第十八話 蟲食み、嫌悪の悪魔

 ​───" ブ ブ ブ "。




 「【魔蟲術】」、少女の宣言と同時に、耳障りな、ノイズの如き雑音が響き渡る。

 初めのうち、その黒は暗雲に見えた。初めのうち、暗雲は少女の魔力であると思われていた。



 甘い、甘い悍ましい腐臭が拡がっていく。

 鼻腔は腐れに侵されて、耳腔は地鳴ノイズに侵されて、視界は暗雲掛けられて。



 美しくも壮大な竜の聖堂が、黒い影に覆われきった時、ミノスは雲の、と目が合った。




 ​─────それに呼応する様に、ミノスの脳回路は、黒い影に染め上げられた視界はを映し出していく。



 この場においての真実。それは即ち、付近を覆い尽くしたこの黒い影は、無数の害虫であった。



 ​────ミノスが目を合わせたのは、満天の星空のように壁や床をびっしりと覆い尽くした、大量の害虫ゴキブリであったのだ。





 深い墓地の底に住まう​腐った死人ドラウグ────そんな、お世辞にも清潔であるとは言えぬミノスではあるのだが。



 そんな存在であったとしても、その余りにも気色の悪い光景に​───────



 そして虫でありながら、確かな敵意を持ち、己を睨みつけていた大量の虫に対しては、「ぞわり」と、大きく肩を飛びあがらせる程の嫌悪感と恐怖を抱き、その全身の産毛を逆立たせる。




 「​───ぅ゛…ッ!?」




 その一瞬の間隙、見逃す戦士であらば、既に死んでいる。

 故に、アンリは一瞬にして距離を詰める事は必然であった。

 ミノスからしてみれば黒い影、底も見えぬ凪いだ水面から、音も気配もなく、それが飛び出たようにも見えるだろう。



 当然、傷つき、疲弊し、そして驚嘆していたミノスに反応することは出来ない。



 アンリは、そのまま口にくわえた大剣を器用に振り回し、そして流すようにして、胴体の、斜めの線として入れられていた傷に一画加え、歪な十字を刻みこむように、大きな斬撃を加える。



 ​大量の虫によって形成されたごく閉所の中、洞窟の割れた岩壁から、風の吹き出る様な音が響き渡っている。



 当然、吹き出るのは古代死者ロードの鮮血。

 そして岩壁とは、その肉である。




 噴霧器シャワーのように赤く火照った血が、周囲の虫達へと飛び散れば、それらはまるで、歓喜するようにその身を蠢かせる。



 波のように蠢くそれ等に対し、それ等がこれより行うであろう、悍ましいに対し、ミノスは、ただただ本能によるを覚え、その顔を醜く引き攣らせた。



 悪魔の【権能】を行使して未だ数十秒。



 然し、既に、その顔は戦いを行う覇王ではなく、蹂躙を受ける一被害者の物だと言った方が、相応しい物となっていたのだ。




 そして、本能は的中する。




 ​傷つき、片手と臀を地面につき倒れたミノス。

 それを追い掛け、飛び掛るのは無数の黒虫の壁。



 1匹が飛びかかれば、他の数千匹もまた追従するように

 或いは、「餌は独り占めにさせん」と、負けじと競うように、王の体を覆い尽くし、喰らい、引きちぎり、毟りとり、舌鼓を打ち、嚥下する。



 ​───常人であらば、即座にショック死する、痛みの大津波の中。

 ただ一人、悍ましい叫びを上げながらも、失われていく肉の体を大きく震えさせながらも、ただただ、奪われる者として、恐怖に染まりきった表情を浮かべながらも



 ​───"あの時代"の覇王という意地だけで、ミノスはの歯を食いしばり、そして懇願同然の咆哮を、抵抗を見せつける。




 「─ぅ゛…ぁ゛あっ!あァ゛…っ!!」



 「ぅ゛​────【渦巻く氷竜】っ!!」




 その声と同時に、魔力により創造された、刃の如き雹を混じらせた、音速の突風が視界の先に、その眼窩から吹き出るように、正面の敵を薙ぎ払う。



 それによって顔面部、視界を覆い尽くしていた蟲が細切れになり、その体液を、跳ねた泥水のように瞳の粘膜に貼り付けながらも、ミノスは、それを見た。



 蟲に覆われ、そして今も尚、その内側から大量にこの害虫達を生み出し続けている、あの時切り飛ばした【苗床両腕】を。




 ​───自らの優位を真正面から叩き潰し、築き上げた自身への信頼を、自尊心プライドを食い散らかし、そして今、自らの死をほぼ決定づけた、悪夢の種を。



 それが目に入ると同時に、ミノスは片腕を上げ、そして再びの咆哮をあげる。



 「​────【渦巻く氷竜】ッ!!」



 絶叫を上げ、ミノスは言う。

 敗北は決定づけられた、だがしかし、ここでと、ここで終わってしまえば、"至強の時代"の最後が、これ程醜い物になってしまうと。



 それだけは、あってはならない​────。と。




 最後に、奪われた自尊心を取り戻す。

 ミノスは確かに今の時代に敗北したが、神話の悪魔の【権能】は乗り越えた。そう戦士の楽園あの世で謳う為に​─────







 ​────だからこそ、次の瞬間、全てのことに、がついた。



 氷の竜は現れない。



 そして腕すら、上がらない。



 なんせその両腕は、既に虫にまれ、失われてしまっていたのだから。



 存在し無い腕は、当然上がらない。





 ​────魔法を放つために、四つん這いの体勢のまま、首だけをあげていたミノスは、宛ら処刑台に載せられた死刑囚のようであった。

 そして、死刑囚の首には当然、薄ら寒い断頭の斧が叩きつけられる。



 少女への憤怒、戦闘での歓喜、悪魔への恐怖、覇王としての意地。

 山の空のように移り代わっていた激情の王。


 それの最後の表情かおは、諦めのみを内包した、ただのであった。





 賞賛すら、命乞いすら何も無く、ただ散っていった強者を前に、少女は、何かを言うことすら出来なかった。



 「​───…」







***





 戦闘開始から時間にして30分二十余秒。



 【権能行使】から、時間にして 2分3秒。



 権能【魔蟲術】により、【古代死者・王種ロードミノス】討伐完了。






***







 『おぉ、おぉ…♥…随分と"可愛らしい"顔をしているのう…♥♥、余の可愛いアンリ…♥♥』




 ミノスの首を両断し、【魂】が自身の器を、並々と限界以上にまで満たす。

 そして生じる【存在規模上昇レベルアップ】。


 体は、いつもと同じように体は地面に崩れ落ちた。



 ​────ただし、それでもいつものように痛みに七転八倒とのたうち回ることも無く、今は、冷たい石畳の感触で、上気しきった肌を冷やしている。



 ​────人生で初めての命を懸けた戦闘​────そして、意思疎通が出来る存在を、初めて【殺害】した。



 齢にして14。一般社会であらば中等部の学生程度の小娘にとって、それは、思っていた以上に重労働であったようだ。




 ​────私は地面に背を預けたまま大きく肩を上下させ、血に染った手を見上げる。



 そんな私の耳には、全ての言葉の最後に「♥」が着くような、吐き気がするほどに甘ったるい、この戦い最大の【貢献者】の声が響き続けていた。



 冷えた地下聖堂の床で、私の体、そして思考は冷えていく。




 「…ちょっと黙ってて、【モラグ】。」



 『────…クフ…♥…お前を勝たせてやった余に対し、随分な言い様よのう…アンリ♥』




 気味の悪い笑い声を上げた後に、【モラグ】は『…まぁ、そんなお前も余は愛してやるが…♥』と付け加え、私の頬をつついてくる。





 ​───【嫌悪の悪魔】モラグ。



 私の頬をつつく、黒く、下着のような布面積の小さい衣を纏い、桃色に近い白髪…そして、巨大な【角】を携えた、1.4m弱程度の小さな少女の名前だ。


 (とはいえ、この少女の姿は好きだから"使っている"だそうで、本体は【蟲の集合体】のような、悍ましい姿であるらしいのだが。)



 彼女が言うに、彼女は【嫌悪者】全てを"愛し、そして知っている"らしい。


 その理由は、それらが全て自身の【子供】だから…だとか。



 初めのうちは言っている言葉の意味がよく分からなかったが…




 ……彼女と出会った当初に、私の復讐も、そして呪術を選んだ理由も、全てを見透かされ、そして目の前で説明された時点で、愛しているかどうかはともかく、少なくとも、彼女が【嫌悪されるべき者の全てを知っている】事を認めざるを得なかった。



 ちなみに、一番気になったのは【子供】の部分だが、それを聞いた時は、ただ微笑まれて誤魔化された。


 そもそ全ての者を生み出したのは神族で、悪魔こいつらはそれによって数を減らした側だろうに…。




 話を戻そう。


 そんな彼女の【権能】は「嫌悪されている者全ての全ての支配」。



 その中でも、私には、「これがお前に対して最も都合がいいじゃろ」と言った様子で、【虫の支配】​────正式名【魔蟲術】を使用する事を許可された。




 ​────「私の体と引き換え」を条件に。




 どういうことか、と言うと、「私の体を切り落とせば、その質量分だけ、【余の体】を使わせてやる」という事らしい。



 【余の体】とは、即ち本体…前述した、"蟲の集合体"の事だ。



 普段は普通の人間の肌のような状態を取っているが、大量の蟲をその身に蓄えており、私がその種を想像すれば、その姿に変じるらしい。



 創造した姿が集合体であれば、戦闘の際に見せたように大量の蟲の軍隊へ、その姿が巨大な虫であらば、そんな姿に​─────と。かなり応用の幅が効いて、彼女は気に入っている、との事。



 ちなみに、後者は想像がしづらかったが、実際に試してみれば、手が巨大な"蟻の顎"だったり、前腕全体が"蜂の腹"などに変わったりした。





 ​───そして私はそれを聞いて、両手足と背の表面を自身で切り離し、彼女に捧げた。



 切り離すには数時間もかけ、躊躇ってしまうほど痛かったが、それに見合う力であるとは、この戦闘の流れを見れば、よく分かるものだ。無論、後悔はしていない。




 今回の戦いでそうであったように、【新秩序】との戦いにおいても、きっと役に立つ…。






***






 そんな【嫌悪の悪魔】モラグは、今、疲労から倒れ込んだ私に乗っかかるようにして胸に顎を置いては、私の顔を、その黒く淀んだ眼で見つめている。



 『───むぅ…だが、解せんのぅ…、何故旅立ちの時、余を起こさなかったのだ?』



 露骨に不服な様子を見せつけるように、片頬を膨らませては、モラグはそう首を傾げる。



 「​───…君は寝る前に、何があっても起こすな。って言ってたじゃないか」



 呆れるようにそう返す。嘘では無いが、そもそも余程のことがない限り起こすつもりもあまり無かった。

 契約はしたし、その力を有難く使ってはいるが、私は彼女があまり得意ではない。



 契約の代償の時の痛みが忘れられないというのもそうだが、この「見透かされている様な、暗く淀んだ瞳」が、どうにも慣れないのだ。



 そんな私を見ながら、モラグはただ、少女げな​───しかし何処か柔らかな、母のような笑みを浮かべ頷く



 『うむ…?​───あぁ、確かにそんなことを言ったのう……よく覚えておった…偉いのう♥流石余の子だ…♥♥』



 甘い声が耳から入り、脳を溶かしそうになる。



 それに対して、「ぞわり」と体全体を振るえさせるようにすれば、上に乗ったモラグを退けては上半身を起こした。



 「…わかったならいい…​───よっ…と!」



 いつの間にか冷え切った体を起こせば、私は首のないミノスの亡骸へ近寄り、一度礼をした後、群がる蛆を払い除け、傍の【輝剣クラウ・ソラス】を拾い上げる。



 『ほう!魔法具マジック・ウェポンか!…ふむ、それは使うのか?』




 『良いと思うぞ♥』と猫撫で声で言うモラグに対し、私は周囲を散策しながら答えを返す。



 「違うよ、そもそも私にはコレフロベルジュがあるしね。ミノスを倒して欲しいって言ってたスヴェッタが「家宝の剣を盗られた」って言ってたんだ、恐らくこれの事でしょ。」



 『お〜、確かに。あの小娘はそんなことを言っておったの。よく覚えておった♥流石アンリじゃ♥』




 「眠っていたはずなのになぜ知っているんだ…」と言いそうになったが、「私の事は全て知っている」らしいのだ。

 彼女に対して隠し事など、そもそも出来ないのだろう。



 そうして聖堂を見回すも、どうやら、大量の武器と祀られた竜の遺体があるだけで、様だ。



 それは【嫌悪の悪魔】から見てもそうらしく




 『うむ…、もう何もないようじゃの。』




 とだけ言えば、その姿を霧散させるように消していった。



 すれば、"体の中"から




 『よぅし!クエストクリアー!じゃのう!』と楽しげな声が響く。

 これは【悪魔族】全員がそうであるようで、肉の内の魂を認識できるらしい。


 そしてモラグは、私の魂の両手足の部分をいる。

 住まうことは容易であったようだ。




 そんな事を考えていれば、『さっさと帰るぞー!!』と言った声が響く。






 その声に従う訳では無いが、私は其の儘、ぼろぼろの聖堂に背を向け、サークルクス墓地の攻略を終えた。

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