遠くにありながら、密着する

 月を見ながら歩いていた。買い物の帰り道である。

 月はけっこう好きで、つい意識を向けてしまう。

 子供のころは、たとえば車に乗っている時にどれだけ移動しても上を見れば必ず月の姿があり不思議だった。自分に付いて来ているのだと思った。

 遠くに超然とありながら常に私を密着マークしてくれているのは頼もしい。

 ふと視線を前に戻すと、いつのまにか向かいから歩いて来ていたらしい野良猫が私ともう50センチほどの距離にいて、本当にびっくりした。ウワッと声が出て仰け反ってしまったのだけど、猫は歩みを止めることなく私を一瞥してすれ違いざまに小さくニャーと言ってから去っていった。なんだか、かっこいいじゃないか。そちらが平然としていればしているほど、こちらが恥ずかしい。



 小6のとき、休み時間に雪が降り出し、みんな「わー!」となっていた。

 すると友達が、私はその一年前まで北陸に住んでいたものだから、「このくらいの雪見慣れてるやろ?」と言ってきて、私も「まあな」という感じに振舞っていたのだけど、心の中ではみんなと同じように「わー!」と思っていた。

 今でも雪には「わー!」と思う。

 北陸に住んでいたのは二年間だけで、見慣れたり、うんざりするほどは雪を味わっていなかった。



 北陸で住んでいた家の近所には大きな塔が立っていた。家から少し行くとテレビ局があり、その電波塔である。

 白色とオレンジ色をした本体に、いつも着雪防止のためのネットが着せられていた。

 高さは、当時の私にとって大きいという漠然としたイメージしかなく、具体的には知らなかったのでいま調べると、160メートルあるらしい。意外にも、この塔のWikipediaがあった。

 暮らしはじめたばかりの土地勘が無い状態で友達から遊びに誘われたときなどは、よく塔を意識した。道に迷っても塔さえ見えれば、あそこを目指せば、帰ることができるという安心感があった。

 家は校区の端っこの方にあって、登下校には片道30分くらいかかっていた。


 下校の際、たしか水曜日と決まっていたと思うのだけど、週に一度、蛍光色のウィンドブレーカーを羽織ったボランティアの老人たちがそれぞれ固定のポイントで児童の見守り活動を行なっていた。

 私の通学路では、家まであと5分もかからないくらいのポイントに優しそうな溌剌とした印象のおじいさんが担当として立っていた。

 私はこのおじいさんが苦手だった。

 初めて遭遇したとき、この人は「おお! おかえりー!」と笑顔で言いながら、軽く膝を折り、私に手のひらを向けてきた。

 ハイタッチしようぜ、ということである。

 私は全くしたくなかった。下校しているだけではそんなテンションになれない。

 しかし、完璧なフォームで待機しているおじいさんを無視することも出来ず、ハイタッチ止む無しとなった。

 一週間後、二度目のコンタクトでも、やはりハイタッチを求められ、頑張って応じた。


 それからというもの、見守りボランティアが行われる日のみ、私は遠回りして下校するようになった。

 おじいさんが悪でないことは分かっていた。だからこそ、ハイタッチを断るのが忍びなく、しかし、やりたくないものはやりたくないという逡巡の末に出した答えが遠回りである。それを転校までの二年間続けた。

 通学路度外視の大胆な回り道も、塔があれば方角を失うことはなかった。


 大人になった今であれば、正面から威風堂々とハイタッチを断っても別に問題なかったと思える。

 10歳の私は、断ることで、おじいさんを深く傷つけてしまうと考えていたが、そんなのはただの思い上がりだろう。長く生きて様々な経験を持つであろう老人が、近所の子供にハイタッチを拒否されるくらい、どうってことないだろうに。

 おじいさんの手を無視して、でもちゃんと「ただいまー!」と挨拶すれば、おじいさんは一瞬は驚いた顔をするが、またすぐに笑顔に戻って「おかえり」と、黄色い学帽越しに私を撫でる。案外そんなものではないか。



 どうしてもハイタッチをしたくなかった10歳の私は、もう15年以上前の出来事だから、どこか遠い別の存在のようである。その一方で、依然としてハイタッチなどが苦手な今現在の私にまで密接に繋がってもいる。方角は失っていない。

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