第5話 王太子殿下の元婚約者

 まさか、ヒエラルキートップの主役級イケメンが、シエラさんの……否、彼氏いない歴=年齢のこの私の婚約者だったとは!

 お湯をはった桶を部屋に運び、石鹸で身体をこすりながら私は愕然とする。


「ええええ……マジか……マジなのか……!?」


 だけど、そう考えるとすべてがストンと腑に落ちる。シエラさんはきっと、元婚約者の晴れやかな姿を目にするために、わざわざこの国に命がけで戻ったんだ。

 お父さんであるエブリン伯爵が国家転覆なんて目論みさえしなければ、あの馬車に乗って王太子殿下の隣で手を振っていたのはシエラさん――私だったんだ!

 すごい……。それ、めっちゃすごいんですけど……!

 素っ裸で天井をあおぎつつ興奮に酔いしれるも、ふとさっきの男性の言葉がよみがえる。


 ――もともとのお相手はみんなの嫌われ者だったから。


「……そういえば、グレンさんも嫌ってそうだったしなあ」


 貴族のご令嬢らしい自尊心の高さが勘違いされたり、誤解されたりしていたのかも? でもって庶民の間では、噂が噂を呼んで尾ひれがついて、嫌われ者として定着してしまったのかもしれない。


「きっとそうだ。そうに違いないよ」


 シエラさんがどんな思いでこの国に戻ったのか、私には想像することしかできない。きっと、バレンタインのチョコが捨てられていたことよりも数倍、いや数万倍も哀しくて辛かったに決まってる……っていうか、あんなことと比べること自体失礼すぎる。


「……まあ、あれしか想像できるネタがないからね……」

 

 恋愛方面の経験値が貧弱で、なにかすみません……。

 シエラさんに謝りつつ、お湯からあがって着替える。桶を一階に戻し、部屋に帰ってベッドにくるまり目を閉じた。

 それにしても、すさまじい一日だった。よくぞたった一日で、ここまで適合できたものだ。それもこれも、これまでのハードモード人生をなんとか乗りきってきた経験があればこそ。我ながら自分を褒め讃えたい。

 なにはともあれ、明日は王宮に行ってパンとお菓子にありつこう。それから仕事探しをはじめよう。そして、お金を貯めてこの国を出る!

 隣国で落ち着いてから、封筒に指輪を入れてグレンさん宛に手紙を出そう。近衛騎士様だから、住所は王宮で届くだろう。


「よし、タスクが決まった!」

 

 目標が定まってすっきりしたのか、激しい睡魔が襲ってきた。おそらくコンビニスイーツに匹敵するであろう王宮のふわふわなパンとお菓子を妄想しているうちに、私は気持ちよく寝落ちしたのだった。



 * * * 



 翌日。


「はあ? パンとお菓子ならとっくにないぞ?」


 王宮の東門を閉じようとしていたおじさんの騎士に言われ、ぜいぜいと息をしながら私はうなだれる。


「……ですよね」


 空は夕焼け。息切れまくりの前かがみで、どんよりと肩を落とした。

 

 王宮は、私の予想した以上に遠かった。

 遠い……というのは、小耳に挟んだ前夜の会話で予想ずみだった。私の想定では、徒歩でだいたい一時間程度。多く見積もっても二時間以内には着くだろうと推測した。

 そこから逆算してのんびり目覚め、優雅に朝食をいただきつつ、おかみさんに王宮のある方向を教えてもらい、意気揚々と宿を出たまではよかった。

 はじめは観光気分で通りを歩き、人々のファッションやらを眺めて楽しみ、お土産市場なんかをのぞいたりもした。そんな余裕こきまくりな態度も、午後を知らせる鐘の音でかき消され、ついには焦りに変化した。

 いつまでたっても、王宮らしき建物が見えてこない。小走りが全速力になり、とにかく走った。午後からの列に並ばなければ、パンにもお菓子にもありつけない! その一心でマントを脱ぎ、抱きかかえて必死に走る。

 ときおり歩き、また走り。通りすがりの人に王宮の方角を訊ねつつ、下手をしたらフルマラソンくらいの距離をひたすら進んだ。

 そうして、やっと黄金の門が見えてきたときには、カラスが山へ帰る時間になっていたのだった。


 うん、これが本物の〝遠い〟なんだよね。

 もとの世界の価値観にあぐらかいてなめてました……。

 

「悪いな、坊主。大丈夫か?」


 おじさん騎士に心配された。

 本日はこれを期待して楽しみにしていたから、あまりの絶望に倒れそう。


「……はい。まあ……」


 ……大丈夫じゃないですけど、自分のせいなのであきらめますね。

 汗と悔し涙を袖でぬぐう。間に合わなかったのだから、しかたがない。今夜は食べられそうな野草を探して、どこかてきとうな物陰を見つけて野宿しよう。

 ぐったりとうつむきつつ、その場を立ち去ろうとした矢先だった。


「――えろ! ビリンガム侯爵夫人の飼い犬が敷地外に出てしまう――捕まえろ!」

 

 ん? と振り返った瞬間、いましも閉じられそうな門扉の隙間から、純白の物体が飛び出した。

 パンとお菓子――それにありつけなかった現実は、私にありえない幻をもたらした。

 そのふっさふさでもっふもふの動く物体が、あろうことか生クリームたっぷりのホールケーキに見えてしまったのだ。

 頭では、もちろん違うとわかっている。けれど動物的な本能が、そんな理性をきれいさっぱり消し去った。

 抱えていたマントを即座に放り投げ、ケーキめがけて一目散に走る。記憶の底に眠っていた、とろっとろの生クリームの味が口の中に広がっていく。


 せっかくここまで来たんだから、もうなんとしても食べたい……!

 とろけるような甘いものが、ガチのガチで食べたいんです……!!


 本日最後の力をふりしぼり、ダッシュする。東門から南に向かってひた走り、角を曲がる。手を伸ばせば、風になびくケーキのクリームが指に触れそうだ。

 がんばれ、私。あと少し、もうちょっと――! 


「――っしゃあああ!」


 私はケーキに抱きつき地面に転がった。

 装飾されまくりの箱馬車が、ひときわ大きな門に吸い込まれていく。そんな華麗な光景を遠くにしながら、ガブッとクリームに噛み付こうとした瞬間、


「キャンッ!」

 

 それがケーキではなく、世にもかわいらしいトイプードルである現実をつきつけられた。あまりの残念さからメンタルが壊れて涙腺決壊。むせび泣くにいたった。

 情緒不安定にもほどがある。それもこれも、たくさん走って歩いた末の、報われなかった野望のせいだ。


「なんとなくわかってたけど、気づきたくなかった……そうだよね。ケーキが走るわけないもんね……!」


 真っ赤なレースのリボンをつけた純白の犬を、ぎゅっと抱きしめる。さすがは高貴なお方のペット。毛並みからほんのりバラの香りがした。人間の私よりもいい香りさせてるとかどういうことなの。


「きっと私よりもいいもの食べてるよね。家もあるし、いっそあなたになりたい……!」


 空腹が私を泣かせる。さめざめと涙を流していると、ペロッと頬がなめられた。ああ、なんてかわいいんだろ! こんなにも優しく慰めてもらえたこと、家族以外であったかな? 断言できる、まるでない。


「ごめんね……。わりと本気で食べようとして、ほんとごめん……!」


 地面に横たわりながら犬の毛並みに顔をうずめ、ぐずぐずと鼻をすすったとき、


「やったな、坊主。でかしたぞ」


 突然頭上で声がした。私は世にもぶざまな状態で顔を上げる。その直後、ぐうううとお腹が大きく鳴った。


「なんだ。おまえ、腹減ってんのか?」


 きりりとした顔つきの精悍なイケメン騎士がこちらを見下ろし、ニヤリと笑う。そのうしろに、私が放ったマントを拾ったらしいグレンさんが、魔物でも見るかのような顔つきで立っていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る