第3話 思いやり、まごころ、優しさ。

「お客様! どうかされましたか!?」


 俺は男の居るカウンターまで駆け寄った。袖の無い衣服から肩の筋肉を露出させたこの男は、口で息をしている。酔いのせいもあるだろうが興奮によるものが大きい。

 男の視線の先には先程から男の話を聞き続けていた派手な女が居た。胸の谷間やヘソや太ももを大きく露出させた、見るからにそうな女である。


「ああ!? 誰だてめえ! 関係ねえ奴が寄るんじゃねえ!!」


 なるほど、店に落ち度はないという事だ。

 

「私は当店の支配人です。他のお客様の迷惑になりますので、こういった事はご遠慮願います」

「支配人だろうがなんだろうが関係ねえったら関係ねえんだよ!?」

「いいえ。私はこの店を預かる立場の人間ですので、せめてお客様がお怒りの理由を教えては下さいませんか?」


 ちなみに店に落ち度があったとしても、俺の言動は同じである。堂々と、そして低姿勢だ。


「うるせえ! これ以上グダグダ言うなら、てめえから殺るぞ!?」


 ——やれやれ、どこまで自分の価値を下げるのやら。

 

「ではどうぞ」


 俺は男に歩み寄る。


「あ!?」

「見たところ、お客様の怒りはお話しにくいものだと判断しました」


 俺達が駆け寄った当初、女は怯えた様子だった。だが今の表情は男に対する非難の色が窺える。十中八九、この男の口説き文句にうんざりして辞めさせようとしたら逆ギレされたとか、そんなんだろう。


「——ですので、私を殴って下さい。それで気が済むのならば。ああ、それでも殺すのは勘弁して下さいね。まだ死にたくはありませんから」


 身を挺した思いやり、だ。

 自分がフラれた事を説明したくない男の、それでも収まらない怒りの矛先を自分に向ける。多少のユーモアを交えて。

 こいつが話のできる奴なら引いてくれるだろう。少なくともそれなりの地位に就いていそうな奴だ。

 ちなみに、俺ののせいで他の連中にも男の状況が丸わかりである。良い話のネタも提供できたし、俺は支配人の鑑みたいなもんだ。


「わかった! 死ね!」


 しかし、こいつは話ができないタイプの男だった。普通に、殴られた。

 大きく振りかぶられた素人くさい右フックが、俺の左頬に直撃する。唾に混じって血の味がした。痛え!

 幸い男は喧嘩が下手だったので口の中が切れただけで済んだ——

 しかしそれでも痛い。

 顔が右に振られた事で見えた女の非難の矛先は、既に俺へと移っていた。「何してんの?」みたいな困惑も混ざっている。

 自分のせいで殴られた他人を見る表情じゃない。

 

「気が、済んだでしょうか?」


 俺は男に向き直った。


「うるせえ! 気が済むわけねえだろ!? てめえのせいで俺はとんだ恥晒しだ!!」


 げっ、バレてる?

 男の顔は真っ赤だ。

 だがそれを理解できるなら自分の痴態を俺のせいにしないで欲しい。女にフラれて怒鳴り散らした自分の責任だろう。

 

「それでは、お気が済むまでお殴り下さい。ですが、二発目からは、覚悟していただきます——」


 取り敢えず、男の怒りを収める努力はした。だがそれで終わらないのならば、それは俺の責任から離れたものである。俺は全身の毛穴から魔素を噴出させる。無論、誰にも見えない。


「か、覚悟……!? なんだってんだよ? アレか? 通報してえならそうすれば良いだろうが! 俺は怖くねえ!」

「通報? そう思って下さっているのであれば、それでも構いませんが——」


 違うよな? 

 その怯えた顔、俺の魔力を感じてるんだろう? 

 見えずとも感じるハズだ。騎士団員かどうかはその軽率な行動と稚拙な暴力で怪しくなったが、どんなザコでも魔力を持つ者ならば力の差がわかるハズ。

 それは他の客も同じだ。

 自分より力のある奴には従う。

 そんな生き物として最低限のマナーまで、理解できないワケはないよな?

 弱い奴のする威嚇は防衛の為。

 しかし、強い奴のする威嚇は、思いやりであり、であり、優しさだ。

 俺の想い、わかってくれるだろう?


「さて、どうしますか? ?」


 お前の威嚇は怖くない。

 だが俺は通報以上に、恐い事をしてやる——お前が俺の威嚇を見ても引き下がらねえっつーんならな?

 どっちでも良いぜ?

 チラリと女を見る。

 この空気の重さをわかっていない。やっぱり、くだらない女だ。

 締まりが良いかどうかは知らないが単に肉がついただけの穴なんだから、別にこいつの相手をしてやっても良かったんじゃないのか? 面倒くせえ。

 さて、黙らせたは良いが、その後はどうするか。まぁテキトーにやっても問題ない気はするが——。


「いつからこの店はファイトクラブになったのですか?」


 俺が「この後の事」へ考えを巡らせていると、聞き慣れた声が耳に入って来た。


 

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