第9話 深夜の乱闘

 リックの情報によると、エリーシェの家は貧民街にあるらしい。


「確かこの辺ですぜ」


「お前の情報が正しければな」


 貧民街は街灯もなく暗い。足元に気をつけないと転んでしまいそうだ。


「キャ――ッ!」


 かな切り声が家の中から響いてきた。何事かと目配せし合う俺とリック。


 続いて大きな物音。


 俺は扉を開けて家の中に入った。


 そこには、頭に血を流して倒れているエリーシェの姿があった。


「エリーシェ!」


 抱きかかえて、彼女の体を起こす。ぐったりとしていて、意識がもうろうとしている。


「クレド……さん」


 体中には嫌というほどのあざがある。たくさん暴力を振るわれたのだろう。


「もう、大丈夫だ」


「あなたに迷惑は、かけられません」


「何言ってる。お前がかける迷惑なら大歓迎だ」


 そう言って立ち上がると、割れた酒瓶を片手に突っ立っている酒太りしたおっさんと向き合う。


「てめえ、どういう了見だ」


 怒りをはらんだ口調で男は言う。


「やべえぜ、旦那、そいつはエリーシェの父親だ」


 確かに金髪で、口ひげを蓄えているところは父親に見えなくもない。しかし、泥酔しており、顔は真っ赤だ。


「俺の家に入ってくんじゃねえ!」


 エリーシェの父親は割れた酒瓶を俺に思いきり投げてきた。

 すんでのところでひょいとかわす。


「ぶっ殺すぞお!」


 おっさんがタックルしてきて、押し倒される。そのまま、マウントポジションで俺は殴られ続ける。顔にあざができ、口元が切れる。


「旦那、何してんだ! 銃を抜け!」


「駄目だ、リック。こいつはエリーシェの父親だ」


 銃で殺したり、傷をつけたりはしたくない。できれば穏便に済ませたかったが、それも無理なようだ。


「お父さん、お父さん、やめて!」


 エリーシェが悲痛な声で追いすがっても彼女の父親は殴る手を止めようとしない。完全に激情に任せている。


「てめえが、娘をたぶらかしたんだな!」


「話にならないな!」


 俺は相手の手首を掴むと、手に冷気を込める。


『ディープフリーズ』


 彼の右手首がみるみるうちにどす黒く変色していく。


「ぐああっ!」


 手首を押さえて、エリーシェの父親は悶える。


「てめえ、やりやがったな!」


 立ち上がって、半狂乱になるエリーシェの父親。


そこに、思い切りデコピンをかましてやった。


『ファイアブラスト!』


 炎の一撃が炸裂した。髭の親父は吹っ飛ばされ、壁に後頭部をぶつけて気を失った。


「エリーシェ、逃げるぞ」


「え? ちょっと、待って」


 体中傷だらけのエリーシェを連れて、家を出る。

 薄暗い貧民街をひたすら走った。行く当てもなく。そして、裏路地にたどり着くと、一息つく。


「待ってくださいよ、旦那あ」


 後ろからぜえはあ言いながらリックが追いかけてくる。


「ありがとうな、リック。だが、もう目的は果たした。お前も帰っていいぞ」


「そうはいかねえ。その嬢ちゃん、傷が酷いだろ」


 確かに、エリーシェは体中にあざや切り傷ができていて、見ていられない状態だった。


「今じゃ、医者も治療師もやってねえ」


「じゃあ、どうするんだ」


「当てはある」


 リックはまた、意味深ににやりとした。


「町はずれの薬師のところに連れてってやろう。そんじょそこらの医者よりはよく効くって評判だからな。ただし、値は張るぜ?」


「そこに連れて行ってくれ。背に腹は代えられない」


「了解だ」


 今度は町の西部の商業区に向かう。傷ついたエリーシェを背負って。


「着いたぜ、大丈夫か?」


「ああ、平気だ」


 俺自身も殴られたところを診てもらいたかった。

 コンコン、とリックが薬師の家をノックする。しかし、誰も出てこない。


「いないのかな」


「いるはずだぜ」


 しばらくして扉が開き、不機嫌そうなちっこい魔女っ子が現れた。上質な絹の黒いローブを着込み前をはだけている。下にはブラウスとスカートを着て、魔導士のような帽子をかぶっている。かなり眠そうだ。


「なあに、君たち」


「夜分遅くに失礼。けが人を見て欲しくってさ」


「何だ、情報屋か。そっちのは?」


「黒づくめのクレド。銃使いだぜ」


「ふうん」


 気だるそうな目つきで少女は俺のことを観察した後、家の中に入れてくれた。

 そこには栽培された大量の薬草と、本の山、そして実験器具が置かれていた。


「そこに座って」


 俺はエリーシェをベッドに寝かせ、リックと共に椅子に座った。


「ボクはルーナ。薬師兼、治療師兼、錬金術師兼、魔法研究者……まあ、肩書なんてどうだっていいけど……」


「趣味は人助け、だろ?」


「軽口叩てるとコーヒーに毒混ぜるよ?」


 リックはその一言で震えあがってしまった。


「ボクは見ず知らずの人間を助けたりはしない。信用できるか常に観察してる。その黒づくめの兄さんが……」


「クレドだ」


「そう、クレドがリックに連れられてやってきて、体中に怪我をした女の子を連れてきた。クレド自身も怪我をしてる」


「そうだ、俺たちはやられたんだよ。その女の子、エリーシェの父親にな。クレドはエリーシェを助けようとしたんだ」


 リックがまくしたてるのをぼうっとした目で彼女は聞いている。


「ボク、眠くて頭にもやがかかってるみたいなんだけど、それでも君らが危ない橋を渡って来たことだけはわかるよ」


 そう言って彼女はコーヒーをまずそうに飲み干した。何というかダウナー系というか、マイペースな子だ。


「率直に言うと、首を突っ込みたくない」


「そう言うなって、俺とお前の仲だろ?」


「どういう仲でもないけどねー」


 ルーナは机の下からリックのすねを蹴った。リックは縮み上がって痛がっている。


「ていうかボクじゃ面倒見切れないから、衛兵にでも渡して、修道院にでも入れた方がためになると思うよー」


「ルーナ」


 傷だらけの顔面で、格好つかないことはわかっていても、俺はエリーシェを助けたい一心で口を開いた。


「じゃあ、こういうのはどうだろう。金は払うから、傷を治してくれ。特にエリーシェの傷を。父親にひどく虐待されたみたいなんだ」


「ああ、金ね。別に困ってないけど、あって困るものでもないかな」


「それじゃあ……」


「銀貨20枚でいいよ。それ以上はまけられないなー」


 払えなくはない。二人分と考えれば安い方だ。


「その条件で、乗った」


「オッケー。じゃあ、治癒魔法で回復させてから、薬も飲ませるよ」


 そう言ってルーナは支度に取り掛かった。


 治癒魔法でエリーシェの傷を癒していく。


「薬も飲ませた方が、最終的に治りは早い。相乗効果だね」


「ありがとう。本当に。金は、後払いで」


「そんな気はしてたよ。ボクも焼きが回ったね」


 そう言ってルーナは俺にも治療を施す。


「その子とはもうヤった?」


「え?」


「愛人じゃないの? 直感的にそう思ったけど」


「ち、違うよ」


「ふうん、そうなんだ」


 余計な詮索はやめてほしいものだ。確かに、エリーシェには言い寄られたりはしたけれど、そういう関係にはなっていないのだから。

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