傷モノ令嬢、結婚では何を誓うのか

 フレデリックを経由したティファニーの誘いをロークが断った。


 一応今夜は夫婦として過ごす初めての夜なので断るかもしれないと予想していたが、意外だったのはロークが不快そうだったこと。


―――こんな可愛らしい新妻を一人で放っておけないからね。


 からかうような声音だったが、ロークの目の奥にわずかにチラついていたのは確かに不快感。


 元婚約者のフレデリックのように面には出さなかったが、なかなか目は嘘がつけない。


 それはロークに限ったことではなくて、


(あのようなからかいに感情を揺らすなんて、学びが足りないのだわ)


 美辞麗句は適度に受け入れる。

 胸を張らず、けれども、謙虚にはなり過ぎず。


 照れるなど、もってのほか。



「若奥様、なにか不備がありましたか?」


 ルシールの物思いを勘違いした侍女に首を振って”何でもない”と伝える。

 「それはようございました」と朗らかに微笑んで侍女たちはルシールの身支度を続ける。


 予定より大分早い退出だったが、公爵家の侍女たちは動じることなくルシールを部屋に連れていった。


 用意周到な公爵家、その名の通りルシールが過ごしやすく整えられた部屋。

 ルシールが愛用している化粧品まで揃っている。


 ソニック公爵家に出入りするようになって驚いたのは使用人の質のよさ。

 「あの家なら楽しく暮らせるわ」と母イザベラが嬉しそうだった理由がわかる。


 君を愛することはないとロークが言ったことは、ルシールが嫁いでくる前に公爵夫人セラフィーナ自ら全ての侍女と下女にばらした。


 これについて「何をバカなことを」と怒りを見せた者はセラフィーナおよびルシールの専属侍女。


 「仕方がない方ですね」とロークを笑った者は領地の本邸および王都のタウンハウス勤務を継続。

 「よっしゃ」と喜んだ者や「やっぱりね」とルシールを哂った者は家に帰されたり、分家に引き取られたという。


 「屋敷の風通しがよくなった」と喜ぶ母親に、「俺に向けられる視線が冷たくて寒い」とロークが不満気にこぼしていたことを思い出した。



「何か面白いことが?」

「ローク様の例の発言のことで、皆の視線が冷たいとローク様がボヤいていらっしゃったことを思い出して」


「冷たくもなります。若奥様とご婚約なさったことで公子としてのお立場を思い出されたかと思いきや、まだ頭に数本お花が残っていらっしゃったのですから」


「そもそも私どもの自慢の若様が下位貴族のような考えをもっただけでも許せないのに」


 口では『まったくもう』と憤ってみせているが、その口調はとても優しい。

 彼女らにとってロークは期待通りの後継者で、彼を支えてこの家を盛り立てることに彼女たちは誇りをもっている。


 だからロークの例の発言に怒ったのだ。



(やっぱり『ロマンス親衛隊』とは違うわ)


 この国は国王が絶対的な権力をもつべきという「国王派」と、貴族議会の決定を重視すべきという「貴族派」と、どっちつかずの「中立派」に分かれている。


 といっても、この垣根は低い。

 国王だって貴族がいなければ政治ができず、貴族も結局は誰かがトップに立たなければ話が進まないんだからそれが国王でもいいかという認識だからだ。


 そんな国にいつからか生まれた「ロマンス親衛隊」。

 彼女たちの「愛こそすべて」という考えはもともと庶民で生まれたもの。

 基本的に政略結婚となる貴族女性にとっては無関係なものだった。


 しかし、約三十年前に現国王が元庶民の貴族令嬢と恋に落ちたことで『ロマンス親衛隊』の勢力も大きくなり、いまは「ロマンスを支持する、支持しない」でこの国の貴族女性は二分されている。


 ロマンスを支持しないのが、政略によって国王の妃となった王妃を中心とした高位貴族の女性の集まり。

 通称、「正妃派」。


 一方でロマンスを支持するのが、そのロマンスで国王の妃となった側妃を中心とした下位貴族の女性の集まり。

 通称、「側妃派」。


 本来なら勝負にならないほど、この二つの勢力の差は歴然。

 しかし王妃にずっと子どもが生まれず、国王の長子である側妃の息子フレデリックが成人したのに対して正妃の産んだ第三王子は幼子という状態がこの歪んだ勢力図を生み出している。


 これでも改善されたほうなのである。


 国王の子がフレデリックしかいなかったときの側妃派の横行は酷かった。

 その粗暴ともいえる側妃派の行いは、今後王妃に息子が生まれたら側妃派の面々だけでなくフレデリックまで粛清対象とされるのではないかと国王が怯えるほどだった。


 だから国王はカールトン侯爵家のルシールに白羽の矢を立てた。

 カールトン侯爵家は正妃派だが、夫人が穏やかな性格なので側妃派と適度な付き合いができている。


 財務部の長官という立場だが権力に執着はせず、正しく領地を治めている堅実で資産のある家門をフレデリックの後ろ盾にしよう。

 そこで国王はルシールとフレデリックの婚約を半ば無理矢理、王命という形で命じた。


 気性の激しかった先代侯爵と足して二で割ればちょうどいいと言われるほど気性が穏やかだと言われるカールトン侯爵だが、ただそう見せているだけで実は違う。


 彼は骨の髄まで貴族なのだ。


 貴族としてこの国の安定を維持し続けなければいけない。

 そのためには側妃派をけん制できる者が王子妃にならなけえばいけないと、娘に重荷を強いる王家への怒りを飲み込んで婚約の打診を受けいれた。



(まあ、その結果がこれなのだけれど)


 生まれたときからフレデリックの婚約者としてルシールの交友関係は制限された。

 生母である側妃が「男と女の間に友情などない」と考えていたから、ルシールの周りにいた男性といえば父と兄と初老以上の講師のみ。


 恋など情操教育として本で読んだ程度だったから、いまではロマンス親衛隊の最新の旗印となったティファニーの行動力をルシールは甘くみていた。


 婚約者のいる男性とは適切な距離をとらなければいけないとか。

 結婚式まで純潔でいなければならないとか。


 貴族令嬢の基礎的な嗜みをティファニーが無視するとは思ってもいなかったのだ。



――― 誠実であることを誓いますか?


 神殿長の言葉がルシールの頭に浮かぶ。


両家とも正妃派であるため神殿長から誓いの言葉を確認されなかったが、側妃派の結婚式では「誠実であること」ではなく「永遠の愛」を誓うという。


 フレデリックとティファニーの恋物語が浸透するにつれて、「永遠の愛」を誓う夫婦が急増しているとも聞く。


 ルシールも、それが悪いとは言わない。

 愛によってよい関係が築けるなら良いことだと思っている。


 でもルシールにはティファニーとフレデリックの愛を「羨ましい」とか「素敵」とは思えなかった。


 愛を謳うならば、先に誠実であるべきだったのでは?

 婚約者がいるくせに、「愛している」という口だけの約束で令嬢の純潔を奪う男が誠実だとでも?



(ああ、そうか)


 ルシールはここにきてロークが不快そうだった理由に気づいた。


 ティファニーと会っても構わない。


 それは自分にとってはロークへの気遣いだったが、「妻に対して誠実であろう」というロークの気持ちを蔑ろにしてしまっていたのだ。

 

(難しいわ)


 ルシールは勉強は得意だった。

 でも『気持ちを量る』といった定義のない、趣味や特技とは違って個人が内に秘めたものを察することが苦手だった。


 特に、男性は苦手だった。


 男性だからこそのものの考え方があるのは、フレデリックとの婚約白紙のときに「男だから仕方がなかっただろう」で王が決着をつけたことだった。


 それに対して父親は苦笑いをしたが、母親は扇子をへし折って怒りを示したので男性は女性と違う考え方なのだろうと理解した。

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