第十五話 伝承は語る

 ​───ぼたぼたと、未だ赤い鮮血が流れ落ちている。体を満たしていた温度が、血潮が、刻一刻と失われていく、流れ出ていく。



 傷口は叫びたいほど熱くて痛いのに、喪失感を齎す、或いは喪失感があるからこそ、

 多分、どのような強者であれ慣れることはないだろうな、と思う。



 無論、それはミノスもだ。



 ​───彼は、未だ膝を着いた状態から立ち上がれずに居る。

 不死者アンデッド特有の、魔力を肉体に変化させるイカれた自然治癒であっても、傷口やその周囲を蝕む灼熱フロベルジュの炎があれば、その炎を押し留めることしか出来ないらしい。


 その証拠に、傷口から立ち上る炎は拡がらずとも、左肩から右横腹辺りにまで袈裟に走った巨大な傷口は、ぼこぼこと沸騰する血液を地面に吐き出して、冷たい聖堂の地面の上で赤い水滴を遊ばさせている。



 両者、共に攻撃の出来ぬ状態。疲労と痛みでこの剣すら振り上げられない。

 杖代わりのそれを持ち上げた瞬間、私は滑稽な体勢でひっくり返るだろう…。



 とはいえ、攻撃すら出来ない疲労状態であったとしても、私は出来ることがある。


 そう、その為に持ち込んでいた物たちがあるのだ。

 それを使うには、おそらく今しかないだろう。

 私は態勢を整える。


 スヴェッタから貰った鞄に入っていた赤い液体​────回復薬をに取れば、其の儘喉奥にまで注ぎ込む。




 「​───ぅ゛〜…!…ぉえ…っ!」




 ​───知ってはいたけど、とんでもなくマズイ。

 それだけでなく、どろりとした食感が舌に絡まり続けて、軽々と飲み込ませてもくれない。



 ​───でも、だからこそ今においては気付けとなった。


 今の動けぬ程の疲労はどうにもならないとはいえ、心臓に届きかけんとしていた巨大な刀傷は、驚く事にピンク色に艷めく皮が見える程度の見た目にまで再生し、そして出血も治まっている。

 


 そんな私に対し、走った傷はそのままであっても、漸く立ち上がったミノスは訳の分からない様な、訝しむ様な目で、私に問いかける。



 「…馬鹿な。何故、貴様はが出来ている。」



 それ​───…と言えば、当然ひとつしかない。私は袖が肘あたりで切り飛ばされ、その不健康では無い程度に白い肌を顕にしている腕を見下ろす。



 普通であらば答える必要は無い。だが、私は今、疲労から1歩も動けず、大剣という支えが無ければ、崩れてしまうような状態だ。

 然し、相手は傷はそのままとはいえ立ち上がり、私に襲いかかることが出来る様な状態。



 加えて、ぼたぼたと流れ落ちる血液から察するに、相手は早く決着をつけねばならない、回避もままならない私に飛びかかってこない理由など存在しない。────筈なのだが、こうして語りかけている。

 なら、其の隙に甘えさせてもらうとしよう。




 「​────…本当に分からない?」




 ふふ、と笑っては、私はぐーぱーとさせながら手を見せつける。その言葉、そしてその行動を見れば、ミノスは更に訝しむようにして、その両の手を注視する。



 ​───すれば、魔力強者のミノスが注視すれば、ようやく見えてくるものが、私の手にはある。



 …じくじくと、蛆の様に緩慢な動きで身悶え、蠢く、【漆黒】の魔力の存在が。




 「​────…は?」




 呆気に取られたような表情で、ミノスはその口を開ける。


 当然だ。漆黒の魔力とは化け物の色。人間であるはずの私が持っている筈もない。


 …では、化け物であることを隠し、人間として行動していたのではないか?と予測も出来るが、そうではない。

 その程度であらば、歴戦の覇王であるミノスは経験があり、これほど呆然とする事はない。



 では何故、これ程までに呆けているのか、「人間に化けている訳ではない」と言えるのか、決まっている。


 全てを塗り潰す【漆黒】の魔力を持つ人外は、例えどれほどの魔術や呪術、神聖術を修めた所で、その魔力は【漆黒】のままだ。



 だが、アンリは違った。現にあの魔法具に込められた魔力は【紫水晶アメジスト】であり、そして名乗りやその他の身体強化に用いていた物も、皆一様に彼女が人間の呪術師であることを示していた。



 ​───何故。そう言いかけた所で、ミノスは顎にやっていた手をぴくりと止める。


 なのか?



 であれば、全てが納得の行く事だ。




 ​────ずっと気になっていた事があった。


 戦闘開始の言動や行動の話だが、わざと私を怒らせるような口ぶりを取って隙を誘う。

 それだけならまだ分かる。怒りによって誘われる動きの乱雑化を狙ったのだろう、と。



 だからこそ、私はあの技を放った。動きの雑さなど関係ない。

 【お前を殺す】と、その魔力だけを捻り出した、ただ当てて殺すだけのあの技を。



 だがこの小娘は、明らかな危険信号である魔力など意に介さず、私の【必殺技】を、正面から受け止めた。



 回避の構えをするでも、焦って止めようとするでもない。




 怒らせる事ではなく、全身全霊を引き出すこと自体、そして受ける事が目的であったかのように。



 私が全身全霊の技を撃ち終えた先に晒す、その戦闘中一時だけの【勝利の確信】が目的であったかのように。


 そんな、ただ一度の不意打ちを、戦闘開始時と同時に一点狙いをしていたかのように。



 それは、あまりにも不可解だった。



 ​────単純な力量差、それで私に勝てぬと踏んで一かバチかの賭けに出た?


 いいや違う、この子供の魔力量は私とそう大差はない。

 魔力量は自分のも、他人のも、隠していなければ一目見て分かるものだ。


 打ち合った後の​────剣技などの技量を加味した後ならともかく、戦闘開始時から挑発を続けていた時点で、初めからそれを狙っていた筈だ。


 (加えて、この子供の技量は、末恐ろしい事に私と大差もない。)



 ​────であれば、一かバチかの賭けではない、必ず勝てる勝負だと踏んでいた?

 その命が奪われず、尚且つどれほど人体を破壊されても、即座に反撃が出来る事が条件​────?



 あの腕の再生速度を見る限り、超強力な再生、あるいは回復?

 違う、そうであれば、泥沼の殴り合いに持ち込めばいい。

 もしも、彼女が自身を過度に過小評価し、単純な力量差があると踏んでいようと、永遠の命で殴り合えば、私はいずれ斃されていた。


 それにそうであれば、あの胸の傷であったとしても既に完治していた筈だ。



 ​───では、一度きりだけ超強力な再生を行えるのではないか?



 …と思ったが、それもすぐに否定できる。


 超強力な再生であったとしても、一撃で命を奪われれば再生は出来まい。

 では、その危険性が唯一ある【魔法具マジックウェポン】を解放した一撃。



 それを受ける必要など無い。



 その再生は保険として、堅実に戦うのが当然であろう。



 それに、先程言ったがどれほど自身を過小評価しようと、魔力量は人目見て分かるものだ。


 【全身全霊の一撃を受けて命を失う可能性】と、【同格相手との真剣勝負】であれば、後者の方がまだ可能性がある。



 ​────であれば、やはり【命は必ず失わない】という確証があり、【再生は1度きり】。


 ​───​─そして、【漆黒人外】の魔力と【紫水晶人間】を両立出来る人間。



 …つまり、この女は​───!




 「​────女、貴様は1人ではなかった…!」




 ​───死んだはずの汗腺が震えだし、錯覚の汗が背を伝う。


 私の時代であっても、伝承でしか聞いた事がない様な存在…。


 だが、この時代でが居る。


 ならば、それがいたとしても不思議では無い​────!




 「​────悪魔憑きか!!」



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