第36話 露天風呂

 エリーシェを寝かせて露天風呂に向かう道すがら、ウォルゲイトに会った。


「何だ、会議は終わったのか?」


「定期的に魔晶石を購入してもらえることになった。詳細は後に話し合おう。今日はもう休め」


「ああ、今から風呂に行くところだ」


「風呂……? そうか」


 ウォルゲイトは相変わらず何を考えているかわからない様子で廊下を行ってしまった。


 露天風呂は男風呂と女風呂に分かれてはいなかった。


 いわゆる、混浴。


 誰もいないよな、と思いつつ体を洗う。柵で囲まれてはいたが、遠くの山々が月に照らされて良く見える。

湯気の立ち上る浴槽に足をつけると、じんわり温かい。


 ああ、来てよかったな。朝になったらエリーシェも呼ぼう。


 そう思って湯船に浸かる。


 はあ~、旅の疲れも癒されるな。


 その時、のれんをくぐって誰かが風呂に入ってくるのが湯気越しに見えた。誰だ? ウォルゲイトかもしれない。あまり気にせずに俺は湯に浸かっていた


 その人物が湯船に向かってきた時、ハッとした。黒い長髪は解かれ、豊満な胸を手拭いで隠してすらりとした体躯の女性が近づいてくる。


――封魔さん!?


 おそらく貿易の会議が終わったので誰もいないと思って露天風呂に入ってきたのだろう。だが、先客である俺には気づいていないらしい。


 ちゃぽん、と彼女は湯に浸かる。


 俺は肩まで湯船に浸かる。お湯は白く濁っているし、もしかしたらいることを誤魔化せるかも、と淡い期待を抱く。


 彼女は湯を体にかけながら手拭いを頭にのせている。


 …………。


 気まずい。気まずすぎる。間が怖い。相手に気づかれたら、最悪殺される――?


 封魔さんはこの国随一の魔法剣士だと聞く。俺なんかじゃ相手にはならないだろう。何より目が据わっている。戦い慣れしていることは確実だ。


ヤバい、鼻がむずむずしてきた。くしゃみをすれば一発でバレるな。


 彼女の方をそっとうかがう。白く弾力のありそうな肩に妖しく濡れた黒髪がかかっている。餅のように柔らかそうな乳房も横からよく見える。岩の裏に移動することはできないし、するのはもったいない。


まあ、眼福で良いのでは? と楽観的に考えていると、


「クレドさん」


と相手から反応があった。


バレてる。


「はいい、何でしょうか?」


 情けなく声が上ずってしまう。こういう場合、どうしたらいいんだろう。いい訳とか、命乞いとかすべきか、今すぐこの場から逃げ去った方がいいのか、よく分からない。


「温泉はお楽しみいただけているでしょうか」


「え? はい、まあ」


 えらく普通な世間話が始まってしまって拍子抜けした。


「正直、あなた方には助かっています。我が国の戦況は決して良いとは言えませんから、魔晶石の存在はそれを覆す力があるでしょう」


「はあ……」


「これからも取引は続けたいところです。クレド商会とは」


「クレド商会?」


「? ウォルゲイトさんからそう聞きましたが」


 勝手に俺の商会が出来上がっている。やってくれたのはほとんどウォルゲイトな訳だが。


「今の嬢王様を支えられるのは私たちしかいませんから。あなた方とは良好な関係を保ちたいと思っています」


「まあ、それは俺たちも同じです」


 再びの沈黙。封魔さんは裸を見られていることに対しては怒っていない? まあ、混浴が用意されているのだから当然か。犯罪でもない。


「しかしながら、人の体をジロジロ見るのはよろしくないかと……」


 恥じらいながら目を背けて封魔さんは言った。まあ目を引くプロポーションではあったしな。


「すみません」


「お背中でもお流ししましょうか?」


「え? いや、大丈夫ですよ」


「冗談ですよ」


 普段真顔なのに冗談も言うのか、この人。


 肩まで浸かっているせいか、若干のぼせてきた。


「じゃあ、俺、もう行きますんで」


「ゆっくりとお休みください。輪廻を頼みます」


「お任せください。封魔さんも無理はしないでください。あの嬢王、かなり我儘そうですから」


「心得ました。しかし私には忠義がありますから。では」


 俺はザバン、と湯船を上がると、逃げるように風呂場に向かった。


 正直、生きた心地がしなかったが、何事もなくて良かった。


 しかしクレド商会、いい響きだ。

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