番外編 フジミヤの解体

「もも肉は唐揚げにすると良い。これは鶏の唐揚げの話だが、個人的には下味に味噌と卵を使うのがお勧めだ。濃い味になって白飯が進む」

「…………………」

「ああ、骨もきちんと使ってくれ給えよ。それはスープの出汁になるんだ。ついでに俺の肉を叉焼にでもしてくれれば良いのだけど。そうしたらフジミヤラーメンの完成だな。メンマとネギとナルトは確実に入れておいてほしい所だが」

「…………………」

「今日はタンの出荷は無しだが、うん。次回はこの舌も使ってほしいところだね。一寸の間喋れなくなるのがネックだが、まあいいだろう。俺の舌は希少だぞ?じっくりと焼いてたっぷりタレに付けて食ってほしいな」

「………………」

「ああ、君。もう少し丁寧に扱ってくれ給え。内蔵だってちゃんと食べられるんだぜ?レバーは勿論レバニラに、心臓や腎臓は炒めて良し焼いて良し、だ。………ああ、レバニラ。レバニラがあるならラーメンを置くべきだし、もう少し頑張れば中華料理屋が出来るんじゃないか?なあ君、もし料理の腕に自信があるなら是非料理屋を開くと良いよ。名前はそうだな、『フジミヤ中華料理屋』で」

「うるさい」


じろりと声の主――――――いや、生首を睨みつければ、生首は唇の端を上げて「これは失敬」と流暢に言葉にした。



普段食肉加工工場で働いている俺に「人間を解体して欲しい」と上司からお願いされたのが数日前の事である。

人間の、解体。

そんなものは犯罪であり殺人であり、倫理的におかしいことであろう。頭の中で軽くパニックになりながら上司に伝えれば、相手は人間の形をしているが人間ではないので大丈夫、と妙ちきりんな事を返される始末であった。

疑問を抱えながら数日を過ごし、過去の人肉関連の事件なんかを読み漁ってみたもののなにひとつとして頭に入らず、当日になって訪れたのは―――――見るからに日本人。人懐こそうな表情を浮かべた、若い青年であった。

『やあ。君かい?今回俺を解体してくれる青年と言うのは』

『いやあ、助かるね。ほら、自分でやるとどうしても部位が少なくなってしまいがちだから。月イチで他人に解体を頼んでるんだが、まあよろしく頼むよ』

『ああ。君は今回解体作業をするだけで良い。切り分けたらこちらの連絡先へ。細かい加工や袋詰めなんかはもう別のところを手配しているから』

『お金?ああ、ざっとこのくらい。高すぎるって?そんなの当たり前だろう、君にはかなり体力を使わせてしまうのだからね。俺一人のために機械を使ってもらうわけにもいかないし。相当の時間を使わせてしまうが、まあ頑張って欲しいな』

『ただし、一つだけ条件がある。いや、お願いと言ってもいいかな』


『解体風景を、見学させて頂いてもいいかい?』



―――――――といったやりとりをしたのが数時間前。自分を殺して解体しろ、などと言ういかれた依頼、本当だったら断っている。というより、ごく普通の解体作業員に人間の解体をさせようなんて方が頭がおかしい。

しかし、おかしいのは本当に相手の方だった。

俺が手を出せないのを見て、「仕方がない。じゃあここまでは俺が手伝ってやろう」と言い、男は目の前で自殺をした。首をナイフで掻っ切って、ふらりと倒れて、そして。


『―――――なにをしている。早く首を落とせ。そうしたら血抜き!ほら、肉の鮮度は落ちるのが早いぞ!』


……………と、血がどくどくと流れ出ている状況で、目を開けて何事も無いように言うのだから、そこで俺の倫理観は完全にバグってしまった。逆さにして血抜きをし、数時間放置。抜けた所でパーツを区切っていき、内蔵を出し、皮を剥いて、あと背中を………と、たった一人で体力も時間も削りながら黙々と作業している中、作業用BGMとばかりにラジオが流れているのがあまりにもうるさすぎる。しかもそれはスマホや再生機器から流れているのではなく、生首からずっと流れているのであり。しかも美味そうな肉の使い道の話をしてくるのである、自分の肉を使った。それはさすがに「うるさい」と言いたくなるものだろう。


「見学してるなら無言で見ててくれませんか。うるさくて集中できねえっす」

「おや、黙っていてもいいのかい。そうしたら俺は本格的に死体になってしまうが。」

「そもそも死体なんだから黙っててくださいよ」

「それならまあ、黙って見ていようじゃないか」

「その方が助かります」


俺は手元に目線を移す。背中を割り、枝肉にする。………ひどく疲れた。今まで一種の興奮状態にあったためかノンストップで作業を行ってきたが、さすがに機械も無しにひとりで皮を剥ぎ肉を断つというのはかなり困難だ。ましてや手作業。そして成人男性の肉体は、想っていた以上に大きい。

ちらり、と生首を見る。生首は自分の体から視線を外さず、じっと作業を見つめていた。なんだから咎められているようで怖い。俺はひとつ息を吐き、口を開いた。

「ひとつ、聞きたいんですが」

「…………………」

「………喋ってもいいですよ、やっぱ怖いんで…………」

「おや、喋る死体は嫌いかと」

「やかましかっただけですよ。ちょっと聞きたいことがあって」

「なんだい?俺にわかることなら是非聞いてくれ。こんなナリだが君の倍は生きているのでな、知恵はわりとある方だと自負している」

「………じゃあ、質問。どうして、俺だけに作業をさせてるんです?人が多い方がいいでしょう」

手元で肉を切りながら、肉の持ち主と会話をする。シュールでグロテスクなのだが、淡々としているため嫌悪感をあまり感じない。それがちょっと嫌だ。

「君、それは当然のことだよ。誰だって人間の解体なんていう恐ろしい事をしたくはあるまいし、罪の意識に耐えかねて外に口を漏らす輩がいないとも限るまい。君の上司には『なるべく口が固くて体力がある職員』を選べと言っておいた。それがたまたま君だっただけの話だよ」

普段から真面目に仕事をしていたのがアダになったらしい。俺がわかりやすく溜息を吐くと、生首はけらけらと笑っていた。

「そんな嫌そうな顔をするものじゃあない。いい経験が出来たとでも思うが良い。それか、悪い夢を見ただけで大金が貰えたと思うか、かな」

「そんな嫌そうな顔をしてましたか。いや、っていうか当たり前じゃないですか?誰が好き好んで人間を殺して解体しなきゃいけないんですか」

そもそも、と俺は言う。この仕事を引き受けた時からずっと疑問に思っていたのだ。

「あなたはどうして、こんなことを?そもそも、あなたは何なんです?」

「―――――――――――」

生首は少し考えこむような顔をして(手足があったら仕草もしていたかもしれない)口を開いた。

「ざっくり言えば俺は、不老不死の人間だ。」

「……………………不老不死、」

本当にいたんですね、と言えば本当にいたのさ、と返される。

「幼いころは普通の体をしていたのだけれど。とある時期から、心臓を突かれようが轢かれようが燃やされようが死なない体になったのだ。だから俺は、好き好んで死んでいるし、好き好んで自分の肉を食わせている。おわかりかな」

「わからないな。せっかく不老不死の体なのに、どうして自分から痛い思いしてるんですか?痛みも感じないってわけじゃないでしょうに」

「痛みね、感じてるよ?ちゃんと。うん、毎回の事だが凄く痛い。」

俺は目が丸くなってしまった。生首は先程と同じように、人懐こい笑みを浮かべている。

紙で指を切るだけでも、人は痛みを感じる。うっかり鍋の縁に触ってしまったら、ものによってはその先も残るぐらいの火傷を負ってしまう。

人は、できることなら傷を負いたくない生き物だ。何故なら痛いから。自分から痛みに向かおうとする人間もいるにはいるだろうが―――――――

「……………もしかして、自傷目的?だとしたら随分大がかりですね………」

「自傷か。それは違うな。彼ら彼女らは限界だから切るのだろう。俺は限界でもなんでもない。むしろ心身はいつだって元気だ」

「……………じゃあ、どうして?」

本気の疑問だった。今日一番、なんだったら目の前で人が自殺をしたり、人間の心臓を取り出した瞬間よりも心の中がざわめいていた。考えてみればそれらは、あまりにも現実味が無さすぎるのかもしれない。

だから俺はきっと、それらが呑み込めていないのだ。

けれど、この瞬間の俺は―――――――間違いなく、「人間」と日本語で話している。

なのに、その会話からは大事なものが抜け続けている。それがたまらなく不安でしょうがなかった。答えが返ってくるのが、こわかった。

思わず手が止まり、返答を待つ。どくんどくんと大きな音を立てているのは、間違いなく俺の心臓の方だった。


「痛いと、生きている感じがするだろう」




■■■


「――――――一時間後ですね、はい。お待ちしております。では…………」

通話を終了し、生首の方を向く。生首は積まれたクーラーボックスをしげしげと見つめていた。俺はなんとなく、この部屋の掃除担当のことを考える。気の毒に。随分血を散らしてしまったし、当分臭いは残るだろう。丸ごと水洗いできれば楽なのだろうが。

ぐっと伸びれば凝り固まった体がばきばきと音を立てる。疲れた。正直もう二度とやりたくない。休みが一週間は欲しい。

「やあ、君。お疲れ様。音も悲鳴も上げずによく頑張ったものだ、偉い偉い」

「…………それはどうも………」

これは悪い夢だ、と思わなければやってられない。俺は今日、人が自殺をする所を見て、人の首を落として、その体を割り開き、血を抜き、切り分けた。

「………………う、」

そう考えると胃液がせりあがる感覚になる。まだだ、この肉類を渡すまで吐けない。多分吐いたら最後、ショックが次から次へと訪れるのだろう。今はまだ、疲労で自分の脳を誤魔化しているに過ぎない。金は充分貰うとしても、休みだ。休みが欲しい。一週間欲しいと思ったが、心的ストレスを考えたら一か月は欲しい。そして野菜をひたすら食べたい。

「どうした。随分とひどい顔をしているな?そんなに疲れたかい」

「疲れた、っていうか………その。生き物を、『もの』にしてしまった感覚が強くて」

「そんなもの、君が普段からしていることだろう。人も豚も一緒だ」

「同じじゃない」

「同じだ。だからあまり気に病むなよ、青年」

生首的には慰めているつもりなのだろうか。ちらりと生首を見やると、彼は目を細めて笑っていた。思い返してみれば、彼はずっと笑っていた気がする。首を落とされる、その瞬間さえも。

「……………………」

でもまあ、命が平等であるというのは概ね同意。そしてこれは、不老不死の化け物のお願いを聞いただけ。そう思っていいのならそう思うことにするが――――――

「………なあ、あんた。あんたはいつ、その。復活するんだ?」

「復活。ああ、全身だったら大体一週間という所かな。それが?」

「一週間後、俺と会ってほしい。………んですけど、」

「ほう。嬉しいね、逢引きのお誘いかい?」

「違う。ただ、俺は」

不老不死がほんとうだと、自分の目で見ない限り。

体が再生することを自分の目で見ない限り。

……多分ずっと、この悪夢と罪悪感に苛まれる。そんな予感がすると、思ったのだ。

「本当に気にしなくて良いのになあ」

「…………人間はそう簡単に割り切れるものじゃないし、大体真っ当な倫理観の人間なら仕事自体請けませんよ。今までどうして来たんです?」

「それはまあ、そういう趣味の御仁を頼ったり、自分でやったりかな」

「最悪すぎ…………ところであの肉、どうするんです?」

「決まっている。沢山のひとに食べさせるのだ、なにせ俺の肉は美味しいからね」

彼いわく。彼の肉には一種の幻覚作用があり――――――その肉に触れた者は、何の疑問も持たずに肉を食べ、美味いと感じてしまう。それが人間の肉と気づかずに口に運んでしまう、らしい。もしかしたら俺だって、知らず知らずのうちに食べていたかもしれない。そう考えると現代にこんな困った怪人、生きていてはいけないような気がするが。

「…………そんなに自信あるんです?自分の肉に」

「あるとも。では君、一週間後には俺が特別に料理を振舞ってやるとしよう。何が食いたい?生姜焼き?肉じゃが?それともカレー?」

「サラダ」

「いい性格しているじゃないか、君」




それが、大体十年くらい前の話である。

あれ以来すっかり野菜と魚ばかり食べている俺だが、久しぶりにスーパーの精肉コーナーに足が向いた。高い牛肉、薄切り豚肉、鳥のもも肉。その中にフジミヤの肉が並んでいるのを見て、自分でもよくわからない懐かしさを感じた。この懐かしさがどこ由来のものかはわからない。もしかしたら自分は幼いころ、この肉を食べたことがあるのかもしれない。頭の中の引き出しをああでもないこうでもないと開けたり閉めたりしながら、俺はその肉を籠の中に入れた。


何故だか引き出しの中に、人懐こい笑みを浮かべた生首がいたような気がした。

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