第11話「選択・2」

「素の自分で話すのは久しぶりだからなぁ、自分がもともとどんな喋り方してたのか忘れちゃったよ」


 私は銀さんの招きに素直に応じて、そうする必要はないが、つい癖で屈んで窓枠をくぐって部屋に入った。本来の部屋の主の前だというのに、そんなことは気にも留めず、我が物顔でどっかりとベッドに腰を下ろしながら、呑気にそんなことを言う銀さんを前に、なんと返したらいいかわからず、ベッドの前に立ってただ無言でそわそわしていた。


「なんか言ったらどうなの? ボクに用があるから来たんでしょ?」

「ええ、まあ……」


 強く言われ、余計に尻込みしてしまう。一度目を逸らしてから、もう一度銀さんのほうを見て、おっかなびっくり切り出した。


「あることを聞きたくて来たんだけど……」

「質問? どうぞ?」


 覚悟を決めて、尋ねる。


「私は人間に戻ったほうがいいと思う?」


 一拍の間、銀さんはぽかんとして飲み込めない様子でいた。が、たちまち合点が行くと、


「何? その質問」


 そう言って、鼻で笑った。


「人間に戻りたくてボクに会いに来たんじゃないの? てっきりそうだとばっか思ってたけど」

「いや、決めかねてるの。だから、その、ちゃんと銀さん……じゃなくてあなたと話をして決めようかと」

「なんだそれ」


 どういうつもりで会いに来たのか説明すると、また鼻で笑われた。


「でも、まあ、あなたのことだからそんなもんか。人は一朝一夕で変われるような生き物じゃないし」


 銀さんは納得したように腕を組み、数秒間考えるような素振りを見せてから、しかしあっさりと言った。


「なら、話すことは特にない」

「え、どうして!」


 反射的に飛びついた私に、面倒くさそうに溜息をつきながらも説明してくれた。


「君はボクに願いを叶えてもらうことを望み、ボクはそれを、あなたに怪異の力を譲り、そしてあなたに成り代わって願いを叶えるという形で受け入れた。これで取引は成立、いや、完結してるんだ。そこに、これ以上の話し合いの余地なんてない」


 取引だとかはよくわからないが……


「じゃあ、私はこのまま怪異として生きていくのがいいってこと?」

「それが、この取引で生じた答えだ」


 そう言われても、それは私の聞きたいことではなくて、


「あなたは、どう思うの?」


 私は、銀さんの意見を知りたいのだ。

 だから尋ねたが、銀さんは力なく首を横に振る。


「ボクには願いも希望もないさ。あるのはあなたの願いだけ」


 やはり、よくわからない。銀さんは何を思っているのだろう。そしてこれは、交渉決裂……なのだろうか。

 もうわかっているかと思うが、銀さんと話がしたいというのは、銀さんと会うために使った単なる方便である。本当は銀さんに、私が進むべき道を、選ぶべき未来を決めてもらう腹積もりだった。人は一朝一夕では変われないとは、全く笑えてしまうくらい銀さんの言う通りだ。

 だが、銀さんが次の道を示してくれないというのならば、私はこれからどうしようか。銀さんとの取引の結果を受け入れようか。全てこのまま――願いは銀さんに任せ、私は怪異として生きていこうか。

 それとも、人に戻って――考えただけで肝が冷えた。

 

「本当に、私が選ばないと駄目なのか……」

「当たり前でしょ?」


 選ぶのは――怖い。このままを選ぶのも、怖い。このままを拒むのも、怖い。選択というものを前にすると、手が震え出して、胸が焼けて、息ができなくなって、口が乾いて、足が竦んで、全てを放り出して逃げたい衝動に駆られる。その感覚に私は耐えられない。


「ああ……結局、私にはどちらかを選ぶ勇気がない。選べない。だから、初めから答えは決まっていたのかもしれないな」


 私は選べない。選ばなかったら、必然的にこのままの道を歩むことになる。私の願いを叶えるための形だという、銀さんの選んでくれた、この道を。そういうことならば、初めから怪異として生きていく道しか存在しないではないか。

 疑うまでもなく、これは私の決断できない性質が災いした結果なのだが、なんだか銀さんの掌の上で踊らされているような気分だ。そんなことを思いつつ、しかし依然として全身を支配する恐怖は抜けず、決心できないでいると、不意に、銀さんが言った。


「ねえ、せっかく会ったんだし、一つゲームをしようよ」


 それこそ友達を遊びに誘うような、軽い口調だった。見ると、銀さんは髪をくるくる指に巻きつけるように触りながら、うきうきしたような笑顔を浮かべている。私は懊悩しているというのに、よくもまあそうやって呑気さを隠そうともせず、図々しく振る舞っていられるなと、肩透かしを食らったような気分になったとともに、酷く腹が立った。


「ゲーム? 何、突然」

「まあまあ、良いでしょ?」


 私は答えず、対抗するように非難の視線を送り続ける。しかし銀さんはそれを飄々と受け流し、頼んでもいないのに話を続ける。


「ゲームって言っても、スマブラとかマリカとかじゃないよ? 鬼ごっこだ」

「――――」

「あなたが鬼でボクが逃げるほうね。ボクをタッチできたら、ご褒美をあげる。ご褒美は、そうだねぇ、じゃあ、あなたの一番知りたがってるあのことを見せてあげる」


 私は胸の中で心臓が跳ね上がったのがわかった。それには、きっと言われたことに驚きや恐怖に近い感情を覚えたことも、多少は手伝っていたけれども、その主な原因は、胸が踊るというように、その内容に期待が湧き上がって興奮してしまったからだ。

 今更隠しても無駄かもしれないが、努めて平静を装って尋ねる。


「どうして私の知りたいことがわかるの?」

「そりゃあ、ボクはほとんどあなたみたいなものだからだよ」


 私の魂を取り込んで、存在が私という人間に近付いたから、ということだろうか。あるいは、それも銀さんという怪異の特性の一つなのだろうか。判断はつかないが、しかし、今はそんなことどうでもいい。

 私が腹の底で知りたがっていること、それを本当に銀さんが知っているのならば、


「それを見て、人間に戻るのか、あるいはこのままで行くのか決めて、好きに魂も持ってったらいいさ」


 迷うまでもない。


「わかった、鬼ごっこをしよう」


 私は一も二もなく銀さんの提案を飲んだ。



 ◆



「よ~し。じゃあ始めるよ」


 私と銀さんは、玄関先の道路で対峙していた。これから、私の知りたいことを懸けた鬼ごっこが始まる。と、いきたいところだが、その前に、鬼ごっこにはルールが必要だ。そのため、部屋で予めこの勝負におけるルールを決めておいた。


「ルールとしては、まず、制限時間は二十分。それまでにボクを捕まえられなければ、あなたの負け。あなたはこのまま悪魔として生きていく。反対に、それまでにあなたの肌がボクの肌に触れたら、その時点でボクの負け。その場であなたの知りたいことを見せてあげる。これでいい?」

「わかった。確認だけど、怪異の力は使ってもいいんだよね?」

「もちろん、構わないよ。……ああ、言い忘れてた。ちゃんと常時ボクの体には触れるようにしておくから、そこは安心して」


 こうも言っていたため、今までみたく私の手が銀さんをすり抜けるようなことは起こらないはずだ。

 こうしてルールを決め終えた私達は、部屋の窓から、ひさしを伝って外に出て、家の前に出てきたのだった。

 腰を交互にひねって準備体操をしている銀さんは紺色の寝間着のまま、足には室内用のスリッパを履いている。随分と走りにくそう格好だ。これなら裸足のほうが動けそうな気さえする。

 ただ、勝利条件は肌に直接触れること。露出している肌は、手と、それから首から上だけなので、一見すると難しそうだが、私の体はものをすり抜けるから、実のところ服の有無は影響しない。身体中どこでも狙える。

 銀さんを観察してそんなことを考えていると、銀さんは最後にぐーっと背伸びをして、


「じゃあボクは逃げ始めるから、十秒経ったら追いかけてね」


 そう言って、背を向けてパタパタと走り出した。


「ちょっと待って、もう!?」


 突然のスタートの合図に慌てる私に、銀さんは肩越しに振り返る。


「はい数えて!」

「ええ……? 1、2、3――」


 困惑しつつも目を瞑って数え始めると、


「あ、目は開けてていいよ」


 言われ、いいのだろうかと思いつつもそれに従って、目を開けて続きを数えていく。どこかに隠れるのだろうかと思って見てみたら、銀さんは家の前の道を少し進んだところで止まって、くるんと身を翻してこちらに向いた。

 そこで止まるのか……。何故全力で逃げないのかはわからないが、とにかく都合はいい。


「――8、9、10」


 数え終えた私は、地面を蹴って、まっすぐに銀さんに向かって駆け出す。

 蒼勇曰く、人から魂を抜き取る方法は、実際に銀さんに触れてみれば本能でわかるらしい。本当にそんなことが私にできるかは正直不安だが、その言葉を信じて、今はとにかく、鬼ごっこで銀さんを捕まえることだけに集中しよう。

 銀さんへとずんずん近付いていくが、銀さんはこちらをじっと見つめるだけでまだ動かない。逃げないのならば、最早鬼ごっこではない気がするが、とにかく触れられれば私の勝ちなのだ。

 一気に加速して肉薄、不思議と肌が出ているところに意識を引きつけられてしまい、左手に狙いを定めてまっすぐ飛び込む。


「触れる……!」


 右手を伸ばし、そう確信した。が、左手には届かなかった。何故か一向に左手との距離が縮まらなかったのだ。結局左手は視界の上端に消えていき、着地のことなど考えていなかった私は不格好に雪道にヘッドスライディングした。

 ずるずると地面に腹を削られたような感じがして、反射的に「痛いッ!」と叫んでしまったが、落ち着いて確かめてみると痛みなどは一切ない。


「そうだった。私に感覚はないんだった」


 起き上がって自分の体を見てみると、体もワンピースも、傷汚れ一つなく真っ白だった。

 続いて振り向くと、銀さんは左足を引いた姿勢で、肩こりが酷い人を思わせる仕草でぐるぐると左肩を回していた。

 避けられた……ようだ。左手に気を取られて、どうやって避けられたのかはわからなかったが、如何せんそれを分析している暇はない。

 再び動き出す。今度は飛び込まず、掴みかかるようにして手を伸ばす。狙うは左肩。服をすり抜け、その下にある肌に迫ったその手が捕らえたものは――空だった。

 すんでのところで肩を引いて半身になられ、服と肌との間に生まれた隙間を掴んだようだ。私は空振りしてバランスを崩すものの、それは織り込み済み。次が本命。たたらを踏みながらも、銀さんの真横をすれ違うタイミングで反対の腕を突き出す。しかしそれも、まるで予見していたかのように、優雅にくるんと身を翻して躱された。


「悪くない作戦だけど、ありきたりだね」


 銀さんは栗色の髪をふわりとなびかせながら言う。よろめいた先で体勢を立て直す私に、それに応じる余裕はなかった。

 無闇矢鱈に突っ込んでも駄目だ。一度深呼吸し、熱を吐き出してから冷えた頭で考える。――作戦変更、じりじりと距離を詰めよう。

 今度は一歩一歩堅実に近づく。大きく踏み込み肉薄、相変わらず無防備に突っ立っている銀さんを、左右から挟むように両手を振るう。銀さんはそれを胸を反らせて、紙一重で躱す。だが、その躱し方では軸が傾いてバランスが崩れる。これはチャンスだと、追い打ちを掛けるように間合いを詰めた時には、しかしもう遅かった。銀さんはあえて体勢を立て直すことはせず、後ろに重心を傾けた勢いでそのままバク転して距離を取ったのだ。

 その躍動感溢れる動きに、思わず息を呑んで固まってしまった。だが、狼狽えている場合ではない。間髪入れず詰め寄り、追撃。何度も殴りかかるようにして食らいつく。手を狙う、ひらりと翻される。胴体を薙ぐ、反対方向に跳ばれる。胴体を突く、後ろに跳ばれる……当たらない。


「そんな調子じゃあ、全然当たらないよぉ?」


 私が詰めた分だけ銀さんはバックステップで下がって、リズムでも取るように、体を軽やかに踊らせて攻撃をいなす。

 肩を狙う、半身になられ。頭部――屈まれ。趣向を変えて足を引っ掛けようとしても、


「おっと」


 と言いながらも、余裕の表情で飛び跳ねて避けられた。

 銀さんは一度大きく後ろに跳んで、間合いから外れる。私はそれを追おうとしたが、疲労からか足が棒になっていて力が入らなかった。


「もう動けないのかい?」


 膝に手をついて、ゼーハーと肩で呼吸する私とは対照的に、銀さんは息一つ見出していない。余裕の笑みを浮かべているほどだ。


「くそッ。どうして手が届かないの」


 今のところ、伸ばした手は全て虚空を掻いた。銀さんは私の動きを完全に見切っている。初めは格闘術の類で、私の視線や踏み込みなどを見て予測しているのだと思ったが、どうも違うように感じる。何故なら、迫りくる手を捌くその様は――私がどう動くのか全て予見していて、その上で、私を翻弄しようと、わざとギリギリのところで躱しているように見えるからだ。

 だが、そんなことが可能なのだろうか。可能だとして、どのような方法で先読みしているのだろうか。


「体の狙われている箇所が痒くなる、みたいな能力でも持ってるのか?」


 流石にそんなふざけた能力ではないとして。

 そもそも、蒼勇曰く、銀さんはほとんど真実という人間そのもの。その状態でどんな力を持ちうるのかはわからないが――


 ……いや、私という人間そのもの!?


 思わず声に出してしまいそうになったが、ぎりぎりのところで抑えた。

 きっと蒼勇は魂だとか肉体だとかという観点から私そのものだと表現したのだろうが、その言葉から私のイメージしたものはそれではない。

 失念していた。――彼女は我が家で、家族の目をも騙せるほど精密に私に成りすましていたではないか。私本人としか思えないほど、完璧に。

 それを見て、私は銀さんが『私そのもの』だと思ったのだった。

 私に成りすますためには、私と全く同じ思考と行動ができなければならない。それだけ聞くと不可能なことに思えるが、実際銀さんにはそれが出来ている。

 ということは、銀さんは私の傾向や性質、つまり私がこういう時にこういうことを考えて、こういう行動を取るというパターンを網羅しているということ。そのパターンから、それこそ銀さん本人が真実を演じる時のように、私の行動を逐一予測しているのではないだろうか。

 そうすれば、擬似的に、まるで未来がわかっているかのような予知を実現することも不可能ではないはずだ。私の一番知りたいことを知っていたのも、きっと私と同じ思考ができるから。彼女がほとんど私そのものだから。

 これまでの不可解な行動の辻褄が合う。

 けれど、


「だとしたら、私では勝ち目なんてなくないか?」


 と絶望的な想像をした時、ふと思い出された会話があった。我が家への道程で蒼勇が話してくれた、銀さんと対峙する上でのアドバイスのようなものだ。


『順当に話し合いで解決できりゃあそれに越したことはないけど、問題はもしそううまくいかんかった場合だ。全力でその場から逃げたり、最悪戦闘するような事態になるかもしれん。そしたら、怪異である真実のほうが運動能力は高いもんで優位には立てるはずだけど、真実には人間だった頃の常識がまだ根強く残っとるからなあ……、正直心配』

『じゃあ、どうすればいいの?』

『とりあえずは、真実が怪異としての能力をある程度は使えるようにしておきたいね。例えば――』


 私は銀さんから視線を外し、道の両側に並ぶ民家を見渡した。私のすぐ隣の家にも、銀さんの立っている位置から最も近い家にも、道路に面した高めの塀がある。


「よし……」


 一度息を整えてから、横に向き直り、塀に向かって走り出して頭から突っ込む。目と鼻の先まで迫った塀とぶつかると見えた瞬間、反射的に目を瞑ってしまった。しかし、いつまで経っても何ともぶつからない。恐る恐る目を開けてみると、そこに目に映ったのは塀の塗装の白色ではなく、知らない一軒家だった。

 ここは――塀の向こう側だ。


「私は、ものをすり抜けられる」


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