彼女の微笑み

千子

第1話

前の席の原さんには彼女がいる。

何故私がそんなことを知っているかといえば、原さんの彼女である私の幼馴染、奈津のことをずっと好きだったからだ。

幼い頃から一緒で、いつ好きになったかの自覚なんて覚えていない。

それほど奈津は私の近くにいた。

でも、そう思っていたのは私だけだった。

私は人気者の奈津の周りにいる友人の一人にすぎなかった。

恋心を自覚してからは同性同士だしと二の足を踏んで進めなかったその先へ、高校で知り合ったばかりの原さんと奈津は軽々とステップを乗り越えていった。

いいや、私が知らなかっただけで二人の間で苦悩があったのかもしれない。

隣の教室から奈津が原さんを訪ねて来る時、私には見せない顔をする。

長いこと一緒にいたのに知らなかった奈津の表情を原さんはにこりと微笑みながら受け入れる。

後ろの席にはずっと一緒だった私がいるにも関わらず、奈津の瞳には原さんしか映っておらず、私なんか眼中にない。悔しくて何度枕を涙で濡らしたことか。

私は、私なりに前へ進むために、原さんと奈津を忘れるために同じ悩みを持つ女性達のサイトへと入り浸った。

そして仲良くなったのがさやかさんだった。

さやかさんは私より歳上の大学生で、以前の彼女がやっぱり男性がいいと振られた過去があるとのことだった。


さやかさんとは交際に至っていない。

なんとなく違うという気持ちと奈津をまだ引き摺っているからだった。

さやかさんとは友人のような、恋人未満の曖昧な関係でいた。

でも、ある日なんとなくそういう雰囲気になってさやかさんとキスをした。

初めてのキスだった。

さやかさんとのキスをしている間も思い浮かばれるのは原さんと奈津のことだった。

あの二人もこんな風に唇を重ねるんだろうか?

やはりというか、さやかさんのキスはなんのドキドキもしなかった。

「また誰かの一番になれなかったみたいだね」

さやかさんが言った。

その顔は少し寂しそうで、私は申し訳なさから謝罪したけど、さやかさんはそういうのが一番辛いからと言って微笑んだ。

でも、それからも友人でいてくれて私が奈津を忘れられないという話を親身に聞いてくれた。

なんで私はさやかさんを好きになれないんだろう?

奈津じゃなくてさやかさんのことを好きになれたらこんな気持ちにはならなかったのに。

苦しい胸にそっと手を当てると思い浮かぶのは奈津のことばかりだった。

私はなんでこんなに奈津のことが好きなんだろう?考えても答えは出ない。

恋は落ちるものとはよく言ったものだ。

知らない間に奈津に落とされていたのだから。

そんな話をさやかさんにしたり、そういったサイトで吐露したりしているうちに高校を卒業する事になった。

奈津とお揃いのセーラー服とももうおしまい。

未練がましい私は、最後にセーラー服の奈津の姿を目に焼き付けておきたくて探しているうちに、二人を見付けてしまった。

まるで秘め事みたくお互いのリボンを交換し合う二人。

私はそれを呆然と見るしか無かった。


原さんと奈津が別れた事に気付いたのは、未練がましく二人と同じ大学に進学してからだった。

寄り添うような二人がまるで他人のように側にいない。

私が羨望した場所が、今なら空いている。

でも、さやかさんが振られたように原さんと奈津も男性がいいって理由で別れたのだとしたら?

また二の足を踏んでしまう。

その悩みもさやかさんに相談した。

さやかさんは静かに頷きながら聞いてくれた。

さやかさんからは、まずは原さんと友達になるところから始めてみては?とアドバイスされた。

何故原さんと友人にならなければいけないのか分からなかったけれど、そういえばそうだ。

私は奈津の幼馴染で友人だったけど、原さんとは何の関係も無かった。

原さんと友人。

元々同じ高校出身という接点がある。

これを話題に話しかけてみるのもいいかもしれない。

私は忠実にさやかさんのアドバイスに従い原さんに声を掛けてみた。

高校で三年間同じ学校に通っていたのに話すのは初めてだ。

原さんは、話してみると思ったより明るくてユーモアがあって博識だった。

どちらかというと体育会系の奈津とどんな接点があって付き合うようになったんだろう?

そんなことを考えながら大学で原さんの友人の一人として振る舞い、毎日側にいた。

あの頃の奈津と原さんのように。

原さんは連絡もこまめにする人だと連絡先を交換して初めて知った。


さやかさんに話をするのは、奈津のことではなく原さんのことになっていった。

いつの間にか、私は奈津じゃなくて原さんを目で追っている自分に気付いた。

なんだこれは。まるで私が原さんに恋しているみたいじゃないか。と、一人で憤慨してすとんと理解出来た。

私はいつの間にか、原さんを好きになっていたのだということを。


今日は自習室が満室だったため近くの図書館に行くと言う原さんに着いていくことにした。

私も一緒に行くと言うと、原さんは奈津の話を聞いていたみたいににこりと微笑んだ。


公園に差し掛かると、原さんを呼び止めた。

なんとなく、言うなら今しかないと直感したからだ。

「原さん、ちょっと話があるから公園に寄って行かない?」

原さんはいつもの笑顔で了承してくれた。

小さいブランコに二人で並んで座って、私はどうしよう、なんて言おうか散々考えて単純なことしか言えなかった。

「すきです」

喉に張り付いてなかなか言えなかった言葉は言ってみると随分と軽いもののように思えた。

違う。私から原さんへの感情はもっとぐちゃぐちゃのどろどろとしたものだ。

奈津へはこんな感情無かった。

もっと純粋でキラキラした宝物のような感情だった。

原さんの顔が見えなくて俯いたまま地面をじっと見詰めていると、原さんに呼ばれてのろのろと顔を上げて原さんを見た。

原さんは、奈津とセーラー服のリボンを交換した時のような顔をしていた。

「ありがとう」

それはいつもの笑みとは違った。

「でも、高校の時は奈津のこと好きでいたよね」

知られていた!

その言葉の衝撃と言ったら、私は原さんが言葉を続けようとしているのを遮り走り去ってしまった。要は逃げたのだ。

公園のすぐそばのポストに隠れるように身を縮こませて隠れた。

我ながらいい歳をして何をしているのか。

でも、原さんから離れたいのに離れ難くて近くに隠れるしか無かったのだ。

これもさやかさんに電話で相談した。

なにかあるとさやかさんに相談することが癖になってしまっていた。

さやかさんはしどろもどろで要点を得ない私の話を根気良く聞いてくれて、もう一度原さんと話すことを勧めてくれた。

もう逃げないこと、と約束させられて私は原さんを置いてきた公園へ戻って行った。

居ますように。居ませんように。

相反する感情を抱えても、大学では学部も専攻も同じで取っている授業も同じなのだ。

今日逃げられたからといってごまかせる問題じゃない。

原さんは、まだ公園にいた。

一人でブランコを漕いでいる。

「原さん」

「あ、戻ってきた」

くすくすと笑われる。

「ねえ、私のこと好きって本当?」

原さんの髪が揺れる。

「うん。……高校時代までは奈津のことが好きだったのも本当」

原さんは小さく笑った。

「奈津にね、好きな男の子が出来たって振られちゃったから奈津の事が好きなあなたが悲しまないかと思って」

「そうなんだ……」

「私はまだあなたのこと恋愛感情で好きじゃないけど、付き合ってみる?」

原さんは私が思っていたより小悪魔らしい。

これも私が知らない笑みだ。

悪戯っぽい可愛らしい笑みに思わず頷いていた。

「じゃあ、今日から私が彼女だね。他の人を好きになったら早く言ってね」

「別れる前提で交際を了承しないでよ」

「なんせ前例があるからね」

まったく面白くないのにくすくすと笑う原さんの心が分からない。

「さ、図書館まで埋まらないうちに行こっか」

差し出される手は今まで無かった。

これが恋人ってものなんだろうか?

原さんの手を取って並んで歩く。

「暑いね」

「そうだね」

なんてない言葉の応酬でもどこか楽しく思える。

突然原さんとお付き合いすることになって、またさやかさんに相談することが増えた。

でもさやかさんならいつも大きな優しさで包んでくれる。

そんな信頼がさやかさんにはあった。

……原さんや私もいつか男性が好きになるんだろうか?

そんなことは分からないけれど、原さんと繋いだ手をぎゅっと握った。

原さんは振り向いて、またわたしの知らない顔で微笑んだ。

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