第22話

 僕は椅子に座って呆然と窓の外を眺めていた。しかし、小金井はなおも書棚から持ってきた本に目を落としていた。


 僕も別の本を探すため立ちあがろうとした時、小金井は不意に言った。


「君は死ぬのが怖いって思ったことある?」


 小金井は視線を本に落としたままだった。


 僕はぼんやりと祖母のことを考えた。


「小さい頃はよく思ってた。寝る前とか、一人になった時に不意に死ぬのが怖くなった」


 小金井は本を閉じてこちらを見た。こちらを見ているはずなのにずっと遠くを見ているような目だった。


「そう。私は小さい頃の方が怖くなかったかな。怖くなったのはお父さんが亡くなってから」 


「お父さんはどんな人だったの?」


 僕が言うと小金井は目を伏せた。


「もうあまり覚えていないけど、とても、とても明るい人だったと思う。いつも笑っていて、海が大好きだった。だから、私も海が好きだった」


「今は? 海は嫌い?」


 彼女は頭を振る。


「今も好きよ。けど、お母さんは嫌いみたい。お父さんが死んでからお母さんはよく死にたいって言うようになったわ。そのせいもあるのかもしれない。私が死ぬのが怖くなったのは」


 小金井はじっと手元を見ていた。指を組んで、それから窓の外を見つめた。


「死ぬのが怖いから、どんなに辛いことがあっても普段、死にたいなんて思わないけど、本当にたまにね。生きたくないとは思ってしまうことがある」


 小金井はこちらをじっと見つめていた。


「馬鹿みたいよね。死ぬのは怖いくせに生きたくないだなんて……」


「そんなことは……」


 彼女は「でも」と続ける。


「それってとても理不尽だとも思うことがある。生き物には生きるか死ぬかしかないなんて。死にたくないなら、生きるしかないし、生きたくないなら死ぬしかない。生きることと死ぬことの間には何にもない。それが時々理不尽だなって思う。フフッ、何言ってるのかな私」


 小金井は「聞かなかったことにして」と戯けた笑みを見せたけど、僕には小金井の言っていることがわかる気がした。


「祖母が亡くなる前に言っていたことがある」


 僕が言うと彼女は首を傾げる。


「どんなこと?」


「祖母も昔は死ぬのが恐ろしいって思っていたって。でも亡くなる前には怖くないって言っていた。それは死ぬことが終わりじゃないって思ったから、だそうだよ。人は死んで土に帰る。それからまた花や他の生き物になる」


「輪廻転生みたいな?」


「似てるのかな……まあ、僕が思うのはさ、理科とかで学ぶことだけど、人も他の生き物も石や水でさえ分子とか原子とかの小さい粒でできているよね? 死んだら僕らはそんな小さい分子や原子になってそれから石とか植物とかいろんなものの一部になる。そう思うと確かに死ぬことは終わりではないのかもしれないと思うよ」


 小金井は目を丸くしてこちらを見ていた。


「君は変なことばかり言うのね」


 僕は急に恥ずかしくなって、頭をかきながら目を逸らす。


「でも、確かにその通りかもしれない。終わりだなんて思わなければ怖さもましになるかも」


 小金井の言葉の後にドアをノックする音が聞こえる。


 ノックの後すぐに神父が顔を出した。


「どうですか? シラズ蛙についてはわかりましたか?」


 神父は相変わらず少し不気味な笑みを浮かべて言った。


「いえ、それがあまり詳しいことが書かれているものがなくて……」


「そうですか。シラズ蛙についてはこの町の人でも知る人は少ないですから。シーラカンスと違って」


 小金井が立ち上がる。


「あの、魚齢章って何か知っていますか?」


 神父は小金井の問いに対して首を振った。


「いえ、知りませんね。そのような文献は聞いたこともありません」


「そうですか……」


 神父は「しかし」と眉をひそめる。


「どうしてシラズ蛙を調べようと?」


 急に神父の口調が変わった。笑顔もいつの間にか消えていた。


 僕と小金井は顔を見合わせる。


 まさか本当のことを言えるはずもなく、僕は適当な言い訳を考えた。


「えっと、実は夏休みの課題で地域の歴史についてレポートを書かなければいけなくて。それでシラズ蛙について調べようと思ったんです」


 神父は「そうですか」と頷いた。


「しかし、私としてはあまりお勧めしませんね。シラズ蛙にはあまり関わり合わない方がいい」


「それはどういう?」


「シラズ蛙は昔から不吉の象徴として扱われてきたものですから、調べてもいいことはありません。この町なら他にも乾物や金物も有名ですから、その辺りの歴史について調べることをお勧めしますよ」


「でも……」


 僕は反論しようとしたが、再び笑みを浮かべた神父を見て言うのをやめた。その表情には有無を言わさない迫力があった。


「調べ物も終わったようなのでよければ一階の礼拝堂も見ていきませんか?」


「あ、えっと……」


 僕は小金井を見た。小金井は口に手を当て頷いた。


「お願いします」


 神父は「では」と言って、僕らを一階に案内した。


 教会内はウォールナット材の家具などで統一されていた。壁は白いけれど所々焦げたような黒い部分があった。古い建物だから汚れがあるのは仕方ないのかもしれない。


 僕らは神父に連れられて礼拝堂に入った。その日は人の姿がなく、礼拝堂内には僕ら三人だけだった。


 木製のベンチがいくつも並べられており、奥には講壇、そのさらに奥にはオルガンが置かれていた。


 礼拝堂の奥の壁には巨大なステンドグラスが嵌め込まれている。夕焼けのオレンジの光がステンドグラスの青や緑、赤のガラスを通して色を変える。ガラスの中のマリアは優しく微笑んでいた。


 神父が言っていた通りここはとても綺麗だった。


「どうですか? 外から見るよりも良いところでしょう?」


 神父は自慢げにそのステンドグラスを眺めていた。僕はそれに対して「はい」と強く頷いた。


「すみませーん」


 入口の方で声がした。


「誰か来たみたいですね」


 神父はエントランスへ向かった。


 僕と小金井は近くのベンチに腰掛けた。


「あの人、嘘をついている」


 小金井はぽつりと呟いた。


「神父さん?」


「うん」


 小金井は続けようとしたが礼拝堂の扉が開く音がして口をつぐんだ。


 そこには見知った二人が立っていた。

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