第11話 騎士見習いのナイトルーティン

 アシェラッド殿下が去って数時間、修行僧のように静寂を耐えた。ここの任務を続けていたら、そのうち騎士というより悟りきった賢者になれそう。

 やっとカラスがお山に帰る時間になり、私も我が家に戻る。

 見習いの制服を脱いでシャツとズボンの私服に着替え、官舎の裏にある井戸の水を桶に汲む。荷台の分厚いテントの中に隠れ、急いで身体を拭き髪を洗う。桶の水は官舎の裏に捨て、桶を井戸のそばに立てかける。

 ひと息ついてから、官舎の食堂に向かう。ここは、夕食時がもっともにぎやかになる。

 晩餐会や舞踏会に招かれて不在になる人もいるけれど、そうじゃない騎士のほうが断然多い。なので、私は彼らが集まりはじめる前に食べものをトレイにのせ、我が家の荷台に逃亡している。

 そんな本日のデザートは、なんとびっくり。マシュマロっぽいお菓子が山盛りで登場しました! この王宮のコックさん、本気であなどれない……。

 形は不揃いの大福みたいだけれど、ひとくち食べたら完全にマシュマロだった。

 普通に食べてもおいしいけれど、いかんせんこういう食べものに飢えているので、少しでも贅沢に食べたくなってしまう。


 もうね、なんとしてでも焼きたいんですよ!


 こんなこともあろうかと、地道に用意してきた代物を取り出す。厩舎の隅になぜか捨て置かれてあった小ぶりの壺、御者さんにおすそわけしてもらったマッチ。木炭も王宮の使用人さんにいただき済みなので、準備万端。あとはこいつに、火を入れるのみ!

 荷台のうしろに隠れるようにして、地面に壺を設置。その場に腰をおろし、風の向きに気をつけながら火を起こす。炭が熱を帯びたころ、ナプキンに包んだ数個のマシュマロをフォークに刺し、プチ焚き火にそっとあててみた。

 ふわりと漂う、甘い香り。じわじわと焦げめをつけていく、ふっくらとしたマシュマロ。意を決してそれを口に入れ――瞬時に昇天! 地面に転がって身悶えた。


 ああああ、めちゃくちゃおいしいです! 苦労のかいがありました、ありがとうございます幸せです!


「なにをしてるんですか」


 グレンさんが目を丸くして見下ろしてきた。あ、やっぱり火はマズいんだ。


「ご、ごめんなさい。いま消しますね!」

「いえ。ランプと大差ないので、その程度であれば大丈夫です。ただ、地面に寝転がってどうしたのかと……」

「おいしさに感激したからですよ、ふふふ……。いま、その理由をお教えしましょう」


 きょとんとするグレンさんを尻目に、起き上がった私はマシュマロをフォークに刺して炙った。


「グレンさん、甘いもの大丈夫ですか?」

「……人並みには。それは、ふわふわ飴?」


 この世界だとそういう名称なのか。こういうとき、ここって別の世界なんだなあってしみじみする。


「はい。ふわふわ飴が今夜のデザートでした。これ、焼いて食べたことありますか?」

「温かい飲みものに入れることはありますが、焼いたことはありません」

「じゃ、ぜひともこちらに! ささ、どうぞどうぞ」


 グレンさんはけげんそうに近づき、片膝をおる。その美しいお口に、私はこんがりと焼けたふわふわ飴を差し向けた。


「食べてみてください」

「…………」

「毒じゃないんですから、お口を開けてどうぞどうぞ!」


 複雑そうな顔つきをされた。もしかして、あーん的な場面に戸惑っておられる? いやいや、躊躇している間に冷えてしまったら、もったいないですから!


「おいしさが逃げてしまうので、いますぐお口を開けてください!」


 フォークごと突きつける私の威勢に負けたらしく、グレンさんは呆気にとられたように口を開けた。

 ぱくりと食べる。私はそっと、フォークを離す。と、グレンさんの瞳が一瞬きらめく。


「……うまい」

「ですよね!」


 グレンさんが微笑む。あ、こういう表情、はじめて見たかも。


「すごくうまい。もう溶けて消えてしまいました」

「まだありますよ。食べますか?」

「いえ、自分の分をもってくるので、一緒に食べましょう」



 * * *



 パンとスープ、お肉と焼いたふわふわ飴をきれいに平らげ、グレンさんとしばしプチ焚き火を囲む。


「そういえば今日、第三書庫にアシェラッド殿下がいらっしゃいました」


 グレンさんが息をのんだ。


「やはりそうでしたか。殿下はあそこを気に入っておられたので、そのうちに姿を見せるかもしれないと思っていたんです」

「だから今朝、私に〝誰か来ましたか?〟なんて訊ねたんですか?」

「ええ。そうです」


 小さくうなずいたグレンさんは、不安げに眉を寄せた。


「騎士見習いのマックと思われているので、大丈夫ですよ」

「俺が気がかりなのは、殿下じゃなくてあなたです。もう記憶は戻らないだろうとあなたは言っていましたが、殿下に会ったことでなにか思い出したりしませんでしたか?」

「全然です」


 即答の私を見すえたグレンさんは、嘘をついていないと察したのか、安堵したように息をついた。


「グレンさんも騎士見習いのとき、あそこの見張りをしてたんですね。よくお話したと殿下がおっしゃってました」

「いまはめったにお話しできる機会がないので、それは光栄です」


 昔を懐かしむように、小さく微笑む。いまならねほりはほり訊ねても、食い気味に拒否られないかもしれない。


「あの……。グレンさんと私は、もしかして幼馴染かなにかだったんでしょうか……?」

 

 グレンさんが困惑する。と、「本当にご記憶がないのですね」とささやき、控えめに苦笑した。


「俺とあなたの間には、明確な立場の違いがありました。そのうえで、あなたにとって俺は宿敵だったはず」

「え? 宿敵って、それはまたどうして?」

「あなたのお父上、エブリン伯バイロン・ウッド様が、俺を息子のようにかわいがってくださっていたからです。あなたはそれが気に入らなかったのだと思います」


 グレンさんは本当の両親を知らず、赤子のときから教会の養護院で育ったそうだ。その施設に寄付をしていたエブリン伯爵は、物心のついたグレンさんに接して気に入り、信頼のおける男爵家夫妻に紹介する。子宝に恵まれなかったご夫婦は、グレンさんを引き取って愛情たっぷりに育ててくれたらしい。

 悪霊騒ぎの夜、ウェイン殿下がグレンさんに〝男爵家の養子〟と言っていたことを思い出した。なるほど、そういうことだったのか。


「そのような経緯もあって、俺は伯爵に返しきれない恩があったんです。結局あなたを助けること以外、返せないままになってしまいましたが」


 重ねた両手を、ぎゅっと握る。そうして、落とした視線を遠くさせた。


「両親とともに、あなたの屋敷に招かれることがよくありました。そのたびにあなたは俺を睨み、蔑んでいたものです。伯爵はあなたを心から愛していたけれど、あなたはそれを信じなかった。むしろ、跡継ぎの男児として生まれなかったことを憎んでさえいました。だからこそ、自分の立場を脅かすような存在の俺を、毛嫌いしていたのだと思います」


 言葉をきり、グレンさんは息をつく。


「そして、俺もまたあなたが苦手でした。恵まれたすべてを手にしているのに、それでもまだなにかを欲しているようなあなたが、俺は心底嫌いでし――」


 あっ、と顔をこわばらせ、私を見る。


「――失礼。なんでもありません」

「い、いえ……。もう全部言っちゃってるみたいな感じになってますけど、聞かなかったことにさせていただきますね……」

 

 自分のことではないにせよ、いま全身に棘が刺さりまくりです。でも、そのおかげで初対面のときの言動の理由が腹落ちしました。

 とはいえ、シエラさんの気持ちもわからなくはない気がしたりして。


「たぶんですけど、私は私で、きっとグレンさんが羨ましかったんじゃないでしょうか」

「俺が?」

「そうですよ。男の子っていうだけで、たぶんこの世界観的に……じゃなくてその……認められる機会が多かったり、お家を継ぐことだってできるじゃないですか。なので、妬ましかったんだと思います」


 グレンさんはびっくりしたように目を丸くし、押し黙る。と、やがて深く嘆息した。


「人は記憶をなくすと、こんなにも人格が変わるものなんですね」

「えっ?……と、まあ……そうかもですね……」


 嘘をついてるみたいで気まずくなり、視線をそらす。いや、実際ついているんだけれど、さすがにまだ〝中の人〟が異世界の別人だってカミングアウトする勇気はないです、すみません!


「まさか、あなたとこんなふうに話せるときがくるなんて、想像したこともありませんでした」


 ――ふっ。


 笑ったようなグレンさんの吐息に気づき、視線を移す。とたんに私は固まった。これまでとはうって変わった柔らかい眼差しで、私を見つめていたからだ。


「記憶の戻らないあなたとは、仲良くなれそうでよかった」


 そう言うなり、うつむきがちで満面の笑みを浮かべた! うわ、うっわ! ほらね思ったとおりだよ、めちゃくちゃ素敵すぎて昇天できる! 

 ああ、焼いたふわふわ飴といいグレンさんの笑顔といい、今日はご褒美がすぎる! そのぶり返しで、本気で悪いことが起こりそうな予感がしてくるから困る……。


「難しい顔をして、どうしたんですか」

「い、いえ。なんでもないです」


 グレンさんは空の食器をトレイにのせ、立ち上がった。


「あ! 自分の分は私が戻します」

「どうせ官舎に戻るので、俺がやります。明日も早いのでそろそろ休みましょう」

「すみません……。ありがとうございます」


 グレンさんが小さく笑った。


「焼いたふわふわ飴のお礼です。ごちそうさまでした、マック」


 私を見つめる笑顔がめちゃくちゃ優しい。そう思えるのは私の気のせいかな。


「おやすみ」


 グレンさんが言う。私は慌てて返答した。


「おやすみなさい、グレンさん」


 官舎に戻っていくグレンさんを見送った。

 火の始末をした壺を荷台の車輪の奥に押しやって、明日の準備にとりかかる。井戸の水を洗面器に汲んで荷台に上がり、毛布をかぶって横たわった。

 満面の笑顔のグレンさんが脳裏に浮かび、目を閉じながらにやにやする。やっぱりアシェラッド殿下にどことなく似てるなあ、なんて思ったりする。そうしているうちに、だんだん眠たくなってきた。

 意識が遠ざかっていく中、なぜか唐突にアシェラッド殿下の言葉が鼓膜に蘇った。


 ――そもそも誰のことも好きじゃないし、好きになったこともない。


 ぱっちりと目が開く。

 時間差でおそってきたもやもや現象に、瞬時に覚醒してしまった。

 あまりにさらっと言われて聞き流してしまったけれど、あらためて思い返すとなかなかに殺傷能力のある発言だったりして。だって現婚約者さんはおろか、シエラさんのことも好きじゃなかったってことになってしまうもの。

 えええ……? いやいやいやいや、いろんな意味でぶっちゃけすぎですよ、殿下……。

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