番外編6 フジミヤとおかず

これはきっと、れっきとした自殺幇助なのだろう。


普段より大きなトートバッグを肩に下げた私は、強い日差しの中かの人を待っていた。

腕時計をちらりと見やれば、約束の時間まであと十五分といったところ。ちょっと、いやかなり逸りすぎたらしい。緊張と暑さでどうも顔が火照ってしまい、待ち人が来る前に倒れてしまいそうだ。一分歩けばエキチカ商店街、目の前は広場。十分くらい中でうろついていようかと思った瞬間、視界の端に彼の人と思われる特徴を持つ男の姿を見つけた。

「……………あ、」

黒髪に三つ編み、日傘に着物。その人の姿はこの大都会じゃかなり目立っていて、きっと私も道行く彼ら彼女らのひとりだったら二度見くらいしていただろう。

しかし、待ち人は真っすぐ私の方へやってくる。「彼」は、今日は私だけのものである――――――そんな優越感で、どきりと心臓が大きく跳ねた。

「こんにちは。待たせてしまったようだね、申し訳ない。ええと、あなたが――――――」

「………て、天馬です。天馬美世。今日はよろしくお願いします……フジミヤさん」

「うん、よろしく頼むよ。…………君、随分と顔が赤いようだが大丈夫かい。先に喫茶店で涼むという手もあるが」

フジミヤさんはさっと私の方に傘を傾けながらそう言う。よく気のつく人だ、と思った。

見た目は――――……二十代後半くらい。人懐こい笑みを浮かべた、服装以外は普通の青年だ。多分私よりちょっと年上。彼の朗らかなオーラのおかげか、私の緊張は少しずつ解れていく。ごくん、と唾を飲み、トートバッグをぎゅうと握り締める。

けれど、申し出は嬉しいが―――――私は。

十五分前に来てしまった私は。

もう欲望を抑えられなくなっている、私は。

「――――――……あの、すみません。せっかくの申し出なんですが、……このまま、フジミヤさんのおうちに行っても?」

「―――――――………」

言ってしまった、と後悔してももう遅い。私の顔はますます熱くなり、きっと耳まで真っ赤だろう。高鳴る心臓をどうにか抑えようとして、ひとつ息を吐く。それと同時にフジミヤさんはくすりと小さく笑った。

「堪え性の無いお嬢さんだ。だが嫌いじゃない。………傘の中に入り給え、行くとしよう」

「………は、はい!」

奇しくも、相合傘のようなかたちになる。都会は立ち並ぶビルの照り返しでひどく暑い。顔を赤くしながら歩く私と涼し気な顔をしたフジミヤさんは、もしかしたら傍から見たらカップルとかに見えちゃったかもしれない。なんだか昔に読んだ少女漫画みたいだ。だってこんな格好良い人が隣にいるだなんて、夢のような話だもの。

けれど実際は少女漫画展開が待っているわけではなく、私たちはカップルでもなく。

そんでもって、オフパコとかでもない。


私は今から、彼を殺すのだ。



■■■


人を殺したい、という欲望が芽生えたのはいつの事だろう。

今となっては覚えていない。きっと深く、深く記憶を掘り下げていけばしっかりした理由があるのだと思うが、今もなお続いているのなら理由なんてあってもなくても変わらないだろう。生物全般に向かわなかったのは我ながら健全。よくある「猟奇殺人犯は幼いころこういうことをしていました」みたいなやつはない。ほら、かわいい動物相手に本気で欲情する変態なんてなかなかいないでしょう。そういうもの。

それが無い代わりに、私は人というか――――人体に対して、歪んだ欲求を持っていた。

私が見たいのは裸じゃなくてその向こうの肉で、聞きたいのは喘ぎ声ではなく呻き声に叫び声。血が見たい、肉が見たい、死にたくないと叫ぶ今わの際の叫びが効きたいし、さいごのひゅうひゅうという喘鳴が聞きたい。人を、殺したい。人の死が、見たい。我ながらひどい性癖だ。

でもそんな欲望が許される世界じゃないので、皆がパートナーとまぐわっていたりAVや漫画を見て欲望を発散させている中、私はゴア映画を見てひとり興奮していた。作り物だっていい、むしろ作り物じゃなきゃダメだ、倫理的に、


――――――倫理って、何?


そんなことをふと思ったのは、画面の中の悪役がカップルの片割れの足を鋸で切っているシーンだった。

女の悲鳴をBGMに考える。なんで殺しちゃいけないんだろう。悲しむ人がいるから?法に触れるから?…………そんな疑問も対する答えも、決まっているからつまらない。そこに私の欲求を満たしてくれる答えはない。私は、私の欲望を昇華させたい。人を殺したい。「終わるさま」を見たい。きっとそれを見たら私は、人生で一番興奮するだろう。一生のオカズになるだろう。作り物にはない生々しさを、下がる体温をこの手で、肌で、五感すべてで感じたい。

寝ても覚めてもそのことばかり考えて悶々としていた私は、パソコンを開いて「そういう掲示板」に行ってみたのだ。


死にたい人はいらっしゃいませんか。

死ぬとき、誰か……知り合いとか、友達とか、家族とか、恋人とか、大切な人とか。そういう人だと、気が引けてしまいませんか。死を躊躇ってしまいませんか。

けれど、一人で死ぬのは嫌でしょう。

他人でも良い、誰かに手を握ってもらいたいとか傍にいて欲しいとか―――――そういう、「都合の良い人」に、私がなります。

その代わり、あなたの死に方を。私に決めさせてはくれないでしょうか。


とまあ、こんな感じの文章と私プロデュースの死に方、もとい殺し方を書き込んだ。

当然のことだけれど、こういうところにいる死を望む人って、できるだけ痛くない方法・苦しまない方法を探している。自分でするのは怖いから、他人の手で、楽な方法で楽じゃない人生を終わらせたい人たちが集ってるんだ。

自分で死ぬ勇気も無いくせに他人の手を汚そうだなんて、なんて自分勝手なんだろう。そういう人たちを内心憐れみながら、「私の殺し方」でも許してくれそうな人を探す。

「(ま、一番自分勝手なのは………私か……)」

いないかな、いないかな?私の勝手に、応えてくれる素敵な人は。

そうやって麦茶を飲みながら探していた、ある日の夜。私の勝手を満たしてくれそうな書き込みをしている人が午前二時にふと浮上した。

いる。いる!私はその人に話しかける。その人は、二つ返事で了承する。それから諸々のやりとりを経てから私たちは今日、落ち合う事になったのだ。我ながらアクションが早い。



「――――――しかし君、まだ若いだろう。年頃の娘が男の自宅に行くものでは無いよ」

「はあ………え、今言いますかそれ」

「一応言うさ。もし俺が逆に君を手籠めにしよう―――――など、ふしだらな事を考えていたらどうするんだい?」

「今から死ぬ人がそんなことするんですか?」

フジミヤさんは目を丸くして私を見て、やがて目を細めて笑った。

「………ああ、そうだったな。うん。今から俺は、君に殺される。確かにな、今から死ぬ人間にそんな欲は必要ない」

そうだよ、と言う気持ちと。そうじゃないの?という気持ちが綯交ぜになる。

私の不安そうな表情に気づいたのか、安心させるように「なあに、取って食ったりはしないさ。約束を違える気も無い」と謡うように言った。

「ちなみに我が家には地下室があってだね。防音防臭機能があるから安心したまえ」

「凄い。まるでそのためにあるおうちみたい」

「そのためにあるお家さ」

「?」

「ああ、それと」

フジミヤさんは赤信号で止まる。私も倣って止まる。

「死体の処理についても、安心し給え。君の足が付く可能性は、万に一つも無いさ」



■■■


「……………よし」

地下室で、フジミヤさんを椅子に座らせる。腕を後ろ手で縛り、足も椅子の足に括りつける。そうして私は手元の大きなチェンソーのスターターを引き、エンジンを始動させた。

「随分手馴れている。使った事が?」

「昔父の手伝いで触らせてもらったことがあって。あとはイメトレです」

「いめとれ」

「その、こういう事をする時のために」

「成程。随分勉強熱心らしい」

ちゃんと「見えやすい」ように、わざわざTシャツとズボンに着替えてもらった。軽装のフジミヤさんは先程よりも若く、より普通の青年らしく見える。

椅子の上でくく、と笑うフジミヤさんに恐怖や不安の色は無い。駅に迎えに来てもらった時の、あの笑みのままだ。私は、ぞくりと背中が泡立つのを感じた。

「…………怖くないんですか?」

「うん?」

「フジミヤさん、全然怖がってないなあって。死ぬの、怖くないんですか?」

「…………そうだな。怖がっていた方が、良いかね」

「いや、――――――ただ純粋に気になっただけ。なんでそんないつも通りっていうか、普通に振舞えるんだろうって」

「君と同じさ。無警戒に男の家に踏み入って、どうして怖くない?」

「それは――――――――……………」

同じ?本当に?私は死を目の前にした人がそこまでアグレッシブなことが出来ないと思って、……だから怖くない、と思っているのだけど。フジミヤさんの「普通」は、理由が思いつかない。どうして?そんなに――――――

「そんなに、死にたいんですか?」

「…………………」

「これだけ聞かせてください。フジミヤさんは、なんで死にたいんですか?」

「―――――――――…………」

後ろ手に縛られたフジミヤさんは少しだけ考えるような素振りを見せ、やがてぽつんと呟いた。


「―――――――――なあに。ちょっと、生きているのに疲れただけさ」


私はそれを聞いて――――――じゃあいいか、と思った。チェンソーの音が遠くで聞こえる。ああ、良かった。そのくらい適当な理由の方がいい――――――


「―――――――っ、ぐ…………!」

太腿の辺りから右足を切る。刃は回転しながらずぶずぶと洋服を、皮を、肉を破って沈み込んでいく。私は緩く刃を降ろしていく。すぐ横で、フジミヤさんの生の呻き声が聞こえる。そこでようやく私の中の不安だとか恐怖が霧散して、頭の中は欲一色になった。

もっと。もっと声を聴かせて。

相当な激痛の中で、それでもフジミヤさんは唇をぎゅうと噛み締め、大声を出さない。出せないのかな?わからない。映画だとこういう時すごい大きな声出してたような気がするけど。白い肌は真っ青で真っ赤で、きっとこのあと白くなる。首まで冷や汗が滲み、ぽたぽたと落ちる。汗が滲んだその下で、返り血が真っ赤に、いや真っ黒に衣服を汚していた。

「おーい………フジミヤさん。聞こえてますー………?」

フジミヤさんは荒い呼吸を繰り返すのみで、私の声なんか聞こえないみたいだ。喉の奥の方で細い呼吸音がする。口の端から涎が零れる。そう、こういうの。こういうのが聞きたかったの。

「次、左足行きますね」

「ぐあッ、―――――――――ッ!!!!!!!」

目をかっと見開いて、喉をのけ反らせる。今の凄いエロかった。私の背筋がさっきとは違う意味でぞくぞくと泡立つ。これが「本当」なんだ。これが私の望んだ光景なんだ!

「フジミヤさん、私ね。男の人の家に行くの、全然怖くなかったんですよ。それはさっき話した理由も本当なんですけど、」

作業用BGMのように、彼の喉から出る悲鳴を聞きながら私の話をする。聞こえてないなら恥ずかしい話もしちゃっていいよね。いいや。

「別に私、監禁されて酷いことされて殺されても、フジミヤさんのこと恨まなかったと思います。―――――――ああ、フジミヤさん。断面がきれい。すごい、すごくないですか?私。はじめてなのに超丁寧。ねえフジミヤさん、両足なくなっちゃいましたよ。聞いてます?聞いてませんね。ぴくぴくしててカワイイ。………ああ、話戻しますね。私、結構ちっちゃい頃からこういうことしたいなーってのがあって。でも、そういうのって人に話せないじゃないですか。ぽろっと言った日には親と先生の手で保健室だのカウンセラーだの、そういう人たちと話さなきゃいけなくて。違うのになーって。みんなが恋の話するでしょ?それとどう違うのかなーってずっと思ってたんですけど、どうやら違うみたいで。でも、『好き』ってなかなか変えられないじゃないですか。変えられなかったんです。AV見てもなんも興奮しない。その時私、多分この世に生きてちゃダメなんだって思いましたよ。あ、見てください。排水溝に血が流れていきますよ。ふは、フジミヤさん真っ赤。多分私も真っ赤です。びっちゃびちゃ。お揃いですね、へへ。血まみれって案外気持ち悪いですね!ああ、左手取れましたよ。へえ、フジミヤさんきれいな手、してるんですね。爪のかたちも素敵。っ、はあ、…………話、ああそう話。そんで私、どうせ生きてたら絶対こういうことするんだから、せっかくなら最後に一番勝手な事しようって思ったんです………っ、足付かないようにって言ってくれましたけど、本当は一生のオカズなんていらないんです。今があればいいんです。あ、泡吹いてる!かわいい!………は、今私すっごく興奮してるからぁ、終わったらフジミヤさんの死体見ながらエッチなことして、そんで逝きます。そうしたら私の人生、まあまあいい感じに締めくくられると思うんですよね。はあ、へへ、私性欲猿だからあ、ずーっとずーっとこんなことばっか考えてたんですよお。こんなこと考えるくらいしか楽しいこと無かったし。映画、映画は楽しかったけど、恋愛映画とかわけわかんねえし、あははっ、友達と一緒に見てあそこのシーン良かったねーとかときめいたねえとかっ、言うのキッツくてえ。頭蓋のひとつでも割れてくれないとッ、全然心もなーんも動かなくてっ!はあっ、こうなった理由なんて、私が一番知りたいですよっ、は、ははははっ、あっ、右腕!ほーら、フジミヤさん見えます?ピースピース。もう声、聞こえないかな?耳も聞こえないかな?ねえっ、フジミヤさん!私とあいつら、何が違ったんですかねっ!?あの発情クソ猿どもと!倫理観死んだ私!どっちも性欲に頭支配されてるアホなことに変わりないでしょっ、そしたらさあ、何したっていいでしょ最後くらい!こんな人生ならさあ!!!」


喋る。切る。喋る。切る。フジミヤさんは、叫ぶ。私も叫ぶように切る。きっと防音室の中は騒音で滅茶苦茶だった。けれど私がしゃべるのを辞めた瞬間、頭の中でずっと鳴っていたフジミヤさんの悲鳴も止んだ。目の前には四肢をもがれて絶命した、きれいだった男の死体だけだ。

荒い呼吸を整える。心臓がばくばくと鳴っている。夢見た光景はなんだか、―――――――思い描いていたものよりも、あっけなかった。

「――――――っは、はあ、はあ、はあ………………」

というか、私が勝手に自分だけ気持ちよくなって終わった。でも、まあそういうもんか。相手は死ぬだけだし、私は殺すだけだし。

がちゃん、とチェンソーが手から滑り落ちる。返り血はだいぶ私を濡らしていて、それが手にまで届いていたようだ。ぬるりとした温かい血が私の全身を包む。一心不乱に暴れていたから、チェンソーの重みと反動で手は痺れていたし、全身に倦怠感があった。はあ、と息を吐く。でも、この余韻をどうにか発散したい。どうにか―――――――



「―――――――――――随分身勝手なお嬢さんだ」



声が、聞こえた。

そんなはずはない。興奮しきった体がすうっと冷えていく。背中に冷や汗が垂れていく。いや、まさか。そんなはずない。だってあんな血出して、あそこまででっかい声出して、ずうっと痙攣してて、…………だから生きてるはずが無――――――


「――――――――――あ?」

「だが―――――まあ、俺も似たようなものか。うん。お嬢さん、まだ余力は残っているかい?こちらへ来たまえ」

のけ反っていた首がばきばきと動き、目玉に光が戻る。呼吸はもう、さっきと同じ、で。………………いや、なんで。やだ、嘘でしょ。――――――何?

「あ、あ、あえ、え、あ、」

私はゆっくりと椅子に座った「それ」に歩み寄る。靴はぴちゃん、ぴちゃんと血だまりを踏む。そうして、その顔を見た。

生きている。なんで?どうして?私、手足取ったよね?

「っあ、あ、…………ああ………へ………?」

死んでない、なんで?どうして?顔に触れる。はあ、と息を吐く。冷たくない。温かい。私と同じ温度をしている。どうして。

「―――――――随分昂っているな。足りない?」

「あっ、……………え、…………え………?」

「足りないなら、後で相手してやる。ご覧の通り手足が無いので何もできんがね」

「あ――――――――――…………?」

「だが――――――余力があるのなら。お嬢さん、ひとつ頼みがある」

そうして、目の前のものは。ゆるやかにこう言った。


「どうせだから、解体して仕分けて冷凍庫に仕舞ってくれないか?」



■■■


父の仕事の関係でチェンソーを触らせてもらった事は、私の思い出と経験の一部だ。全然関係ないが、魚の三枚おろしとかはやったことがない。ましてや生き物の解体なんてしたことがない。そう、「そういうこと」を夢見てはいたが、何も――――――何もここまで。

「それじゃあ、真っすぐに刃を降ろして、そのまま背中を開いてくれ。ああ、内蔵は傷つけないでくれよ?それだって売り物になるんだから」

「はい、じゃあさっき君が吹っ飛ばした足は小分けにして。皮と血抜きはこちらでやっておくから安心し給え。ちなみに腕の辺りの肉は歯ごたえがあるから醤油と味醂と酒でじっくり煮込んで食うのがお勧めだぞ。……………あっ、こら!そこは切るな!血が出る!」

「はい、じゃあそっちはポリ袋に入れて、それは並べて。悪いが冷凍庫は隣室にある。とびきり大きいやつだ。重いだろうが、チェンソー振り回してた腕力ならいけるだろう。頑張れ若人」


――――――――――――――う、うるさい。うるさい、この化け物。

こっちは殺したと思って、さくっと抜いて死のうと思ってたらこれだよ。何。私何してるの。なんで人間の解体なんかしてるの、というか、これ。

「――――――――――え、もしかして………食用?」

「いかにも」

「う゛、」

「あ、吐くなよ。商品に臭いが移る。我慢し給え」

げえ、と思わず抑えた手のひらの中に吐瀉物が混じる。無理。私ゴアは大好きだけど、…………………食べるのは、嫌だ。だって殺した時点でもうそれは、汚い人間の肉塊じゃない。え、なんで、なんでこの人冷凍保存しようとしてるの。

「あの、なんで、なんでこんなこと」

「こんなこと?…………ああ、自分の肉を解体して、誰かに食べさせようとしていること?」

こくこく、と必死に頷く。椅子の上に置かれた元・死体は少し考えてからこう言った。

「食べさせたいから。だって、俺の肉は美味いからな。」


――――――――――なんなの、これ?



■■■


あの後私は三十分くらい放心したのち、よたよたと風呂を借り、血を落とし、トートバッグに詰め込んできた服に着替えた。防音室。冷凍庫。私は頭の中で考える。血の匂いを落としながら私は、「あの人いつもこういうことしてるな」と答えに辿り着いた。ということは本当に彼が欲しかったのは死ではなく、都合よく人体を解体してくれる人間。つまり私は、まんまと利用されたってことである。……………思わず大きな溜息が出る。本当は誰も殺していない事への安堵か、意味不明正体不明の怪物に出会ってしまったことへの恐怖か、呆れか、疲労か。

「…………………………………」

本当に一人よがりだったことに気づいて。私は急に恥ずかしくなった。


誰かと一緒に汚れたかったのは、私もだったのかもしれない。




「………………………」

「やあ、お疲れ様」

シャワーから出てみれば、ベッドの上には生首が転がっていた。フジミヤさんもとい化け物である。あの後私は首も落として、彼の体を開いて、臓腑を分けて、小分けにするという重労働をこなした。生首の言う通りにした理由は、――――――ただ単に、怖かったのかもしれない。「死者に見られる」という行為そのものが。あるはずのない光に真っすぐにみられるというのは、経験したものにしかわからない恐怖がある。あと単純にうるさかったのもある。あと疲れてて思考力が落ちてた。そんな要因全てが、私の初めての人間解体作業を成功させたようだ。

「残念ながら先程よりも小さくなっているから、この通り何もできん。君は――――――そんな余力は無いようだな。それはそうだ、人体一体の解体でかなりの体力を持っていかれるだろう?ましてやその前に喋りながらチェンソーを振り回していたんだ。力のある男ですら疲労困憊になるものを、よく最後までやってくれたな。見事だ。」

「はあ……………」

何もできないし何も考えられない。私はベッドにぼすんと倒れ込み、大き目の息を吐く。なんだか、すべてが肩透かしだ。自分よりヤバい奴なんていない、自分は異常で、普通にはなれなくて、生きてる限り孤立するのだと思ってきた。そんなことは無かった。

「少し眠るといい。手っ取り早く体力を回復させるなら寝るのが一番だからね。ああ、食事だって大事だが。君、なんだったらうちの肉、お土産に持っていくかい?」

「いらないです……………」


目の前の男は、自分の肉を人に食べさせることを生きがいにしているらしい。

だから麻酔なしでも喜んで切り刻まれる。不老不死らしく、どれだけ刻まれようが死なない。もしかして痛覚が無いのかと聞いてみたら、それはちゃんとあるそうだ。


あるうえで、自分から痛みを選んでいるのだ。気持ち悪い。


「………………………これから私、どうやって生きていけばいいんだろう」

思わずぽつりとつぶやく。特に意味は無かった。けれど意味の無さの一枚下の方で、自分以上の異常―――――異常を越えた怪異への恐怖心や、そんなものと出会ってしまったのにも関わらず私の性癖は変わらないこと、そしてそれはきっとずっと続いていって、また日々に戻るのだ、と。そんな緩やかな絶望感が横たわっていた。

「何、生きていけるさ。それこそ人を殺さなくても、欲は消化できるだろう」

「………………………」

「俺という最高のおかずがあるんだ。精々それで一生、食い繋ぐことだね」

生首は笑う。私はなんだか力が抜けて、そのまま眠りに落ちたのだった。



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