都市伝説2 フォアグラを作るお仕事

これは昔、私がオカルト板で目撃した奇妙な話である。確か「変なバイトを始めたんだが聞いてくれるか?」みたいな名前のスレ名だったように思う。

オカ板で変なバイト、だなんて。かの有名な話を始め、ありふれた題材だ。けれどスレ立て主の語る話は、私の知るどれとも違う―――――怖い、というより。異質な話だった。


金に困っていたスレ立て主――――――以降、「彼」と称する。

彼はある日、インターネットで短期バイトの募集を見つけた。「こちらが提示した時間に簡単なお仕事をしていただくだけ」「作業は一日三回」「休憩時間はなにをしても良い」等々、あまりにも甘い条件の元提示された金額は目を見張るほどであったという。

無論、現在の彼であったらすぐに怪しいと断じ、履歴からも記憶からもそれを消したろう。しかし、当時の彼は本当に藁にも縋る勢いであった。

――――――だから。彼は。そのバイトに手を出したのだ。



バイト先に行った彼は絶句した。「作業場」の異質さに、である。

狭い部屋に、小さな窓が開いている。窓は内側から開くようになっているが、あまりにも小さすぎて用途がわからない。かろうじて子供の手が通りそうなくらいの大きさだ。疑問が隠しきれない彼に、スタッフが説明した。

『一日三回、そこの穴から決まった量の餌をやってほしい』

『なお、このバイトの内容は他言無用である』

こんな暗くて狭い部屋の向こうにいるであろう生き物に、更に小さい穴から餌をやる。

動物を飼っているにしてはあまりにも環境が悪い。では、この窓の向こうには何がいるのだろう?

彼は疑問に思ったが、それよりも金だった。それに変に深入りして目を付けられてもいけない。だから彼は冷静に、疑問や感情をできるだけ押し殺してバイトに励むこととなった。

そして、餌やりの時間が来て―――――――彼は、押し殺すことをやめた。

『っ、ひ………!』

後ずさる彼。そして小さな窓の向こうには―――――どう考えても、人間の口があった。口は軽く開き、餌を待っている。餌用のスプーンが汗で滑る。息が、荒くなる。

すると――――――窓の向こうの人物が、口を開いた。

『どうした。早く餌を口に入れろ。それが君の仕事だろう?』

低く、少し甘い男の声がした。彼はスプーンをもう一度握り直し、手元の餌を見る。どう考えても人間が食べておいしいものではない。けれど。けれど――――――

意を決して、彼は一口スプーンを差し入れた。すると窓の向こうの人物は受け入れる。どろどろの餌を少しだけ口の中にくゆらせて、ごくりと呑み込んだ。

『うん。不味いな』

けれど男はまた口を開く。彼は餌を淹れる。その繰り返し。バケツの中の餌はみるみる減っていき、次第に空になった。

『食べ物にこんなことを言うべきではない事は重々理解しているが、うん。不味いな。…………もう終わりかい?良かった。』

『じゃあ、新人バイトの君。また数時間後にこの窓を開けてくれ。よろしく頼むよ』

ぱたん、と閉められた窓を前に、彼は立ちすくんだという。

どう考えても、人間であった。

どう考えても、異常であった。

妙に高い賃金、簡単な仕事、自由時間、餌。それらの情報がぐるぐると頭の中を駆け巡って、彼は逃げ出そうと決めた。こんなバイトの事は忘れて真面目に働こう、と。


―――――――しかし、あまりにもその賃金は魅力的なものだった。


だから彼は翌日もそこに通い、壁の向こうの口に餌をひたすら与えた。男は嫌がることなく口を開き餌を食べたものの、さすがにその単調さに飽きも見せた。

『嫌がったら口に指をねじ込むといいですよ』

スタッフの言う通りにしたら、「あぇ」と間抜けな声を上げながら男は口を開き、食事を再開させた。吐くことは、無かった。男の口にねじ込んだ指は温かくて湿っていて、「だれかの口内」だった。熱を感じた。彼はレスで「いやなドキドキだった」と書いている。

『強引だな。良いじゃないか』

人でない扱いをされながら、壁の向こうの男は笑っていたという。

二日目にして、逃げ出したいという恐怖よりも先に行いへの恐怖心―――――つまり、「咎められないか」という恐怖の方が増した。

しかしスタッフは『合法なので大丈夫ですよ』『相手は化け物なので大丈夫ですよ』と言うばかり。更には『本人の許可も取っていますので』などと言うではないか。

ふざけないでほしい。あんな行いが、本人の望みであるものか。

しかしスタッフはいたって真面目な表情をしていたし、無言の圧を感じた。その瞬間彼はさらなる恐怖に包まれた――――――つまり、「逃げたらまずい」というものである。



四日目。窓の向こうから声がした。

『なあ、バイトくん。そこに居るんだろう?話し相手になってくれないかい』

思わず、返事をしてしまった。すると男は嬉しそうな声色で『良かった、暇で死にそうだったんだ。なあ、この年寄りとおしゃべりしてくれ給えよ』などと言うではないか。

そこで彼は一分ほど呆けて、それから聞いた。

『あなたは、誰ですか?』

『なぜこんなことをしているんですか?』

『これは本当にあなたが望んだことなんですか?』

『これは、なんですか?』

こんな聞き方だったように思う。男は律儀に、それに軽口混じりで応えた。

『■■■■。■■■■だ』

『なぜ、か。頼まれたからかな。以前俺の肉を美味いと言ってくれた御仁がいてね、他の部位も食べてみたいと言うんだ』

『金払いも良いし、何より俺自身も興味があるからね。同意の上さ』

『なに、か。君、フォアグラって知ってるかい?あれをさ、作るんだ』

―――――――こんな会話だ。曰く、男は不老不死で、しかもその肉は美味いと言う。

『ほら、美味いものってのは―――――ええと、しぇあ……?すべきじゃないか。俺は、俺の肉を人に食べて欲しい。何故なら美味いから。』

それだけでもひとつのスレが生まれそうなのに、動機も含めると更に悪夢度数が跳ね上がる。要は男は、好き好んで狭い部屋に監禁されて肝臓を肥大化させているらしい。

『ま、苦しいね。ええと、今何日目だ?………四日目?……ううん、道は長いな』

『いや、苦しいのは全然構わない。ただ仕方ないとは言え餌が不味いのは受け付けないな』

『君、俺が渋っていたらこの前みたいに無理やり口を開かせてくれ。それでも駄目そうならチューブくらい飲んでやるから、それで流し込んでくれ』

『………いや、それでは食事が嫌いになってしまうな。良くない、実に良くない』

『やっぱり、スプーンで食べさせてくれ。なるべく素直に食べるようにするからさ』


―――――――――――こんなことを、しれっと言うのである。

彼はその晩、寝付けなかったと言う。


しかしそれが切っ掛けで、空白の時間を有意義に過ごせるようになった。

今までは窓の向こうが気になって何もできなかったが、話相手が出来た。それは相手の方も同じだったらしく、男とはぽつぽつと話をしたと言う。

ゲームをしていれば興味しんしんで質問してくるし、動画を見ていればじっと音に耳を澄ませている。翌日は彼の好きな音楽を流した。バンド名を言っても男はわからないようだった。

『ジェネレーションギャップだなあ。新しい音楽はわからん』

『……………ここでは何も出来ないからね、手足すらろくに動かせんほどの狭い部屋だ』

『だから、目を瞑って過ごす事が多い』

『……………いつもより音が綺麗に聞こえる気がする。聴覚が働きたいと訴えているんだろうか』

『………出たら、久々にCDでも借りるかね』

『何?さぶすく?…………なに……?』

わからないなりに楽しんでいるようで。

彼は、少し嬉しかったという。


そうして、二十日すぎたあたりから男の声色が変わり始めた。

明らかに苦しそうな声と呼吸。スタッフに聞いてみた所、問題は無いという。あれは肝臓が膨らんで、呼吸が苦しくなっているだけだと。

あと十日ですよ、頑張ってくださいね。そうスタッフに言われる。

彼は、また怖くなった。いかに不老不死でも、毎日毎日苦痛が続くのは死ぬよりも恐ろしい事じゃないかと。加担している自分自身の悍ましさに、怒りが湧いた。


だから彼はその日、男に言ったという。

ここから逃げませんか、と。

『―――――――ううん、気持ちが嬉しいが。あと十日くらいだろう?そうしたら極上の、美味い肝臓が出来る。これまでの努力をふいにはしたくないさ。そうだろう?君も俺も』

『フォアグラかあ、楽しみだな。付け合わせは何かな?赤ワインと白ワイン、どちらが合うだろうか』

死ぬのが怖くないんですか、と彼は聞いた。

『―――――――――そんな感覚があったのは、若い頃だけだ。もう何回も、何十回も、何百回も死んでいる』

『―――――――ああ、でも。もしも不死が今、打ち止めだとして。そうしたら人生最後はこの箱の中で終えるのか』

『それは、ちょっと嫌かもなあ』

だったら、と彼は続けた。

『でもなあ。歩けないしな、今』

彼はその言葉が耳に届いた瞬間、ずんと罪の意識に覆われて、心の中が真っ暗になった。拳を握り、それでもみっともなく、あがくように言葉を吐き出した。

じゃあ、抱えていきますよ、と。

『――――――――随分食い下がるなあ…………』

男は、その日から。何も言葉を発さなくなったという。


そうして心にどす黒く、気持ちが悪く、まるで胃もたれを起こしたかのような状態が続き―――――――彼の仕事は、最終日を迎えた。

朝食・昼食・夕食。それらを無感情に、無感動に、淡々と食べさせ。そうして夕食後、久方ぶりに男が口を開いた。

『ああ、そういえば――――――………、……………』

『今日で、きみの……は、はあ、………っ……はあ。任も、終わりか……』

『……おつかれさま。』

『………無視をするような真似をしてすまない。きみがあんまりしつこいもんだから………いや、失礼。』

『言い訳をすると、………呼吸が苦しくてね。………今話しているのもやっとだ』

『…………………』

『罪悪感を、感じなくても良い。俺が好きでやっていることだ。きみには関係ない』

『だから、まあ。きみは………せめて、美味しく頂かれることを祈っててくれ給え』


彼は、半年はゆとりを持って過ごしていけるだけの金を持って職場を後にした。

男に会ったのはそれが最後。それ以降、その職場の前を避けるように生活をした。というより、彼はその後ほぼ絶食状態で過ごし――――――連絡が付かないと心配した友人が駆け付け、餓死を免れたという。


彼は、そのバイト以降肉が食えないそうだ。


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