フラれ公子、妻が可愛いことを知る

「いってらっしゃいませ」


 ハネムーンが終わり、再び父の補佐をする生活が始まる。

 

「いってくる」


「はいはい、いってらっしゃい」

「母上には言っていません。ルシール、いってくる」


「はい、いってらっしゃいませ」


 母の隣で笑いながら応えるルシールに満足しているが、最近は朝の見送りを別々にできないかと思うようにもなっていた。


(でも父上と同じ馬車で出るのに、ムダか)


「どうした、行くぞ」

「はい」


 「今日は中庭でお茶を飲みましょう」とうれし気な母の声を背中に聞く。

 うちの嫁と姑の仲の良さを聞いて疑っていた先輩の顔を思い出しながら、父に続いて馬車に乗る。


 ギシリと音を立てて馬車が進み出すと、父がポツリとこぼす。


「お前、大きくなったなあ」

「とっくに成長しきっていましたが、突然どうしたのです?」


「馬車の中が狭くて、むさくるしい」

「ああ、そうですか」


「華やかさが足りない。セラフィーナとルシールちゃんも一緒ならいいのに、嫁自慢もできるし」

「ルシールは俺の嫁ですよ」


 ロークの想像の何倍もの速度と重さで両親はルシールを受け入れて溺愛している。


「ローク、ルシールちゃんが孫を産んだら育休をくれ」

「俺が父です、育休は俺の権利です」


「セラフィーナとルシールちゃんの血を継いだ孫、可愛いだろうなあ」

「間に俺が挟まっていますけどね」


 聞けよ、クソジジイ。 

 ホクホク顔の父にロークは内心で毒づく。


「大丈夫だ、お前の顔はセラフィーナによく似ている」


 別にそこは、全く気にしていない。

 ただ子どもに対する権利は父よりも自分にあるのだと主張しておかなくてはいけないと思っていた。


「で、いつ孫ができる?」

「さあ、神様次第ですから」


 朝の通勤時間に適した話題ではないし、父親と話したいことでもなかったため適当に流す。


 ロークとルシールの結婚は白い結婚ではない。


 「愛することはない」と言った手前、初夜の床入りに躊躇するロークにルシールは「気にしません」と言い、その言葉通りルシールは抵抗も涙もなくロークを受け入れた。


 ハネムーンから帰っても、二人はよく夜を一緒に過ごしている。



 ロークはルシールと過ごす夜が好きだった。


 ただ話しをしたり、一緒に酒を飲んだり。

 何もせず「お休み」といって並んで眠る夜のほうが多いが、どんな夜でも全ての夜が楽しい。


 ルシールとの夜はいつも静かだ。


 ロークの知る女性は誰もが「沈黙は敵」とばかりによく喋るが、ルシールはあまりお喋りではない。


 話すことがあっても淡々と、物事を簡潔にまとめて話す。

 まるで報告書を読んでいるようだが、言質をとられないように話す癖がついている自分と似ていると思うだけで不快感はなく「楽だ」と思う。


 二人で過ごすときも、読書とか刺繍とかそれぞれが好きなことをしている。

 好きなことをしながら、「そういえば」と思い出したことをポツリポツリと言葉少なに語り合う会話を楽しんでいる。


静かな夜を過ごす夫婦の寝室には、いつも苺の香りが満ちている。


 二人の結婚式をキッカケに苺がカールトン侯爵領の新たな特産品として注目され、次期カールトン侯爵であるルシールの兄ジョンが中心となって苺に関連した商品を開発している。


 ルシールが結婚式のときにつけていた苺の香りの香水はとても人気があるらしい。


(カールトン侯爵領だけじゃなくうちも、農閑期の手慰みだった刺繍やレースが人気になって……刺繍)


「何を笑っている?気持ち悪いぞ」

「申しわけありません」


 ルシールの刺繍は壊滅的な腕前であることを思い出して笑ってしまった。


(よく刺繍をする姿を見ていたから、てっきり好きなのだと思っていたが)



学生時代、ルシールが刺繍をする姿をよく見かけた。

 静けさを求めて通った旧校舎の図書室から見える、人気のない中庭のさらに奥まったベンチでルシールは機械的に手を動かしていた。


 なぜあんなところにいたのかと思ったが、まさかあの斬新な刺繍の腕前を隠すためだったとは。


 刺繍は貴族女性の嗜み。

 妻や恋人が刺繍したハンカチをもつことは貴族男性のステイタスである。


(特に政略結婚から恋愛にいたった男たちの自慢げなこと。まあ、幸せだと惚気ているようなものだからな)


 今日も父は母の刺繍したハンカチを持っていることだろう。

 ことあるごとに、見せつけるようにハンカチを取り出す父を見慣れてはいるが、


―――見ましたか!?


(完璧な淑女、とはよくいったものだな)


 自分がハンカチをもらうことはなさそうだ、と思う。

 結婚に至った状況といい、ルシールの刺繍の腕前といい。


(あのときは、何の刺繍をしてしまったのだろう)


 就寝の準備を整えて夫婦の寝室に行くと、ルシールは手元に集中していてロークが来たことに気づいていなかった。


 それに気づいて、こっそりと忍び寄ったのはロークの出来心である。

 そして見えてしまった刺繍に、「なんだ、これ」と呟いたのは完全に配慮と気遣いが足りなかった。


 その声に振り向いたルシールの顔。


 普段の無表情が嘘のように、『しまった』と書かれた表情。

 完璧であるための努力を盗み見たことは申しわけないが、素の表情が見れて嬉しかった。


 あのときのルシールが何の刺繍をしていたかは永遠に分からないだろう。

 イノシシのような気がしているが、イノシシを刺繍するなど聞いたこともないから違うだろう。


(今夜にでも、聞いてみるかな。あのときのルシールの真っ赤な顔、とても可愛かったし)


 顔を赤くする。

 それは恥ずかしいとき誰もがする普通の反応。


 でも顔を赤くするルシールをみたとき、最初に思ったのは「ルシールも人間だったのだな」ということ。

 そのあとすぐに「そりゃそうだろ」と脳内で一人つっこみをしていたが。


 自分の婚約者になる前のルシールは人形みたいだった。

 自分のことを棚に上げて言うが表情がなく、静かに淡々と話す様子は冷たい印象を受けた。


 婚約期間は三ヶ月と短かったが、会うたびにルシールの印象は変わっていった。

 言い方は悪いが、人間臭くなった。


 ルシールは、意外だったがよく笑う。

 口角を少しあげるだけの分かりにくい笑顔だが、笑顔は笑顔だ。


 趣味は読書なんてつまらない自分の、淡々とした話のどこに笑うポイントがあるか分からないが、よく笑っている。


 無理に話をする必要もない穏やかな時間が心地よくて。


 ルシールの目がゆるやかに細まるのが嬉しくて。

 柔らかな声が聞きたくて。


 人間臭いルシールを見たくて長い時間、何度も肌を重ねることも……


 パアンッ


「ど、どうした!?」

「いえ……」


 朝の通勤時間、しかも父親を目の前にして思い出すことではない。

 しかし一度想像すると……そうだ、違うことを思い出そう。


 何か別のことを考えるヒントはないかと馬車の窓から外をみる。

 うん、朝の城下町は活気があっていい。


 母親に背負われた子どもがクマの縫いぐるみを振り回すのが見えて、ルシールのクマを思い出す。


 ルシールの部屋にいる三体のクマの縫いぐるみ。

 成人した女性には少し似合わないかもしれないが、結婚式後に行った領地でロークがルシールに贈ったものだ。


 領地に行ったのはルシールのお披露目と視察、そして短いが新婚旅行も兼ねていた。

 「そんな新婚旅行なんてありえない」と元婚約者は言っていたが、ルシールは不平不満をひとつも言わずに、それどころか街歩きを楽しんでさえいるようだった。


(よく考えれば、ルシールが街を『歩く』なんてあり得なかったよな)


 王子妃となる女性が街をふらふら、のんびり歩くことはできない。

 視察という態であっても周囲を二十人くらいの近衛騎士で固められての街歩きとなっただろう。


 領都を歩くルシールは宝石店や服飾店よりも、食材や日用品が並ぶ市場や地域の工芸品が飾られている職人街に興味を示した。


 宝石やドレスは向こうから勝手に売り込みにくるので。

 ルシールは母と同じことを言っていた。


 普段から言質をとられないように気をつけているルシールは、表情も公平だ。

 ほとんどの店を同じ時間、同じ熱量で見ていったが、一軒だけジッと長く興味深げに見ていた店があった。


 子ども向けのぬいぐるみを作っている店。

 店に入って中を見ようかと尋ねてみたら、


(結構長く悩んだあと、照れ臭そうに小さな声で「見たいです」と言ったときのルシールは実に可愛……いや、いまはそこじゃない///)


 店に入ると棚の上にはぬいぐるみが飾られていて、可愛らしい店内にロークが気後れしている一方でルシールは楽し気にぬいぐるみたちを見ていた。


―――これは?


 ルシールが目にとめたのは、木のハンガーにかかった小さなドレスたち。

 質問を受けた店主らしき女性がぬいぐるみに着せるドレスだと言ったあと、赤ちゃんは何でも口に入れちゃうからドレスは着せないほうがいいと説明した。


 自分たちの間に子どもがいて、その子のためのぬいぐるみを買いにきたと勘違いされたらしい。


 それを察したルシールは見事なほどに慌てた。


 普段は論理的に考える脳は壊れ、今までぬいぐるみをもったことがないから興味があるとか、自分の顔にはこういう可愛いドレスが似合わなくてショックを受けているなど新情報を大暴露。


 そんなルシールの意外な一面は護衛騎士たちの心をキュンッとさせたらしく、職務を忘れて頬を染める彼らを店から追い出した。


 そんな俺に、唯一ルシールに頬を染めなかったリーダー(妻と娘三人を溺愛する父親)はぐいぐいと肘でロークの背中を押してきた。


 あのときは「うるさいな」と思って本当にすまなかったと思う。


 あのとき買った三体のクマと、それに着せるための可愛らしいドレスはルシールのお気に入り。

 宝石やドレスを贈ったときよりも喜ばれた。


 「これも」と彼が見立てたパステルブルーのリボンが大量についたドレスをルシールが一番気に入っていることは気に入らないが。


 今日もクマたちはルシールの代わりに可愛らしいドレスを着ていることだろう。


「今度は笑って……気持ち悪いぞ?」

「申しわけありません」


(うん、結婚も悪いものではないな)

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