6節:死ぬべき理由は

 あれからずっと時間を数えていた。

 一分一秒の漏れも無く、おそらく寸分違わずに、心の中の時計を刻む、自分が死ぬまでの時間に思いを馳せる時間。


 それは奇妙な時間だった。

 眼の前でただ地面を見つめたまま胡坐をかき続けている男とナイフを構え続ける私に、一切の会話は無かった。


 互いに逃げるなんて選択肢は無い。

 なぜなら男にはこの場所があり、絶対的な勝利が待ち受けていたから。

 私には自分の命を使って皆を助ける役目があるから。

 約束を破る意味なんて無い。


 そうして約束を守り続けていれば、まもなく時間が来る。

 敗北はあったが、勝っているとも言える。

 だって当初の目的は果たされているようなものだ。彼女たちが無事に帰れるかは五分五分だったが、うまく行けば隕石の影響の無いところまで逃げられるはずだ。

 それに、希望的観測ではあるけど、先輩たちがもしかしたら来てくれるかもしれない。そうすればこんな男も、バカげた計画もまとめておじゃんだ。


 大変情けないが、私みたいな無能にしてはまぁまぁ頑張った結果じゃないだろうか。

 学生寮が受けた被害は私だけで済む。

 ならそれでいい。

 それがいいはずだ。

 どうしても私が死ななくてはいけなくなってしまったけどしょうがない。あの世でおねえちゃんに土下座でもするとしよう。


「なぁ、君に一つだけ質問があるんだけど」


 覚悟を決めていた私の思考が中断される。

 男は数分間貫かれてきた沈黙をいとも容易く壊した。


「………なんですか?」


 不利な取引に応じたとはいえ、この後に絶対的な勝利が待ち受けている男にとってはただの退屈しのぎのつもりなのだろう。

 私は適当に応じることにした。


「もう少ししたら時間なんだけどさ、どうしても気になったことがあってね。君、どうしてそんなにを躊躇しているんだい?」

「クラスメイトを助けたいって気持ちの何が不思議なんですか。それに命を懸けて何か困る事でもあるんですか」

「ああいや、そう言う事じゃないんだ。君の右眼に宿っているファースト……昔僕が戦って仲間を庇って死んだ、君によく似た女の子のことなんだけど、やけにその子が君の意思を尊重するなと思ってね」

「むしろ尊重されてないと思いますけど。私の事を無視して勝手に動き出すくらいですし」

「でも自分の命が懸かってる今は止まっているだろ? 君もそいつも、自分が死ぬことよりも大事なことがあると思ってる。この僕と違ってね」


 足がしびれているのか、時折足を組みなおしながら男は続ける。


「君はやけに人を殺すことに恐怖を覚えている。ファーストは君のその意思を尊重してギリギリまで踏みとどまっている。つまりは君がきっかけでこの状況が出来てしまっていて、じゃあなぜ君はそんなに人を殺すことに抵抗感があるのか」


 今まで目を合わせてこなかった男が、私を見た。


「君、誰かを殺して生き残ったろ」


 その言葉は、私にとっては今胸元に向けているナイフよりも凶器的で、それだけで死にたくなるほどの心的外傷トラウマだった。


「まぁ君みたいな普通の女の子がする殺しなんて、精々身代わりくらいだろうけどさ。そんなに気にしなくていいんじゃないのか、それ。だってくだらないぜ? そんなの戦場では真っ先に捨てるべき道徳だ。PTSDだかサバイバーズ・ギルトとかさ、そんなこと考えてる暇があったらさ、見殺しにした人間、身代わりになった人間同士もうちょい」


「────時間です」


 男の狂弁を遮り、ナイフを強く握り直す。


「これから死ぬので黙ってて下さい」

「そうか。なら、話はここまでだな」


 男は立ち上がりい住まいを正しながら言った。

 後は私が死んでそれをこの男が見届けて、それで終わり。

 完璧とまではいかないけど、私だって自分を殺せば誰かを救える。


 覚悟をもう一度堅く決める。


────師匠。私はこれから人を殺します。


 


 でも、良いですよね?

 だって殺すのは自分自身。

 おねちゃんには申し訳ないけど誰にも迷惑を掛けずに、それどころか皆にとって利になることをするんだ。


 右眼が熱い

 右眼が熱い

 右眼が熱い


 だから、いいよね。


 夏咲すみかは──────ここで死んでも


夏咲なつさきさんっ!!!」


 声と共に、眼の前の男の体が左に飛んだ。

 吹き飛ばされた……今、死ぬ直前の私の前で

 血が舞う。

 そして、視界が開けた。 


 聴こえた声は誰のものだったか。

 眼の前に居たはずの敵や訪れるはずだった死を忘れて声の主の姿に呆ける。

 そこには私のクラスメイトがいた。


「夏咲さん、もう大丈夫ですよ」


 彼女は紅藤色の髪をなびかせて宣言する。


「こんな奴、さっさとぶっ潰しますから」


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