【サンプル】 華麗に!カレーあれ!

レンズマン

前編

 その日、彼女は運命と出会う。


 炎に包まれる屋敷を見ながら、闇の中で震える少年の事を思う。

 “この少年を守りたい”。強い思いが、彼女に芽生えた。


 ……そして、運命の出会いはもう一つ。


 遡る事数刻……。

 依頼者の貴族は冒険者達をもてなすために食事を振舞った。

 彼女が銀のスプーンですくったその料理こそが、まさに運命の出会い。

「お、美味しいです!この料理は……カレー!」


 その日、彼女は運命と出会った…...!


 ☆☆☆☆☆


 『華麗に! カレーあれ! 前編』


 ☆☆☆☆☆


 ここは魔導王国ユーシズの冒険者ギルド、“パレードの堅琴”。

 過酷な運命を背負った少年、ルーキスを護衛する冒険者たちは、ギルドに仮登録をして、一時的な拠点としていた。

 冒険者として、ギルドの依頼をこなしつつ、少しずつ少年が背負った運命の真実を紐解いていく。

 そんな、ある日の出来事……。


 ルーキスを護衛する冒険者の一人、レイラ・アテリオは、ギルドの台所で悩んでいた。

 彼女は、濃い赤い髪を後ろで束ね、前髪は目元までかかりそうなほど長い。上縁のない眼鏡の奥で、黒い瞳が真剣にその赤い実を見つめている。白い上着と色白の肌を、首元のリボンや、手袋の黒さが際立たせている。

 彼女が睨みつけている赤い実は、先日、森に赴いた際に採取した木の実だった。

 かつて、緑色のヘタを掴んで赤い身を食べてみれば、あまりの辛さに悶絶するとともに、顔中が燃え上がるように赤くなってしまった。

 後で調べたところ、木の実の名前を、マッカトウガラシというらしい。

「この実を、カレーに」

 彼女が考えを巡らせるたび、赤い髪が揺れた。

「ええい、物は試しです!」

 意を決して、慣れた手つきで刻んだトウガラシを刻むと、鍋の蓋を開く。

 鍋の中には、ドロっとした茶色の液体が入っていた。いくつもの香辛料を煮詰めて作られたソレは、カレーソースだった。

 刻んだマッカトウガラシを加えて煮込むこと数分。頃合いを見てレイラは鍋の様子を伺う。蓋を開けて匂いを嗅いだ。

「匂いは、少し強くなった?」

 小皿によそって味見を行う。すると、すぐに目を見開いた。

「か、辛い! 辛いです!」

 思わずその場で足踏みをして慌てるレイラ。そこへ、黒ずくめの男が現れた。

「どうした、レイラ」

 この男、ユーバー・クライは、レイラの仲間の冒険者である。トレードマークの帽子や上着から足の先の靴まで、衣類のほとんどを黒で統一している。その中を覗く、色素の薄い金の頭髪と、色白の肌がミステリアスな雰囲気を醸し出していた。

 顔を赤くし、涙ぐんでいたレイラであったが、ユーバーを見つけると、ぱっと笑顔が浮かんだ。

「あっ、ユーバー。ちょうど良いところに。カレーを作ったんですが、食べてくれませんか?」

「いや、俺は……」

 答えを聞かず、勝手に器によそう。別に用意していたご飯と合わせて、一食分のカレーライスを用意した。

 レイラは食堂の机にカレーを置くと、台所で呆然としているユーバーに視線を向ける。そして、薄く目を閉じて微笑みかけた。

「どうぞ」

「……まあ、いいだろう」

 観念したユーバーは机に着席し、専用の木のスプーンでカレーを食べる。すると、目を見開いた。

「……ぐっ! か! カレーー。」

 あまりの辛さに口を押さえてうずくまってしまった。しかし耐えかね、思わず立ち上がり、水を手に取って一気に飲み干した。

「ああ、そうですよね。ありがとうございます、ユーバー。あと、お願いしますね」

「え?」

 レイラは残念そうに目を細めて、歩き去っていく。残されたユーバーは、辛すぎるカレーを見つめた。やがて息を吐いて、目を瞑って口元を釣り上げる。

「フッ。少しの間、遊んでやる……」

 気合を入れるため、帽子を投げ捨て、頭に生えたナイトメアの角を周囲に晒す。飛んで行った帽子は、遠くで仲間のテオが回収していた。

 そして、そのまま“異貌化”すると、どんどんスプーンを動かし始めた。異貌化したユーバーは、頭部の角をより大きくし、いつの間にか真っ黒な金属鎧に身を包んでいる。スプーンを動かすたびに、ガチャガチャと、金属鎧のこすれる音がした。


 一方レイラは、やはり悩んでいた。必死にカレーを食べ勧めるユーバーの事は、思考の外に置いている。

「レイラ。どうしたんですか?夕飯にはまだ早いようですが……」

 悩むレイラに声をかけたのは、仲間のアンジュだった。

 メリアの女性である彼女は、翠の頭髪と頭の両側に一輪ずつ咲いた白い花が特徴的だ。また、まつ毛の一部は花弁のようになっている。

「アンジュ。実は、以前採取したマッカトウガラシを、なんとかカレーに使えないかと思って試しているんですが……どうにもうまくいかなくて」

 そう言いながらレイラはユーバーを指さす。アンジュがそちらをみると、汗だくのユーバーが異貌化までして、激辛カレーに果敢に挑んでいた。

「なるほど〜。でも、どうしてそのトウガラシを入れることに拘るんですか?レイラのカレーは、もう十分美味しいと思うんですが」

 そう聞かれると、レイラはマッカトウガラシを手に、掌の上でソレを見つめた。

「ルーキスに、食べて欲しいんです」

「ルーキスに?」

「はい」

 大きな目で瞬きをしながら、アンジュはレイラの表情を伺う。彼女の瞳は揺れていた。

「マッカトウガラシは確かにとても辛い実、調味料です。しかし、この調味料が引き出すカレーの味の底力は素晴らしい。現に、ユーバーは辛い辛いと言いながら、食べ続けています」

 レイラはそう言いながら、ユーバーを見た。ユーバーはコップの水を飲み干すと、光の妖精魔法を唱える。ヒールウォーターがコップに注がれると、再びカレーを食べ始めた。それを、いつの間にか近くに座っていた少年、護衛対象のルーキスが応援している。

「うおおおーー」

「が、頑張れ、ユーバー!」

 レイラと並んでその光景を見ていたアンジュは、レイラに声をかけようとしてギョッとする。逆光しているメガネの奥で、歯を食いしばり、厳しい表情を浮かべていた。

「ぐっ……! ユーバー、いいなあ!」

 激しい嫉妬と羨望が入り混じった、複雑な感情を一方的にユーバーに向けている。

 視線を感じたユーバーは一瞬寒気を覚えるが、カレーを食べてかいた汗のせいだと思うことにした。

「れ、レイラ。それより、カレーの話ですよ、ホラ」

「…...そうでした」

 咳払いをして落ち着いたレイラを見て、アンジュは胸を撫で下ろした。

「でも、そういう事なら私も協力しますよ。レイラにはいつもお世話になっていますし、私も食べてみたいですから」

「すみません、ありがとうございます。アンジュ」

 アンジュの提案に、レイラはにこやかにお礼を述べた。アンジュも嬉しそうに頷く。

「良いんですよ。それじゃ、街に行きましょう。何かいい食材があれば、新しい解決策が浮かぶかも……」

「その必要はないぜい」

 その声は、アンジュの言葉を遮って、自信たっぷりに言い放った。二人は振り返る。

 フサフサのしっぽ、小さく主張する立った耳。レイラの半分ほど、ルーキスと同じくらいの小さな背丈に黒い鼻。そこに居たのは、コボルトのカリムだった。

「カリム!」

 レイラは彼の名を呼んだ。その声色には希望が伺える。

 カリムは、レイラの仲間の一人だった。とはいえ、彼は冒険者として活動しているわけではない。仲間の一人のテオに付きそう、専属の料理人というか、相棒のような立ち位置だ。因みに、カリムとテオとの付き合いは、レイラたちと出会うよりもずっと前から続いている。二人は親友だった。

 レイラは料理の心得があるとはいえ、ソレは所詮素人の域を出ない。しかし、カリムは、テオに連れ出されるまでカフェ・ナマケモノで腕を振るっていた本職の料理人だ。年季も、腕も、何より知識が違う。

「その必要はないとは、どうして?」

 アンジュが問うと、カリムはこちらに向かってゆっくりと歩きだした。小さな足を動かす度にフサフサのしっぽが上下に揺れている。

「解決策ならもうわかってる。辛い調味料を入れたカレーをどうしても食べさせたいなら、甘くするのが一番だ。ダイコンやキュウリの漬物を添える、動物の乳を飲み物や隠し味に入れるっていう方法もあるけど、俺が一番気に入ってるやり方は、甘くなるソースを作ることだ」

「甘くなるソース……? ルーに手を加えるのではなく、後から味を調節できるようにする、ということですか!」

 レイラは驚きのあまり大きな声を上げた。カリムは頷くと、言葉を続ける。

「作り方は覚えているから、材料を手に入れるだけ。俺一人じゃとても街の外に行けないが、二人が付いてきてくれるなら安心だぜぃ」

「え”っ。街の外に行くんですか」

 アンジュの顔は青ざめていた。しかし、レイラの表情は天啓を得たように晴れやかで……。

「アンジュ! 頑張りましょう」

 レイラはアンジュの両手を強く握った。

「う”っ。はい、はい……」

 笑顔があまりにも眩しい。アンジュは顔を逸らして、泣きそうな表情を隠しながら、こくこくと頷いた。


 ☆☆☆☆☆


 レイラはいち早く出立の用意を終え、仲間を待っていた。彼女は軽戦士であり斥候で、いざという時のため、人一倍荷支度が早くできるように日頃から訓練している。そうできるように、教え込まれていた。

 彼女は仲間の用意を待ちながら、食堂でルーキスを眺めていた。

 視線に気づいたルーキスは、レイラが冒険に出る時の装備を身に着けていることに気が付いて、駆け寄ってきた。

「レイラ! どこかへ行くのか?」

 駆け寄ってきたルーキスは、ユーバーの黒い帽子を抱えて、息を切らしていた。

 紺色の長いシャツの袖をまくって、額には汗がにじんでいる。自分が被っていた紫色の帽子を外して、レイラの近くのテーブルに置いた。旅の間に伸びた髪を後ろで結んでいる。

 彼は貴族の子であったが、服装も、髪の揃え方も、商人や冒険者の連れ子にしか見えない。

 レイラは微笑みとともに返事を返す。

「食料の調達に、少し町の外に出ます」

「そうなのか。何を取りに行くんだ?」

「わかりません。カリムにお任せしています」

「楽しそうだ。私も手伝えることはないか?」

 レイラは首を横に振る。

「お気持ちだけで結構ですよ。さあ、ユーバーと遊んできてください」

「ううっ、また子ども扱いしているな。私はこれでも、しっかりしているのだぞ」

 頬を膨らませて怒るルーキスに、レイラは慌て、謝罪した。

「ああ、ごめんなさい。でも、今しかゆっくり休めませんから。ルーキスには体を休めてほしいんです」

 そう言われて、ルーキスも頷く。彼女が自分のことを思っていることくらい、ルーキスは理解できていた。

「わかった。でも、レイラも無理をするでないぞ」

「ハイ! ありがとうございます、ルーキス」

 ルーキスは満足げにうなずくと、食堂のほうへと駆けていく。

 奥で両手を広げて待っているテオに、ユーバーの帽子を投げた。回転する丸い帽子は無茶苦茶なコースで飛んでいくが、テオはその大きな身体を素早く動かし、豪快なジャンピングキャッチで受け取った。そして、また投げ返して遊んでいる。

 その様子を、レイラは寂しそうな表情で見つめていた。


 ☆☆☆☆☆


 街を出た三人は、街道を逸れて、森に入る。

 この森は木の生え方はまばらで、平らな地形が多い。整理された歩道ほどではないが、比較的歩きやすかった。また、太陽の陽を遮るほど木々が密集しておらず、明るかった。

 カリムはメモを見ながら、背負った籠に果物や木の実を次々に放り投げていく。

「か、カリム。必要なのは果物なんですか? それなら、無理に外に出る必要はないのでは……」

 杖を頼りにへっぴり腰になりながら、アンジュは不安そうに周囲を見渡している。

「せっかく気合入れて作るんなら、鮮度の高いモノが欲しいじゃないか。それに、市場じゃ売ってないモノも欲しいしな」

「売っていないモノ?」

 アンジュはレイラに視線を向けるが、レイラも首を横に振った。

「それはなんですか?」

 レイラの問いに、カリムは動きを止めた。それから口元を歪ませて、得意げに言った。

「“はちみつ”だ」

「“はちみつ”?」

 カリムは深く頷く。レイラは困惑の表情を浮かべた。

「……実は私、はちみつを食べたことがなくて。甘いものだと聞いていたんですけど、カレーにも合うんですか」

「甘味のソースには、はちみつと果物の果汁を煮詰めて作る。これが、べらぼうにおいしいんだ。テオも気に入ってるんだぜ。あいつの舌は馬鹿だから、何を作っても美味いっていうけど」

「へえ……! それは楽しみです!」

「はちみつのためにこんな危険な……というか、市場では手に入らないんですか?」

「少なくとも、今のユーシズじゃ手に入らないな」

「う”う……フレジアではいくらでも手に入ったのに……」

 アンジュは落胆して項垂れるが、直ぐにそれは油断だと気づき、今だ気配の感じない、いるかもしれない危険なモンスターを警戒した。

 レイラは質問を続ける。

「はちみつは文字通り蜂が作るんですよね。どこにあるんですか?」

「蜂が花の蜜を巣に集めて作るんだ。だから、蜂の巣を探すことになる」

「蜂の巣ですか。魔物ほどではありませんが、危険ですね」

「このあたりに棲む蜂はそんなに攻撃的じゃない。手早く巣の一部を切り取って離れればそんなに刺されないよ」

「へー。楽しみです!」

 レイラは期待を高めて思わず笑った。

 アンジュは道行が不安だった。しかし、レイラが嬉しそうに笑うのを見て、少しだけ心がほぐれるような気がした。


 それからしばらく歩いた。頭上の太陽が少しずつ傾いていく。

「なかなか見つかりませんね」

 アンジュが周囲を見渡しながら言った。カリムは、モノを集める手を止めずに返事をする。

「この間、市場で買い物した時にな。グリズリーがこの森を徘徊してて、そいつがとにかく食欲旺盛で、巣を食いつぶして回ってるって聞いたんだ。ひょっとしたら、そのせいで生態系が乱れているのかもな」

「え”っ! ぐ、グリズリーがでるんですか」

「頻度は少ないけど、目撃されたグリズリーはどれも左目に大きな傷があるらしい」

 カリムの証言に、レイラは少し考えた。

「それなら、恐らく同じ個体でしょうね。大方、別の地域で同族と喧嘩でもして逃げてきたか、その森のはちみつを食べ尽くしたかのどちらか、といったところでしょうか。どちらにせよ、今日を逃せば、はちみつを全部食べられかねませんね」

「ひえ〜。遭遇しませんように」

 大袈裟に祈るアンジュ。しかし、その祈りは無情にも届かなかった。

 何かに気づいたレイラがアンジュの肩を叩き、耳打ちをする。

「あそこ、見てください」

 アンジュが顔を上げると、少し先の木の枝に蜂の巣がぶら下がっていた。しかし、ソレを何かが触っている。

「ま、まさか……」

 アンジュはその動物の正体に気づく。

 その動物は大きな巨体を二本足で支えて、伸ばした両腕で蜂の巣に食らいついている。

 体毛は黒に近い茶色だが、毛先は白く、ソレらが混ざって灰色に近い色合いを見せる。まさしく、灰色熊(グリズリー)だった。

「ど、どど、どうしましょう」

 怯えるアンジュ。レイラは冷静さを保って、グリズリーを観察した。

「なるほど、噂通りの食欲。ですが、こちらには気づいていませんね。今のうちに離れましょう。はちみつは、他の巣から探せば良いです」

「そ、そうですね! そうしましょう」

「それでいいですよね、カリム」

「俺は構わないぜい。どのみち、戦う時は二人任せだしなぁ」

 姿勢を低く、足音を立てないようにしながら二人と一匹はその場を立ち去った。


 一方、グリズリーは蜂の巣に食らいつき、蜂蜜をしゃぶり続けている。

 左目の傷が特徴的な彼は、最近どうしようもない空腹感に襲われていた。

 どれだけ好物の蜂蜜を食べても満足できない。

 我慢ならない彼は、大きな口を開けて蜂の巣を噛みちぎり、中の蜂ごと飲み込んでいく。それでも足りないので、ついには木に齧り付いた。

 バリバリと、大きな音を立てて木が食われていく。しばらく食べ続けたグリズリーだったが、やはり好みではなく途中で食べるのをやめた。噛みつかれた木は自重に耐え切れず、大きな音を立てて倒れた。

 その場に座り込む。冷静になった彼は、その鼻で好物の臭いを捉えた。

 蜜に塗れた口元から、涎が垂れ始める。

 臭いのする方へ、身体を起こし、そのまま四つ足へ。そして、一気に走り出した。


 腹が減った。早く食べたい。

 俺の大好きな、ヒトの肉を!


 しばらく歩いて、グリズリーから距離をとった一行。緊張から一息ついたアンジュは、レイラが不安そうな表情をしていることに気がついた。

「レイラ? ど、どうしたんですか。まだ不安な事が?」

「え。いえ、なんでもありませんよ。グリズリーも追ってきませんし」

「そうですよね。……何か、暗い表情をしてたので、どうしたのかなと思って」

「そ、そんなこと無いです。……ハイ、私は元気です!」

 笑顔を作ったレイラは、急に立ち止まって、敬礼をした。

 あまりにわざとらしく元気に振る舞うので、アンジュは言葉を失ってしまった。それに気づいて、レイラは慌てて敬礼を止める。

「ごめんなさい、アンジュ。気を使わせてしまって……」

「ルーキスの事ですか?」

「エッ」

 レイラの身体が大袈裟に跳ねた。冷や汗をかきながら、恐る恐るアンジュの顔を見つめる。

「な、ナンデンワカッタンデスカ」

「レイラが悩む時って、私が知る限りではルーキスのことだけですし」

「そ、ソンナコトハ……」

 レイラは突然カタコトで話し始める。これは、後ろめたい事がある時の彼女の癖だった。

 隠し事があることを見抜いたアンジュはじっとレイラを見つめて、圧をかける。

「本当ですか?」

「ウッ……」

 アンジュに詰め寄られて、レイラは一歩引いた。それを見ていたカリムは、このパーティに、強気で根に持つ性格のレイラに、こんな事が出来る人物がいる事に驚いて、目を丸くした。

 やがて観念したのか、レイラは肩を落として、目を逸らした。それから、少しずつ喋りだした。

「私達は、少しずつあの子のことを知っていきます。でも、知れば知るほど…あの子の運命の重さを思い知らされる。それでも私は、あの子に少しでも普通の子供として楽しく生きて欲しくて。……あの子に、幸せになって欲しくて」

 その言葉にはレイラの感情が乗せられていた。

 彼女がルーキスに対して並々ならぬ感情を抱いている事を、アンジュは以前より気づいていた。しかし、改めて言葉にすると、その感情の重みが伝わってくる。

「さっき、食堂でルーキスはテオやユーバーと遊んでいたんです。その姿はとても楽しそうに見えました。でも、本当はお母さんと一緒に遊びたいんじゃ無いかって。そうでなくても、歳の近い友達や、父親と……遊びたいんじゃ無いかって思ってしまって」

 レイラ達は、ルーキスの母親から依頼を受けて彼を護衛している。父親との面識は無く、ルーキスとの関係性の悪さは聞き及んでいる。……なんせ、実の子供を暗殺しようとするほどだ。

 しかし、ルーキスが父親を憎んでいないことも、知っている。だから、レイラは心を痛めていた。

「……仕方がないんじゃ無いか」

 そう言ったのは、カリムだった。レイラは驚いて、思わず声を荒げる。

「そんな! それじゃあ、ルーキスが可哀想で」

「可哀想、そうなんだろう。コボルトにとっては、親と離されるなんて当たり前だから、わからないけどな」

 カリムは淡々と言う。コボルトは蛮族社会の中でも最下層の種族で、蛮族の中でも、人族の中でも奴隷として扱われることも珍しく無い。

 そんなコボルトの彼の言葉には、安易に反論できない重みがあった。

「種族が違うから、みんなに俺の生まれの事を理解しろって言えないよ。俺も、みんなのことは完全に分かってやることはできないからな。けど、思いやることは出来る。レイラみたいに。それから、何が出来るのか考える。考えて、何かする。……テオみたいに」

 レイラは、テオの名前を出されてハッとする。彼も、自分と同じように、ルーキスを思っていたのだろうか。

「テオは、ハッキリ言って馬鹿さ。けど、大事な事をわかってる。アイツの場合は考えるってより、直感、みたいな物だけど。アイツは、そうするのが良いと思って、ルーキスと遊んでるんだ。可愛そうなルーキスの悲劇を、悲劇だけで終わらせないために」

 テオの事を最もよく知るカリム。その言葉からは、テオに対する信頼と、誇らしさが見えた。

「……テオも、カリムも凄いですね」

 人と比較して落ち込むレイラ。そんな彼女にカリムは声をかけようとしたが、ここで大きな声を出したのは、意外にもアンジュだった。

「レイラも頑張っているじゃないですか。カレー、ルーキスのために作るんですよね。こんな、危ないところに来てまで!」

「アンジュ?」

 突然の叫びに驚いたレイラは、思わずアンジュのことを見つめてしまう。冷静になったアンジュは、周囲を気にしつつ、声の大きさを落とした。

「き、急にごめんなさい。でも、レイラも頑張っていますよ。自信を持ってください。彼の事を誰よりも気にかけているじゃ無いですか」

「でも、私は……」

 レイラには、ルーキスに対する負い目があった。

 一つは、彼を守り切れずに傷つけてしまった事。蛮族に襲われ、傷ついた彼は、“私が傷ついたのは、お前達が弱いからであろう”と言い放った。その発言は後にルーキスから謝罪されたが、彼女にとっての失態は、無かった事にはならない。

 もう一つは、レイラが魔神を憎むあまり、ルーキスを怖がらせてしまった事。レイラは、魔神撲滅を周囲に宣言するほど、魔神に対して攻撃的な感情を向けている。しかし、その苛烈な態度が、いずれ特殊な立場に置かれている自分にも向くのでは無いかと、恐怖をルーキスに与えてしまった。守り、幸せになってほしいと願っているのに、レイラは自身の態度で彼を傷つけてしまった。彼女はそう思っている。

 言い淀むレイラに、アンジュが何かを言いかけた時。レイラがその気配に気付いて、叫んだ。

「アンジュ、危ない!」

 アンジュは、レイラに突き飛ばされた。

「え?」

 次の瞬間、視界が灰色に染まった。

 アンジュは、一瞬遅れて、灰色の獣が体当たりを繰り出していた事に気がついた。そして、自分を庇う形で、レイラがその攻撃の餌食になった事もわかった。

「GUAPAAAA!」

 グリズリーは少し走った所で動きを止める。細身のレイラはそのさらに先まで吹き飛ばされ、木にぶつかって血を吐いた。

「れ、レイラ!」

 レイラの身を案じるアンジュだったが、目の前にそびえるグリズリーに怯え、一歩後ずさった。

 グリズリーはアンジュを見て、涎を垂らした。その様子に、カリムは違和感を覚える。

「あいつ、俺を見ちゃいねえ」

「どどど、どうして私? カリムのほうがおいしそうなのに……」

「確かに……って、オイ!」

 怯えるアンジュにカリムが怒るが、それ以上にグリズリーは興奮し、大きく両腕を広げた。

「GUBOOO!」

「「ぎゃ~!」」

 グリズリーが大きな鉤爪を振り上げると、アンジュとカリムは抱き合って悲鳴を上げた。

 振り下ろされた右の鉤爪を、一人と一匹は方々に飛びのいてかわす。

 続いて左の鉤爪をアンジュに向かって振り下ろさんとするグリズリー。しかし、その手に飛んできたナイフに、攻撃を阻まれた。

「GUGU」

 ナイフは分厚い皮膚と爪に阻まれて、その手には刺さらなかった。しかし、グリズリーの気を引くことはできた。

 グリズリーが振り返ると、口元の血を服の袖で拭いながら歩み寄るレイラの姿があった。

「丈夫な皮膚ですね。……仕返しのし甲斐があります」

 お気に入りの剣、フリッサを鞘から抜き、右手に構える。左手に持ったバックラーと併せて、レイラは完全に戦闘態勢に入った。

「くんくん……。ん? この匂い……」

 カリムの鼻が何かをとらえる。その匂いの先には、グリズリーがいた。

 グリズリーは自分に臆せず接近するレイラに本能で警戒し、敵愾心をむき出しにしている。

「GUOOOO!」

 グリズリーが素早く踏み込むと、レイラはカウンターの構えをとる。しかし、その突進速度に、危険なカウンターを狙うことを断念して、転がって回避を行った。

「巨体に加えて速度がある、厄介ですね」

 レイラは素早く立ち上がり、再び構える。グリズリーは、両腕を高く上げた。

「切り裂け、リープ・スラッシュ!」

 その時、杖を構えたアンジュが放った、真空の刃がグリズリーの背を切り裂いた。

 グリズリーの鮮血が舞う。確実にダメージを与えた。

 しかし、その攻撃はグリズリーの気を引いてしまう。グリズリーは背中越しにアンジュを睨みつけ、こちらに振り向いた。

「あ、しまった……」

 アンジュはグリズリーの視線に怯えた。その隙をついて飛び上がったレイラは、背後から首筋を切りつけながら、頭上を飛び越えてグリズリーの前に立ちふさがった。

「うなじはかたいですね。狙うなら、やっぱり……」

 弱点を探るレイラは、そのグリズリーの顔に視線を止めた。左目の近くに大きな傷跡がある。傷は、顔とその周辺に対するガードの甘さを物語っていた。

「よし。アンジュ、バランス・ウェポンをお願いします。次で仕留めます!」

「わ、わかった! 上手くできるかな……!」

 最近覚えたての操霊魔法を真語魔法と組み合わせ、魔道の深知へと踏み込み、アンジュはバランス・ウェポンを唱える。

「できた!」

 アンジュの魔法により、レイラには力を、敵には戒めをもたらした。

「流石です!」

 レイラは盾を構えて受けの態勢に入った。しかし、それを見てアンジュは慌てる。

「受けちゃ駄目、レイラ!」

 レイラはその声に驚くが、そのころにはグリズリーは攻撃態勢に入っている。

 両の鉤爪での攻撃を繰り出す。先ずは右。盾で防ぐ。戒めを受けて尚大きな衝撃に、レイラは大きく体制を崩す。そこへ、追撃の左鉤爪が襲う。仕込んでいたマギスフィアが回転し、盾となってその攻撃を弱める。それでも受けきれないダメージを、僅かにその身で受けた。

 両腕の連続攻撃を受けたレイラ。衝撃でよろめくが、直ぐに体勢を立て直してフリッサを構えるが、気づけば視界が暗くなる。

「危ねえ、レイラ!」

 カリムが叫んだ。レイラが見上げれば、両腕を広げて押しつぶさんとするグリズリーの姿があった。

 アンジュが警告したのは、このグリズリーの得意技。連続攻撃で隙を見せた相手に追撃をかける、通称“ベアハッグ”と呼ばれる拘束攻撃だった。

 両腕で相手を捉え、そのまま相手の体をへし折る技。細身のレイラがまともに受ければ一溜りもない。

「GUOOO!」

 全体重と腕の力にかけてレイラを押しつぶそうとするグリズリー。巨体に逃げ場を封じられ、レイラはかわすことができない。

「レイラー!」

 慌てて攻撃魔法を唱えようとするアンジュ。しかし、異変に気付いた。

「GU……BOBO」

 レイラを捉えたはずのグリズリーの両腕が、彼女を拘束していない。

 グリズリーの身体が動きを止めている。押しつぶすことも、抱きかかえることもできず、身動きが取れなくなっていた。

 アンジュは、グリズリーの影の中で、同じく動かないレイラを見た。彼女は右足を前に、前のめりにグリズリーの身体の中に飛び込んでいた。そして、フリッサをグリズリーの喉元に深く突き刺している。滴る血が、レイラの黒い手袋を赤く濡らしていく。

 異物を急所に差し込まれたグリズリーは、本能で動きを止めていた。動けば致命的な傷が広がってしまう、そのことを恐れた。

「“見切殺”」

 レイラが静かにつぶやく。彼女は真っすぐに剣を抜いた。僅かな返り血がレイラの頬を赤く濡らす。

「A……GA」

 二歩、三歩よろけて下がったグリズリーは、何が起きたのかわからず自分の身体を見る。僅かに血が流れているが、思いのほか傷は広くない。

「GUOOOO!」

 痛みだけはあるし、喉を切られて苦しい。驚きが怒りに代わり、グリズリーは咆哮した。

 目印の赤い髪をめがけて、右の鉤爪を振り下ろしてやる! そう思った次の瞬間、何かが弾けた。

 咆哮に怯えていたアンジュは、それを見た。

 レイラが刺した喉元の傷口に赤い魔力が充填されると、次の瞬間には爆発を起こして、グリズリーを倒した事を。

 これが彼女、レイラ・アテリオの必殺技。いわゆる魔力撃の一種であるソレは、魔動機術の応用だった。

 魔動機術に精通している魔法剣士であるレイラは、魔力撃に独自のアレンジを交えた必殺技を編み出した。

 急所を切りつけ、武器を通して魔力を送り込む。その後は、グレネードの要領で敵を爆発させる。敵の動きを見切り、急所を捉えて殺す技。ついた名前が、“見切殺”(みきっさつ)。

「相変わらず、過激だな」

 レイラを見て、カリムが言った。アンジュは思わず唾をのむ。

 この技は、レイラが憎む魔神に対して使うつもりで編み出したものだった。

 仲間を守るために、レイラはこの技を使うことを躊躇わない。アンジュにはそれが頼もしくもあったが、その苛烈な攻撃が恐ろしくもあり、彼女に怯えるルーキスの気持ちが少しわかる。

「アンジュ、カリム。無事ですか?」

 剣に付いた血を払い、鞘に収めたレイラは笑顔だった。頬の返り血も、口元の自分の血も気にするそぶりさえ見せない。敵を殺すための装備が汚れ、痛むことだけは気にしているのに。

「わ、私は大丈夫です。でも、レイラが……」

「びっくりしましたね。油断してしまいました。危ない目に合わせてごめんなさい」

 レイラはアンジュとカリムの無事を確認すると、二人から目を逸らす。自分を心配されるのが嫌なのだろうか。

 レイラは嘘が付けない。アンジュとカリムのことを心配しているのは、決して嘘ではない。だが、彼女は何かを隠し、それを追及されることを恐れているということは、彼女の震える指先が物語っていた。

 しばらくそれを見つめていたアンジュ。そして、何かを決意し、両手でレイラの右手をつかんだ。

「あ、アンジュ?」

 驚いたレイラは目を丸くする。レイラの黒い手袋には、フリッサを突き刺した時に流れたグリズリーの血が滴っていた。

「どうしたんですか? それに、今は汚いですよ」

 アンジュは真っすぐレイラを見つめた。臆病なアンジュであったが、その実、仲間内の中では最も逞しい彼女は、そんな汚れなど微塵も気にしなかった。

 ただ、怯える仲間を、放ってはおけないと思った。

「レイラ。私もカリムも大丈夫です」

「え? そ、それは良かったです」

「レイラは大丈夫ですか?」

「わ、私ですか? 全然大丈夫です!」

「……本当ですか……」

「えっ」

 手を離さないまま、アンジュ“圧”をかけた。

 驚いたレイラはアンジュの意図がわからず困惑する。しかし、手を掴まれて、物理的にも精神的にも逃げ場を失い、何とか言葉を絞り出した。

「……実は、最初の体当たりで口の中を……でも、全然なんとも……」

 顔を背けながら話すレイラの声は、少しずつ尻つぼみに、小さな声になっていった。

「口の中を切ったんですね。後で、タギラさんに見てもらいましょう」

「いや、本当に痛むとかいうほどでは無いですし」

「駄目です。カレーの味見をするんでしょう?」

「あ……はい」

「怪我は放っておくと怖いですよ。薬師の私が言うんだから間違いないです」

「……わかりました」

 アンジュは、レイラの手の震えが止まっていることを確認すると、ようやく手を離した。

「さあ、早く蜂蜜を見つけて帰りましょう。やっぱり森は恐ろしいです」

「そうですね」

 アンジュはレイラに笑いかけた。レイラは少し戸惑ったが、小さく頷いた。

「やれやれ、どうなるかと思ったぜ」

 少し離れた場所で、カリムが呟く。そんな彼は、先ほど自らの鼻を刺激した、興味深い食材の剥ぎ取りを終えたところだった。


 それから間もなく。一行は蜂の巣を発見した。

 見つけたのはアンジュだった。レンジャーとしての技能を持つ彼女は、森においては誰よりも視野が広い。

「あれです、見つけました」

 木の枝にかかっている蜂の巣を指さすと、一行はゆっくりと近づいた。

「ちょっと待ってな。アンジュ、草の用意を頼む」

「はい」

 蜂の巣を前にして、荷物を下ろしたカリムは、腰にぶら下げた瓶を取り外し、その場に立てていく。アンジュも持参した瓶を置いた。それから、アンジュはカリムに指定された香草を取り出して、焚き出す用意を進める。

「ううっ。刺されませんように」

「アンジュ、肩出てるもんな」

「カリムこそ、尻尾が刺されそうです」

「言えてるぜ」

 そんな会話をしている一人と一匹は、慣れた手つきで用意を進めている。それを、レイラは物珍しそうに見ていた。

「何か手伝うことはありますか?」

「いや。採取は俺だけでできるから、レイラは周囲を警戒してくれ。さっきみたいに、襲われたら敵わないからな」

「ハイ、わかりました!」

 浮かれ気味だった自分の気を引き締めて、レイラは見張り役に徹した。

「この真面目さが、テオにもあれば。なんて、それじゃ、テオじゃないか……」

「そうですね」

 軽口をたたきながら、アンジュとカリムは真剣に用意を進める。

 カリムは両手に厚手の手袋をはめ、口と鼻を布で覆った。手には、探索用のナイフを握っている。アンジュも口と鼻を布で覆った。

「始めますよ」

 アンジュの合図に、カリムは頷く。

 枝の真下に陣取ったアンジュは、持ち込んだ専用の香草に火をつけ、煙を焚く。すると、煙を嫌がった蜂たちが慌てて巣から飛び出してきた。

 蜂が出払ったのを見計らって、カリムが木をよじ登る。

 短い手足を懸命に、しかし慣れた動きで素早くその枝までたどり着くと、ナイフで巣を枝ごと切り落とした。

「わっ、わっ」

 下で構えたアンジュがそれを受け取る。中からまだ蜂が出てくるので、アンジュはそれを置いて、少し離れた。

 後を追うように木から降りてきたカリムは、ためらわず蜂の巣にナイフを入れる。

 そうして、蜂の巣の中から“白い黄金の塊”を切り取ると、アンジュと一緒にソレを手にしてその場を離れた。

「よーしよし、上手くいった」

「すごい。鮮やかなお手並みでした」

 レイラの賞賛を受けながら、カリムは先ほど置いた瓶のふたを開ける。白い黄金の塊をいくつかの小さな塊に切りわけて、いくつかの瓶に詰めた。それから、アンジュと瓶を分け合って運ぶ。

「さーて、これからだ。帰ったら、今日取った物を食材に変えていくぜ」

「ハイ! 宜しくお願いします。頑張りましょうね、アンジュ」

「すーっ、はぁ。……うん。私も頑張ります」

 アンジュは深く息を吐いた。

 ようやく目的が達成されたこと。それに、レイラが前向きな様子であることにも、アンジュは安堵した。




 『華麗に! カレーあれ! 前編』……終。 

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