3番目の弁当(後編)

「では、3番目の弁当、いただきましょうかね」



 パッケージを外し、プラスチックの透明な蓋から中身が透けて見えた。


 実にシンプルな構図だ。長方形の弁当箱、外枠は木目調だ。


 そこに斜めに仕切りが走り、直角三角形の部屋にご飯が敷き詰めてある。まあ、角が丸いので、直角三角形と呼んでもいいのかどうかは不明瞭ではあるが。


 そのご飯の上に、それぞれ焼きあなご、牛しぐれが敷き詰められていた。


 牛しぐれの部屋の方には漬物が、焼きあなごの部屋には椎茸の佃煮が、それぞれ居候として鎮座しており、場に彩りを添えていた。



「ほう、いいじゃないか。絢爛豪華と言う点では、1番と2番に劣るかもしれんが、牛肉とあなご、2種類同時に味わえるというのも悪くはないな」



 『但馬牛のステーキ重』のような大振りな肉をドサッと載せているわけでもない。


 あるいは『あなごめし』のように、ぎっしりと焼きあなごを敷き詰めた絨毯が広がっているわけでもない。


 3番手『牛しぐれとあなごのあいがけ飯』はどちらも楽しめるだけで、見栄えとしては落ちる感は否めないが、味を楽しむと言う点ではいいかもしれん。そう考えを訂正した。


 電車の振動音と車内アナウンスをBGMとして耳に入れながら、割り箸をパシッっと割り、手を合わせた。



「いただきます」



 いついかなる時においても、食事をする前に感謝を忘れてはならない。


 人は食べる事によって体を維持し、生きていくのだ。農家の方が、あるいは漁師の方が、その生きる糧を用意し、それを買って食べる。


 ごくごく当たり前の経済的循環ではあるが、そこに感謝の一添えがなければ、他者への敬意は生まれない、というのが自分の考えだ。


 その他者の中には“人間以外”も含まれている。


 こうして自分が美味しい食事にありつけるのも、その他者の犠牲の上に成り立っている。


 この弁当の中だけの世界であっても、牛、あなごの命を奪い、それを食らっているのだ。


 米もそうだし、漬物に使っている大根、佃煮の椎茸とて、“かつて”は生きていたはずなのだ。


 それの命を奪い、そして、食べているわけだ。


 犠牲の上に成り立つ食事だからこそ、感謝、敬意を忘れてはならない。


 いただきます、はそのための魔法の言葉だ。


 そんな偉そうな事を宣おうとも、早く食わせろと鳴り響く腹の虫の前では無意味に等しい。


 腹は正直であるし、頭もまた正直だ。


 食え食えと言う催促に抗えず、箸をまずは牛しぐれの部屋に突っ込ませる。


 牛肉に生姜、玉ねぎとしめじが合わさり、じっくりと煮込まれたであろう濃い目の味付けが、またご飯に合う。


 牛しぐれの濃い味と、冷めたご飯のどっしりとした感覚が、絶妙なるバランスの上に成り立ち、脳が「旨い!」と歓声を上げてきた。


 思わずもう一口をかっこみ、もぐもぐと噛み締めながら至福の時を迎える。


 窓の外には天然の絵画が展示され、駅前の喧騒を離れ、徐々に緑豊かな地域へと移り変わるが、そんな事より食事優先である。


 茶で一旦、口の中をリセットだ。しぐれ煮の味に舌も脳も支配されたままでは、あなごに対して失礼であるし、何より自分が楽しめない。


 弁当屋で買ったペットボトルに入った緑茶が、全てを洗い流し、清涼感と共に新たな境地へと誘ってくれる。


 さあ、次はあなごだと意気込み、今度は箸をそちらへと向けた。


 あなごを焼いた後、寿司ネタくらいの大きさに切り分け、そこに甘ダレがかけられていた。また、ご飯の表面にもある程度タレがかかっているようで、一部がそれっぽく色が変わっている。


 そして、こちらも飯と共にあなごをバクリ!


 こちらも旨い! キッチリと焼いて仕上げたあなごの確かな食感と旨味に、甘ダレがそれを如何なく引き立て、米とのハーモニーを奏でている。


 記憶にある限り、前に食べたあなごは寿司であったが、酢飯よりも、むしろ白米の方がいいとさえ感じてしまう程だ。


 唯一の不満があるとすれば、やはり量が少ないことであろうか。


 一つの弁当に、牛とあなごがシェアハウスしちゃっているのだ。当然、占有すべき空間は半分こであり、量として見た場合はやはり少ない。


 二兎追う者は一兎も得ずとは言うが、成り行き任せに3番目の弁当を選び、両方を求めて今に至るが、その代償は互いに中途半端な量である事だ。


 だが、それを悔いることはない。こうして美味しい食事をいただけるのが一番であり、そうしたしくじりもまた“経験”として、今後も活きてくるのであるからだ。



「まあ、トラックが遅延しなければ、それでよかったのだがな。こればっかりは運や流れなんだろうな」



 牛しぐれ、お茶、あなご、お茶と、これをループさせる。


 そして、いつしか弁当の底が全てあらわとなり、米も一粒残らず丁寧に平らげた。



「ごちそうさまでした」



 食事が終わった後も、当然感謝を忘れてはならない。


 今食事をすることにより、今日を生きる権利を得たと言っても過言ではない。そのための感謝である。


 残っていたお茶も一気に飲み干し、空き箱と共にビニール袋の中へ片付けた。


 ゴミはゴミ箱へ。あるいはちゃんと持ち帰りましょう。


 整理整頓は他者への敬意を表す一形態であり、公共の場を使う者としての責務でもある。


 その事を忘れている者がなんと多い事かと嘆きつつ、満たされた腹をさすりながらふと車窓から外の景色を眺めた。


 すでに周囲は緑一色。木々が生い茂る山の渓谷を縫うように走るレールの上を、電車は進んでいた。


 少し下側には線路と並行して走る国道と、流れのきつそうな川が視界に飛び込んできた。


 ただ孤独。誰も話しかけてくることも、あるいは話しかける事もない、ただ一人。



「運や流れってやつなのかね~」



 出会いがあればそれもまたよし。されど今は孤独を楽しもう。


 食事はやはり一人がいい。何者にも邪魔されず、幸せと料理を噛み締めるのには、相伴も晩酌もある意味で無粋なのだ。



「ただ独り歩め、さいの角のごとく、か」



 ふと口にした釈尊の言葉をそれとなしに噛み締めつつ、大きなあくびを漏らす。



「さて、寝るか。まだ到着まで2時間はあるしな」



 食って、満たされて、そして、眠る。これに勝る至福はないと考えている。


 カーブの揺れなど気にもかけず、目を瞑って至福の内に眠りについた。


 そう言えば、目的地の近くには、確か城跡があったか。と言っても、建造物は一切ない、かつて城でしたと主張するだけの石垣がある程度ではあるが。


 仕事が片付いて、時間があれば立ち寄ろう。


 頭の中のスケジュール帳に、新たな1行を書き加えつつ、自分は夢の世界へと旅立った。


 ガタゴト響く電車は、さながら揺り籠か。そう思えるほどに、少し傾けた座椅子の寝心地、悪くないものだ。



                ~ 終 ~

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