傷モノ令嬢、黒歴史に呆れる
「殿下、おめでとうございます」
「ティファニー、おめでとう」
「ありがとう」
「ありがとう、みんな。わたし、幸せになるね」
ティファニーの言葉に拍手が起こる。
しかし、それは会場の一部のみ。
その一部が会場の中央だから視界に入るが、ルシールはこの喜劇を気にしないようにしながら卒業パーティーをそれなりに楽しんでいた。
(次期宰相と名高いソニック公爵令息まで、王子を諫めるどころか祝福するなんて)
立場を思えばのんびり観劇できる立場ではなかったが、どうでもよかった。
そして明らかに匙を投げたと分かるルシールを誰も責めることはなかった。
「ルシール様、新しいお飲み物は?」
「ああ、そうね」
学院で親しくしていた令嬢の一人の言葉にルシールはハッとして、給仕に空のグラスを渡して代わりに炭酸水を受けとる。
「今日は一日が長くなりそうですね」
「本当に」
「母から聞いていましたが、若気の至りというのは本当にあるのですね」
「学生ならでは、なのかもしれませんわね」
若気の至りという名の黒歴史。
母イザベルの言っていたことを思い出したルシールは、ため息をつき過ぎて乾いた喉を潤す。
貴族の社交界は狭い世界だ。
合縁奇縁で複雑に絡まり、親戚と親戚のようなオジサン・オバサンが大量にいるようなもの。
『親戚宅でオネショした話』が四十歳を過ぎてもネタにされて笑われる。
ただ人の記憶には限界があるから、新たな黒歴史は古い黒歴史と比べられて「アレに比べれば大したことはない」となった黒歴史は時間と共に人の記憶から消えていく。
つまり、そうとうな黒歴史だけが生き残る。
そして恋にまつわる黒歴史は残りやすい。
「○○令息が××令嬢にしつこく迫って、こっぴどくふられた」レベルなら七十五日間ほど、真夜中に書いた情熱的な恋文ならポエム度によるが三年から二十年くらい話題にされる。
婚約破棄なら一生もの、ことあるごとに「そういえばあの方」と一生ついてまわる黒歴史になるし、破棄した相手や理由によっては当人が死んだあと三代先まで残る。
つまり、ルシールは一生ついてまわる黒歴史を作られたことになる。
内心で盛大なため息を吐きながら、兄のジョンが寮の部屋に『油断大敵、爵位返上』と大きく書いた紙を貼っていた理由を痛感しながら会場の中央を見てしまった。
タイミングが悪かった。
ルシールと、喜劇の中心人物であるティファニーの視線が交錯する。
そして『しまった』と思う間もなくティファニーが動く。
「ルシール様、本当にごめんなさい」
涙を浮かべて、哀願するような目をルシールに向ける。
「でも、フレディ様と私は真実の愛で結ばれているんです。フレディ様は私を愛してくださっているのです」
この女、謝る気は本当にあるのだろうか。
表情と口調は悲劇のヒロイン風だが、フレデリックに愛されているのは自分だとドヤりながら略奪を正当化するのはいかがなものか。
フレデリックに未練は一ミリもない。
しかし自分をまきこんでいる黒歴史をさらに黒くしようとするティファニーの迷惑っぷりにルシールは怒りを覚えた。
「だから、お願いします。婚約破棄を受けいれてください」
そういってティファニーが頭を下げた瞬間、会場中が騒めく。
(男爵令嬢は、どうして周りがこんなに騒いでいるか分かっていないようですね)
騒めいた理由はティファニーを後押しするものではない。
そもそもティファニーの略奪を快く思っていないところに、彼らにとっては信じられないほどの不敬をティファニーが働いたからだ。
貴族には爵位という階級がある。
フレデリックがルシールに婚約破棄に同意するように言った。
内容はともかく、王族は貴族の上にあるのでそれが命令であっても問題はない。
しかし、このティファニーの場合は違う。
正式にフレデリックの婚約者となっていない以上、男爵令嬢が侯爵令嬢にお願いをすることは決してあってはいけない不敬なのだ。
そもそも、ティファニーはルシールの許可なくルシールに話しかけることも許されない。
「サフィア男爵令嬢、それは」
「いいのですよ。男爵令嬢、殿下の申し出を私がこの場で受け入れることはできません」
ティファニーの行き過ぎた行動を嗜めようとした友人に感謝の視線を送ったあと、ルシールは小さな子どもに諭すようにティファニーに話す。
ルシールだって、本音を言えばここで婚約破棄を受けいれてしまいたかった。
しかしこの婚約は王家と侯爵家が取り交わした契約、ルシールにはどうにもできないのだ。
「……ひどい」
ルシールの言っていることは真っ当なことで全然ひどくない。
それにきちんとルシールの言っていることが理解できれば、ルシールが婚約破棄に前向きであることも分かる。
「お願いを聞いていただけないのは、ルシール様もフレディ様を愛しているから?」
「いえ、違います」と言ってしまいたい。
しかしぶっちゃけてもいいのか、とルシールが悩んでいる間にティファニーの悲劇のヒロインっぷりに拍車がかかる。
「それとも私が男爵家の娘だから?男爵家では、侯爵家のルシール様にお願いすることさえ許されないのですか?」
まさにその通り。
貴族にとって序列は絶対。
そんな子どもでも知っていることを成人女性、それもこの国の最高教育機関である王立学院を卒業しようとする者に諭さなければいけないのか。
ルシールが黙ることでティファニーの質問を肯定すると、ティファニーは「ひどい」と言って隣のフレデリックに縋りつく。
このことでルシールは理解した。
ティファニーはフレデリックの恋人となったことで自分も王族のように振る舞えると思っている。
いろいろ盛大な勘違いをしてはいるが、王族のもつそれが、侯爵令嬢ですら一方的な言い分で懲らしめられる強権であることも分かっている。
王制である以上、王族は絶対的な存在。
その王族にティファニーは自らの意思でなろうとしている。
ルシールは知りたかった。
王族になりたいと思う理由を。
「男爵令嬢、王子妃になるという意味を本当に理解なさっていますか?」
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