第13話 拳と盾と素敵な贈りもの

 サイアム先生が描いてくれた地図を頼りに、パズルを抱えて広大な王宮を歩く。

 時間が止まっているかのような第三書庫を離れてしばらくすると、これぞ王宮と呼べる華やかな光景がいっきに視界に飛び込んだ。

 おお……おおおおお! コスプレじゃない本物の貴族やご令嬢の方々が、庭園の見渡せる明るい回廊を行き交っておられる!


 私、すごいところにいたんだな。毎日が地味すぎて全然実感なかった……。


 この王宮には、陛下にお仕えしてまつりごとをおこなう廷臣のほか、長期滞在している貴族がいる。それに加えて王宮の使用人、貴族らの使用人。そしてもちろん、近衛騎士たち――と、ざっくり見積もっても数千人が寝起きしていることになる。


 迷ったり戻ったりを繰り返しながら、昼間から柱の影でいちゃついている貴族を避け、小難しい表情で議論を交わしているおじさん廷臣たちとすれ違う。中庭で腕試しをしている騎士たちと、それを取り囲むご令嬢の黄色い声をBGMにしつつ、やっと見つけた階段をあがって二階に進む。

 絵画や装飾品が防犯ゼロの無防備状態で飾られてある通路を歩き、角を曲がる。いよいよ王族の方々の居住ゾーンに足を踏み入れようとした――矢先。


「ダメじゃないか、バート。これは先代の国王陛下が隣国から贈られたガラスの燭台だ。うっかりぶつかってそれを割るなんて、近衛騎士失格だぞ」


 ――――ん?


 角から顔を出し、そっと奥を盗み見る。直立するバートさんとグレンさんが、三人の騎士と対峙していた。相手にまるで見覚えがないうえに、制服が赤かった。間違いなく、西側の官舎の騎士たちだ。

 つまり、王族により近い騎士たち。そんな彼らの足元には、割れたガラスが飛び散っていた。え、なにごと?

 グレンさんが一歩前に出る。


「バートではなく、貴殿がわざと割ったように俺には見えましたが?」

「それは目の錯覚だ。さすが、どこの血筋とも知れない男爵家の養子。きちんとなにも見えないらしい」


 三人が笑った。


 …………は?


 思わず自分の顔が歪む。さらに前に出ようとするグレンさんを、バートさんが「やめろ」と制した。


「ビリンガム侯爵夫人の髪飾りを探している。昨夜、王妃殿下のサロンにて落としたとおっしゃっていたから、それを見つけたらすぐにここを離れる。貴殿らとの立場の違いは承知している。こちらの役割を静かに見届けてはくれないか」


 堂々たるバートさんの言動に、三人はあからさまに機嫌をそこねた。


「静かに? それじゃまるで、俺たちが騒いでいるみたいな言い草だな」

「ウェイン殿下がご不在だからって、ずいぶん我がもの顔な言動じゃないか。侯爵夫人の髪飾りなら俺たちが探してお渡しする。おまえらは燭台を割った罪に問われろ」


 グレンさんが口を開いた。


「探すと見せかけ、壊してお戻しするんだろう? その責任をこちらに押しつける筋書きなら、〝きちんとなにも見えないらしい〟男爵家の養子でも見通せる。もう少しひねった案を考えてはいかがか」

「なんだって?」


 一人がグレンさんに近づいた。バートさんが息をつく。


「落ち着いてくれ。そもそも俺たちはなにもしていない。いったいどうすれば、貴殿らの気がすむんだ」

「そうだな。おまえたちがこの王宮から永久に消えれば、きっとすっきりするかもな」

「貴族の仮面をかぶった庶民どもと、同じ空気を吸ってるかと思うと虫酸が走る――が、そうだな」

「一発殴らせろ。もしかしたら、すっきりするかもしれない」


 グレンさんが彼らを睨む。バートさんは呆れたように嘆息した。


「いいだろう。全部俺が受け止める。その代わり、彼だけは王妃殿下のサロンに向かわせてくれ」

「バート、ダメだ。俺も一緒に――」


 グレンさんが声にした瞬間、相手の一人がバートさんに向かって拳を振り上げる。頭の中が真っ白になった私は、考える間もなく飛び出した。

 グレンさんが私に気づき、びっくりする。ほかの二人の騎士も、私を見た。

 すべてがなぜかスローモーションに思えた直後、私は抱えていたパズルの木箱をとっさに盾にし、バートさんの顔と相手の拳の間に滑り込ませた!


 ――ガッ!


「――ってぇぇぇぇぇ!」


 拳をかばいながら、相手がしゃがむ。木箱ごと衝撃を受け止めた私は、その圧でうしろに転びそうになったものの踏みとどまった……っていうか、思わず盾にしちゃったよこれ、どうしよう。割れ目ができていたら本気でやばい!

 焦って確認すると、傷ひとつなかった。

 さすが、高貴なキッズの玩具の箱。めちゃくちゃ頑丈で助かった……!


「なんなんだ、おまえは!」


 バートさんを殴ろうとした相手が、立ち上がりながら声を荒らげた。私もなかなかに頭にきているので、冷静さを欠いた発言で応戦する。


「は? 僕がなんなんだって、あなたと同じ人間ですよ!」


 グレンさんとバートさんが、息をのんだ気配が伝わった。


「この箱はサイアム先生からお預かりした、アシェラッド殿下に差し上げる大切なものです。それがあなたのせいで、少しへこんだように見えますよ。ほら、ここ! ここのあたり!」


 大嘘です。でも、騎士たちが少しひるんだ。


「あなたのせいでこんなふうにされたと知ったら、アシェラッド殿下はどう思われるでしょう? あと、先生も!」

「……なんだと? そう仕向けたのはおまえだろう!」

「じゃあ、これは?」

 

 私は床に飛び散るガラスを指す。


「これだって、あなたがたが仕向けたものじゃないんですか? だったらこれで、仲良くおあいこですよ。お互い黙ってかばいあって、静かにこのまますれ違うことにしませんか!?」


 騎士たちが絶句する。と、突然通路にあるドアのひとつが、ゆっくりと開いた。


「いつ出ようかしらと思っていたけれど、どうやらいまのようですわね」


 姿を見せたのは、侍女らしき若い女性。そして――ブルネットの長い髪をつやめかせ、淡い藤色のドレスを身にまとった絶世すぎる美少女だった。

 私は思わず息をのんだ。パレードを見送った数秒しかお見かけしていない。だけどわかる。このお方は、絶対に。


「――フィオナ様」


 騎士たちが声を揃えた。そう、アシェラッド殿下の現婚約者さんでした!

 存在のすべてが完璧すぎる。なんというすらりとした美人さんだろう。眼福とはまさにこのこと。あまりの神々しさに目が離せない。 

 西側の騎士たちが頭を下げ、グレンさんとバートさんもそれに続く。私も同じようにしようとしたとき、フィオナ様が侍女を伴って近づいてきた。


「お気に入りの小部屋で読書をしながら、会合を終えるアシェラッド殿下をお待ちしていたところでした。それなのに、妙な小競り合いの声にすっかり気分が削がれてしまいましたわ」


 そう言うと、相手側の騎士を冷ややかに見た。


「ウェイン殿下付きの隊の騎士なのに、ご旅行に誘われなかった方々ですわね。その鬱憤をほかの騎士で晴らそうという思惑かしら? もしもそうであったのなら、情けないとしか言いようがありませんわよ、ゲイリー」


 バートさんに拳を向けた騎士が、顔を赤くした。っていうか、この人たちウェイン殿下にお付きの隊の方々だったんだ。もう納得しかない、どうしてくれよう。


「そ、そのようなことは……!」

「そう? 言いがかりのはじめから、わたくしはあの部屋で聞いていたのよ? このことをアシェラッド殿下にお伝えしたら、さぞかし激昂なさるでしょうね」

「そ、それだけは、どうか!」

「でしたら、彼らに頭を下げて謝罪なさい」


 かっ……けえええ!! 私、フィオナ様をこの王宮で一番の推しにします!


「ここで謝罪するのであれば、ガラスの燭台はあなたがたがネズミを捕らえるために間違って割ったことにし、わたくしから陛下に伝えておきます。そのほかのことについては、殿下にも誰にも伝えないと約束しましょう」


 フィオナ様のありがたいご提案に、拳を握った三人は深くうつむき、こちらに向きなおった。そうしてぼそりと謝罪の言葉を吐き、さらにきつく拳を握りしめた。


「もういいですわ。職務に戻って」


 フィオナ様に言われ、騎士たちはそそくさとお辞儀をして去っていく。彼らの姿が見えなくなってから、フィオナ様はうしろに立つ侍女を呼んだ。すると、侍女がなにやら彼女に渡す。


「ビリンガム侯爵夫人の髪飾りって、もしかしてこれかしら。バート?」


 フィオナ様が、翡翠と金の髪飾りをバートさんに見せた。


「夫人のおっしゃっていた特徴と同じですので、おそらくそれです。ありがとうございます。助かりました」

「わたくしも王妃殿下のサロンにいて、これを拾ったのです。あなたがたの面倒なお仕事がひとつ減ってよかったですわ」


 バートさんの手のひらに、フィオナ様は髪飾りをのせた。それからグレンさんを見、そして私を視界に入れる。そのとたん、驚いたように目を見張った。


「あ……なた――?」


 私より先に、グレンさんがはっとした。


「――俺たちの隊の騎士見習いで、マックと申します」


 眉間を寄せたフィオナ様は、まばたきをして我に返る。


「あ……ああ、そうでしたの」


 動揺を悟られまいとするかのように、私から視線をそらして息をついた。


「……では、わたくしもこれで。殿下をお待ちしなくてはなりませんから、お部屋に戻りますわね」


 侍女を伴ってきびすを返した――っていうか、待って。

 このパズル、いっそフィオナ様にお渡ししたほうが早いのでは? だって、殿下が会合でご不在なら、どのみち側近に渡す感じになるわけで。それなら未来の奥方様にお渡ししたっていいよね? それともこれって失礼なことだったりする?

 いや、全然悪くないことだと思うな……なんて迷ってるうちに、フィオナ様が去ってしまわれる。もういいや、ええい!


「あ、あの!」


 フィオナ様が振り返る。

 見習いの騎士としては任務をショートカットで失格かもだけど、このパズルってきっと殿下が喜ぶもののはず。そうだとしたら、お二人で仲良くこれで遊ぶ……なんていう方向性もなくもないわけで。

 それって、なんだか素敵じゃないですか。


 ――そもそも誰のことも好きじゃないし、好きになったこともない。


 なんて言ってた殿下だけれど、このパズルがそんな素っ気ないお言葉を撤回するきっかけになったら、本気で光栄の極みです!


「これはサイアム先生から、アシェラッド殿下への贈りものです。先生によれば、殿下の喜ばれる品だそうです。ですので、フィオナ様にお渡しいただけたほうが、もっとお喜びいただけるのではないかと思ったのですが、失礼なことでしたらどうかお許しください」


 手紙を添え、彼女に差し出す。


「失礼だなんて、そんな」


 受け取った彼女の頬に、うっすらとした赤みがさす。


「わたくしから、殿下に?」

「はい」

「……殿下の喜ばれるものですの?」

「古いパズルだそうです。お手紙は、先生からです」


 フィオナ様の唇が、ゆるやかな弧を描いた。


「まあ……それは素敵。ええ、わかりました。わたくしから殿下にお渡ししましょう」

「ありがとうございます」

「いいの」


 そう言うと、やっと私の顔をまっすぐ見てくれた。


「素敵な贈りものですわね。殿下に代わってお礼を言いましょう。ありがとう、騎士見習いのマック」


 微笑んだ。笑うといっきに幼さが戻って、すごくかわいい!

 考えてみたら、どんなに堂々とした立ち居振る舞いをしていようと、年齢は水琴の私よりもずっと年下。きっとシエラさんと同じ十代なんだものね。

 まあ、それを言ってしまうと、なんならバートさんでさえ年下疑惑があるからな……。


「すっかりおまえに助けられてしまったな、マック」


 バートさんが言った。


「えっ? いえいえ、助けてくれたのはフィオナ様ですよ?」

「いや、あな――おまえに助けられたよ。本当だ」


 言いなおしたグレンさんの耳が、見るみる赤くなっていく。ハラハラするので一刻も早くタメ語に慣れてください、お願いします。

 それにしても、バートさんの隊って本当に無駄な苦労が多そうだ。


「とにかく、なにごともなくてよかったです」

「そうだな」


 バートさんが苦笑いした。

 爵位と血筋のヒエラルキーにがんじがらめになっている王宮って、実はめちゃくちゃブラックな職場だったりして。むしろ名もなき庶民でいて、その日暮らしをしているほうがずっと気楽で楽しそうだ。

 でもみんな、私みたいになにも持ってない立場じゃないから、簡単に除隊なんてできないんだろうな。それに、近衛騎士っていうだけで名誉なことかもしれないわけで、そもそも辞める選択肢なんて最初から皆無な気がする。

 そんな不自由な境遇にいても文句も言わず、礼節を保とうとしている先輩方には頭が下がりますよ。本気で!


「ああいう人たちには、いつか絶対罰が当たりますからね! 夕食のパンを一個、賭けてもいいです」


 拳を握りしめて見せると、バートさんが笑った。


「そうだな。おまえの言葉を信じよう」

「はい。じゃ、僕はこれで。第三書庫に戻りますね」

 

 グレンさんとバートさんに見送られながら、私は第三書庫に向かった。 

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