第10話 ダイジョウブ! 動くヨ!




 そこはこのあたりでは有名な廃ビルだった。元はオフィスビルだったそうだが、権利関係で揉め、解体の途中ですべてがストップ。内装は取り払われ、ほぼ柱ばかりのがらんどうの空間が広がっている。しかしビル自体は形もそのままに残っており、使われていない建物独特のどこか不気味な佇まいで、夜の街を見下ろしていた。


 敷地の外周部には立ち入り禁止の看板や鉄作があるものの、それはほぼ意味をなしていないようで、侵入してきた暴れん坊どもに、窓がいくつか叩き壊されている。中には酒瓶や空き缶が転がってもいた。


 が、ここが有名なのはならず者が自由にできる場所だからではない。自殺スポットとして――そして、それゆえに、本物の出る場所として有名なのだ。


「オウ……いかにも化け物が出そうな場所ダヨ……」

「もう出てるけどね」

「お前の隣にふたりな」


 怖じ気づいた風にごくりと息を潜める青年に、いまさら何言ってるんだこいつ、という顔を二匹が向ける。あれだけ異界で悠々自適に過ごしていて、なにを怖がれるのか疑問でしかない。


 白い子ギツネはビルの入り口でただのシャツに戻った。自動で開かなくなったドアを開け、入った先は暗く無機質なロビー空間。受付や、ビル利用者向けのコンビニが入っていたであろうスペースが暗闇に口を開けるばかりで、往年の名残りはエレベーターの扉ぐらいだ。


「キミたちや《ケガレ》モンスターはいいケド、ユーレイはイヤだヨ! 恨みを残した人間なんてロクでもないコトしてくるに決まってるからネ!」

「《ケガレ》も似たようなものだと思うけど。あれ、まさに死人の恨みつらみの集合体だし」

「アレはもうモンスターの形をしてるからイイノ!」

「貴様の基準が分からん」

 いかにももっともらしく主張してくる青年に、狐は眉をしかめて銀色の狐耳をぴくりと揺らした。


「しかし確かに、ここはどうにも穢れが溜まって澱んでいるな。自殺スポットというのも頷ける。これでは少しでも希死念慮があれば引き寄せられ、取り込まれ、気づけば屋上から飛び降りているだろう」

「このがらんどうもよくないんだろうねぇ。うろは溜め込む。このビルは、陰の気を集めるいい器だよ。のわりに……この手の場所を好む魑魅魍魎がいないのが気になるな。静かすぎる。正直、俺としても長居したくないね。さっさと弟分を見つけて、ふんづかまえよう」


「この階に気配はないな。階段を探すか」

「エ~! 階段はヤダよ! 階段使わなくても、エレベーターがあるじゃないカ!」

「ばかホモサピエンス。電気通ってないのにエレベーターが動くわけないでしょ」


 くるりと狸が振り返れば、そこにいたはずの青年の姿はなかった。あれ、どこに、ときょろりとあたりを見渡せば、いつの間にかエレベーターの扉前へ、のこのこ移動している。


「ダイジョウブ! 動くヨ!」

 そう、親指を立ててにかりと笑う。爽やかな笑顔の脇では、確かに上を示す三角印の押しボタンが点灯して暗闇にオレンジの光を放ち、エレベーター上の階数表示がじょじょに――急速に、下がってきていた。

 ひゅっと狸が息を飲み、狐が天を仰ぐ。


「大馬鹿野郎―! なにもダイジョバないだろ!」


 叫んだ狸が駆け出すのと、エレベーターが到着音とともに開くのはほぼ同時だった。

 扉からどばっと溢れ出た黒い触手の群れが、一息に青年を絡めとる。なぜか煌々と明かりのついたエレベーター内が、闇にぽっかりと開いた大口のようだ。そこへ、きょとんとした顔のまま一瞬で、青年の身体が引きずり込まれていった。


 伸ばした狸の手は一歩間に合わず、その鼻先で勢いよくエレベーターの扉が閉まる。狸は舌打ちすると、頭をかきむしった。階数を示す表示は、今度は上へと急上昇中だ。


「あ~、もう! あの馬鹿! なんで人間のくせに通電してない建物のエレベーター乗ろうと思えんだよ! 綺麗に飲まれてった! もう! 馬鹿!」

「ずいぶん育った《ケガレ》だったな。ここに元来いた幽霊も魑魅魍魎も、みんなあいつに喰われたんだろう。そうして死にたがりの獲物が近づくたび、捕えて喰って、さらに力をつけていっていた。自殺者も本当にそうだったのか、奴に喰われたのか、怪しいところだな」


「ともかく、助けないと。どんなに育ってようが《ケガレ》ごときに獲物を横取りされたとなっては、俺の名誉に傷がつく! 喰い殺される前になんとかしないと。あ~! 余計な仕事を増やす! めんどくさっ!」

 狸は怒り任せにエレベーターの扉を蹴りつけた。轟音とともに外れた扉が内側に落ちていき、エレベーターレールだけの空間が顔を見せる。と同時に、蔦植物が絡み合いながら風を切り、上の階へと向かって伸びていった。まるで大きな樹の幹のようだ。

 その蔦のひとつに飛び乗る狸の隣へ、狐もひらりと身を躍らせた。


「私も手伝ってやろう」

「え~……頼んでないんだけど……」

 なびく銀髪からのぞく、にんまり引き上がった形のいい唇に、狸は迷惑げに丸耳をしなりとしょぼくれさせた。







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