第二十三話 洗礼

 ​────私の返答により、この静かな店の中で唯一響いていた男の笑い声が止まる。



 数秒の静寂。その後に、男は「はぁ〜…​────。」と徐にため息をつく。




 ​"── ド ン ッ "



 溜息の余韻を潰すように響くのは、机の表面に拳が叩きつけられた事で響く、爆発じみた打撃音と、机の金具から響く悲鳴じみた軋みの複合音。



 それだけでも嫌になるほど騒々しい其れだが、それすらも更に上書きするようにして、着火剤の様に、瞬く間に激情した男が怒号を響せる。





 「​​────てめぇ敬語はどうしたコラッ!!」



 「​わかってやッてんのか?あぁ!?答えろや!敬語どうしたんやって聞いてんねんッてコラ!!アァ゛ッ!!?子供ガキだからって許されると思ってんだろッ!?舐めてんだろ!?てめぇ舐めてっとブチけるぞクソガキャ!!!」



 「クソ生意気がイケてるとか思ってんだろ!?なぁ!!クソガキだもんなぁ!?この野郎!!年上には敬意払えってママに教わらなかったんかおいコラ聞いてんのかこっち見てんじゃねぇぞおい!!」




 ​─────キンキンと、口汚く、延々と流れ続ける罵詈雑言が耳の内で反響し続ける。煩わしくて思わず目を閉じそうになるが、その目は男から外さない。


 …この男、いつまで1人で喋り続けるつもりなんだ。



 『クク、ククク…!この男、どれ程喚ける、どれ程叫べる…?…クク…フフ、フ…いやはや、可愛いのう可愛いのう♥…疲れ果てたところをキュッと締めて抱き締めてやろうて♥撫でてやろうて♥』



 ​────…こんな人も守備範囲内なの?



 『うむ♥なんせ、これ以上ない忌み者であろう?……んフ…!この人から嫌われる事をどうにも思っていない…いやむしろ【恐れられている】と勘違いし自らの意思で続けておる。……その愛らしさは、お前にも負けず劣らずよ♥♥』



 …まだ笑ってるの?…というか!この人と"負けず劣らず"はやめてよ!さすがの私でも傷つくから!




 視線は私の方へと唾を飛ばし続ける男の顔から外さず、心の内でモラグの言葉に異議を申し立てる。

 その異議に対しては、ただニヤニヤと薄ら笑いを浮かべ受け流すのみで、撤回をするつもりは無いようだ。



 ​────私こんなに酷いかな…??





 と、少ししょげそうになるも、すぐに持ち直しては、意味のない会話を喚き続けている無駄な時間を潰すように、見てわかる男の情報を纏めてみる。




 男の背丈は大体180〜185cmの長身で、肉は…鎧で分かりづらいが、普通程度だろうか。



 鎧は革の物を、本来の鉄ではなく、硬質な魔物の鱗で補強している特殊な鱗鎧スケイルアーマー



 ……そして、本人の気性からは予想できない評価だが、全体的に綺麗めだ。所々が凹んだり、傷が入ったりしているが、土汚れ等は目立たない。



 『…ふむ、だがマメという訳ではないようじゃの。』



 …もう調子取り戻したんだ。


 そう?割とキレイめだからこの見た目と輩みたいな口調とは相反してマメな性格かな?と思ったんだけど。



 『それにしては全体的に革のほつれや戦闘では無い​────つまりは脱ぎ捨てた時に出来るような、意味の無い場所の傷が目立ちすぎるのう。足回りに目立つ劣化が土汚れではなく細かな傷なところを見るに街中で一日中ぶらついとるんじゃないかの。』



 ​───街中で済ませられる依頼に留めてるって事?飼い猫探しとか…。



 『……【街中での仕事】の想定が可愛すぎるのう…。ま、質問を返すとするならばそうではあるまいて。恐らくは依頼自体を受けてはおるまい。この泥酔具合を見る限り、余らが来る数時間前には既に飲んだくれておったんじゃろ。』



 『ま、余ならば何十時間酒を浴びるように飲んでも酔いつぶれなんてせんが。』



 『人間は雑魚じゃの!』と「お前たちを愛している」宣言をしている者にあるまじき発言をする悪魔様モラグの言葉を聞いていれば、正面から軽い風圧を感じた為に、軽く後ろに跳ぶようにして回避行動を行う。



 すれば、私が先程までいた場所を硬質な鉄の小手が振られていた。

 当然、それを振ったのは正面のこの飲んだくれだ。



 「​───ちょこまかと…!んな逃げ腰で冒険者になれると思ってんじゃねェぞコラ!」



 「貴重な助言ありがと。じゃあこっちからも助言。【人の振り見て我が振り直せ】だよ。逃げ腰にならずに外に出て魔物の一体でも倒してくればいい。」




 「​────生意気言ってんじゃねぇッて聞こえねェのかクソガキャあ゛ッ!!!」




 怒号が響く。…あと、私だけだが『くっそ生意気じゃのうwww』といった大笑いも響いている。集中できないからやめて欲しい。



 ​────そして怒号と共に振り上げられていた大ぶりの拳テレフォンパンチを直前で躱し、そのまま通り過ぎるように背を後ろ手で蹴って転ばせる。



 「…クソガ​────!!」と、狙う攻撃がろくに当たらず、悪態をついて開いていた口が顎に地面をたたきつけられる事で無理やり閉ざされて、舌を噛んだのか悶絶している。



 ​────右に左にと派手に転がっているが、既に周囲の冒険者達が机や椅子を引いていたおかげで何かに当たることは無い。



 それ自体はいい事なのだが、はある事を意味する。



 『​────…ふむ、誰も仲裁するつもりはないようじゃの。周囲で物見遊山に眺めとる冒険者共もそうじゃが、前でこんな事が起こっておるにも関わらず、平気な顔して別の冒険者の相手をしとる職員共もそのつもりのようじゃ。』



 ​────この程度の小競り合いは日常茶飯事ってことかなぁ…。勘弁して欲しいかも。



 『うむ、といったところよな、冒険者ならこの程度自力でどうにかせいという事のようじゃ。…まぁ、流石に殺し合いになるならば来るじゃろうがな。』



 そもそも私まだ冒険者にもなってないんだよね〜…。



 『なる予定ならば変わらんじゃろ。ズカズカとカウンターへ歩いていったのはお前じゃ。』



 ​────私、正論パンチ嫌い。





 「​───て、めェ゛…!殺す…!絶対ぜってぇブッ殺す…!!ガキだから勘弁してやると思ってたが100回ブッ殺した後に100回殴って生まれてきた事後悔させてやるよクソガキが…!!」



 「やってみなよ、殺した相手を後悔させられる方法があるなんて初耳だしね。」



 ​───ボタボタと口元から大量の血を垂れ流しながら、酔いか、あるいは怒りか、顔を真っ赤に染め上げた男は、「…クソガキがァ…目にもの見せてやるよ…ッ!」見せつける様に腰元にぶら下げた大型の片刃​───鍔が無ければ鉈のようにも見える程の、巨大な短刀を引き抜いてはこちらに見せつける。




 ぬらりと光を反射する刃を男が徐に取り出したとしても、周囲の冒険者たちは動こうとしない。受付も同様だ。



 寧ろ、和気藹々とした雰囲気にもなってきた気がする。

 …てか今「俺は嬢ちゃんに銅貨三枚かなぁ。」とか聞こえてきたんだけどまさか可愛い可愛い女の子が刃物を突きつけられてる状況で賭け事始めてる??



 『自分で可愛い×2女の子というのか…。』



 うるさい!​───というか、殺し合いになれば来るって言ったじゃん!創世の時から生きる悪魔の癖に自信満々の顔で大嘘吐きやがってからに!



 『黙れ!人間共の感情など分かるわけがあるまい!!』



 と逆ギレし声を荒らげるモラグは言葉を続ける。



 『それにこれはあれよ。そう!じゃ!!甘んじて受け入れよ!』




 ​────と言った直後、『…ん、あぁ…いや。』と言っては首に手をやって黙りこくる。




 何か気になる事でもあったのかと、その言葉を待っていると、前方から、またしても荒らげた声が響き渡る。



 「てめェ集中しろやコラ!!アァ゛クソ!!何奴も此奴も、どこまでも舐め腐りやがってェ゛ェ゛ェェェ!!」



 咆哮を響かせながら、腰だめに刃を構え、男はこちらに突撃してくる。

 その大きな体に垂れ流す大量の血も相まって、一般人ならそれはとてつもなく大きなものに見え、腰が怖気て抜けてしまうことだってあるかもしれない。



 ​───でも、私はそうはならない。と言うより、彼を怖がることなどどう足掻いてものだ。



 当然だ。私には魔力が見えている。ずっと、全ての人間に。



 そして目の前の男は戦闘態勢に入った今でも、全くと言っていいほど魔力が見えないのだ。


 …そう、その巨躯でさえ、魔力と比べてしまっては、小さな小さな巨躯からだにしか見えない。



 ​───魔力の見える私達にとって、それでは怯えよという方が難しいと言う物。






 ​─────突進してきた男の手元、鉄の刃を掴んでは、そのまま捻じちぎる。



 男は唐突に軽くなった短刀に目を向ける。そうして、根元から無理やりむしり取られた刃が目にとまれば驚愕と、じわりと無意識に沸きあがる恐怖によって目が点になり、する。




 ​────それは戦場において、あまりにも大きな隙だ。





 「​───…♡」



 ふと、悪戯心で彼の耳元に囁いては、そのまま握力によって無理やり変形した刃を握り締め、硬い拳を、停止した顔面に叩き込む。






 ​────" グ シ ャ "



 木製のベッドに飛び込んだような軋みが、人間の頭骨からしきりに鳴り響き、次の瞬間、その小さな巨躯は、いつの間にか開けられていた玄関の先へと矢のように飛んでいく。



 そのまま外の、通りの地面に突き刺さっては、ピンと立てていた足を重力によってぐったりとさせる男を見送る様に、店の玄関を閉めた頃。



 頭の内でモラグの声が響く。




 『うむ、やはり洗礼にもならんな!!』

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