第28話 邪魔者たち
一秒でも惜しい事態になってしまった私とグレンさんは、ヘクターさんが用意してくれた軽食を応接間で速攻平らげ、調べるべきポイントをしぼった。
まずは、証拠が見つかったという伯爵の書斎から攻めることにし、ヘクターさんに鍵を開けてもらった。
壁一面の書棚、布がかけられた調度品やテーブル。大きな暖炉と、ふかふかで高そうな絨毯。バルコニーに出られる大きな窓からは、どこまでも続く緑の丘陵がのぞめる。
その光景を目にした瞬間、胸の奥で声がしたような気がした。
――ここを、絶対に取り戻す!
「……どうしました?」
グレンさんに聞かれ、はっとする。
「い、いえ。なんでもないです」
いまのって、もしかしてこの身体の――シエラさん自身の声だろうか。
きっとそうだ。そう思うと、私はますますやる気になって鼻息が荒くなっていく。
ここは伯爵の家で、その娘であるシエラさんの家だ。ほかの誰かのものにさせるわけにはいかないし、ヘクターさんも無職にさせたくない。
そう。この家も領地もシエラさんの――私のものでもあるんだもの!
「鍵がないと入れないのに、カッセル夫人はどうやってここに入ったんですか?」
私の疑問に、ヘクターさんが答えてくれる。
「書斎には客人を招くこともありますので、通常は鍵をかけておりません。伯爵の了承なしに足を踏み入れる無礼な方が、このお屋敷を訪問することなどありえませんので」
その高貴な常識が、逆手にとられてしまったらしい。
「カッセル夫人は、ここのどこで証拠を見つけたんですか?」
「書棚の中の一冊がダミーの本でページがくり抜かれてあり、どちらもその中にあったとか。そのダミーの本ごと見つけたと聞きました」
なんか、手際がよすぎる気がする……。まるでカッセル夫人のほうがスパイみたいだ。
「繊細で優しそうなご婦人だと思っていたんですけど、なかなかに度胸のあるお方みたいですね」
「ビリンガム侯爵に命じられてのことでしょうから一概には言えませんが、ウェイン殿下の乳母もつとめた方です。王族の信頼に足る知的さがあるのはたしかです」
ふう、と全員がため息をつく。と、ヘクターさんが「お茶を淹れますのでひと息つきましょう」と提案してくれ、書斎を出た。残った私とグレンさんは、伯爵のデスクの引き出しを開けてみる。鍵はかかっておらず、中にはなにも入っていなかった。
「伯爵が捕まったあとに根こそぎ調べられたので、この中のものもビリンガム侯爵に渡っています」
「その侯爵ってどういう人なんですか? 奥様は知ってますけど、似たような圧強め系?」
「圧強め系?」
日本のニュアンスが通じなかった。
「いばりくさってるってことです」
グレンさんがちょっと笑う。
「まあ、そうですね。権力も発言力もかなりあります」
「侯爵と伯爵は、仲が悪かったりしますか?」
「悪くはなかったと思います。ただ、シエラ嬢とアシェラッド殿下の婚約については、よく思っていなかったかもしれません。彼に娘はおりませんが、遠縁のフィオナ様を王太子妃にと切望しておられたようなので」
――なんですと?
「雲行きが怪しいじゃないですか」
「怪しいですが絶大な権力をすでにお持ちなので、わざわざ汚い手を使ってまで遠縁の令嬢を王太子妃にと暗躍するのは無意味です」
……たしかに。ううう、振り出しに戻った。
「侯爵が一番怪しそうだったのに!」
「気持ちはわかりますが、侯爵ではないと俺は考えています。伯爵よりもすでに地位は上ですし、伯爵を貶める理由が彼にはありませんから」
「いやいや、あるかもですよ? なんか気に入らないみたいな」
「子どもですか」
グレンさんに苦笑された。
「侯爵は陛下の臣下でもありますし、国や王宮のことを考えている方です。少なくとも、俺はそう思っています。まあ、完璧ではありませんし苦手な方でもありますが」
「ああ……。国を思っているからこそ、密偵を断固として許すことなく断罪したんですね」
「そういうことです」
私は腕を組み、あらためて考えた。
「グレンさんは、伯爵からなにか聞いたりしたことなかったですか? なにかこう、悩んでるっぽいことというか……?」
「残念ながら、なにも聞いていません。最期の最期まで、俺にはなにも言いませんでした。ただ、自分は罪を犯していないこと、そしてシエラ嬢を逃してほしいということだけ、俺に懇願しただけです」
グレンさんは息をつき、窓を見る。黄金色の西日が、グレンさんの横顔を照らした。
「いま思えば、なにか伝えたいことがあったのかもしれない。だけどそれを口にしたら、俺も自分と同じような目にあうと思い、なにも告げなかったのか――」
ひとりごとのようにそう言った瞬間、窓の向こうを見すえながら険しげに眉を寄せた。
「――馬車が来る」
「へ?」
私も視線を窓に向けようとした矢先、グレンさんは私の腕をつかんで書斎を出た。すると、応接間にあった私たちの荷物を抱えたヘクターさんが、血相を変えた顔色で立っていた。
「厨房の窓から、馬車がこちらに来るのが見えました。どなたかはわかりませんので、ひとまず三階の使用人部屋にお隠れください。つきあたりの部屋は鍵が壊れているので、すぐに入れます」
「わかった」
「灯りはつけず、物音にもお気をつけくださいませ。階段も床もきしみますので」
「そうします。ありがとう、ヘクター」
荷物を受け取ると、ヘクターさんが言う。
「どなたであれ長居はさせませんので、お帰り次第呼びにまいります」
直後、階下からノッカーの音がこだました。荷物を抱えた私たちは急いで廊下を走り、三階に通じる階段のドアを開ける。そのとき、階下からヘクターさんの声が聞こえてきた。
「これはまた……なんの御用でしょう?」
「この時期のエブリン領のぶどう酒はうまいのでね。少しだけ村に立ち寄って堪能する予定だったのだが、すっかり遅くなってしまった。明日、妻と合流してラジナール領のウェイン殿下を訪ねる。数日滞在した帰りにこちらに宿泊するつもりでいたのだが、そういうわけで前後した。知らせも送らずすまないが、どのみち私の屋敷になるのだ。ようするに、今夜こちらに一泊させてほしいのだよ」
聞いたことのない声だけれど、すぐにわかった。
ビリンガム侯爵その人だ!
ああ……邪魔者が多すぎる! これでまた一日が潰れてしまったじゃないですか!
身悶えする思いで階段のドアを閉めようとしたときだった。
「なんのご用意もしておりませんのでおもてなしもできませんし、寝床の準備もととのえられておりません」
ヘクターさんの精一杯の拒否の言葉を、ビリンガム侯爵は朗らかに一蹴した。
「飯ならば村でたらふく食べてきた。戦場で野宿をしたことのある私からすれば、この屋敷の床で眠ることなどどうということもない。一晩、雨風さえしのげればいいのだ」
「そうはおっしゃられましても……」
「難しく考えなくてよい。私はそんなに気難しい男ではないぞ? さ、ゲイリー、荷物を運んでくれ」
「かしこまりました、閣下」
私とグレンさんは顔を見合わせ、驚愕した。
ゲイリーって、前にバートさんとグレンさんにいちゃもんをつけていた、西官舎の騎士&ウェイン殿下のお取り巻き……!?
「とにかくひとまず、隠れましょう」
グレンさんが声を潜めた。私はうなずき、階段のドアを閉める。靴音をたてないようにおそるおそるあがって廊下を歩き、つきあたりの使用人部屋に入った。
ドアを閉めるやいなや、二人同時に深く嘆息した。
「ゲイリーって、グレンさんとバートさんに難癖つけてた騎士ですか?」
「ええ。道中の護衛も兼ねて連れてきたんでしょう」
「ただでさえやっかいなのに、もっとやっかいなことになってしまっ……」
言いながら、五帖ほどの使用人部屋をあらためて視界に入れ、思わず固まる。
ベッドに小さなデスクと椅子、チェストがあるだけの簡素なお部屋で、なんだか派遣時代の自分の部屋みたいで安心する……じゃなくてですね!?
ベッド、ひとつしかないんですけど(しかもサイズはシングルより小さい)!
「こ、侯爵、一泊するとかのたまってましたよね?」
「のたまう……ええ、言ってましたね」
「ヘクターさん、もう追い返せない感じですよね……」
「閣下は泊まる気満々のようなので、ああなるともはや誰がなにを言っても無理でしょうね」
はあ、とグレンさんは荷物をデスクに置き、椅子の背もたれをこちらに向けて座った。
「しかたがない。おそらく明朝まで、ここから出られません」
そう言って、いまだドアを背にして突っ立っている私を見つめた。その眼差しがどことなく色っぽく見えるのは私の気のせいと思いたい。
うおお……なにひとつ進まないイライラもさることながら、グレンさんと二人ぼっちで朝を迎える状況に、本気で落ち着かなくて困ってます!
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