プロローグ・後編上

 ​────扉を開け、村に出た時、ボクたちは絶句した。



 外に、家を取り囲むように待ち受けていたのは、無数の、悍ましい化け物と形容するしかない異形達。



 輪郭は人型で、傷だらけのその肉体は屍人のように見えるものの、全身から絶え間なく溢れ、纏わりついた漆黒の泥は、夜闇に溶けて、今にもこの世界から消えてしまいそうな程の歪さを感じさせる。



 また、その者達から漂う異臭​───────血腥ちなまぐさい、鉄の臭いは、ボクの食道を無理やり抉る様に、嗚咽を強制させてくる。



 口に手を当て、どうにか耐えようと藻掻くも、そんな事を露知らずと、土石流の様に溢れ出る体の内容物は、其の儘口から溢れ帰り、その努力は水泡と消えた。






***





 嘔吐する少年セイルの横で、相棒の黒い斧槍グレイヴを携えたジャンは、その光景ではなく、に、血も凍るような不気味さを感じていた。




 ​─────馬鹿な。警笛が鳴り響いてから、まだ十分も経っていないぞ!?…それに、何故 戦闘要員と、その家の位置を既に知っていた!?



 家を取り囲む敵の数は、目測で二百を超える。

 普通に考えて見えない死角家の裏や横にも、びっしりと此奴らが押し寄せていると考えても良いだろう。



 この数の戦力。この数の異常。

 まず"アイツ"の魔術が見逃す筈がない。

 そして、この数の戦力を十分で村の外壁からこの位置にまで進軍させるなど不可能だ!



 見た目だけでなく、その行動全てが読めず、薄気味の悪いこの化け物達に、歴戦の傭兵であるジャンも、心の奥底で動揺を隠せずにいた。


 



 ​────…瞬間"だけ"は。



 自身の驚嘆を認識すると同時、ジャンは大きく息を吸う。

 供給される膨大な酸素が脳を潤し、思考を新鮮な物へと変化させていく。



 カチリ。と状態スイッチを切り替えるように、周囲の雰囲気が一転し



 次の瞬間、夜闇が蠢き、斧槍の刃が飛ぶ。



 上から見て、半月の軌跡を描いたその刃は、何の障害も無いように速度を維持して振り抜かれ…



 そして付近に、漆のような黒泥が飛び散った。



 ​─── 一拍遅れ、それは訪れる。家の前面に立ち並んでいた大量の屍人の、二十人程の肉体が"ずるり"と床へ力なく落ちていく。




 「​────Arrrr…?」




 呻く様な、或いは当惑する様な滑稽な声を上げ、地面に落ちた屍人の1人はモゾモゾと蠢いている。



 しかし、次の瞬間にはその顔面は男の全体重を乗せた踏み抜きにより、大量の肉片と化して周囲に飛び散るだろう。




 「​────訳の分からん事ばかりだがよ。」




 そう言いながら、ジャンはまるで人が変わったように頭を掻いて、面倒そうに斧槍を構え直す。




 「​────お前ら、俺達の敵なんだろ?」




 「なら、生かして返す意味もねェわな。」




 獰猛な笑みを浮かべた男は、既に優しげなあの父ではない



 ただ一匹の、血に飢えた"狼"であった。





***






 曰く、戦線を食い荒らす狼藉者。




 曰く、前線を押し返す救世主。




 武器も、鎧も、戦化粧すらも、全身を漆黒に染め上げ、夜の戦場を駆け抜けた傭兵達が居たと言う。



 名を【黒爪傭兵団】



 其の内の一人、通常の鋼の十余倍の密度と硬度を誇るとされる"神鉄オリハルコン"で練り上げられた斧槍を更に黒鋼でコーティングした、常人には振るえぬその武器を持って、尚も、戦場を獣のように駆け回る猛者が居たと言う。




 彼は、夜闇に蠢き、独特な武技により、影の内から飛び出る様な刃を扱った。





 着いた異名は【黒狼】。



 ​────名を、ジャン・パラミール。






***






セイル「​────凄い。」




 凄い。本当にそうとしか言えず、ただ口から零してしまうように、そう言葉を綴った。




 振り抜かれる黒い斧槍の刃は、武器を持つ手か、足か、或いは首か。

 その何れかに必ず命中している。



 脳の腐り落ちた屍人の、本能から来る回避は、初めから知っていた様に、その回避先で首を切り捨てられる。



 腕を構えて防御を試みたとしても、その重厚な刃は、軽々と肉体など両断し、勢いをそのままにその首を両断する。



 散らばる黒血と、咲き誇る肉の華花は、ボクセイルに悍ましさと共に、何処か美しいものを感じさせていた。





***





 ​───百。百十。…百五十。二百。




 何百と切り捨てても尚沸き上がる死肉達に、ジャンは内心歯噛みする。



 俺一人でこれだけ切り捨てれば、普通ならば"攻略は不可能"だと引き返していく。

 死霊術師の操る軍勢であろうと、俺の経験上それは変わらない。



 、未だこの屍人共は、その爪を振るって俺に飛び掛りに来る。



 ​───無論、それに合わせるようにポールの底で喉仏を殴打し動きを止めては、武器全体を回して周囲の屍人と纏めて首を切り落とす。



 ​────今ので土に転がる首級は二百五十を超えた。もしまだ俺が傭兵団に居たならばその戦場での主役MVPは間違いなく俺だと言われていただろう。



 だが、止まらない。未だこの屍人共はこちらへと向かい続ける。


 正直、あと5時間程度ならセイルを守りながらでも、俺は今の状態コンディションで斧槍を振り続けられる。



 然し、ならば良し。とはならない。

 この攻勢が止まらない。という事は、考えうる可能性は二つ。



 まず一つ。希望的観測は、この村を襲撃した首魁​─────推定だが死霊術師が、とんでもなく馬鹿で用兵等の経験を持ち合わせていない素人トーシロの場合。



 だが、それならば何故"彼奴"の魔術に引っかからず、俺の家を取り囲めた?

 何故この数の死霊を操れている?



 死霊術師、魔術師としての腕は最上級だが、指揮官としては最底辺だった?



 ​───馬鹿を言うな、



 死霊術師なんて、碌に戦えねェ奴が持ち合わせれば、待つのは死だけだ。


 "世界連合クソども"が、その存在を許しはしねェ。



 なら、考えられるのはもう一つの可能性。

 俺にとっちゃ、最悪な話だが…。



 今切り捨てた二百五十の首。

 それだけ切っても、死霊術師ソイツの軍勢の内、足の爪先すら、削りきっていねェ場合だ。



 異常な話だが、不可能ではない。



 ​───だが、その場合。



 ​───俺が戦い始めて二十数分。



 既に、この村みんなは…。




 「​おじさんッ助け​─────ッ!!」




 不意に、背後からセイルの悲鳴が聞こえる




ジャン「セイルッ!!」




 「しまった。」そう思うように、周囲の屍人を斬り捨てながら後ろを振り返る。




セイル「​────!!」




 そこには、叫ぶセイルの口を腕で抑えるようにしながらも、尚軽々と持ち上げるようにして、そこに佇み


 ただ悪辣な笑みを浮かべる、アンリと同じくらいの年の、女の姿があった。



 謎の女はその身に纏われた濃厚な死臭と生臭さに相反するように、ただ優雅に口に手を当て、此方を見下し、そして嘲笑っている。



 ​だが、その笑みから感じられるのはやはりその見た目の年相応の、朗らかで純朴な感情では無い。



 その笑みから感じられるのは、何の理由もなく、ただ気まぐれに、しかし執拗に虫や野良猫を殺す、そんな冷徹な捕食者の視線。



 俺はただ、それが恐ろしかった。



 ​─────、まず間違いなく、相手は娘程の年齢、体躯で、大した戦闘能力を持たないだろう。


 もしセイルを人質に取られたとしても、どのような武器を持とうとも、俺ならば数分もかけずに制圧できる。



 ​─────だが、それは違うと俺の本能が警鐘を鳴らす。


 戦場で何度も助けてくれた、"俺という男の根幹"が、けたたましい程の警告を鳴らし続けている。



 は何かが違う。



 このバケモノにとって、踏み潰す虫は俺達なんだ。



 ​─────だから、さっさと逃げるんだ。と




謎の女「…ん〜…?いつまでそうしているつもりなの?」




 濃く、冷たい汗を頬から流しては固まる俺に、元凶である女は困惑するうにしてそう呟く。



謎の女「…じゃあ、セイルこの子は殺しちゃお〜かな〜…?」




 女からしてみれば、ただの挑発のつもりではあった。

 無論、このまま何もしない腰抜けであれば、言葉通りセイルは殺してしまうつもりなのだが。



 ​─────その言葉は挑発としては満点であったのだろう。



 ​─────だが、それ以上にその言葉は、男の逆鱗でもあった。



 ​──────その声が黒狼の耳に届いた瞬間、周囲を異様な程の"圧"が埋め尽くす。



 質量を伴わない筈の、ただのプレッシャー。



 しかし、…いや、だと言うにも関わらず、周囲の木箱や、柔い物質で出来たものは、メキメキと悲鳴を上げ、独りでに自壊していく。



 二人の化け物の会話を遠巻きで見ていた、理性のない筈の屍人達もまた、各々が狼狽えるように、黒い泥の様な物をを口からだらだらと垂らしながら後退っていく。



ジャン「​────何者かは知らんが…!もしセイルに傷一つでも付けてみろ…!貴様がどれ程の強さであろうと、この『黒狼』ッ!必ずや貴様の首筋を噛みちぎって殺すぞッ!!」



 最早、それを叫ぶ彼の表情には、心優しいアンリの父の面影はない。



 戦場に生きる傭兵の、ただ相手を威圧し、殺すためだけの声。



 ​───────だと言うのにも関わらず。

 彼は、"父"としてその声を放った。



 

 …だからこそ、放たれた"圧"の威力に、更に乗せられるように放たれたその咆哮は、最早目に見える程の力を持ち。



 夜闇の中に走る、黒い風となって、周囲の物々を蹂躙していく。



 その全てが2mを超え、その体重もそれに見合ったものである屍人連中でさえ

 最前列の者はそれに耐え切れず、弾き飛ばされるように後方の仲間を巻き込んでは、『黒狼』の槍技によって均された、真っ平らの地面に叩きつけられていくだろう。



 ────しかし、そんな中であったとしても、直接その咆哮を受けた"その女"は微笑を絶やさず、ただジャンの顔を見やっているだろう。




 ​数秒の沈黙が流れる。



 気丈に吠え、そしてその立ち振る舞いに一切の変化は出ていないが、まず確実にジャンは窮地に追い込まれていた。



 誰でもない、ボクセイルのせいで。



 だからこそ、セイルにとって、この時間は数時間にも感じられただろう。



​────静寂が終わる。



 其れは、大剣を抱えた傭兵が地面を蹴り飛ばす破砕音。



 女が "接近を認識し、セイルに危害を加える"



 "その前"に、その首を跳ね飛ばす為に。



 蜘蛛の巣のような亀裂が地面に刻まれる程の踏込みから放たれる、



 現役を退いた傭兵ジャン・パラミールの生涯の中でも間違いなく最高の状態、最高の速度。



 ─────だが。



 女の両の目は、



 ​────そして、首根っこを掴み直したセイルを、比較的広く、長い通りの道へと向け、



 それは接近するジャンとすれ違うように、また異様な速度を持っていた。

 この初速では、まず間違いなくセイルは其の飛行を遮る壁に激突し、そしてその衝撃を以てただの人間セイルとして殺される。



 ジャンは減速せざるを得ず、然し、その脅威の身体能力を以て、空中から相棒たる斧槍を地面に叩きつけては手放し、その地面の反発でセイルへと追いついていく。



 空中でほぼ真横に滑空するセイルに併走し、そして背中を支え、そしてゆっくりと抱えるように速度を抑えていく。



 ​────だが、斧槍も失い、こちらに向ける注意も失ったジャンを見逃す侵略者謎の女では無い。



「​────【呪血弾丸】」



 そう、笑い混じりの声が響く。



 その声を合図としてか、女の掌から血液が溢れ出し


 そして、溢れ出るその血をジャンの背に、攻城兵器バリスタのような速度で射出する。



 凄まじい爆音と、地面に伝わる発射の衝撃。



 その血液が着弾すれば、人間ジャンの肉体程度、一片も残さず消し飛ばす事だってできるであろう異形の大砲。



 それを放った女は『当然』と言うように、ジャンの背後を視認していたセイルは『やめろ』と叫ぶように、屍人達は…ただその様子を静かに見ながら、各々がジャンの死を確信する。



 ​当然だ。繰り返すようだが、あんなものが当たってしまえば、幾ら歴戦の傭兵であろうと、子を守る父であろうと、黒狼であろうとも一矢報いる事も出来ずに即死する。



 …まぁ、無論。



 ​────当たれば。の話なのだが。



 ​────その様な隙を見逃す女ではない。と言ったが



 ​────分かり易いその様な隙を晒す黒狼ジャンでも無い。



 セイルを抱き抱えたまま、ジャンは身を捩り、その異様な速度の血液の弾丸を、目視すらせず回避する。



 そして、弾丸によって吹き飛ぶ背後の建物に意識すら向けずに大地を踏み締め、再び方向転換。



 向かう先は、程度を知った標的の下。



 セイルを危険に晒すのは承知だが、だが、この最高速度に更なる加速を重ねた、この速度を捨てるのはまず有り得ない。



 ​─────と言うよりも、ここで決めねば俺の足は間違いなくちぎれ飛ぶ。



 最高速度俺の限界とはそういう物だ。



 ​─────ならば、このまま決めるッ!




 「​─────吸血鬼だな。てめェは…ッ!何処の出だッ!?遺灰くらいは届けてや​───!」




 そこまで言った時、俺はその女の顔を、再び目にした。



 おい、待て。



 お前…さっきの笑いは、あの攻撃呪血弾丸で俺を当然殺し切れるって確信したからじゃねぇのか。



 俺は、何度も見てきた。そんな顔だ。



 そんな顔だったはずなんだよ。



 …ならよ。



 こいつ……。



 



 戦場に適応した戦士の昂りテンションに、冷水を被せられた気分の中、俺の耳に甲高い、セイルの声が響く。




 「​────ダメだおじさんッ!!戻って…ッ!!」




 響くその声は既に遅く、次の瞬間、黒く染め上げられた、鍛冶場周辺の地面が…"めくれ上がる"。



 否。地面は、彼らを支える大地は未だ揺るがずそこにある。



 ならばそれは何か?​─────聞くまでもない、足を飛ばされ、手首を飛ばされ。そして首を飛ばされ完全に機能を失ったと思われていた、無数の屍人達。



 それらが、主人の吸血鬼へと飛びかかる不届き者を阻む為、壁となって立ち上がったのだ。



 ​…ッ!!ぶつかる!…いや、切り捨てて…斧槍がねぇ!!………いや、此奴らはただの死肉だろ…!この際鎧はねぇがセイルを庇いながらでも背面の体当たりで…ッ!!



 "壁"という現象を認識した時点でそう思考したジャンは、然し…次の瞬間、"自身の生"を諦めた。



 『詰んでいる。』



 そう、気づいたからだ。どうしようもないほどに。



 築き上げられた死肉の壁。

 その前面には、肉の面から沸き立つように、そのやじりを向け装填した無数の弓と、其れに相応しい数の両の手が生え揃っていた。




ジャン「​───不死身。変形。無限じみた数。…挙句の果てには武器まで使うって…?」




 ​────武器を使う死霊。そんな者がいるのは当然知っていた。




 と言うよりも、最低限の知能プログラミングの容量があれば、武器程度ならば容易に扱える。



 ​─────でも、いくらなんでもこれは…



 卑怯だろ。



​ ​─────番えられた無数の矢は、一切の躊躇なく彼に向けられ、その全てが放たれる。



 彼は気色の悪い水音と激痛に唸るような声を発した後、次の瞬間には、高速で肉壁に激突した際に生じた爆裂する様な音で、その全てがかき消される。



 …ハリネズミのような、そんな脆弱な状態肉たたきの様な姿でその衝撃を受けた傭兵は。



 周囲の死肉と同化するように​──────



 ​─────どろり。と溶けるように破裂した。

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