第7話 和解

なめらかに歩くユーノの スッ、と伸びた背中が見える。駆け出してしまいそうな衝動を堪えて、私はユーノに追い付こうと歩幅を広げた。


「ユーノ」


こつり、

小さな靴音が誰もいない廊下に反響した。彼女が振り返ると、窓から差し込む夕陽によって照らされる白い頬が柔らかな影に縁取られている。

清い花弁のように引き絞られた形の良い唇が、綻んだ。


「アステリオス様、どうなさいました?」


名前を呼ばれるだけで、どうしてこんなにも愛しさが突き上がるのか。

だからこそ、ちゃんと聞かないといけないことがある。


「君に話がある」

「わたくしに、ですか?」


不思議そうに大きく見開かれる瞳。いつだって私を夢中にさせる薄氷の奥に潜む透明な青が、瞬いて私を見つめていた。


「…なんで、私を睨む?いや、それだけじゃない。まるで避けているようだ」

「そんなこと御座いませんわ」


途端、綺麗な弧を描くようにして細められる双眸。睫毛の影の奥で瞳が揺らぐのを、ずっと彼女に恋していた私が見逃すはずなどない。

無意識のうちに高まる焦燥。嫌な予感に心臓は破裂しそうなほど、鼓動を早くしていく。

私は彼女を追い詰めるように一歩深く、踏み出した。ユーノがたじろぐように後ろに足を引くと、私は反射的に手を伸ばす。


「いいや、避けてる。ずっと君を見つめていた私が分からないとでも思っているのか?」


華奢な肩を掴む自分の指が、僅かに震えているのが分かった。


「…、…」

「理由は?」


沈黙が落ちる。嫌な予感が確信に変わっていくようだ。

ユーノは私の顔を避けるようにして、俯いていってしまう。頬の長さで揃えられた前髪が、重く深い影を落としていった。


「…、…」


無言が恐ろしくて、そこに込められた意味を確かめたくなくて、舌が縺れる。

何度か失敗したあとで、干上がっていくように渇いた喉を通っていった声は、低くざらついていた。


「まさか…、…他に好きな男が、できたのか…?」

「────っ、違います!!そんなこと言わないで下さいませ!!」


一瞬の驚きの後で激昂したユーノの頬は紅潮し、怒りに見開かれた瞳の輝くような光沢は、こんな時でも私を魅了する。

手離せない、と改めて自覚すると弾かれたように顔を上げるユーノの肩を、思わず引き寄せた。


「じゃあ…何だって言うんだ!僕はこんなにも…君に逢いたかった…愛しているのに…、何で避けるっ」


ユーノを見下ろす自分事の顔が、情けなく歪んでいるのが分かる。

言葉も取り繕うこともできなくなっていた。

込み上がる恋慕は、もう私の血肉となってしまっていて、今さら捨てようもないのだと、自覚させられる。

私は思わず縋るようにして、彼女の肩に額を押し付けた。


────きゃぁぁああ!!いいわ、いい!!もっと熱く、ぐいぐいいって!!!


ベキボキバキィ、と私の中の緊張と焦燥感の骨を複雑骨折させる外野の声が、脳内で響いた。

できれば、今すぐぶん殴りたい。


他人の修羅場は蜜の味ってか!!??おぉん!?


私が心の中で青筋を浮かせ殺意に駆られていると、蚊の鳴くような声が鼓膜を擽った。


「…、…ずかし、かったんです」

「え…?」


私は顔を上げて、間抜けたな声を漏らした。

ユーノの肩の高さから横へと目を向けると、夕陽よりも真っ赤に染まるユーノの頬が目に飛び込んできた。


「恥ずかしかったんです!!」

「なんで…?」


両手をぎゅっ、と握り合わせて目をきつく閉じながら叫ぶように告白するユーノに、私はますます困惑していった。


「わたくし、こんなに身長が伸びて!!それに、目付きも悪くてっっ」

「うん…?」


─────スタイルの良い凛々しい美人がナニ言ってんだ????


冷静なツッコミに今度は同意せざるを得ない。


「しかも、アステリオス様はわたくしが見ていない間に、すごく、すっっっごく、格好よくなられていて、綺麗で、聡明でっ…」


────嫉妬深くもなってるよ!!


うるせぇな。

余計な茶々を入れてくる頭の声にイラァッ、とするが今はそれどころじゃない。


「それで、あの、…見てたら、胸が苦しくなってしまって…しっかりしなきゃいけないのに、前みたいに倒れそうになって…だから気合いを入れなきゃ、ってっ」

「それで、あんなに睨んだり避けたりしてたの?」

「…、…はい…」


思わずがっくりと頭を下げると、彼女から表情を隠す。


────はぁぁぁ、嫁にしたい…


本当だよ。

というか絶対にお嫁さんにするよ。

この可愛い生物は、何なんだろう?どんな善行を積んだら、こんな素晴らしい婚約者と結婚できる人生が待っているというのだろうか。

私は心の底から自分の前世に感謝しながら、ゆっくりと顔を上げた。

恥ずかしそうに指をいじいじと動かすユーノの両手を、私の片手で包むように握る。

子供の頃と比べて、随分と大きく骨張った僕の手と比較すると、彼女の指は細くて華奢で、綺麗な花の枝葉のように繊細だ。


「うん、君の気持ちは分かったよ。ユーノ…誤解が解けて本当に良かった。あと、変なことを言ってごめんね」

「はい…」


ユーノが私の顔をおずおずと見上げてくる。

私は彼女を真っ直ぐに見つめながら、低く、彼女と内緒話を交わすようにひっそりと囁き掛けた。


「僕は君を愛してる…、ユーノは?」

「ああ、あ…あ」


目をぐるぐる回すユーノが今にも倒れそうになりながら、真珠色の頬を赤く染め上げていく。

追い詰められて可哀想にと思う反面、僕はユーノを逃がして上げられなかった。


「どうなんだい?」

「愛して…ます…」


重ねて問えば、彼女は眉をくしゃくしゃに歪めて、恥ずかしくて堪らないというように、長い睫毛を半ば伏せる。

凛として気丈に振る舞っていた時は、その清さばかりが際立っていた唇が、今は柔らかく蕩ける砂糖菓子のような甘さで綻んで私に愛を告げていた。


優越と、快感と、喜び。


その全てを隠すようにして、僕は微笑んだ。


「じゃあ、僕が愛しい君に避けられて傷つくのは、本意じゃないよね?」

「もちろんです!!アステリオス様が傷つくなら、わたくしが傷ついた方がマシです!!」


必死になると距離感を失う彼女は、僕の胸に身体を押し付けるようにして、詰めよってきた。

そして…柔らかな感触がダイレクトに伝わる。

なんというか、これは…


────やべぇな、この皇子。鬼畜の気配と変態の素質があるよ。ユーノたん!!


邪な方向に傾く私の思考を読んだらしい頭の中の声を無視して、私はユーノを逃がさないように片腕を腰に回して、頬に片手で捉えた。


「じゃあ、もう避けないで…僕は君に相応しくなりたくて、ここまで頑張ってきたんだ。そして、君がこれから側にいてくれるなら…僕はなんだってできるよ」


額を重ね合わせると睫毛の先が触れ合いそうな距離で、見つめ合った。


「ひゃぁぁあ」


か細いユーノの悲鳴が、芳しい匂いと共に私の鼻先を擽る。


愛しい人。

私の天使。


逃がして上げられない変わりに、誰よりも幸せなお妃様にして上げるから。


「だから、ね?これからも二人でこうやって過ごして、慣れていこう?」


私が誘いかけると、彼女の細い喉の奥からひっくり返った声が漏れ出た。


「ひゃ、…」

「ひゃ?」


また悲鳴を上げて倒れてしまうのか、と思った瞬間、私の制服の襟が弱い力できゅ、と握られる。


「ひゃい…」


まるで、子猫が鳴くような小さな返事が溢れ出た。

私は目を大きく見開いてユーノを改めて見つめると、とびきりの笑顔で笑い返した。


「これから楽しい学園生活になりそうだね、ユーノ」


────これからも栄養、お願いしまぁぁぁっす!!!


頭の中の声は、今日も最後まで絶好調だった。

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