2261年11月2日 食堂にて

風の噂で、「このご時世に純正肉を出している小さな食堂がある」と聞いた。


生き物を殺して肉を食べていたのは昔の話。僕たちの世代はもう代替肉で育ってきた。「こんなもの肉じゃない」と言っていた昔を生きていたひとたちは、次々と世代交代と時代の波に流されていき、殺生をしてまで生きるのは野蛮であるという世論と雰囲気が世界を飲み込んでいった。

昔は、牛や豚、鶏を食べていたらしい。いまや牛は3mまでその身を大きくさせ、のっしのっしと都会を歩いている。豚はペットとして飼われることが多く、鶏はその声の大きさから番犬ならぬ番鶏として飼われることがしばしばある。

珍しいところで蛙も食べていた、鯨も食べていた、ラッコやあざらし、熊に栗鼠。そして多くの魚たち。魚もよく食卓に上がることが多く、それらは焼かれて煮られて干されていたのだそうだ。魚と言うと現在ではすっかり水族館で見かける観賞用というイメージだ。あんな煌びやかなものを食べたいなどと言えば、それが一番野蛮だと言われよう。

そんなわけで我が国の食の歴史は、技術革新により100年ほどであっという間にその姿を変えたのである。



「――――――――ここか」

■■県にある田舎町に、ぽつんとその食堂は建っていた。


食の歴史について調べているうちに純正肉―――――豆などが使用されていない、本物の肉を食べたくなってしまった僕は、現在でも提供している店を探すことにした。ところが今時純正肉を出す店など、好事家向けのよっぽど高い店か違法な店しかない。生活の合間合間で情報を収集し、人脈をフルに使って話を収集した。

どんな眉唾でもいい。なんの肉でもいい。ただ、本物の肉が食べてみたい。

小さな好奇心でしかなかったそれは日に日に成長していき、やがて脳の半分を占めるようになった辺りで―――――怪しい情報筋から、その店の話を聞いたのである。


「何の肉かわからないが、純正肉を出している店がある。それも手が出せる値段で」


怪しい情報筋、というのはグルメ関連の筋でもなく裏社会系統の筋でもなく、オカルトの筋だからである。なんでオカルト筋がそんな情報知ってるんだよ、とは思った。疑念も抱いた。しかしそれ以上に「手軽な価格で純正肉を出す店がある」という情報が大きく魅力的で、疑念など数分ほどで捨ててしまった。本当か嘘かもわからない情報に踊らされるなんて普段なら絶対にしない……とは言い切れないが、それなりの冷静さはあるはずである。

だが、どうしてか純正肉については理性より先に欲が勝っているのを自覚している。

「(………三大欲求だからだろうか)」

睡眠、性欲、そして食欲。古来より生き物は、他の生き物を殺してその生を繋げてきた。現代では野蛮とされるその行為は、確かにそうではあるかもしれない。けれど、どうしても自分の心を揺らしてたまらない。食べてみたい。本当の肉というものを味あわずに死ぬのはきっと勿体ない―――――――






「―――――――っ」

意を決して、引き戸を開ける。

今はもう物語や歴史書にしか残っていないような、木製の椅子がカウンターの前に並べられている。テーブル席は二つあるが、それを埋める者は誰もいない。

「……………あの………すみません…………」

足を踏み出す。スニーカーが床を踏みしめ、一歩二歩。壁には適当に酒関連のポスターが貼りつけられており、その上にはエアコンがひとつ。人の気配が無い。本当に営業してるんだろうか?

「だれか…………」

「客か」

「うぎゃっ」

唐突に背中に浴びせられた声に恐る恐る振り向けば、僕より少し年上と思われる青年が酒瓶を大事そうに抱えて佇んでいた。現代に似つかわしくない着物を着た彼は「すまない、驚かせるつもりは無かったんだが」と一言詫びてから「もう一度聞くが」と続ける。

「客かい?君は」

「―――――――は、はい。あの、こちらで……その。手頃なお値段で純正肉が食べられると聞きまして」

それで、と言った瞬間彼は人懐こそうな笑みを浮かべ「よろしい」と言った。彼は僕の横を通り抜け、すたすたとカウンターの向こうに入っていく。

「そら、メニューだ。少し待ってな」

「は、はあ。どうも………」

紙に書かれた手書きのメニューを見ながらカウンター席に座る。煮込み、ハンバーグ、野菜炒め、ステーキ、唐揚げ、竜田揚げ、天ぷら、餃子等等。田舎の食堂と聞いていたのでもっとしょぼいメニューを想像していたが、和洋中と揃っているようだ。

せっかく純正肉を食べられる機会なのだから、美味しいものを食べたい。

僕はメニューを穴が開くほど見つめ、うんうんと頭を捻る。どれくらいそうしていただろうか、傍らに水を置かれる音で瞬間的に理性が舞い戻ってきた。

「随分真面目に見るものだ。そんなに純正肉が食べたかったのかい?」

「――――――はい。あの、自分。生まれてからこれまで、培養肉や代替肉しか食べたことが無くて。本物のお肉っていうのを、食べてみたくなったんです。こちらでお出ししていると聞いて新幹線ですっ飛んできました」

「わざわざ新幹線で?酔狂な若者だな。うちがよそ様と同じぐらいの値段で料理を出していたらどうするつもりだったんだい」

「それは―――――――………」

ううん、とちょっと考えてから「カード払いってできますかね」と問うた。彼は「できるがね」と笑った。

「安心しろ、うちは昔から手頃な値段で提供するようにしている。苦学生にだって人気さ」

「昔から………?あの、もしかしてここのお店ってかなり歴史があります?だって、確かもう100年くらい前にはすっかり培養肉の時代になってましたよね?」

「………まあ。まだ生物の肉が主流だった時期からある店だな」

「え!?それって――――――――かなり老舗じゃないですか!」

僕は思わず鼻息が荒くなってしまう。世界が変わっていく中で、変わらずあり続ける小さな食堂。あまりにも物語性のあるそれに心が躍ってしまう。ならば店主が若いのも納得がいく。きっと彼はこの店の何代目か、何十代目かなのだ。この時点ですでに僕は、肉への期待が高まっていた。

「ええと、じゃあ。折角なので焼き串の盛り合わせと冷ややっこ、日本酒を」

「お。こんな日の高いうちから酒とは」

「泊まるつもりで来たので」

「ふふん、いいじゃないか。それに丁度良い日本酒が入ったんだ、折角だし飲んでみるかい」

「え!いいんですか、そんなのを客に出しちゃって」

「客だから出すんだ、それに美味いものを独り占めは勿体ない性分でね」

カウンダ―越しにそんなことを言う彼は随分と嬉しそうな顔をしている。もしかしたら、お客さん自体久しぶりなのかな。無理もないか、皆純正肉を食べようとすら思わないのだから。

「(………串以外も食べちゃおうかな)」

酒を飲むなら食べ物があった方が良い、絶対良い。僕はまたメニューに視線を戻した。



「どうぞ。焼き串盛り合わせだ」

「わ、あ」

目の前に置かれた焼き串五品。丸っこい棒のようになっているのは資料で見たつくねというやつだろう。こっちは「ねぎま」、「レバー」?そういえば、レバーは動物の肝臓なんだっけ。肝臓。途端に心臓がどくりと跳ねる。肝臓、僕にもあるじゃないか。思わず腹のあたりを服越しに撫でる。

「………………………い、いいんですか、食べて」

「いいも何も、君のために作った料理だ。君が食い給え」

「…………は、はい!………い、いただき、ます!あ、あの、店主さん」

「ん?」

「僕、純正肉について不慣れなので。どんな部位か説明してもらってもいいですか?」

「部位?知りたいのかい?」

「ええ。自分が生き物の何処を食べてるのか、知りたいんです」

せっかく命を頂くんですから、と付け加えれば店主はカウンター越しに頷き、す、と白い指を肉に向けた。

「いま君が持っているのが、皮」

「こ、このぷよぷよしたやつがですか」

「食べてみな」

「は、はい。……………っ!」

口に入った瞬間、塩の風味と肉の油が舌に載る。その時点で多幸感でいっぱいになって、なんだか泣きそうになってしまった。ゆっくり噛む。「おいしい」。心からそう思った。いつも食べている培養肉や代替肉と感触は同じなのに、受け取る情報は全く違うものだった。すごい。これが、純正肉。一口日本酒を飲む。きりりと冷えた辛口が口内の油を流していく。快感にも似た心地よさだ。美味しい。

「薬味たっぷり冷ややっこお待ちどう。ポン酢か醤油で食べ給え」

「あ、ありがとうございます………!」

来てくれたばかりの冷ややっこにポン酢をかけて一口運ぶ。葱と大葉と胡麻の触感と口の中でとろける奴のバランスがたまらない。んん、と口の奥の方で感嘆符が出る。

「っ、あの、美味しい、おいしいです」

「そうかい。それは嬉しいね」

皮だけでここまで感動してしまった。串は、全部で五種。あと四種、一体何が使われているのだろう?



「それはつくね。挽肉から作られていてね。うちのは生姜と葱と一緒に焼いている」

「ねぎま。胸肉が使われていてね、間の葱と一緒に食べるとそれはそれは美味だ。」

「レバー。肝臓だな。今回は塩で味付けしたが、ねっちりした触感だからタレで食べても美味い」

「ぼんじり。名の通り尻の肉。失敬、食べているのを見ていたら飲みたくなってしまった。客の前で申し訳ないが、俺も一杯いかせていただくとしよう」

挽肉。胸肉。肝臓、尻、そして皮。自分にもある部位を食べていくのは、なんとも不思議な気分だった。心の奥の倫理観のようなものが、「その思考はやめた方がいいかもしれない」と言っている。しかし、培養肉で育てられた僕はどうしてもそれはやめられなかった。野蛮がなんだ、僕は今、いきものの肉を食べているんだ。ならば知るのは当然の事だろう。この肉が明日からの僕を形作り、生きていく糧となる。食べても無くならない真実がある。それだけで僕は胸がいっぱいになる。

「おいしい、」

酒のペースも早くなる。気づけば継ぎ足されている水が有難い。塩胡椒というシンプルな味付けが肉のうまみを引き立たせている。歯ごたえのあるもの、やわめのもの。どれも違った美味さだ。

「おいしいです」

「……………良いねえ。良い食べっぷりだ」

「店主さんは何か、食べないんですか」

「君の食いっぷりが肴になるから良い」

カウンターの向こうで静かに飲む店主さんを見て、もったいないな、と思ってしまった。店主さんもこの美味しい肉を一緒に食べたら良いのに。いや、一応提供者と客だからそのあたりは弁えているのだろうか。酒飲んでる時点でだいぶ曖昧な気もするけど。

とにかく、僕は食べた。肉に集中し、酒を飲み、奴を食べた。肉はどんどん僕の胃の中に姿を消していって、やがてついには皿の上からすっかり無くなってしまった。

「………………………ふう」

寂しさがふと去来する。もっと食べたい。けれど今はこの焼き串たちに敬意を払いたい。だから僕はアルコールが回った頭で、それでも手を合わせた。

「ごちそうさまでした」

「はい、どうも。まだ胃は空いているかい?なんならまだ作るが」

「あ、ありがとうございます。ええと、どうしようかな、」

食べたい気持ちは無限に湧いてくるのだが、この焼き串の余韻を楽しんでいたい気分もまだ存在する。おろおろとしている僕を見て悟ったのだろう、店主は「なあに、まだ日は高い。ゆっくりやろうじゃないか」と言ってくれた。

「ありがとうございます。…………あの、純正肉って、こんなに美味しいんですね。培養肉だって美味しいけど、これは格別」

「培養肉なあ。あれのせいでだいぶ精肉業者が畳んでしまったから、あまり良い印象は無いが。商売敵だし、俺は認めないぞ」

「な、なるほど。大変だったんですね。味はどうです?」

「味。味なあ。…………困ったことに技術の力は認めざるを得ない。美味いものにケチをつけ始めたら本当に年寄りになってしまうからな、そのあたりは。………」

店主はグラスを傾けながらぶつぶつとそんなことを言う。僕はその感覚がよくわからないが、純正肉を口にしている人からすれば代替肉の存在は複雑なのだろう。とはいえ全部認めないわけじゃないあたり、それなりに寛容というか順応性はあるんだと思う。

「……………あ。純正肉といえば、店主さん。知ってますか?最近のニュース」

「うん?」

「最近自殺者が増えているんですって。その理由、なんだと思います?」

「ほう。なにかね」

「理由は――――――『人に自分の肉を食べて欲しいから』だそうで」

自分でもなぜいきなりこんな話をしているのかはわからなかった。けれど酒の勢いというか、なんとなく目の前にいる人にこの話をしたくなったのだ。

「人生がつらくて、自ら死を選ぶ。でも、ただ死ぬだけじゃ勿体ない。最後くらいは誰かの役に立ちたい。誰かの血肉になりたい――――――そう祈りながら死んでいく人が増えているんだそうですよ」

「…………………………で?実際肉にはなっているのかい」

「いや、駄目ですよ。当たり前じゃないですか、人の肉を食べるなんて。」

「うん、まあ。人間の体なんて雑味たっぷりだ、食えたもんじゃないだろうが」

でもね、と店主は呟いた。

「血肉になりたいのはわかるよ。残したいものな、生きた証みたいなものを」

「…………え?食べたら残らないじゃないですか」

「残るさ。その肉を食べた者の中に」

店主は自らの腹の辺りをゆびでぐるぐるとなぞり、言葉を紡ぐ。どきりとした。それはさっき、僕が肉を食べた時に思ったことだ。

「消化されようが、食べた事実は残り続ける。死んでも尚、それは変わらない」

「―――――――――――」

ああ、それだって思った。なんだか思考が読まれているみたいだ。僕は心臓がどくどくと脈打つのを感じる。ここまで食に対する感情が、死生観の合致する人間がいたろうか。いや、いない。だからきっと僕はこんな離れた土地まで、肉を食べに来たのだ。

「だから、まあ。故人が望んでるんならいいんじゃないか?」

「でも、……………人の肉ですよ」

「それが何だ。生き物の肉であることは変わらない」

「あなたは」

自然にその言葉が口から零れ出た。


「誰かの血肉に、なりたいんですか」


「――――――――……………………」

店主は笑ったまま、何も言わない。僕はちょっとだけ、酔いが醒めかける。その瞬間店主は「ところで、」と言った。

「珍しいお客さんだからね。メニューにないものも作ってあげよう」

「え、いいんですかそんなこと」

「良いに決まってるだろう。なんだったら部位ごとに選ばせてやろうか」

「部位、」

僕は自分の体を見下ろす。多分僕の食べている肉のいきものと僕はかたちが違うかもしれないが、それでも見ざるを得なかった。

僕は、乞い願うように口に出した。


「心臓が食べたいです」


いのちの核の名を口にする。店主はいいとも、と口にした。僕はそっと口を開いた。

「店主さん。」

「うん?」

「僕は多分、食べちゃうかもしれません。相手がそう望んでいるなら」

「野蛮じゃないのかい」

「そうかもしれません。間違っている気がします。でも相手は食べて欲しくて、僕は食べたい。なら、いいんじゃないかって。双方合意があるじゃないですか」

「はは。双方の合意か、面白い事を言う。―――――――それはきっと、人間としては間違った感情だ、だが」


俺は好きだよ、と店主は口にする。


「………………………心臓。残さず、食べてくれよ?」

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