7.

 店員さんにお礼を伝えたウォーレンさんは、わたしの手を握りました。わたしもそれに倣い、ぺこりと会釈を行って、お店を出るウォーレンさんに歩調を合わせました。

 あそこで待ち合わせだ、とウォーレンさんが指さした、何の意図か不明の旗がたくさんくっついた石造りの威圧感ある建築の手前あたりでハーツさんと合流しました。開口一番は、

「かわいいじゃーん!あのキラキラ靴の方が良かったけど、こっちもよく似合ってるわね」

 どうやらハーツさんのおしゃれは、とにかく多ければ多いほど良くなるようです。ただ本題はそちらじゃないのは明らかで、ウォーレンさんがその点を先に訊ねました。ハーツさんは見るからに気落ちした素振りを見せて、

「あんたの言ってたとおりだったわ。はぁ……偽造文書に騙されるとか、まだちょっと恥ずかしいんだけど」

 気にすることはない、とウォーレンさんはただそれだけを言いました。

「これからどうするんだ?アテにしてた収入が突然ゼロになったのだろう」

「そのあたりはなんとでもなるからいいんだけど」

 なんとでもなるものなんでしょうか。

「むしろ、そのことで言えば、あんたらよ」

 ハーツさんはわたしたちの方を指さしました。

「この子のことを調べるっつっても、手がかりも例の紋章くらいでほぼゼロもいいとこでしょ?」

「探せばどこかにはあるだろう」

「まーたノープランってわけね……」

 頭を抱えて呆れを示しています。わたしのわがままなものですから、困らせてしまっているのは申し訳ないです。ウォーレンさんも打つ手がないのは仕方ないのです。

「その調子でお金は大丈夫なの?」

「借りた分はほとんど使った」

「はぁっ!?」

「だがなんとかはなるだろう」

「はぁー……」

 かなりイライラした様子です。

「あたしも大概ポンコツだったかもしんないけど、あんたのほうが相当抜けてると思うんだけど」

「その点については……否定はしない」

「まっ、それなら乗りかかった船ってことにしてあげるわ」

 ハーツさんはふぅっとひとつ息を吹くと、

「この子、どう考えてもあんただけに任せてらんないし」

 わたしの頭をわしわしとなでてきます。柔らかい手なのですが、なで方がすこしきついです。

「仕事はいいのか」

「言ったでしょ。わたし個人でやってるだけだから。お金もちょっとはあるし。でもあんたもなんか稼ぎ口考えなさいよ。今までやったズルはなし」

「わかっている」

 ハーツさんはかがんで目線を合わせ、

「ってわけで、これからもよろしくね」



 ひとまず目的地を決めよう、というのがウォーレンさんの意見で、これは遍く肯定されました。わたしのいた街、アムシースからはやや離れ、灰も人の死も急に縁遠くなりましたが、広げた地図の上ではすべての街も机の上に収まるほど小さく、ハーツさんが灰の大まかな範囲を指でなぞれば、なおのこと一気に身近に感じられました。思えば当然ですが飲み込まれた街はひとつやふたつではなかったようです。なんとなく直視するのが憚られてわたしはお店の机の板の木目に気をそらしました。

「まぁ、あいつらがどの辺をうろついてたかって言うと……」

「沿路で訊いた情報をまとめると……」

 小石がひとつずつ机の上に置かれる音がします。関係がある場所に目印を付けているのでしょう。

「……だが規則性や因果関係は見えてこない。正体不明と言われるだけはある」

「だよねぇ」

 ハーツさんは目安の小石を手の中で遊び、もう片方の手を額に当てました。

「アムシースの魔術師……魔法道具を高価で売り捌き、それを元手に街を運営し、繁栄させていたらしい」

「ほんと、ケチな事するわよね。どういう仕組みか調べようとしたら爆発したって話も聞いたし」

「それはあくまで噂に過ぎないだろうが……自分たちの商品によほど自信があるのか、連中から交渉を持ちかけることはほとんどない。大方は偶然でも出くわした商団に求められてから初めて商談が始まるらしい。仕入れれば単品でも1人分の人生を支えるのに十分なほどの価値があるのが常、加えて需要も高い」

「むかつくわねぇーっ!まったく」

「おかげで、彼らと外界の人間をつなぐ地理的な相関はほとんどない。儀式的な聖地が街の外にあると仮定しても、行やはり場所を特定できそうにはない」

「だからこそ……」

 ハーツさんは地図のある場所の小石を、手元の小石で軽く叩きます。コツコツッと石の好い鳴き声がします。その音の場所を見ます。先程なぞられた円の内側、輪郭付近です。

「紋章があったこの村には、なにかがありそうなもんだけど」

「だが、訪れたのは数月前、それもたったの一度だったらしい。村落の人間もあの紋章を知らなかった。なにかの意図はあるのだろうが……」

「地道でもこれ全部回ってく?」

「悪くはない手だ」

 わたしもお二人のお話をなぞりながらなんとかお役に立つため頭を捻っては見たのですが、頭の中の情報はどうも散漫としていて、空気中に思考の霧を立ち込めさせたようです。それ以外の情報を求めて、直視だけしないように逸らしていた気を、今一度机の上の紙にじっくり集中させます。小石が数個、星座のように散っています。

 星座、星座……ではない?です。そこでふと、興味深いことが感ぜられました。理解ではないのです。何となく、それとなく、地図にある小石の配置の息遣いが見えます。誰か、特別な誰か一人の意図さえ感じるほどです。しかし、その息遣いの割には明らかな空白がある一点、淡い光を伴うある一点を感じさせてきます。そこさえ埋まれば、夜に瞬くきれいな星座が完成するのですが、それがない。ここ……ここにもなければならない。わたしは、指をその場所においてました。

「マリー?えっと、そこは……」

「……ベリルマリン。海岸沿いの街か」

「えーと、ここが気になるの?」

 わたしとしては、この淡い誘導光をどう説明すればよいのかがわかりません。そもそも目に映っているわけでもないので光でもないわけで、理屈や理論でその場所の有意性を証明できないのです。それこそ、何となくここがいい、という直感でしかないと思えなくもないのです。

「ここがいい気がするわけね。うーん……」

 ハーツさんは顎に手をやりました。

「どうする?ウォーレン」

「貴重なマリーの意思だ。わたしは尊重したい」

「あんたねぇ……まぁでも、うん。したいこと滅多に言ってくんないからね。あたしも同意見かも」

 じゃあ行くとしよう、とウォーレンさんは自分の地図を丸めました。わたしの一声で全てが決まってしまいました。これで何もなかったら……。不安を感じます。改めて、自分がこのお二方を巻き込んでいることに申し訳無さも感じます。

「心配しないの。何もなくてもいいじゃん。ちょっとした観光にはなるだろうし」

 椅子から立つよりも前に、わたしの両の手は塞がりました。二人の大人に挟まれて、わたしは席から立ち上がります。


 両の手を塞いでくれたうちの片方の手は、暖かかっただけに思ったよりも早めに解かれました。

「済まない、用ができた」

「どうしたの急に」

「あれだ。早めに見つけられてよかった」

 ウォーレンさんは、目線だけでそれを指しました。どうもとても見覚えのある紫から緑色の頭に襲いかかりそうな大きな背負い鞄が見えました。わたしも知っています。

「君の言う通り、ズルはなし、だ。だからあれとの関わりも、切れ目を付けておく」

「なるほどねぇ、おっけー。何分くらいかかりそう?」

「少し長くなるだろう。先に荷馬車を探しておいてくれ」

「わかったわ」

 じゃ、先に言ってるから、とわたしの手を引く腕が一本減って、ウォーレンさんにわたしも一時的なバイバイをしました。

 乗せてもらえる荷馬車はかなり簡単に見つかりました。方々との連絡が充実しているようで、ベリルマリン……でしたか、そちらの方へ向かう便ももちろんありました。ただ、

「ごめんね、ほらこれ。大丈夫?」

 人酔いというもののようで、今までに見たこともないほど慌ただしく動く荷物や人に気圧されて破裂寸前の風船になったわたしは、中の空気を抜くためにハーツさんに日陰の隘路へ連れられました。受け取ったお水を少し口に含みます。張り詰めて茹だった体がゆっくりと冷まされ、先程までの目眩や吐き気も治まってゆきます。

「しばらくゆっくりしてよっか。にしてもおっそいわねあいつ……」

 いろいろなことをしていた方のようですから、それらを解くのも一苦労なのでしょう。そういえば、お姉さんを探してアムシースに至った、と仰っていました。ただ、それ以外のことは思えばまだ全く知りません。お姉さん、というのは、生きていたらどんな方だったんでしょう。わたしは今のところ、年上の女性の方はハーツさんくらいしかまだ知らないものですから。ウォーレンさんみたいに寡黙でクールなのかもしれません。ハーツさんの意見も聞きたいところです。

 わたしは水筒を膝の上において、一息つくようにハーツさんを見上げようとしました。ドサッと音がして、彼女は倒れました。状況を呑み込む暇も与えられないまま、わたしの口は誰かに塞がれ、首に腕が巻き付きます。手から落下の自由を得た水筒から、水が溢れ出ます。

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