第44話 俺は決して堕ちない。

 さて、今日も終わり! 便所掃除だ!


 俺が海に出て、一ヶ月が経った。

 今乗ってる船は三隻目。最初の船のゴビタはもう居ない。

 俺達の人数も一人減った。

 それは事故、だとか、そういうやつではなく「自殺」である。

 ウォーケンは「使えない奴は死んだ事にされる」と言っていた。しかし、別に彼は使えない奴ではなかったと思う。

 それでも、彼は乾燥室で、首を吊って死んでいた。

 そもそも、この船での作業は使。一人一人の動きに違いはあるものの、それにより作業が極端に遅延する、みたいな事はないハズだ——何故彼は死んでしまったのだろうか。

 悲しさや哀れみは正直言って俺にはない。船に乗る前に人の死体に慣れてしまったのもあるかもしれないが、彼とは会ってまだ日が浅かったし生活部屋も違うので関わり自体が希薄だった。

 しかし、少しだけ淋しさを感じる。


 便所掃除が終わると鍛錬の始まりだ。

 体を洗う順番は掃除の事もあり俺が一番最後になっているので、朝ほど時間に気を使わなくて済む。

 食料も簡素な物だが我慢すれば問題ない。ただ、せっかくギリさんに教わった料理を忘れてしまわないか、少し心配だ。


 鍛錬が終わり、脱衣所へ行く。

 先客がまだ浴室に入っているようだ。

 ブリスである。

 彼は俺の前の順番で、それがとても嫌だ。

 ブリスは色々な意味で汚いから。

 選択する衣類に汚物をつけていた犯人はブリスで、彼の洗濯物はいつも他の人のものと分けている。

 しかし、風呂場を分ける事はできない。


「あ、ああ。ごめん。遅くなった」


 ブリスが自分の衣類が入ったカゴを持ち、そそくさと出て行く。

 俺は浴室に入った——くそ、

 俺は浴室の床を見ていた。平たい石達を目地で繋いだ床だ。汚臭を放つ排水口の入り口には数人分の体毛や毛髪が残されているが、それは問題ではない。

 床にこびり付いているのである。

 体を洗う為の真水の量は限られているからって、後から入る俺任せっつーワケ?

 風呂掃除も俺の役割りだが、此処だけは誰か代わって欲しい。

 便所は汚い場所という前提があるから汚れていても別段、苦ではない。

 だが体を綺麗にする場所が汚いと、とても嫌な気持ちになる。

 だから俺は夜の日課を始める前に、浴室の入り口に海水の入ったバケツを四つほど置いている。勿論掃除に使う為だが、としての意味合いが大きい。コツコツ「お前が使った後は汚いぞ」とアピールするのである。

 しかしあまり効果はない。やっぱり直接言うか?

 周囲の強面な男達にも強気な発言をするのには抵抗がない。しかし既に日中怒鳴り散らかされて弱っている人間に何かを指摘するのはちょっと嫌だ。うーむ。


 俺は考えを保留し、自分の体を洗う前に浴室掃除に取りかかった。


 俺は部屋に戻るとブリスのベッドを見る。

 居ない。


「アシルさん。ブリスさんは何処?」

「ブリス? 知らねーな」

「あははっ。どーせどっかでシコシコしてるんじゃねーの?」


 俺がアシルに訊くと、コームが口を挟んだ。


「そのシコシコを風呂場でしてるから文句言おうと思ったんだ」

「マジで? 汚ねー!」

「あ? コーム、お前は何処でしてんだ?」


 お前もか。

 アシルは罰の悪そうな顔をしていた。


「俺? 俺はホラ、必要ないでしょー」


 必要ない?


「——つーかさ、ウォルフ。あんまりブリスを虐めるなよ? なんだかんだでアイツ、結構タフだから」

「タフ? ていうか別に虐めてなんか——」

「わかってる。俺達も別に虐めてねーし。でもさ、あんな簡単な作業でも上手くやれる奴とそうじゃない奴がいんだろー? トロ臭い奴を見たら誰だってイライラするし八つ当たりもする。んで出来ない奴はさ、勝手に自分を『駄目な奴だー』って追い込んじゃうんだ。周りと自分を比べてね。こないだ死んだ奴も、そんな感じじゃねー?」

「彼が?」 


 でも彼にはブリスほど強い当たりをする人も居なかったし、なんか、納得できない。

 

「ブリスはさ。自分の立ち位置をよーくわかってる。その上で俺達のにも耐えてるんだ。放っといてやれって」

「ふーん? なんか思ってたイメージと違うね。使えない奴は船から叩き落とされるって聞いてたのに」

「は? 誰? そんな事言った奴。こんなダリィ作業、人手が減ってやりたくねーじゃん。どんな奴でも俺が楽する為には必要なんだぜー?」


 そうなのか。

 俺はウォーケンが言っていた事を鵜呑みにし過ぎている様だ。ウォーケン自身にも注意されていたのに。

 ちょっと反省。


「わかったよ。でもちょっと、探してくる」

「ええー? やめとけって」

「大丈夫、虐めないよ。でも言うべき事はや八つ当たりなんかじゃなく、ハッキリ伝えた方が良いと思っただけ。ブリスさんはタフなんでしょ?」

「んー、まぁ。好きにすればー?」


 さて、と。

 ブリスさんが居そうな場所は——。


 給水室? 乾燥室? 便所? 


 その他の施設もしらみ潰しに探すが見つからない。

 あとは、俺が日課をする、あそこかな?

 俺が鍛錬する場所、それはブリッジなんかの影になった船尾にあるスペースである。誰にも見られず集中できるのだ。

 俺がそこに辿り着つくと果たして、ブリスはいた。

 ぼけーっと床に座り込んでいる。


「ブリスさん? ちょっと良いですか?」


 ブリスだけには未だに敬語だ。

 何というか、気軽に話しかけられない。


「ん? あ、ああ、ウォルフ、くん? どうしたの?」

「風呂場で精子飛ばすのやめてもらって良いですか?」


 ハッキリ言った。


「!? せ……!? ご、ごめんなさい!」


 何がごめんなさいだ。

 子供にこんな事指摘されて、悔しくないのか?

 

「あとパンツも汚いです。ちゃんとおしり拭いて下さい。それから——」


 強く言うつもりもなかったのだが、言葉が次から次へと溢れてくる。


「すいません……」


 今度はすいません、か。


「……情けなく、ないんですか?」

「え?」

「俺みたいな子供にこんな事言われて、普段も皆んなに怒鳴られて馬鹿にされて、悔しくないんですか?」


 俺が一番伝えたかったのはそれだ。


「き、君は子供だから、わ、わからないだろうな」

「何が?」


 さっきよりもイライラしてくる。

 でも聞こう。


「お、俺達は、こんな所で、働いてる時点で、み、未来なんてないんだ。お、俺は君よりもな、長く生きているから、わかる」

「未来なんて普通にあるだろ? 今日生きてるんだから明日は来る」

「な、ないよ。これからも、ず、ずっと、同じ様に生きてくんだ。か、変わる事なくこの船でね。お、俺達の時間は、と、止まっているんだ」

「一緒にするな」

「い、一緒だ。君はそ、想像できないだけだ。こ、コームはね?」


 コーム? 何故今、コームの話をする?


「——彼は楽しそう、だよね? か、彼が楽しそうなのは、せ、世界から、逃げ出したから、だよ。ここに、居れば借金取りも、こ、来ないし、ぜ、税金を払わなくて、済む。か、彼は、この場所でしか、い、生きられないんだ」

「ふーん、で?」


 だからどうした。

 俺やお前に、関係あるのか?

 そもそもコームはブリスの事を認めていた。なのに、こいつは。


「あ、アシルさんも、そう。も、元々立派ないしの、し、職人だったらしい、けど、い、今はこうして、お、俺達と同じく、こんな穢らわしい、仕事をしている」

「だから?」


 アシルがあのオッさんと重なった。


「き、君も、そうだ。まだ、若い、から、い、一生懸命にい、色んな事、頑張ってる、けど、それは、無意味、だ。ど、どんな、に頑張っても、君に払われる、お、お金、は変わらない。こ、この船から降りれたと、して、も、そういう仕事しか、ないんだ。君には」

「それで? なんだよ? 諦めてダラダラ生きろってか? あんたはどうなんだ?」


 他人に無意味と言えるほど、何かしてきたとでも言うのか?


「さ、さっきから、言ってるだ、ろう? 俺には、み、未来なんてない。終わった人間、だ。良いところで、い、良い暮らしをしていた時も、あった、が、行き着いた先は、この船だ。もう、お、大人しく生きて、飯を毎日食べられれば、良い」

「チッ!」


 無意識に舌打ちが出る。


「そ、そうだ。こないだ自殺した彼もさ。同じだよ」

「なに?」

「同じ時期に入った、し、しかも子供の君がテキパキ仕事をこなすのに、自分はそれ以下のこ、事しかできない。きっと『自分は此処でも駄目なんだ』って、ぜ、絶望したんじゃないか、な? 彼が死んだのは、君のせいだ」

「な——!?」


 思わず、アシルが俺にやった様に、俺も、ブリスの胸ぐらを掴んでいた。


「な、殴れ、よ。殴った所で、現実は、何も、変わらない。俺も、君も」

「……!」


 なんだよ?

「殴れ」って言うわりに、怯えた顔してるじゃねーか。

 くそ。

 殴りたい。

 けど。

 殴りたくない。

 胸ぐらを掴む時って、こういう場合もあるんだな。


 俺はブリスを解放した。そして——。

 

「——自分を終わってる、なんて言うなら、あんたも今すぐそこから海に飛び降りろよ。こないだ死んだアイツみたいにさ。

「え?」

「だって死んでるのと同じだろ? あんた。できねぇのか? じゃあ死んだアイツの方がマシだな」


 言葉を、止められない。

 ブリスを責める言葉を。

 確かに、この世の中の物事は強い奴らが決める。

 弱い奴らはそいつらの都合で簡単に切り捨てられる。

 どこで生きようが、無駄なのかもしれない。

 無駄だという事は、産まれた時から決まっているのかもしれない。

 だが——。


「——俺は諦めてないし、納得もしていない。どんなにあんたや、他の奴らが俺の足を引っ張って引きずり下ろそうとしたとしても、俺はあんた達と同じ位置には、


 たとえどんな世界に行こうが、俺は進み続けるのだ。

 愚直に。

 目的を目指して真っ直ぐに。


「ひ、酷いこと、い、言うね」


 去り際に聞こえたそのセリフに俺はまた、苛ついた。


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 タルミノス Y.T @waitii

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