第8話 米国の子供は褒められて育つ。それに逆らった日本人父

日本でもよく知られる様になったことだが、米国の教育は、幼い頃から、褒めて褒めて、褒めかえす。私は、もちろん、日本で育ったので、逆だった。ミスをすると、母にコテンパンに叱られた。(現在では、西しまこさんのように、褒めて育てる日本のご両親もおられる様ですが、私は昭和の育ちです。https://kakuyomu.jp/works/16817330652170961272/episodes/16817330660006632629


私の息子は自由奔放な小学校で、1−2年生はテストもクイズもない学校に通っていた。息子のクラスは、最低限の課題とその期限が先生から伝えられ、それさえ守っていれば、何をしても良い感じのクラスだった。先生が出す課題の他に、子供達は好きなことを学んでいた。おかげで、息子は恐竜にかなりハマっていた。その頃の私は大学院生だったので、その小学校は、大学の近くにあり、父兄も教授など大学関係者が多かったので、この自由な校風が気に入っていた人達ばかりだった。


それは、息子が3年生になったばかりのある日、私が帰宅すると、妻と一緒に先に帰宅していた息子が嬉しそうに、一枚の用紙を持って走ってきた。それは、息子が初めて受けた小テストだった。息子がものすごく自慢そうな顔で見せてくたテストは95点。妻から、ものすごく褒められたようだった。しかし、父親である私から出てきた最初の一言は「残りの5点はどうしたんだ?」。


その後、スペースシャトルには250万個も部品があり、その全ての部品の信頼性は99.9999%ほどであったとしても、それだけ部品が多いと、全体の信頼性は90%ほどになってしまうと、平気で延々と話し続けたのだった。幼い頃の私は、母にかなり厳しく教育されていたので、褒めて伸ばすという米国の教育事情はわかっていても、我が子の小テストへの反応は、母に埋め込まれた「100点を取れ!」という本能がつい現れてしまった。正直、妻(教育学部専攻)は勿論、米国式の褒めて育てる派だったので、丁度良いバランスかと適当に考えていた。


私の対応にショックを受けた息子は、この話を今でも忘れていな。息子が米国の大学へ進学した何年後かに、妻が米国へ帰りたいと言い出したので、10年ほど滞在した日本を後にした。渡米後、息子の友人に出会うと、「ああこの人があの有名なお父さんか?」とかいう様なことを何度も言われた。息子は、私の育て方を友人に暴露して、かなりやばい父親に育てられたと友人に言いふらしていた。ちょうど、私が、ものすごくせっかちな母親に厳しく育てられたと言いふらしているのと同じかもしれない。


実は、母が厳しかったのは、小学校時代だけで、中高はほとんど勉強しろとは言われなかった。もう、小学校時代に洗脳されて、勉強はするものと脳波に刻まれていた(調教されていた)。サーカスの小像は、小さい時に足を杭にロープでくくりつけられ、逃げようとするが、太いロープからは逃げられないので、やがて諦める。大人の像になって、そんな杭くらい引っこ抜けるようになっても、幼い頃に脳に埋め込まれているので、杭からは逃げられないと思い続けているという話を聞いた時、母と自分のことを思い出した。

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