芙二宮精肉店 2話


「どうした、そんなに目を丸くして。………ああ、足が付いているから驚いているのか。どっこい、幽霊じゃあ無い。見ての通り元気だ。心臓も動いている」

「いや、あの――――――――どちらさまで?」

ようやく言えた六文字と疑問符に、今度は青年の方が目を丸くする番だった。青年は形の良い指を顎に当ててふむ、と呟くと「君は、芙二宮貢ではないのかい?」と問うた。

ふじみや、みつぐ。それは―――――――

「…………それ、俺の親父の名前ですね。親父の知り合いですか?」

「―――――――――――親父。ということは、君は」

「はい。ええと、芙二宮千草。貢の息子です」

「―――――――――――息子………………」

青年はしばらくその三文字が呑み込めていないようで、何回かむすこ、むすこ、と咀嚼をした。やがて「そうか」と小さく笑む。どうやら呑み込んだらしい。

「……………それも、そうか。こんなに若いわけが無いんだから」

「…………あの、」

「いや、失敬。見苦しい所を見せてしまったな」

「いえ―――――――あの、父の知り合い………ですか?」

それにしてはあまりにも若すぎる。それに、父の知り合いならば俺は大抵顔を見ているはずだ。こんな俺と同じくらいの若人、見たことが無い。秘密の知り合い?いやまさか、あのおとなしめの父に限って。

「まあ、そんな所だ。千草と言ったな、開店中に失礼した。ではな」

「あ、」

青年はくるりと踵を返す。このまま帰らせるのは申し訳ない――――待ってくれ―――――もしかしたら―――――――「もしかしたら、父を知るものなら」


――――――「罪」についても、知ってるんじゃないか?


「ま―――――待ってください!」

ぴたり、と青年が止まる。ゆっくり振り返る。俺は、「その、うち閉まるの七時なんですよ、夜の」と言葉を走らせる。


「そのあとで良ければ、あの。話をしませんか」


もしかしたら、父の事を知る人物と話せたなら。明日は、違う明日になるんじゃないか。

そんな淡い期待を唾と一緒に飲み込む。青年は目を細めて、笑った。

「ああ、いいとも。七時、か。どちらで逢引をしようか」

「あいびき、って肉じゃないんですから。あー、じゃあご足労ではあるんですけど………もう一回、ここに来てもらっても?」

「構わないよ。それじゃあな、千草青年」

「あ、ちょっと待ってください」

名前だけ聞いてもいいですか、と俺は青年に問うた。


「藤宮。藤宮蘇芳だ。じゃあ、また夜に」


彼は俺と同じ苗字と、違う名前を言い残し、ひらりと手を振って去っていった。


■■■


「にーちゃん、さよならー」

「はーい。気をつけて帰るんだぞ」

主婦が通り、学生が通り、勤め人が通る。朝の逆再生だ。それらを見送り、肉を売り、金を得て、レジを閉めて。シャッターを閉めようとしたところで、「やあ」と声を掛けられた。

「昼はどうも、フジミヤくん」

「どうも、フジミヤさん。……………って、どっちも苗字が一緒って紛らわしくないですか?」

「はは、それはそうだ。君の父上ともよく、そんな話をしたな。懐かしい」

「『フジミヤ』『フジミヤ』って呼び合ってたんです?」

「ああ、呼び合っていたとも。上官も随分困っていたものだ」

「上官――――――――」

俺と同じくらい、いや少し上の青年。でもそれだって、戦後生まれのハズなのに。

「―――――――ところで、父上は?出かけているのかい」

「ああ、それなんですけど。父は……………」

シャッターが地面に当たる。そっと閉めても、ぴしゃんと音は鳴った。

「――――――亡くなりました。一か月前に」

「…………え、」



「――――――――そうか、病気で。そんなこともあるんだなあ」

ずず、と茶を飲んだフジミヤさんこと、藤宮蘇芳さんはひとつ溜息を吐いた。

「残念だ。折角生き延びたのに、長生きできないとは」

「そうですねえ、まだ五十代だもん。早すぎますよ」

「うん。…………線香をあげても?」

「ああ、どうぞどうぞ。親父も多分喜びます」

「多分とはなんだ多分とは」

「だって、俺まだ蘇芳さんが父のどういう知り合いかわかんないわけだし」

思えばそうなのである。俺は今日知り合ったばかりの人を家にあげ、あまつさえ父の仏壇に引き合わせているのだ。これで親父と全く関係ない他人だったらどうしよう。それはさすがに怖い。そして俺の警戒心の無さも怖い。

「(………でも、悪い人には見えないっていうか)」

「――――――――――……………」

ちらりと手を合わせる蘇芳さんを見る。ふとした瞬間に見せる人懐こい笑みは、到底悪いことを考えていそうな人には見えない。手を合わせ、目を伏せているその姿もごく普通の青年だ。じゃあ結局、父とどういう知り合いなんだよという話になるんだが。

「―――――――よし。ありがとう、君。ようやくフジミヤに会えて良かったよ」

「それはまあ、なによりなんですけど。――――――そろそろ質問していいですかね」

「ああ。俺に答えられる程度の事なら」

「…………蘇芳さんは、父のどういったご関係で………?」

なんか変な聞き方になってしまったし、恐る恐るといった感じになってしまった。

蘇芳さんは「そうだなあ」と呟き、俺を見る。

「あまり信じてもらえないかもしれないが。君の父上とは同じ部隊でね」

「部隊…………って、いやいやいや。あなたどう見てもそういう年じゃ、」

「そういう年だと言ったら、どうする?」

―――――――――戦後生まれ、じゃない。というか。完全に戦中、というか。

「……………え、若作り?こう見えて蘇芳さん、五十代だったり……?」

「五十代なのは正解だが、若作りという訳ではない。俺の体は少しばかり特殊でね、いや特殊に『成った』というべきか。だから父上に会ったら驚かせてやろうと思ったんだが、それは叶わなそうだ」

「まあ…………同い年の男が息子と同じくらいの見た目してたらそりゃビックリしますわな…………」

「ははは、それはそうだ。………時に千草くん、この店は君ひとりで切り盛りを?」

「ああ、そうです。いや全く、毎日大変っすよ。はは…………」

「凄いな、君は。よくやってる」

蘇芳さんは微笑みながら「偉いものだ」なんて続ける。俺はというと、その一言に完全に面食らってしまった。普段から商店街の人たちから励まされることはあれど、完全な「他人」からの賛辞を受けることがない。ので。

「………………………どうも」

思わず照れてしまった。そんな俺を見て蘇芳さんは「失礼」と言いながら正座から胡坐へ足を崩す。なんだか心を開いてくれているような感じで、少し嬉しかった。

「なあ………ひとつ提案があるのだが。いや、提案というかお願いかな。聞いてもらっても良いかい?」

「お願い……………?あの、物によりますけど―――――――あ!それなら、」

頭の中で回路が繋がる。急に身を乗り出したからか、蘇芳さんは少しだけ驚いたような表情を見せた。

「―――――――父について、聞きたいことがあるんです。蘇芳さんのお願いは、それと交換条件ってことで」

「ほう、交渉と来たか」

「ダメですか?やっぱ無償じゃなきゃ」

「いいや、そちらの方が対等だ。それで良い」

心の中で良し、と叫ぶ。蘇芳さんはどう考えても「普通の知り合い」から少しズレている、気がする。これは外見的な話でもあるし、直感的な話でもある。するめいかの向こうの問いが、解かれるような確信さえ覚える。

「じゃあ、先に君の疑問を解こうか。何が聞きたい?」

蘇芳さんは机に頬杖を付く。向かい合ったかたちになる。先に話を振られるとは思っていなかったので、少しだけ身構えてしまった。口を、開く。

「―――――――親父の、『罪』について………思い当たる節とか、ありますか……………?」

「……………罪」

蘇芳さんの眉毛が少しだけ動く。俺は心がざわめいた。俺は、するめいかの一件を―――――散らかった父の言葉たちを拾い集めて、彼に手渡した。彼はしばらく無言でそれを聞いていた。そうして「―――――――ああ、成程」と漏らした。

「そりゃあ、罪とも思うか。それもそうだ、うん。普通はな」

「………………蘇芳さん?」


「千草くん。君の父上の罪はな。俺を食ったことだよ」


「――――――――――は?」

つう、と背中を汗が伝った。食う?食う………?それは、どういう意味で?

あからさまに動揺している俺に対し、蘇芳さんは汗ひとつかいていない。笑みも、消えている。冗談?いや、冗談を言う顔ではない。でも、それはあまりにも――――――

「………………じゃあ、俺のお願いもついでに聞いてもらうか」

蘇芳さんは持っていた鞄を引き寄せ、中をまさぐる。俺の目では、それらの動きをやたらゆっくり捉えた。鞄からナイフがひとつ、出てきた。

「俺は、あれ以来おかしな体になってしまってね。どうにかならないかと思っていたんだが」

蘇芳さんはナイフを首に当てる。俺は、体が完全に固まって、呼吸もままならなくなって。

「『そうだ、原点に還れば。何か変わるんじゃあないか』そう思ったわけだ」

「待っ―――――――――――」

「なあ、千草くんよ」


鮮血が走る。目の前で、男が己の首にナイフを当てて、頸動脈を切って。


そうしてなおも、彼の唇は動いていた。


「―――――――――――俺は、君に。俺の肉を食って欲しいんだ」


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