第一章 

第7話 俺は何も知らなかった。

 ルークが湯船に浸かっている間、俺は急いで自分の体を洗う。ルークが上がる前に俺も湯船に浸からなければ機嫌を損ねてしまうからだ。

 先ほどのルークの今更な話もそうだが、生き方の基本を語られる度、俺は昔を思い出す——。


 俺はとある貧しい国の、農村に生まれた。国は貧しいが俺達は貧しくなかった。決められた支配者に決められた生き方を与えられ、家畜の様に日常を過ごし、求められる事さえしていればそれに見合った餌を約束される。大人達はそんな生活を惨めに感じる事もなく、ただただ不満をこぼしながら幸せそうに日々を過ごしていた。

 俺を含めたガキ共も同じである。

 大人達に養われ同じ生き方を強要されているにもかかわらず、それに何の疑問も持っていない。

 詰まるところ俺達は皆、幸せだったのだ。


「——ウォルフ、朝メシだ。戻れ!」


 長くデカい葉っぱをつけた背の低い木々が規則正しく並んでいる、そんな農園に、俺の親父の野太い声が響いた。


「了解! 父さん!」


 早朝の収穫を終え、自分の頭ほどもある丸い果実である「カコの実」が山積みになった荷車達を倉庫の前に並べていた俺は、途中で手を止め親父に駆け寄る。

 荷車を並べるのは朝メシ後の作業をスムーズに進める為の準備だが、それで短縮される時間は微々たるもので、別にキレイに整頓する必要はない。単なる暇つぶし、だ。

 収穫は慣れていない奴がやるならそれなりに重労働だが、俺は歩いて物を運べる様になった頃から親父や兄貴と一緒に仕事をしていたのだ。文字通りこんな仕事は朝メシ前である。

 一番古い記憶は三歳か四歳の頃だったか——そんな曖昧な記憶から逆算するに、今の俺は九歳か十歳くらいってトコロだ。


「ウォルフ、ご飯食べる時は汗を拭ふいてからになさいって、いつも言ってるでしょう?」


 外から帰ったままの姿で椅子に座ろうとする俺に、お袋が小言を言った。銀色の髪と薄く焼けた肌がミスマッチだが、それを俺は美しいと思う。


「母ちゃん、そう言うな。ウォルフは一人でちゃーんと言われた仕事をこなしてる。俺やがガキん時以上だぜ?」


 肌も髪も真っ黒な親父が、俺をフォローしてくれた。「ラルフ」とは冒険者となり村の外へ出て行った、俺の兄貴の事である。

 冒険者とは、一言で言えば盗賊と猟師の中間みたいな存在だ。世界各地を渡り歩き財宝や資源や希少な魔物やなんかを食い散らかす連中。タチの悪い事にギルドなんていう法的に認められた組合があるので、堂々と誇らしげに仕事を自慢している。

 ガキの時分の俺はそんな職業の中身なんてつゆ知らず、歳の離れた兄貴が年に二、三回持ってくる冒険の土産話を楽しみにしていた。


「そーそー! それにメシ食ったらまた汗だくなんだから一々面倒くせえって」

「ウォルフ? 最近言葉遣いが汚いわよ? 何でもお父さんの真似すれば良いってわけでもないんだから」


 俺の笑顔の口答えに、お袋が更に小言を言った。


「母ちゃん、今日まで俺の真似して来たからウォルフは立派に育ってるんだ。あんまりうるせえコト言うと嫌われるぞ?」

「もう!」


 親父とお袋がどう出会って兄貴や俺を作ったのか、俺は知らない。だがこの時の俺は、自分や兄貴もいずれは両親や村の他の連中と同じ様に家族を持ち、今までと同じ様にのんびりと暮らすのだろう——そう思っていた。

 俺が現在居る世界などを知る術もなかったし、想像もしていない。もちろん、自分達が育てている作物がどんなモノなのかも知らなかった。親父からは「その内教える」と言われていたので、それで良いと思っている。

 つまり、


 朝メシを済ませた俺はカコの実の「よりけ」を行う。収穫した果実は十分な大きさの物ばかりだが、虫に喰われたりなんかしているやつは、そのまま出荷できない。

 俺はそんな果実の選別を、土や食料を受け取りに行った親父が帰って来る前に済ませるのだ。

 虫喰いや傷がついた果実も別の製品になると言われているので捨てる事はせず、出荷するものとは別の木箱に詰めて保存する。親父曰く「傷モノは腐るくらいが丁度良い」との事だ。

 出荷の準備が済んだカコの実は翌朝、親父が地主に納めに行く。俺が一人で力仕事をこなせる様になってからはずっと、このルーティンワークが続いていた。

 ちなみに親父が帰って来た後は、畑の周りを仲良く草刈りである。唯一親父と一緒に働ける時間だ。

 虫喰いの果実も無駄にならないとは言え、そればかりだとノルマを達成できない。普通に出荷する果実の数量は厳格に決められている。だから害虫がわかない様に、草を一定の長さに刈り揃えておくのだ。

 そんな毎日が、普通に楽しい。


 俺は、幸せだった。

 しかし幸せとはいずれ、いとも簡単に崩れ去る。そういう儚いモノなのだ。

 


 

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