5.

 光はすぐに収まりました。

「今の……なに……?なにをしたの?」

 ハーツさんは困惑気味にわたしに話しかけています。当然、説明責任は理解不能な行動をおこしたわたしにあるのでしょうが、最も困惑していたのはわたし自身なのです。自分の口が勝手に動いたというのも大きな衝撃でしたが、光が収まるにつれて、頭の中に処理しきれないほどの情報が滂沱と流れ込んで来ました。それはもとから私の一部であったかのように脳の片隅に居着いているのです。そして、脳に新しく居着いたそれというのは、今すぐにでも使ってみたくなるものです。

すくっと立ち上がると、ハーツさんを驚かせてしまったようですが、わたしはひとまずそれを差し置いて、それを、ひとまず「唱える」ことで実行しました。詠唱の言葉も当然わかります。そこには寸分の疑いの余地もない論理が組み込まれているのです。

 手を突き出して、空中にかざすと、この世のすべてを掌握したような気持ちになれました。そのまま詠唱を開始します。空間の一部が切り取られたように光り出し、回路が走り、先程の「コエ」がまた聞こえてきました。この光景は一瞬で終わりましたが、わたしには、初めてのそれが永劫にも感じられました。なにより光が消える直前、唐突に大量の情報が頭になだれ込んできたのです。この魔法についてではありません。これは……。

「ねぇ、大丈夫?」

 理性が体に帰ってきた頃には、ハーツさんに肩をゆすられていました。はい、少し気後れがありましたが、立っていられないほどでもありません。

「いや、だって……ほら、鼻血」

 ガーゼで鼻の下を拭われて気づきました。心配をかけてしまったようです。このことは謝罪すべきです。ただ、わたしが見た……いや、実際に目の中に入れた訳では無いのですが、とにかく見たものを整理する時間を少しいただくことができました。そこから考察すると……。

「……えっ?付いてきてほしいって、どこに?」

 ハーツさんの手を今度はわたしが引いて、廃墟跡の目的の場所にたどり着きました。男の子がいる場所からは、わたしの足で十歩とすこし外れた場所ですが、おそらく同じ敷地内です。いろんなものが焦げて、おそらく少しずつ腐敗も進んでいる様子でした。何なら、入口よりもいろんなものがぐちゃぐちゃに燃やされているようで、正しく料理されなかった焚き火の上は、このような有り様なのでしょう。わたしはそのなかの、やや原型をとどめた大きな四角い箱の近くを指さしました。

「この……たぶん、倒れたクローゼット?この下がきになるのね。まぁどけるくらいならできるけど」

 ハーツさんがクローゼットに手をかけたあたりで、わたしはふとその手を止めました。理由は、おそらく気持ちの良いものではないと思ったからです。ハーツさんは少々困惑気味でしたが、そのクローゼットの近くの煤山を一緒に払い除けてほしいとお願いすると、了承してくれました。煤山に隠れていたものはすぐにあらわになりました。

「これを見つけたかったの?なんか、細い枝みたいなものに指輪が通って……」

 そこまで言ったあたりで、ハーツさんはおよそを理解してもらえたようです。

「……そう」

 ハーツさんは、その枝をなるべく傷つけないように、特に、折れてしまわないように抜き取って、わたしに見せました。指輪は金属のように見えますが、何故か熱による変形を受けていません。

「まあ金属じゃないっぽいからね。宝石のとこまでそのまま残っていられたみたい」

 渡してあげよっか、ハーツさんはわたしの手の中に指輪を握らせて立ち上がりました。


 そこからの話ですが、指輪を渡した男の子はお母さんのことを思い出してしまったようで泣き崩れてしまい、落ち着いたところでハーツさんが手を引いて一緒に戻ることになりました。依然裸足のわたしのことを少し気にかけていましたが、さすがに片腕でわたしを抱えてもらうのはしのびないですし、もとよりわたしは足裏事情が対して気になりません。ウォーレンさんももう戻っていて探し回っていたようで、事情を説明するのもやや苦労しました。特に例の紋章の件は、ハーツさんは当然ながら、当事者たるわたしでさえ、靄が掛かったような体験をしたのですから。

「だが、無事ならよかった」

 最後の締めくくりはウォーレンさんのその言葉でした。もっと心配すればいいのに、とハーツさんが言っていたあたり、普段よりもすこし上ずった口調だったことには気付いていないようです。

村落の方々も男の子のことをとても心配していたようでたいへんに御礼の言葉を述べられました。彼の……多分、親類か、そうでなくとも現在の扶養者に該当する方に連れられて行きました。その頃には、赤い目元の涙は拭い終えたようで、手をグーのまま振り、ありがとうと言ってくれました。あの握りしめた手から指輪が落ちることはないのでしょう。

 その夜、今度はウォーレンさんとハーツさんが親類の面持ちでわたしのそれについて話の場を荷馬車の上に設けました。わたしにもいくつかの説明責任があるわけですが、お二方とも踏み入ったことは聞かないようにしてくれました。聞いても戸惑わせてしまうだけだと感じ取ってもらえたのでしょう。それでも、わたしはわたしの知る限りのことを伝えるべきだと思いました。生憎にも、わたしの説明能力は、総じて翼が折れたように墜落してしまうようでしたが。

「つまり、その『コエ』ってのが元凶なわけね」

 元凶というほど聞こえの悪いものではないとは思えますが。

「記憶を失っているとはいえ、彼女ももとはアムシースの住人だった。とすれば、彼らの固有の魔術が関与していると見るのが単純で明確だろう」

「けど、なんのために?少なくともあたしには、連中がこんな村の、それも人ん家の敷地内に立ち入って落書きを残すようなやつには思えないんだけど」

 ついでにそれがわたしのそれに関わっていたのも意味がわからない、とも。ウォーレンさんもそこはハーツさんと同意見なようでした。

「だが、今のところ強い手がかりだ。意図は不明でも実際にマリーとその紋章はつながった。ならばこの線を追いかけるのが一番の近道になる」

「その前に、靴と着替え!」

 わかっている、ウォーレンさんはそう返答しました。



 荷馬車がわたしの体をゆっくりゆっくり揺するもので、この睡眠には抗えないものがあります。それから数所の集落を巡ったはずですが、だんだんと体に負担が溜まってしまうようで、少しずつ重たくなってゆく体を動かすのが億劫になります。情報屋さんとの移動の時も強い睡魔に襲われたものですが、こちらはそれ以上でしょう。徒での移動のときはハーツさんにおぶってもらっているようで、同じようにゆっくりゆっくりゆすられるものですから、これに勝る寝所もそうありません。

 しばらく後、目覚めたわたしは荷馬車の上にひとりでした。ウォーレンさんもハーツさんもいません。ぐっすり眠って体力も回復したのか、立ち上がってスタスタと歩けます。荷馬車の番をする人も、なんなら繋がれた馬もいないことに気付いたのは、視線が高くなった効果です。屋形から身を乗り出してゆっくり外を見回します。


 あたり一面静かなくらい、緑青色の水面が広がっていました。

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