花結びのミニアチュール

咲川音

花結びのミニアチュール

 ままごとの人参を切っていた母が突然「これからお嫁に行く」と言い出したので、私は青い端切れを持ってきてその細すぎる手首に巻きつけてやった。六歳の指で結ぶ蝶々は左右の羽が不器用に曲がってしまったけれど、母はちょっと微笑んで「ではまたいつかね」とそのまま絵の中に去ってしまった。薄暗い部屋に残されたミニアチュールには母と知らない女の人が並んでいて、ああ、もう二度と帰ってこないんだなと悟った。

 大分駅から電車を乗り継ぎ、ようやく辿り着いたと思ったらICカードは使えないと言われた。じゃあ現金払いにしますと謝れば、無愛想な駅員は皮肉の代わりに長いため息を返した。

「お姉さん、この辺の出身なん? 里帰り?」

 反対にタクシーの運転手は陽気で、まさに親戚のおっちゃんという風貌をしている。

「ええと、母がここの出なんですけど、私は来るのは初めてで」

「それじゃびっくりしたやろぉ、こんな田舎で」

 駅周辺には寂れたスーパーが一軒とクリーニング屋、少し遠くに学校のような建物があって、あとは田んぼの合間に平たい家がぽつぽつと置かれているのみだった。

「いえ、うちの地元も大概なんで」

「田辺さんとこは俺もよぉ知っちょんよ。お母さん、そこん家の人?」

「……友人だったらしいです。すみません、私もよく知らなくて」

 答えながら、なんで見ず知らず同士なのに私だけ敬語なんだと思った。歳が理由なら、私は早くこの人みたいなガサツで恰幅のいいおばちゃんになりたい。

「ああ、でもお姉さんの方やったら今はおらんよ。東京に行ったきり帰ってきとらんけんね。女の子なんに外の大学なんか行かせるけんああなるんよ」

「……いえ、多分妹さんの方で合ってます」

 その人は母親の介護のために数キロ離れた嫁ぎ先と実家を行ったり来たりしているらしい。私は鞄を少し開き、中に収まった肖像画を覗き込むようにして眺めた。若々しい娘のようだった二人は、年月を重ねるにつれて小皺を刻み、白髪が増え、まるで生きているように老いた姿でそこに寄り添っている。還暦を迎えたであろう母の手には、あの日の青い蝶々がとまったままだった。

 最初にそれに気づいた時には呪いの絵だと恐ろしくなったが、そこにいる母は見たことのない無邪気な笑顔を咲かせているから、捨てるに捨てられずクローゼットの奥に封印していたのだ。

 ときどき怖いもの見たさに細く開いた隙間から覗いてみれば、彼女たちはその度に雰囲気を変えていて、小さく息を飲んで閉じるのを繰り返した。

 母の隣に閉じ込められている女性は誰なのだろうか。目の前の怪異が見ず知らずの人間と共に起こっている。その事実は更に恐怖心をかき立てて、私は後ろめたい秘密を抱えているような気味悪さのまま、彼女たちから目を逸らすようになっていった。

 次にそれを取り出したのは去年の大晦日、きっかけは従弟と古いアルバムを眺めている時だった。祖父母や父のそれに混ざって一冊、色褪せた水色の表紙があった。開いてみるとそれは母の記録で、嫁いできた際に持ち込んだものの一つのようだった。フィルムが剥がれる音とともに時間を遡る。バリッ。大学生。バリッ。高校生。段々と笑顔が増えていく。不思議と額縁の中にいる母に近づいている気がして、ページをめくる手を早める。と、ある写真に目が留まった。

 制服を着た若い頃の母がこちらにピースを向けている。その隣に「あの人」の面影を持つ少女が寄り添うように立っていた。

 慌てて振り向いて問うと、地元の幼なじみだという。よく見ればその子と写った写真は何枚もあり、特別仲が良かったのだと分かった。

「この人、今どうしてるの」

「さあ。もう何年も連絡なんてとっとらんからねぇ」

 きっと因縁めいた何かがあるに違いないと確信していたのに、思いがけず平坦な声に肩透かしを食らう。

 がっかりしている私に後ろからやってきた伯母が声をかけた。

「なんしよんねしおちゃん、そんなとこで油売ってないで早くこっち手伝って」

 男性陣の宴会の盛り上がりを背に部屋の外へ出る。氷のように冷えた廊下は歩く度に軋んで、足裏から体温を吸い取っていく。

「汐ちゃん、そろそろいい人できた?」

 横でつまみを盛り付けながらからかうような笑みを向けられた。早押しクイズのボタンを押すのに似た反射で「仕事が忙しくて」といつもの返事をする。

「産むのは若いうちがいいよー。来年でいくつになるんだっけ?」

「三十一です」

「伯母さん、その歳にはもう三人目産んどったよ」

 私は曖昧に笑って返事に代える。三人の男児を産んだことは伯母の人生の勲章になっていて、このやり取りをしたいがために彼女はよく私に歳を尋ねた。実際、祖母は孫三人を特別に可愛がり、何かにつけて跡取りだともてはやした。会社員と専業主婦しかいない平凡な家の何を継がせるつもりなのか分からないけれど、これも母を追い詰める一因だったのだろう。

 トントントン。祖母の包丁の音と、「嫁入りの日」の母の虚ろな目が重なった。トントントン。割れたおもちゃの人参がごろんと転がる。そういえばあのままごとはカレーを作っていたのだった。結局、完成することはなかったけれど。

 写真の横には「佳代子かよこちゃんと・高校の入学式で」と書かれてあった。

「私、結婚とか子供は別にいいかなあって」

「なに言いよるん? もう三十超えとるんやからあんまり甘えたこと言っとったらいけんよ」

 女の賞味期限は短いんやけんね、誰にも貰ってもらえんごとなるよ。伯母さんの中で私は、今から美味しく食べていただけるこの数の子より価値が低いらしい。

 少し俯いた母はどんな顔をしていたのだったか。能面のように真顔だったような気もするし、世間一般の理想的な母親像を真似るように、口元だけで微笑んでいたような気もする。


 新年の挨拶も兼ねて母方の実家に連絡すると、「佳代子ちゃん」の居場所はすぐに分かった。母の部屋から彼女の私物が見つかった、どうしても渡したいと頼み込んで約束を取り付けてもらう。多少強引に押し切って電話を切ると、数年ぶりにあのミニアチュールと対面した。

「……お母さん」

 ふっくらとした頬をゆるめる母は、私より歳下だったあの日よりも若々しく見えた。

 思い起こせばこの佳代子という人は最初からここに描かれていた。幼少期の私と母の遊び場は、家の一番奥にある日当たりの悪い祖母の化粧部屋で、湿り気のある畳の上に持ち込んだ積み木や絵本を並べていた。母はそれらと一緒にあのミニアチュールを腕に抱き、私たちを見守ってもらうかのように鏡台に立てかけた。

「お母さん、この絵のお姉さん誰?」

 母は水仕事で荒れた指先で彼女の輪郭をなぞりながら「大事な人」と答え、それ以上はなにも言わなかった。

母が夕飯の支度に駆り出されるまでの短い時間が惜しくて、私もふうんとだけ返事をし、目の前の遊びに気を取られて深くは追求しなかった。

 この女性は額縁の向こうで母が来るのを待っていたのだろうか。だとすると連絡が取れたその幼馴染は本当に本人なのだろうか。

「お姉さん、着いたよ」

 我に返って顔を上げる。剪定されていない木の向こうに年季の入った平屋が建っていた。

 冷静になって考えてみれば、数十年会っていない昔の同級生の娘が今になって訪ねてくるなど困惑以外の何物でもないだろう。

 深呼吸を繰り返しても鼓動が落ち着かなかったので、諦めて引き戸を叩く。「はぁーい」と間延びした声がして、中から女の人が顔を出した。

 彼女の顔を見るなり、私は挨拶も忘れて固まってしまった。長年、キャンバス越しに共に暮らしてきたその人が生きて目の前にいる。奇妙な感動が胸を満たした。

「あら、もしかしてみちるちゃんの……?」

「あっ、突然お伺いしてすみません。中村汐と申します。」

 慌てて頭を下げると、彼女は私の中に何かを見つけようとするように柔らかく目を細める。

「まあ、そう、そうなの。あなたが。言われてみれば、目元なんか学生時代のみちるちゃんそっくりやねぇ」

 佳代子さんは快く家にあげてくれた。柔和な雰囲気も微笑みも、肖像画から受ける印象そのままだ。

 狭い廊下を進んだ先の客間で、私たちは向かい合って座った。レトロなカバーをかけられたソファは、久しぶりに感じる重みに息を吐き出すように埃っぽい空気を舞い上げる。

「ごめんなさいね、こんなものしかなくて」

 眉を下げながら菓子盆とお茶をすすめてくれる。

「そんな、お気遣いなく」

「それで、みちるちゃんの部屋にあった私の物って? みちるちゃんは元気にしてるの?」

「ええ、あの……一体何からお話すればいいのか……」

 およそ現実的とはいえない妄言のような説明を今からしなければならないのか、と気を重くしながら鞄から中身を取り出す。

「この絵に見覚えはありませんか?」

 机の上に置かれたミニアチュールに、彼女ははっと目を見開くと震える指先で額縁を撫でた。

「これは……」

「不思議な絵なんです。信じていただけないかもしれませんが……」

 私は母が消えたあの日から順に、これまでに起こった出来事を話した。佳代子さんは時折泣きそうに顔を歪めて、うんうんと相槌を打っている

「そう、みちるちゃん、この向こうに行ったんやねぇ」

「何かご存知でしたら教えていただけませんか? 私もう訳が分からなくて」

 そうでしょうねぇ。同意の言葉を口に含んで転がすように佳代子さんは頷いた。

「私があなたからお母さんを奪ってしまったんやもんね」

 彼女は一つ息をつくと、ムカサリ絵馬って知っとる? と聞いた。

「ムカサリ……?」

「別の県の風習なんやけどね、若くしてこの世を去ってしまった人があの世で心安らかに暮らせますようにって、結婚式の絵を描くんよ」

「ああ、冥婚絵馬のことですか」

 それなら漫画で聞いた事がある。などと呑気に思って、まさかと肖像画に目を向けた。

「ああ、大丈夫、これがそうって訳じゃないよ。――私とみちるちゃんは幼なじみでね。うんと小さい頃からそれはそれは仲が良くて、いつも一緒にいたんよ」

 田舎は半径数キロの輪の中で生活がまわっている。村人の顔ぶれも変わらない。あそこの家の娘さんが昨日ダレダレとドコドコにいた。正確な位置情報とともに噂は翌日には回るから、見守りという名の監視下でヘタなことは出来なかった。

「高校はここからちょっと離れたところにしかなかったから、自転車で一緒に登下校してね。よく寄り道して、大人たちの目が届かんとこで遅くまでお喋りしよった。あの頃が一番楽しかったわぁ」

 佳代子さんは思い出を閉じ込めるようにゆっくりと瞬きをして、今でもよく分からんのやけど、と呟いた。

「きっかけはもう覚えてないけど、私とみちるちゃん、恋人みたいな時期があった。知り合いの通らないとこでこっそりキスしたり、手ぇ繋いで歩いたり……」

 こんな話を娘さんに、ごめんね、と申し訳なさそうな顔をする。私に謝られても。とりあえず首を横に振ると、容認と受け取ったのか安心したように微笑んで話を続ける。

「でも、女の子同士でそんなことしてるのがバレたらおおごとやったけんね。それに娘が嫁にも行かず子供も産まないなんて、有り得ん時代やったし」

「母と、生きたかったですか? 時代や環境が許したら」

「さあ……本当によぉ分からんのよ。あれは恋やったんかな。みちるちゃんも分かってなかったんやと思うわ。ただ一緒にいて幸せってだけで、子供のおままごとみたいなものだったのかも」

 恋とも友情とも定義できない、名状し難い間柄でも確かに愛があったのなら、自分の中で最上の価値を与えても良いのではないかと思う。羨ましい、と指を深く組んだ。私は誰かにそういう感情が湧き上がったことなんて一度もない。どんなに好感を抱いている相手でも、唇を触れ合わせる想像をしただけで一歩後ずさってしまう。

「うちは姉が周りの反対を押し切って都会に出たけん、私は高校出てすぐお見合いさせられて。そのまま結婚したんよ。みちるちゃんとこは寛容やったから、福岡の大学なら許されたって言いよった。みちるちゃんは高校で一番賢かったけんね」

「寛容……」

 今でもよくある話やで、と諦観の笑みを浮かべる。

「みちるちゃん、あっちでいい人見つけて、卒業してすぐ結婚することになって。四年の冬に挨拶とか色々で帰ってきて、うちに寄ってくれたんよ」

 さぞ幸せにとろける顔をしているのだろうと思いきや、母は佳代子さんに会うなり泣き出したという。

「マリッジブルーってやつだったんよね、きっと。結婚なんかしたくないってわんわん泣いて」

 何とか落ち着かせて、それからどちらともなく、「恋人」だった頃一緒に読んだ本にあったムカサリ絵馬を思い出した。

「私、勉強のほうはからっきしだったけど、こう見えて美術は昔から褒められたんよ。佳代ちゃんは将来画家になれるねとか言われて。――だから冥婚とかそんな大仰なもんやなくて、お守りのつもりで小さいキャンバスの左半分に自画像描いて渡したんよ。どうしても耐えられんくらい辛くなったら私が来世で嫁に貰っちゃるけん、頑張りって」

 そうか。お嫁に行くと言った母の言葉がすとんと自分の中に降りてきた。母の人間としての魂は父やあの家から離れ、この人のもとに行き着いたのか。

「これ。この手首の青い布」

 私はあの日結んだはなむけを指さした。

「子供だからマナーを知らなくて花結びにしちゃったんです。結婚祝いの水引は結び切りかあわじ結びじゃないといけないのに」

 ごっこ遊びだと思ったから、可愛くしてあげようという一心だった。

「ううん、とっても素敵。サムシングブルーやね」

「マザー・グースですか」

 花嫁の幸せを願う青。図らずもそうやって送り出されたから、二十年以上の時が経つ今もミニアチュールの中で幸福に笑っているのかもしれない。

「ありがとうございます、佳代子さん」

「そんな。恨まれることがあってもお礼を言われることなんて」

「いえ、これがなければ母はあの家でただ死んでいくだけでしたから」

 それから、話を聞いている間ずっと考えていたことを口にした。

「佳代子さん。もし良かったら、私にもこのお守りを描いてくれませんか。もちろん代金はお支払いしますので」

「お金なんて。みちるちゃんの娘さんから頂けんよ」

 ちょっと待っちょって、お母さんの様子を見てくるけん、と一旦部屋を出て行く。すっかり冷めた日本茶を飲み、茶色しかない菓子盆から名前の分からない饅頭を食んでいると、戻ってきた彼女は画材一式を腕に抱えていた。

「もう絵なんて何年も描いてないから、上手くいくか分からんけど……」

「いいんです。きっと、佳代子さんが描くことに意味があるのだと思いますから」

 佳代子さんはそうなんかねぇ、と小さく言うと、

「それで、汐ちゃんは誰を描いて欲しいん?」

「私を描いて貰いたいんです」

「自分を?」

「どうやら、私は他人に恋愛感情が持てないタイプの人間みたいで」

 きっとこの先の人生も一人で切り抜けていかなければならないのだろう。手を繋げるパートナーは己だけだ。そういう意味で、自分と結婚するような気持ちで生きていこうと思っているから、左半分に私が描かれたお守りを持っておきたい。

「いいね、凄くいい」

「いいんでしょうか。普通からちょっと外れていると思うのですが……」

「人間、程々に充実して、程々に幸せならそれでいいんよ。きっと、本当はそういう単純な話なのにね」

 線を捉えるためだけのものになった瞳がスッ、とこちらにピントを合わせながらキャンバスと私を行き来する。

 私はなるべく顔を動かさないようにしながら、唇の端からひとりごとを零した。

「母はあの絵の中でもうひとつの人生を歩んでいるのでしょうか」

「さあねぇ。でも、もしそうやったらそこにいる私は幸せなんやろうね」

 どんなことして暮らしてるんやろ。二人だけの家を建てて、私はそこで絵を描いて。夢見るような口調が言う。

「……今は、幸せじゃないですか?」

「どうなんやろうね。周りからは『いい人に拾って貰えて良かったね』ってよく言われるし、娘が送ってくれる孫の写真を見てるとこれで良かったんだとも思える。全部が全部、悪いことばかりやないからね」 

 筆を走らせながら、佳代子さんはくくっと声を漏らした。

「私も自分用に描いとけばよかったな。本当はみちるちゃんに描いて欲しかったんやけど、くく、あの子むかし画伯って呼ばれとって」

「……お母さんからの遺伝だったんだ」

「中学の美術でお互いの顔を描き合うって時間があって、あの子の描いた私がもう凄くて。目がね、こーんなとこまであって、鼻はこんなで」

 こーんな、と指さしていた手を下ろして、それでも頼めばよかったなと寂しく笑った。

「いや、それはなんか怖いことになりそうだからやめましょうよ。中に入った時が……」

 佳代子さんがあはは、と陽気な声をあげる。私もつられて肩を揺らしながら目配せして笑い合った。きっと学生時代の二人もこんな風に時間を共有していたに違いない。

「よし、こんなもんかね」

 小さいキャンバスの上には、まるで鏡のようにそのままの姿で私が映し出されている。

「すごい。ありがとうございます」

「こんなので喜んで貰えるなら。それより、時間は大丈夫? 電車、まだあるん?」

「はい、最終に乗って戻ります。今日は駅前のホテルに泊まって、明日福岡に」

「うちに泊まっていけばいいのに」

「ありがとうございます、でももう予約しちゃってますから」

 新しいミニアチュールを大切に鞄に仕舞い、お辞儀をする。それから、テーブルに置かれたままだった額縁を手に取って、彼女に差し出した。

「これ、よかったら佳代子さんが持っててくれませんか」

「え、でも……」

「母もずっと、ここに帰ってきたかったと思うので」

 もう夫の家に入ったのだからと、母は一度も帰省を許されなかった。思いを馳せた魂が佳代子さんの隣を選んだのなら、母がいるべき場所は私のところではないはずだ。

 と、ポケットのスマホがけたたましい着信音を響かせた。

 表示された名前を見て、殴られる前のようにぐっと腹の底に力を入れる。

「はい、もしもし。――お母さん」

 通話の向こうにいる母はアンタ今どこにいるの、アパートに行ってもいないからと捲したてる。

「大分だけど」

「大分⁉ なんでまたそんなとこに」

「ちょっと用事があったんだよ。それより電話、何?」

「何? じゃないでしょ。今日法事だってあれほど言ったよね」

「だから、今日は無理だって前から言っといたでしょ。っていうか顔も知らない親戚の十七回忌って」

 弔われる方も困惑だろう。

「アンタが来ないと悪く言われるのはお母さんなんだからね。汐は結婚もせんで仕事とか言って休んでばかりで母親のお前が甘やかし過ぎたんだって……」

 母は魂だけを美しい思い出の中に逃がして、形骸化した女の身体であの家に迎合してしまった。同年代の親戚には私しか女がいないから、今の攻撃は専ら反抗的な私に集中している。

 私を置いていった母を狡い、と思う。哀れだとも思う。そして本当に馬鹿馬鹿しいと思っている。

「お母さん、今ね、隣に佳代子さんがいるよ。話す?」

 ちらと横目で見やれば、佳代子さんはゆったりと首を横に振った。

「そんなのはどうでもいいから、とりあえずアンタ、今日中に帰ってきて皆に謝んなさいよ。恵子伯母さんだってアンタのこと心配して――」

 会話の糸をブツリと断つ。佳代子さんが心配そうに大丈夫? と労わってくれる。

「ええ、よくあることですから。それより今日は長々とすみませんでした」

 唇を上げるだけの笑みを見せ、ひと時の懐古を後にする。地面を踏み込むような足取りで、何も無いあぜ道をずんずん歩いた。

「お母さん、見て見て」

 幼い私の声が聞こえる。画用紙にでたらめに擦りつけていたクレヨンを放り出して、自慢げに作品を掲げている。母はその声に気付かない。いつも物憂げな母は、佳代子さんの肖像を見つめている時だけは目に光を宿してどこか遠くに行ってしまう。私はそれがいつも気に食わなかった。

 「あの日」以降、母はミニアチュールを眺めることをしなくなった。深夜に気分が高ぶった人みたいに空笑いすることが増えて、家中を歩き回っては小言を言うようになった。脱ぎ散らかした洗濯物を拾いながら父は「やっぱり九州の女は気が強くてかなわんなぁ」と急に明るくなった妻の尻に敷かれて苦笑していた。

 冥婚絵画をお守りと言ったのは嘘ではない。母にとっては確かに救済だったのだろう。それでも過去に魂を吸い取られ、人形の姿しか残っていない今の母は私にとって呪いでしかない。

 そう、私は私に呪いをかけたかったのだ。ここで屈すれば魂を抜かれると自分を追い詰めるために。その先で待っているのは少女時代の甘い夢ではなく、空っぽな自分だけだと。

 鞄を抱える手に力を込める。私は絶対に負けない。あの家にも、世間の目にも、そして自分自身にも。負けるわけにはいかない。

 きっと誰も、私のミニアチュールに花を結んではくれないだろうから。

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花結びのミニアチュール 咲川音 @sakikawa_oto

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