願わくは

しおとれもん

第1話 「デイサービス、ポーラスター」

 「願わくは」


第1章「デイサービス、ポーラスター」


 願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃

今は旧暦。釈迦の入滅日の翌日、亡くなった。

 元武士、西行法師である。

「そうだったのですか、良く分かりました。」

須崎八代(すざきやしろ)の握るハンドルは行き先が決まっていた。

運転席と助手席から後部座席にまで縦割りに車内を分断したビニールシートで運転席の須崎八代の顔がビニールでぼやけ輪郭が判然としない大曽根は話しかけては居るが大空の雲に話し掛けているようで、砂を噛む様な手ごたえを頼り無く感じていた。

 左右のフロントドアにはデイサービス(ポーラスター)の看板が、送迎車を走らせる度に世間に周知させていた。

 高知県須崎市出身の彼女の実家は茗荷農園で、両親は既に亡くなり八代の実兄と兄嫁が代替りに同意していたから帰る処は事実上無い。

 滔々と語り尽くす大曽根甲(おおそねこう)は、何とか八代の誤解を解こうと躍起になっていた。

「篠山(ささやま)さんのメールに須崎さんと内山田(うちやまだ)さんと田辺(たなべ)さんの事が好きです。って、書いてありましたからね・・・。

 年配の人だから、多分好きというのはLOVEラブではなくて、LIKEライクの事だと思うんですがそのメールの内容なんですよね、僕は篠山さんよりも何十倍も何百倍も何千、何万、何億倍も好きですからね!安心して下さい!」返答は無かった・・・。


 運転している須崎八代をマジマジと見詰め思いの丈を伝え切った。

伝え切ったと、思ったが、「・・・そんなの・・・安心出来ません。」

 虫の鳴くような小声で、耳を澄まして聴かなければ聴こえないくらいの音量だったが、キッパリと言い切られた。

「なんでですか?こんなに沢山須崎さんの事を好きなのに?」尚も食い下がった。

「・・・あのね八束さんお互い各家庭を持っているじゃ無いですか。」

真剣な眼差しで甲を観て、また前を見る。

 優先事項が分かっていた。

「私の夫は、私に優しくしてくれて日々私の家庭を守ってくれているんですよ?」

「だから大曽根さんの好きですを受け入れてしまったら・・・。」

「夫を裏切る事になるんです。」八代の夫が羨ましかった・・・。

「幾ら結婚していても恋愛するべきだと、メディアが推奨していてもですよ?」

 甲の方を向きながら甲の眼を見詰めて諭す様な口振りで言い伝えた。

何も言えなかった。

 言い終わるとまた前を向いてハンドルを握っていた。

流石に聡明な八代らしく、話の切り返しは鮮やかでそれでいて全うな意見だったから誰もが肯定する諭し方のお手本の様だと、遠退く意識を捕まえもうこれで良い、戦い破れた敗残兵の様にさ迷い居場所を探していた。

 とどめを差された気分に打ちひしがれていたが、前を向き、一つ頷いて八代を振り向きニコッと、微笑むこれが最高のリーサルウェポンだったが、八代は運転に夢中で甲の方を振り向く余裕など無く唇を真一文字に結びハンドルをハの字に手を掛け、真剣に運転をしていた。

 篠山からのメールの報告をする序でにどさくさに紛れて、告白し、八代に了解を取り付ける算段を見事に論破され、意気消沈していた。

 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関。

ポツリと百人一首を語る。


「これが、これから旅立つ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、別れてはまた会うという逢坂の関なのですよ。」

 行き違いの車を観て脳裏に浮かんだ事柄を纏め、アーカイブを穿り返して何とか八代と対等に会話が出来る材料を見つけ出したが、焼け石に水・・・。

 手遅れ感があったが、気を取り直し、リセットさせた。

助手席に座りうつ向いてくるしまぎれに百人一首を呟いてみた。

「えっ?何か仰有いました?」

進行方向を向いて問い質した八代は右を曲がって突き当たりのポーラスター前で停車した。

「到着でーす、お疲れ様でした。」八代の方が早くもリセットを決め込み心ここにあらずという気がしたが、ここに通所してから12年、色んな出来事があった。

 蓄積された思い出のページを捲りながら車を降りリハビリ会場へ入所する。

専属ナースの内山田摩美(うちやまだまみ)にハリウッドのジュリア・ロバーツを垣間見て、全米ヒットチャートを狙い曲を作ったものが、ゴシップを産み、嫌気が指してポーラスターの通所を辞めると、篠山静夫にメールをしたが、流石に亀の甲より年の功というだけあって、見事に却下して説得された。

 大曽根は元々須崎八代にロマンスがあったのだが、思い立ったら事を起こさなければ気が済まない質で、それが、営業経験39年の集大成だった。


 第2章 「南極観測隊は難局だ」


「南極観測隊を募集してますから須崎さんも応募出来ますよ?教員免許を持っていますし、今は現役の看護師なんだから、給料が200万円は、有るんでしょうね?」

キキーッ!

「マジっすか?」急ブレーキと同時に口から出ていた。

 女子大生の様眼が蘭々と煌めいていた。

「こ、この人本気や・・・。」

大曽根は、たじたじとしながらも気丈に答えた。

「ええ、海上自衛隊が同行してくれる筈ですから。」と、言うに留まった。

「なるへそ・・・。それなら篠山さんも行けるんじゃないですかね?」

元の須崎八代に戻っていた。

 なんで僕じゃないの?よりによって篠山さんとは・・・。

高齢者じゃないか! 観測船(しらせ)に搭乗するも南極は、貿易風がキツイだろうし、極寒であろう事は誰もが知っている。

「なんで篠山さんを?」

この問い掛けに意外な返事が返って来た。

「それはね・・・。高学歴者だからです。今回の一般募集は教員免許所持者ですよね?誰でも応募して教員免許を所持しているから合格、てな訳にゃあ行かんでしょう?全員厳正なる審査があrつい筈です。

 それに時間を掛けなくても良いように私は篠山静夫さんを推薦しますよ?慶応大学、文学部。出身、高校の校長先生もやっておられた。文句無いでしょう?」

 両手を洗い消毒しながら八代の話しを聴いていた。

 時折、「ふんふん、なるほどね・・・。」と、相槌を打ちながら八代の眼を観た。

透き通るような瞳に切れ長の上がり眉。

 チャーミングだった。

最近はトキメキの事をパルピテーションという日本人が増えた。

 人口の何千万人が朝ドラを観ている証拠だった。

証拠の事をエビデンスと言うが、使い始めたのは都市銀行の住宅ローン係だった。

 ローン審査に出す前に不動産会社やデベロッパーの営業マンが、銀行に書類提出の際、住宅ローン申請者の年収のエビデンスに源泉徴収票や納税照証明を付けた。

 銀行がエビデンスを提出しろと、言うからそれが始まりでもあった。

大曽根甲は、デベロッパー出身であり、押しも押されもしない列記とした61歳である。高知県南国市大曽根甲、マンションの4階に住んでいた。

 もちろん転勤で、だ・・・。

結婚は南国市役所に婚姻届を提出し、本籍は高知県としていた。

「で、何で南極観測隊の話しが出たんですか?」

八代の問い掛けに、暫く首を傾げ逡巡していたが、

「自宅の北側に移って来た尖谷真一(せんたにしんいち)がね・・・。僕のグレーチングを一枚盗んだんですよ。

僕は左足が麻痺だから側溝のグレーチングが一枚余分に敷いてあるのが大助かりだったんですよ! 其れが有る日を境に不便に為った・・・。」

「自分の庭に駐車場を造った尖谷が、盗ったんだと直感しました。巧妙な誤魔化しに素人は気付かないかも知れないが、僕は元プロフェッショナルですからね!一目瞭然ですよ!だからヤツは南極にでも行けば良いと思ったのが切っ掛けです。」

「トコトンまで追い詰めて遣るよ!」怒りが更に燃え上がり、蒸気が上がって、体温も血圧も上がっていた。

「思い出しますねえ、白瀬隊。」須崎に顔を左へ向け、感慨深げにこう語る。

「なんでですか?明治時代でしょ?白瀬さんが探検隊長に為ったのは?」片頬をピクリとも動かさず素顔のまま返した。

「そうですね・・・。」なんも言えねえ・・・。

そう思い須崎に絡むのを止めた。

 敗北・・・。

今朝から2回目・・・。

 それなりに健闘したが相手が、ワールドカップ出場チームのコスタリカの様にタイミングを外して来るので、マイペースでの試合運びが出来なかった。

 ポーラスターのリハビリ会場の1番前のテーブルには、篠山静夫が先に来ており、大好きなブラックコーヒーを飲んでいた。

「篠山さん南極の!?」


 南極授業とは・・・。

昭和基地と国内を衛星回線で結び、派遣教員が自身の計画に基づいてコンテンツを作成し、所属校や一般に向けて行う授業の事だ。

 授業内容は、南極に関係するものであれば、専門教科は問わない。

「あー・・・、僕も先ほど聞きました。」

こんな老僕をお誘い下さるなんて須崎さんはなんと奥ゆかしい人ですね。」

眼がねの奥の瞳は、何だか楽しそうに笑っていた。

 大曽根も釣られて微笑みを返した。

「須崎さんの旦那さんや子供達はどうするんでしょうね?」

南極の観測といっても楽では無い筈だ。

 往復に役半年は掛かると思われる。

現地の昭和基地に滞在するのは、厳しく女性の須崎八代が、幾ら看護師免許を持っていたとしても南極のペンギン達やアザラシ達は歓迎してくれても極地の気候が歯節を向けて襲い掛かって来るのでは無いのでは無いのか?結局須崎さんに同行するのは体力的に僕が良いのでは?と、言い掛けようとしたが、止めて置いた。

 朝イチの掛け合いで、大曽根が完敗していたからだ。

結局、その日のポーラスターの話題は南極観測隊の話で持ち切りだった。

 大曽根甲の思惑は、思わぬ方向へとさ迷い、観測隊の参加の是非は有耶無耶になり、あれよあれよと大晦日がやって来た。

 紅白歌合戦の時刻となって、新年もやって来るのが今年の煩悩も遠い昔の事と、記憶を向こうへ追いやり、こたつに入ってミカンでも剥いて、食べようとしたところ!テレビでは、こんなアナウンスがあった。

「南極観測隊の篠山静夫さんと須崎八代さんが、赤組を応援のメッセージを下さいました。」

「このお2人は、師弟関係にあり、須崎さんは看護師兼現職教職員で、家庭が有りながら観測隊へ参加して居られ、篠山さんは慶応義塾の文学部教授でした。

勿論現職なのですが、元々高校の校長先生であられ・・・。」

 二人はアナウンスに合わせて微笑み手を振っていた。

それを観ながら大曽根は、昭和基地を日本の首都だと主張すれば、国土が広がるな・・・。

 と、良からぬ事を考えていた。しかし・・・。

1959年に締結された南極条約に基き、何処の国々も南極や北極を領土権を主張出来ないばかりか、核物質を廃棄、核実験や軍事活動を建築出来ない。

 いわば、みんなの財産なのだ。

そのみんなの南極から手を振る微笑ましい二人を観て、感慨深く片麻痺となって、デイサービスポーラスターの門を叩いた。

 今まで生きてきた人生の中で、全てが初体験だった。

悔しくて悔しくて・・・、40歳を超えて初めて流した涙・・・。

 リハビリテーションがこんなにも痛くて苦痛だったなんて、大曽根甲は、天井を向いて涙を堪えていた。

 この健康的な二人が素晴らしく輝いて観え・・・。

羨ましくて羨ましくて羨ましくて・・・。

 幾ら筋力トレーニングをしても、幾らダイエットをしても、健康な人とは雲泥の差が有る・・・。

 須崎八代に横恋慕をしてどういうつもりだろう・・・。健康な人を不健康な人が幸せに出来るのだろうか?愛さえあればお金が無くたって良いとは、昭和のお目出度いお花畑に住む恋愛カップルが、希望に胸を膨らませ世間知らずの定義みたく言った言葉だ!この世はもっとシリアスで弱肉強食なんだ! 

ねがわくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃

 ラブでもライクでも好きは好きさ! 最初の除夜の鐘と、共に消し去った想い。

大曽根甲は、西行法師の様に歌い・・・、久しぶりにネガティブな考えを纏っていたが、彼の立ち直りは除夜の鐘と一緒に煩悩を流し新しく年を迎える準備が出来てい

 





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