3番目の弁当

夢神 蒼茫

3番目の弁当(前編)

 自分は今、とある大きな駅に来ていた。取引先に向かう途中であり、その乗り継ぎ駅だ。


 普段の移動は基本車なのだが、今日に限って言えば電車だ。まあ、先方がわざわざ電車の切符を手配して送って来たからであるが、なんとも歯痒く思う場面もある。


 今がそうだ。


 そう、自分は腹が空いていた。なんだか無性に腹が空いていた。どうしようもないくらいに腹が空いていた。


 それもそのはず。壁に設置された時計を見上げれば、すでに11時半を回ったところだ。


 そろそろ昼であるし、燃料を胃袋に放り込む時間だ。腹の虫という便利であり、同時にうざったい事この上ないアラームが鳴り始めた。


 どこかで食事をと思い、周囲を見渡すと、自分と似たような考えの人々が列を成し、和洋中なんでもござれな駅の食堂街に群がっていた。


 乗り継いで、次に乗車する電車には、あと20分ほどしかない。あの人間バリケードを突破し、食事にありつくとなると、いったいどれほどの時間が消費されるのであろうか。


 考えるのも馬鹿らしいと言えよう。


 ここで車での移動であれば、時間の融通というものがある程度利く。


 電車と言う時刻表に縛られない、自由な時間を持つことができる。



「ままならぬのも、また旅情。慌てるんじゃない。腹を膨らます方法など、いくらでもある」



 腹の虫は鳴れど、冷静さを欠いてはいない。


 キョロキョロと見回すと、それはあった。


 そう、『駅弁屋』だ。


 こちらもそれなりに並んではいるが、弁当とその対価を交換するだけであるので、回転の速さは桁違いである。


 少し遠目にその店を眺めてみると、実にシンプルな造りをしていた。


 まず、正面には、1から30までの番号が割り振られたパネルが設置され、それぞれに弁当の名前と値段、そして、見本のイラストが載っている。


 店員であるおばちゃんが客から番号を聞き、後ろにある大きな冷蔵庫から取り出すという形式だ。


 実に機能的かつ無駄のない構造である。


 外観からおおよそ察するに、3坪くらいあるかないか、そのくらいのスペースだ。


 こじんまりとした店だが、弁当と金銭をやり取りするだけであるからして、やはりその回転率がいい。


 熟練戦士おばちゃんの手際の良さもあって、実にテキパキと弁当が差し出されては、型の古いレジのチーンという音が響く。



「よし、ここにしよう」



 そう言って、自分もまた列の最後尾に並ぶ。


 この待ち時間と言うのもまた楽しいものだし、同時に貴重な時間でもある。


 これを利用して、何を注文すべきかを決められるからだ。


 1から30までのパネルをザッと眺め、そして、迷った。



「どいつもこいつも、いい面構えだ。むしゃぶりつきたくなるくらいの、いい中身からだしやがって。びっくりするくらい誘ってきやがるぜ」



 などと呟き、周囲の怪訝な視線など完全に無視だ。


 食べるときは常に孤独。幸せな空間と時間、他人に邪魔されてなるものか。


 飲みは付き合いで行くこともあるが、基本的にはそういう席は苦手な方だ。


 やはり食事は一人に限る。


 などと思いつつも、とにかく今は迷う。非常に迷う。腹に入ってしまえば、等しく栄養価に成り果てる存在ではあるが、それでも迷う。


 まあ、味が違うから、当然と言えば当然だ。


 そんな迷う時間も限りと言うものがある。凄まじい勢いで客を捌く、歴戦の猛者がレジの向こう側にいるからだ。


 サッと注文しては、ズバッと冷蔵庫から弁当を取り出し、チーンとレジの開閉音が鳴り響く内にはすでに取引が完了している状態だ。



「あのおばちゃん、びっくりするぐらいに手慣れてやがる。まさか、ニュータイプか!?」



 妄言を吐きつつも、すでにタイムリミットは近い。


 パネルの右へ左へと視線を動かし、どれにしようかと思案を進めた。


 そして、見定めた。


 エントリーナンバー19! 『但馬牛のステーキ重』だ!


 名は体を表す。そのまんまな弁当だ。但馬牛のステーキをご飯の上にドサッと載せてあるだけの、実にシンプルかつ重厚な弁当である。


 だが、それがいいのだ。余計なおかずなど不要と言わんばかりの、男気溢れる態度が実にいい!


 ステーキ以外は隅っこに漬物だけという、肉以外に主張すべき点が無い。


 しかも値段設定が税込み1980円ときた。この店で一番高く、茶を一緒に所望すれば、2000円オーバー確定の財布にも重たい弁当だ。


 これが本命。だが、そうなると対抗馬がいるものだ。


 エントリーナンバー05! 『あなごめし』だ!


 こいつが対抗馬なのだが、こちらもまたシンプルだ。焼きあなごをびっしりとご飯の上に敷き詰め、おかずも隅の方に漬物だけだ。


 値段は税込み1680円と、先程のステーキ重よりも落ちる。


 コンセプトは同じだが、そこはさすがに食材の値段が、販売価格に出ていると言う事だろう。


 どちらも旨そうだ。これは迷うと、05と19のパネルを交互に見やるも、すでに自分の前に並んでいる人数が二人にまで減らされていた。


 早く決めねばと焦りつつも、優柔不断な自分を恨めしく思いつつも、おばちゃんの処理速度は尋常ではない。


 もう順番が回ってきた。



「いらっさいませ~。何になさいますか?」



 これまた手慣れた明るい声で喋りかけてくるおばちゃんであり、その声が迷いを振り払った。



「19番の奴、ください。それと……」



「ああ、ごめんね。それ、まだ届いてないのよ」



「ええ!? ないの!?」



「ごめんね~。なんか配送してくるトラックが事故渋滞に巻き込まれたとかで、まだ来てないのよ」



「ガ~ン! 出鼻を挫かれた!」



 なんと言う事だ。胃袋は既にステーキ重を嫁入りさせる準備が整えられていたと言うのに、遅延と言う名の破局を迎えることになろうとは!


 ならば、二の矢で行く!



「なら、こっちの05のやつ……」



「ああ、ごめんね。そっちも同じトラックなのよ」



「す、隙を生じぬ二段構え! なんたる事か!」



 やはりこのおばちゃんはニュータイプだ。先読みで次善策すら潰して来やがった。


 恐るべき先読み。牛かあなごを嫁入りさせる準備をしていた胃袋マイホームには、度し難いレベルの痛恨の一撃だ。



「それで、どれになさいましょうか?」



 迷ってないでさっさと決めろと、おばちゃんからの追撃が入った。


 まあ実際、自分の後ろにはまだまだ列が連なっているし、待たせるわけにもいかない。


 よもやと思っていた、三の矢を放つ事にした。



「なら、09とお茶をお願いします」



「はい、09『牛しぐれとあなごのあいがけ飯』とお茶ね」



 通じた! 通った! これは大丈夫であったか!


 まあ、これもまた名は体を表す弁当だ。牛のしぐれ煮と焼きあなご、それが半々ずつご飯を占領し、その上に乗っかっているという弁当だ。


 牛か、あなごか、などと了見の狭い事など言わず、両方食すればよかったのだよ!


 いやまあ、ドカッと乗っかるステーキ肉や、ぎっしり敷き詰められた焼きあなごの絨毯には見劣りはする。それは認めよう。



「はい、お茶と弁当、合わせて1450円ね」



「んじゃ、これで」



 財布からサッと千円札を2枚取り出し、それをおばちゃんに手渡した。


 小銭を数えれば、450円くらいありそうだが、今はスピード重視。会計に時間を使えば使うほど、後ろの人が迷惑する。


 小銭を取り出すよりも、札を出してササッと会計。それはポリシーであり、礼儀でもあるのだ。


 なお、電子決済などという小洒落たものなど、自分は使ったことはない。


 いつもニコニコ現金払い。そんな古い人間なのですよ、自分は。


 そして、お釣りの硬貨を2枚受け取り、財布の中へボッシュート。


 弁当とお茶を受け取り、そそくさとじきに電車がやって来るであろうホームへと急いだ。



              ~ 中編に続く ~

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