第9話 冤罪だろうが適当な犯人役がいればいい



 オートロックの新築マンション。黒を基調とした上品な内装に、四階までの低層ながらエレベーター付き。外観から推し量っても、単身者向けとしてはゆったりとした部屋の作りになっていそうな好物件だ。


「若いのにいいトコロに住んでるヨ~。これはお金持ってるヨ~」

「君が言うと、一から十まで嫌味にしか聞こえないね」

 資産家放蕩息子の庶民感覚を忘れない発言に皮肉をやりつつ、狸は警察帽をまぶかにかぶりなおした。


 オートロックを葉っぱの鍵で解除して、エレベーターに乗り込んだ先。四階の角部屋が、目指す女性の住まいだった。

 狐と狸は、労力削減で姿ばかりは耳と尾がないだけの人間形態だが、装いは警察官のそれだ。男が潜んでいた場合、その制服の威を借りて、とっ捕まえさせてもらう予定だったのである。しかし――


「人の気配はするけど……」

「ひとりだな」

 扉を開ける前から狸がぼやけば、狐が重ねる。それに、脇に潜むことになっていたはずの青年が、のっそり扉の前に歩み出て首を傾げた。


「それにしては、なんかドッタンバッタン、騒がしくないカ、」

 最後まで紡ぐ前に、勢いよく青年の目の前のドアが開いた。強かにそれは彼の額にぶち当たり、容赦ない激痛を与える。「オウ! オウ!」と声にならない雄叫びで悶え苦しむ青年に、まずい、と狐は狸を振り返った。


 涙に溺れるたれ目。苦痛に震えるたれ目。そんなごちそう、あのたれ目馬鹿が放っておくはずがない。状況も顧みず、かぶりつきで堪能しようとして来るに決まっている。

 が――


「どうされましたか?」

「え? あ……警察……?」

 飛び出してきた勢いあまって転んだ家の中の人物――くだんの女性を抱きとめて、無駄にいい声で狸が尋ねかけていた。戸惑い見上げるその腕の中の瞳は、可憐なたれ目だ。


(……やけに乗り気だと思ったら、そういうことか)

 チベットあたりに住んでる同族の顔で、狐はすべてを理解した。おおかた店のパソコンで個人情報を盗んだ時、住所と一緒に顔写真を見ていたのだろう。


「こいつを捨てて女に走ったか」

「言い方の悪意をどうにかしろ」

 ぼそりと落ちた侮蔑を耳聡く拾って、刺々しい声が言う。ちろりと肩越しに振り返ったつり目が、不服げに狐をねめつけた。

「というか、別に拾ったわけじゃないし。無理やり手元に転がり込んできただけだし。それに、いつでも泣かせようと思えば泣かせられるから希少性低いし」


「オウ! ひどいヨ! あの日魅惑の姿でボクをキミの懐へ誘い込んだコトを忘れたのカイ! ボクのこと、すっかり都合のいいたれ目にして弄んデ! 扱いがザツ過ぎるヨ!」

「言い様を意図的にそれっぽい言葉で飾っていくな! それに君、俺にとってぜんぜん都合のいい存在じゃないからね? 早く首だけになれ」

「……警、察……?」


 青年を蹴りつける、まったく良識的とは言えない制服姿に、女性の混乱はさらにこんがらがったようだ。無理もない。狸の腕の中で頭を抱えた女性に、そっと狐が膝をおり、その端正な顔を近づけた。


「失礼。先ほど、このマンション内で不審者通報がありまして。そのため、我々で住人の方の安全確認を行いながら、不審者を捜索している最中なんです」


 金色の目が、内廊下の橙色の光に揺れる。思わず見惚れた女性の視線が、すっとその瞳の奥に吸い込まれるように飲まれていった。一瞬、とろんと夢見心地に甘くふやけた表情が、ぼんやりと色を失くしていく。焦点を結ばなくなった虚ろな双眸に、声音ばかりは優しく、銀髪の警察官は口端を引き上げた。


「なにか――困ったことがおありでしたら、包み隠さずお話しください」

「……彼が、いないのよ」

 狸の腕の中、うわ言のように彼女は紡いだ。「俺がやりたかったのに」と唇を尖らせる狸を制して、狐の眼差しは術中にはまった獲物へ続きを促す。


「探して、探して……。あいつ、ニュース見てから、ずっと、思い詰めてて。キャンプ場の首なし死体。被害者の名前、あれ、だって、あいつの……でも、やってないって。自分は殺しなんてしてないって。なのに、絶対、そう思われてるって……。違うの、あいつ兄貴とは本当に仲が良くて、だから今回の件も乗ったの。強盗と金庫のお金で高飛びして、事業やろうって。なのに、こんなことになって……。パクられるか、殺される。探して――探さないと……!」


 そこで一瞬、明瞭に意思を漲らせ、狸の腕から抜け出しかけた彼女の両目を狐の手のひらが覆った。

「ご協力、ありがとうございました。なにか、彼が残していったものがあったらお渡しください」

 狐が手を放し、狸が力を緩めれば、ふらりと彼女は立ち上がった。おぼつかない足取りのままシャツを一枚、無造作に引っつかんで持ってくる。


「ご苦労さまです。では……あとは部屋で、じっとしていろ」

 シャツを受け取り、すっと伸びた狐の指先は彼女の頬を軽くつまんだ。とたんに、よろめくように玄関のうちに戻った彼女は、かちゃりと鍵の音を残し、そのまま倒れ込んだようだ。一連の騒動は彼女の記憶に残らず、気づいたらなぜか玄関先で気を失っていたことになるだろう。


「あ~あ、もっとたれ目堪能したかったのに。いい感じに取り乱して不安げで、最高だったのになぁ」

「お前の趣味に付き合っていられるか。とっととこの厄介ごとを終わらせるのが先決だ」


 不服げな狸を取り合いもせず、狐は手にしていたシャツを放り投げた。それはひらりと風をはらみ、くるくると回りながら姿を変えると、小さな白いキツネとなって廊下に足をついた。


「ワァオ! キュート!」

「こいつに持ち主を追わせる」

 青年のきらきらの眼差しを受けながら、すでに子ギツネはとことこと歩き出している。その様子に狐は満足げに目を細めた。

「遠くにはいないらしい」

「これで片がつくかな」


「でも、さっきの彼女の話だと弟分くんは『やってない』んだろ? 見つけられても犯人に辿り着いたことにはならないヨ~」

「別に冤罪だろうが適当な犯人役がいればいい」

「ダーティだヨ~。ボクはいまは、正義の探偵ごっこがしたい気分!」


「そうやって気分で正義を転がす奴が一番面倒なんだよ。こっちは慈善事業で犯人探ししてるんじゃないんだからさ。その弟分も悪いことはしてるんだろ? もういいじゃん。窃盗、殺人抱き合わせパックでお縄にされれば」

「臭い飯を食っていたほうが、外でお仲間に追われるより安全だろう。そいつも願ったりなんじゃないか」


 交わされる化け物たちの会話は、ひどくろくでもない。だがそれに、人の世の道理や倫理を説いてくれる者は、残念ながらここにはいなかった。


 ふわふわと白い尾をふりながら進む子ギツネとともに、三人の姿はやがてマンションから夜の街へと消えていった。






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