないライバルでもあった彼の新しい恋を、私は応援すべきだろう。

きららの性根の優しさ、正直さ、努力して周囲と和を保とうとする健気さ。至って問題ない、どころか素晴らしい特性ばかりだ。


なのに、腑に落ちない。


消化不良に似た気持ちの悪さを抱える私の頭の中で、能天気な声が聞こえてきた。


────春だなぁ


頭の中の同居人が呟いた。

確かに、色々な出来事を乗り越えて愛情が芽生えた、と言われればその通りかもしれない。

だが、それで済ませていいのか?

私は堂々巡りになりそうな思考から離れるために、立ち上がった。


「少し散歩に行ってくるよ。良ければユーノもどうだい?」

「はい、喜んでご一緒いたします。アステリオ様」


一瞬だけ驚いたように大きな瞳を瞬かせたユーノは、たおやかな声の奥に喜びを含めて応えてくれた。


「お気を付けて下さいね。アステリオス様」

「ああ」


────やったね、デートだ!!


私とユーノが寄り添って歩き出すと、頭の中で声が響く。

意識していなかった言葉で脳味噌を唐突に殴られると、不覚にも一瞬だけ、にやけてしまいそうな照れ臭さが込み上がってきた。

私は懸命に表情を圧し殺しながら、ユーノと一緒に生徒会室を後にした。

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