第9話「願い・3」

「銀さんがそれを選んだのならば」


 だから、耐えかねた私は、もう自分から言うことにした。


「――私は人間に戻れなくてもいい」


 と。

 私が願いについて話すことを徹底的に避けてきたのは、話すことで、このことが――私が別に人間に戻りたいと思っていないことがバレることを恐れていたからだ。ひいてはバレたことで、人間に戻るわけじゃないなら手伝わないと、蒼勇に見捨てられる可能性を危惧していたからだ。

 その秘匿していたことを自分から明かすのもおかしな話だが、


「やっぱりね。そうだと思っとったよ」


 やはりと言うべきかなんとと言うべきか、蒼勇は既に大方察しがついていたようで、それを聞いても驚いてすらいない。果穂さんはどうだろうと思って見てみると、彼女はこちらに目を向けすらせず、相変わらず離れたところを黙々と進み続けていた。

 私は蒼勇に尋ねる。


「いつから気付いてた?」

「はっきりいつからとは言えんけど、不思議に思っとったのは最初から」

「そんな早くから……」


 うまく隠していたつもりだったから、正直驚きだった。


「私、そんなにわかりやすかった?」

「いや、わかりやすかったっていうより、やっぱり、うん。――ずっと引っ掛かるところがあった」

「引っ掛かるところ?」


 聞き返すと、蒼勇は頷いて、少し考える素振りを見せてから説明してくれた。


「人はねぇ、自分が人間じゃなくなった、化け物になったって聞かされると、最初は大抵みんな混乱するんだ。真実もそうだったみたいにね」


 それはそうだろう。私は頷いた。逆に、自分が化け物になったと知っても取り乱さない人など現実にいるのだろうか。


「だけど反応が揃うのは最初だけで、すぐに人それぞれ個性が現れる。発狂するやつ、泣き出すやつ、びっくりするくらい冷静になるやつ、まあ挙げ出したらきりがないくらい様々ある中でも、人間に戻りたいやつはまず真っ先に、自分が化け物だなんて気持ち悪くて反吐が出る、人間に戻してくれ、ってせがむ。人間に別に戻る気のないやつは最後まで人間に戻りたいなどとは言わないし、自分が人間に戻れるかどうかもそもそも気になりすらしない」


 確かにそれは想像できる。


「……だけど、真実の場合はどうだ」


 一拍置いてから、そう言う蒼勇の声には一段と厚みが増していて、こちらに向ける蒼色の瞳もじっと鋭くなった。重厚感のようなものを感じて、無意識に身体に力が入る。


「人間に戻れるかどうか知りたい、人間に戻りたい――そう言う割には、人間に戻りたいやつらしからぬ言動が目立っとった。だもんで、俺は正直、真実が人間に戻りたいのか戻りたくないのか全然わからんかった」

「人間に戻りなんちゃららしからぬって、例えばどんなの?」

「うんちゃらなんちゃらってのは、例えば、真実がのめり込むようにして自分がどんな化け物なのか質問してきたことだね」


 彼の言う通り、私は暇さえあればずっと質問し続けていた。しかし、それがどうして人間に戻りたい人らしからぬ言動なのだろうか。

 首を傾げる私に、蒼勇は続ける。


「まさか、自分が化け物である事実に悪感情を抱いとるやつが、自分がどんな化け物なのか気になるわけはないからね、気になるやつは大抵、自分が化け物であることを受け入れとって、人に戻る気ないやつなんだわ。真実はこの辺のやつとよく似た傾向があるように思えた。さっき言ったような質問してくる時、顔が見えんから確証はないけど、真実の声から判断するに、好奇心とか興味とか、そういう前向きな感情から聞いてきとるような感じがしたのとかも、訝しむ原因の一つだった」

「ああ……。そう言われてみると、確かに――」


 人間に戻りたいならば、人間への戻り方や、怪異になってしまった原因を探ることはあれど、自分がどんな怪異なのか嬉々として知りたがるわけはないか。それではまるで、これから怪異として生きていくことを受け入れているかのようだから。

 そんなところにボロが出ていたか……と私は額を押さえる。


「じゃあ、真実は人間に戻る気がないのかというと、そうとも断言できんかった」

「どうして?」


 意識を本題に戻して尋ねると、蒼勇は難しそうな顔で答えた。


「感覚的なあれだからあれなんだけど……」


 うんうん、あれがあれなんだね?


「理由としては、好奇心から聞く割には、俺が質問にわからんって答えたり、納得いかんような説明をすると、途端に影が差したみたいに、声とか空気感に不安そうな色が見え隠れしたからだ。これが妙に引っ掛かってね……。それに加えて、普通は軽く流すような事柄を突き詰めて質問してくるもんだから、一つ思ったのは」


 そこで一度言葉を止めて、じっくりと言葉を選ぶように顎に手をやった。そうして数秒経ってから、言った。


「真実にとって重要な何かがあって、それ必死に知りたがっとるんじゃないかなって、思った」


 私は目を見張るよりほかなかった。ここまでの理路整然とした説明、素直にすごいなと驚いた。いや、ここまで深く心の中を読まれると、驚きを通り越してゾッとせざるを得ないところさえあった。

 蒼勇は確かに、真剣な顔してポンコツとしか思えないような言動を取ったり、思い込みで話すことも多い。それに、本人もあまり頭を使うのは得意じゃないと公言していた。しかしそれらとは裏腹に、やけに聡い瞬間がある。相手の心情――しかも顔の見えない相手の心情をここまで推し量れるとは、凄まじい観察力と、そこから推察を膨らませる想像力を持っているようだ。


「どうした?」


 不意に尋ねられ、我に返る。そして自分が呆気にとられていたことに気が付いた。


「ああ、いや、ちょっとびっくりしてただけ」


 咄嗟に体裁を整えて答えてから、それより――と繋げて続ける。


「確かに、怪異だとか悪魔だとか、まるで物語の中にでも足を踏み入れてしまったような体験に、好奇心をくすぐられなかったと言えば嘘になる。だけどこれは何もこの状況を楽しんでたわけではなくて、たぶん、私の知りたいという欲求は意思でどうにかできる類のものじゃない、私元来の性格なんだと思う」

「もともとはそんな性格だったんだ」

「好奇心旺盛で活発な子どもだったって、よく母は言ってた」

「へえ。意外」


 そう言う彼は本当に意外そうだった。


「でしょ? 自分でも意外だと思う。砂場で泥団子を作ったら、それをおままごとに使うんじゃなくて、他の子ども達に投げつけて遊ぶような。穴があったら入りたいとは違うし、もちろん猫ちゃんみたいに狭い場所が好きとかそういう意味でもなく、穴があったら、ただ好奇心からその中がどうなってるのか気になって、躊躇なくその中に頭を突っ込むような子どもだったって」


 言うと、蒼勇はくすりと笑った。


「俺も小学生の頃一人だけいたよ、そういう怖いもの知らずの女子。木登りとかして素手で毛虫捕まえるもんで、そいつはみんなから猿って呼ばれとった」

「よくわかったね」


 いきなりそう言ったら、不審そうな顔をされた。


「よくわかったとは」

「私もよく木登りしてたのよ」

「ああ、そういうこと。てっきり、その女の子、実は私です。みたいなオチかと」

「そんな偶然は流石にないよ。とはいえ、私も例に漏れず猿ってあだ名付けられたけど、枝から枝ををぴょんぴょん飛び回る時は、私的にはヒョウとかチーターとか、そういうネコ科の大型肉食獣とかになった気分だったんだよ?」

「ほーん。確かにそっちのほうがかっこいいしな」


 そう。猿はやっぱり馬鹿にされている感があって好きじゃなかったのだ。肉食獣とかのほうがかっこいい。私は頷いて続ける。


「あとあだ名と言ったら、神・にらめっことも呼ばれたことあるよ」

「シン・にらめっこ? にらめっこ神じゃなくて?」

「神・にらめっこ」

「いや、まあ、すぐ神とか付けたがるのは如何にも小学生らしいけど……ゴジラとかエヴァじゃないんだから」

「そうだね」


 取るに足らない、くだらない話。しかし、なんだか懐かしい気持ちになって思わず口角が上がってしまうと、蒼勇もつられたように笑顔になった。

 そろそろ話を本筋に戻さなければと思ったが、もう少しだけこの空気感に浸っていたかったため、私は肩の力を抜いたまま話し出した。


「途中からだいぶ話が逸れちゃったけど、私はもとから、一度興味が湧いたらとことん知りたくなっちゃう、そんな性格なの。……だけど、蒼勇の言う通りでもある。純粋な好奇心からの質問だけじゃなくて、特定の何かを知るための質問もした」


 柔らかい調子のまま続けたかったが、どうしても後半は声に暗い色が混じってしまった。


「ああ、やっぱり?」


 だが蒼勇は気にした様子もなく、得意げに眉を上げる。私はなんだかそれに救われたような気分だった。


「私が何を知りたかったのか、わかる?」

「さぁ、さっぱりだよ」


 そう言って、蒼勇はスカした感じに肩を竦めてみせた。それを見て、私はクスッと笑ってしまった。ポンコツと言われるだけあって、やっぱり嘘が下手な男だ。

 蒼勇は言う。


「願いについて話す前の真実は本当に矛盾ばっかり、言動はどっちつかずで俺は絶えず混乱しとった。そんでもって真実が具体的に何を考えとんのか全くわからんかった」

「何考えてるのかわからないやつ――私そんな風に思われてたのぉ?」


 わざとに口を尖らせて尋ねると、蒼勇は「ああ」と唸った。それが気の所為か、少し申し訳無さそうに聞こえた。


「なんか心外だなぁ。……まあもちろん、私が色々ひた隠しにしてたのが悪いけどね」


 後半、素直に反省の色を見せると、


「いや、推し量れんかった俺の実力不足だ」

「え……」


 なんと。申し訳無さそうに感じたのは気の所為ではなかったようだ。珍しく蒼勇が殊勝だ。明日は雪じゃなくてポテトが降るかもしれん。


「いやいや、私のせいだから。蒼勇に謝る道理はない」

「そうは言っても……」

「話は終わり。それで、私が人間に戻りたいわけではないことには、いつ気付いたの?」


 なにか言いたげな顔をしていたが、二の句を継ぐ前に話をすり替えると、一瞬不満げな色を見せつつも、すぐに普段通りの調子に戻った。


「それは、真実が人間に戻れるかどうかまだわかっとらんのに、安心したように息をついとった時だ」

『なあ、真実。なんでそんな――嬉しそうなんだ? いや、安心……しとんのか?』


 きっと、この時のことだろう。これは私にとっても悪い意味で印象に刻まれていて、思い出すだけで肝が冷える。トラウマのようなものだ。

 そして同時に、やっぱりこの時だったかと納得もした。


「とはいえ、当時はこのやりとりのどこに安心要素があったのかは見当もつかんかった。だけど、少なくとも人間に戻りたいやつの反応ではないってことだけは確かだった」

「そうだね。人間に戻りたい人が安心するタイミングではなかった」

「うん。……ああ、でもそうか。やっとわかったよ。あの時どうして安心しとったのか。これが真実の知りたがっとったことなんだな」


 そう言う蒼勇には、隠しきれない演技臭さがあったが、私はそれにツッコむほど無粋ではない。


「あの時の会話は不思議とよく覚えとる。確か――」


『じゃあ、『偽真美』――もとい私になった銀さんは、完全に私に成りすますことができて、かつ銀さんとしての意識も持っている……っていう認識で合ってる?』

『相変わらず慎重だねぇ。……でもまあ合っとる』

『そうか……』


「真実がそれまでずっと不安そうにしとったのは、別に人間に戻れんことを恐れとったからじゃない。この想像を絶する状況下で、銀さんの行方も安否も不明になっちゃって、本当に自分の願いを叶えてくれるのかどうかわからんかったからだろ?

 だからあんなに質問してきた。――銀さんが今どこでどうしとんのか。本当に願いを叶えてくれるのか。最悪、その安否だけでも――真実は知りたくて堪らなかった。なのに、俺がわからんとか答えりゃあ、そりゃ不安も増すわけだ。

 だけどあの時、真実のふりをしとる『真実』の正体が銀さんだってわかって、安否確認できた。なら、危惧しとったような、銀さんが願いを叶えられん事態になっとるわけではなくて、このまま任せておけばきっと願いを叶えてくれると、そう思って、そう信じて――安心したんだな」

「……はっ、ははっ」


 笑うことしかできなかった。

 彼の発言が的はずれだったからではない。的のど真ん中をついていたからだ。

 全くその通りで、その通りすぎたから。

 驚きや恐怖を通り越して、笑うしかなかった。

 私が質問を繰り返してきたのは、究極的には、銀さんについての情報を集めるためでしかなかった。もっとも、現実には私は無知で、先行きも全く見えていなかったため、今思えば的外れもいいところの質問ばかりだったが、それでも銀さんの行方を常に意識していた。

 だから、あの時――『真実』の中身が銀さんだと知ったあの時、私は心の底からほっとした。

 裏を返せば、それまでは絶対に、唯一の頼みの綱である蒼勇に見放されるわけにはいかなかったのだ。私一人ではどうにも出来なかったから。彼だけが銀さんについて知るうる鍵だったから。

 そういう意味では彼に感謝している。彼がいなければ、私は早々に諦めて、今もあの公園の木の下で蹲っていたことだろう。

 しかし、彼を縛り付けるために、私は嘘と隠し事という方法を使った。頑なに願いについて隠し、人間に戻りたいふりをしてきた。それは本当に、申し訳ないと思っている。

 しかし、今や銀さんの安否もわかり、隠してきたこともバレてしまった(いや、まあ私がバラしたんだけども)のだから、それももう終わり。


「それで――銀さんが願いを叶えてくれるなら、それが銀さんの選んだ道なら、自分は怪異のままでいいと思ってる私を、蒼勇はこれからどうするの? もう見捨てる?」


 私は深夜テンションにも似た、妙に高揚した気分だった。どうにでもなれと自棄くそな気分だった。

 だが、蒼勇は拍子抜けするような、実にあっさりとした調子で言った。


「いや、俺はどうもしん」

「えっ……?」


 思わず声を漏らしてから、おっかなびっくり尋ねた。


「私が人間に戻りたがってるから、これまで協力してくれたんじゃないの? だから、人間に戻る気がないなら、もう協力はしてくれないんじゃ……」

「んん? 一言もそんなこと言っとらんわ」

「……ッ!」


 呆れたように言われ、私は驚きと困惑で目を見開いて凝然とする。


「最初っから俺言っとったやん――真実がどんな選択をしようと協力するって。誰が見捨てるなんて言った?」

「確かに、言ってないかもしれないけど……。じゃあ、最初に全部正直に話してても、協力してくれた?」

「そりゃあね」

「うそだ……」


 あっさりと肯定されるが、にわかに信じられない。そんな私に蒼勇は子どもにものをわからせるような、はきはきとした口調で言った。


「本当だ」

「じゃあ、私が勝手に人間に戻りたいふりをしてないといけないって思い込んでただけで、全部私の早とちりだったってこと?」

「そうだ」


 私の一人芝居……だったのか。これまで見放されないようにと気を張っていた自分が大馬鹿みたいだ。いや、大馬鹿に違いない。途端に心の張り合いがなくなって、がっくしと肩を落とした。

 だが、同時に大いに安堵もしていた。なぜなら最悪の場合、こうなってしまうような事態も想像していたから。


「でも、よかった。人間に戻る気ないなら、最悪銀さんもろとも殺すとか言われるかと思って、怖かった――」

「ゴホッ! ゴホッ!」


 緊張が解けて、柔らかい笑みとともに零した私の告白は途中で止まった。ちょうど、誰かがむせて咳き込んだからだ。それは、この会話に一向に混ざろうとしない例の人物の方から聞こえてきた。

 足を止めて見ると、果穂さんは片手にペットボトル、もう一方の手で口元を押さえて咳き込んでいた。たちまち咳が止むと、こちらを得も言われぬ、複雑な目で睥睨しながら「なんでもない」と不貞腐れたように言って、前を見て歩みを再開した。私も歩き出した。

 そんなことがありながらも、私の胸中は安堵に満たされて穏やかだった……かというと、実は全くそうではなかった。このあとに続くだろうことを概ね予期していたからだ。正直、今は安堵よりも不安のほうが大きい。

 思っていた通り、蒼勇は切り出した。


「真実のことはそれなりにわかったつもりだ。わかったうえで、これを突きつけるのは酷だと思うけど、でもこれが俺のやり方だから、許してくれ」


 そうだ。失念していたが、初めから彼はそうだった。


「今の真実には二つの選択肢がある。だけど――これを選ぶのは俺ではない。真実が自分の頭で考えて、自分で決めて、自分で選ぶことだ」


 彼は、私の代わりに選んではくれないのだ。だから必然的に、私が選ばなければならない。


「二つの選択肢――一つは、人間に戻る選択。人間に戻るなら、真実が一度逃げ出した現実に再び戻ることになる。そうしたら、真実が今度こそ、真実にとって一番大切なみんなの幸せを奪うことになるかもしれん。それまでとは比べ物にならんくらい、辛い思いをするかもしれん。

 もう一つは、このまま怪異として生きていく選択。怪異として生きていくなら、銀さんがみんなの幸せを叶えてくれる……はずだからね、その面では安心だろうが、いつかそうやってみんなが幸せになった事実も、幸せになったみんなのことも、綺麗さっぱり忘れることになる」


 この二つから一つ選ぶのは私。また、選ぶのか――想像しただけでも内蔵が竦んで、逃げ出したい衝動に襲われる。


「真実を含めてみんなが幸せになる選択肢なんてない。真実はさっき、自分には何が正しい選択なのかわからんって言っとったけど、それは俺も同じだ。未来は誰にもわからん。正しい選択をしたつもりでも、それは思いもしんかった形で誰かを傷つけて、大切なものを奪っちまうことも有り得る。言わずとも、真実が一番、身にしみてわかっとるはずだ」


 淡々と語られる不吉な予言に怖気づきそうになった私は、震えだしそうな声を無理やりに抑えて、せいぜい顎を上げて言った。


「こういう時ってさ、普通、ほら、『きっといいことあるから』とか『自分を信じて』とか言うもんじゃないの?」


 精一杯虚勢を張った言葉を聞いて、蒼勇はにやりと口の端を釣り上げた。


「いやぁ……どうも俺はポンコツで無神経らしいからね。気休め程度にもそんな気の利いたことは言えんよぉ」


 ただでさえ不安な時に、そんな悪意のある言い方をしなくてもいいのに。そう言われては口を噤むよりほかない。どうしてこうも私の嫌がることをするのか。心が暗く沈みそうになって、顔を伏せたその時だった。


「けどまあ、無理に強がらんでいいよ」


 そんな言葉が、蒼勇のほうから聞こえてきた。軽妙でありながらも、温かさを感じさせる優しい声だった。


「えっ……」


 弾かれたようにそちらを見ると、彼は目を逸らして、照れ臭そうに微笑んでいた。


「真実がどっちを選んだとしても、寂しかったら一緒にいてやるくらいのことはするからさ」


 その表情のまま、頬をカリカリと人差し指で掻きながら言ったその一言には、包み込むような温かさがあって、私はその一言で、肩の荷が下りたような心地がした。


「……そっか、ありがとう」


 小さく頬を綻ばせて、はっきりと口にするのは恥ずかしくて、口の中で呟くと、蒼勇は「うん」と控えめに頷き、ゆっくりと一度息を吸った。そしてぐーっと背伸びをして、言った。


「それじゃあ、せいぜい後悔しないようによく考えて――好きな方を選んでくれ」


 暫くの間、沈黙が流れた。その間、言われたように、私はよく考えた。これまでも絶えず考えてきたことを、もう何度目かも覚えていない堂々巡りを、再び繰り返した。そのうえで、沈黙を破って、はっきりと言った。


「まだ、決められない」


 これが今の正直な答えだった。私が決断できない事態は想定内だったのか、蒼勇は表情を動かすことなく尋ねてくる。


「選ばんけりゃ、このまま怪異として生きてく道に進むことになるけど、それでいいの?」


 確かに、選ばないというのはそういうことになる。だが、そういうつもりで言ったのではない。


「私は、決められない」


 強調すると、私の言わんとしていることが伝わったようで、蒼勇は「ああ」と納得したような顔をした。

 まだ――今は決められない。だが、いつかは決めて、選ぶ。だからその前に、


「今は一度だけ――銀さんと会って話がしたい」


 選ぶのはそれからだ。


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