第27話「前世の死因」



■■城への道中■■



 

 陽光に晒されて少し融けた雪道は、歩くたびに水交じりの音がした。


 僕が足元に作った小さな水溜まりたちを辿って、背後からは二つの足音が追いかけてくる。


 遮るものがない平地には、ひそひそ話の声もよく響いた。



「勇者クルオス、少しよろしいでしょうか」

 

「ああ、これはおっぱ……じゃなかった、シア・フェレライ殿。先ほどは大変失礼をした」



 僕の大切な従者に対して、進行形で大変失礼に呼び間違いかけながら、従妹が非礼を詫びている。

 

 

「ボクはあまりインファイトが得意なタイプじゃないから――あまりの気迫に、つい拘束せざるを得なくてね」


「いえ、それはいいんです。私のほうこそターナカの近縁の方とは知らず、とんだご無礼を働きました」


「んはは、ではお互いさまということで……――して、用件はなんだい。ボクのような怪しい女に意を決して話しかけてくるくらいだ、謝罪が目的ではないだろう。大方、ターナカの前世のことでも多少聞きかじっておきたいといったところかな」


「…………」


「ほほー、あれだけの武勇を披露しておきながら、云い当てられて押し黙ってしまうなんて、随分いじらしいじゃないか。可愛い。胸揉ましてくれ」



 間もなく小気味よい打撃音と「ふんぎゃっ」という猫でも踏みつけたみたいな悲鳴が響く。


 本人としてはちょっとしたジョークのつもりなんだろうけど、そんな緊張のほぐし方をしたら反感を買うのは当然である。

 

 あんまり僕の従者を揶揄うなと釘を刺しておくべきだったか……主にジュン自身のために。


 シアさん、遠慮しなくていいと判断した相手には手が出るの早いからな。



「……うぐぐ、君はあれだな、自分がパワータイプだということを自覚するべきだな。軽いツッコミのつもりかもしれないが、かなり一撃が重いぞ」



 ジュンは、ボクはターナカと違って痛みに敏感なのだ、と誰ともなく呟く。

 


「……で、なにが訊きたい。アレには直接訊ねられないことも多いだろう。人一倍寂しがりやなくせに、変なところで壁を作るからな、あの自己肯定感激低ポンコツ宇宙人は」


「えーっと、ターナカの『最期』のことを伺いたいのです。どうしても、自死を選ぶ方には思えなくて」


「そうか? かなりネガティブな部類だと思うが……しかし、ターナカが自殺したって話はどこで?」


「以前、彼自身から。打ち明けられたのではなく、口を滑らせていた形でしたが、すぐに話題を変えられてしまって、それ以上は訊けなかったのです」


「うはは、なんと迂闊な。馬っ鹿でえ。しかも、こんな美女に気を遣わせるなんて――罪作りな男もいたものじゃあないか」


 

 さっきから無闇に悪口を放ち過ぎだ。

 

 さては僕が聞き耳を立てていることに気が付いているな、アイツ。


 僕はそのまま知らぬふりをして、歩みを進める。

 

 

「酒が関係している、というところまでは知っているのですが」


「関係しているというか、原因そのものだね。ターナカは急性アルコール中毒で死んだから」


「酒の飲み過ぎで、ということですか……――しかし、本人は『自死した』と認識しているでしょう? それはどちらかというと事故死に近いものなのではないですか」


「いや、間違いなく自傷の延長線上さ。死ぬ気まであったかは分からないが、アレはとんでもない下戸なんだ。一口アルコールを飲んだだけで顔を真っ赤にするような人間が、火酒を直接瓶からあおったら、ああいう結果になるのは自明の理だろう」


「……そうすると、なぜ酒だったのでしょう。自傷するにしたって、他の苦しまずに済む手段もあったでしょうに……なにか理由でもあったのでしょうか」


「うーむ、なかなか鋭いところに目を付けるね、従者殿は。そのことについてだが、彼自身は『悪いやつになれると思った』なんて言葉を遣っていたかな」


「それは……どういう意味ですか?」


「彼が精神的に追い込まれるきっかけを作った人間が――アルコール依存症だったんだよ」


「…………」


 

 …………。


 ……懐かしい話だ。

 


「――そいつはかつてターナカが働いていた職場に新任でやってきた箇所長だったそうだ。聞くに、酒が飲めない日中はずっと頭に血が上っていて、なにかにつけて周囲に強く当たり続けているような働き方をしていたらしい。……あのお人好しはよくも悪くも、目の前のことを無視できない性質だからね。誰の話にでも耳を傾ける男が、誰にも相手にされない寂しい人間の標的にされるのはごく自然な流れだった。謂れのない叱責、暴力、度が過ぎた仕事の押し付け。そういうのに耐え続けた結果、ターナカは身体を壊した」


「……それで、精神的にも追い込まれてしまったということですか」


「いや、結局、彼の背中を押したのはそのあとの出来事だろう。一応、そのアル中野郎は――懲戒にならないなんて随分と温情のかけられた処置だとは思うが――ターナカの休職を受けて、管理部で問題視された末に、社外の組織に更迭された。そうすると、。彼はそのことのほうがより精神的に応えたようだね。管理部に訴えようと呼びかけても、保身のためにターナカの声を無視し続けた同僚たち。ターナカがひどい仕打ちを受けている最中も、自身が次の標的になることを恐れてその行為を黙殺し続け、叱責を受けたくないばかりに、自分がやるべき仕事すら彼へ押し付け続けていた直属の上長。そんな連中が、


「それは……」


「転生後、ターナカから直接話を聞いた時にさ、彼は『他の人間と同じように上手く無視して立ち回れなかった自分が悪い』なんて云ってたよ。でも、ボクには分かった。きっと当時の彼にとって、自分の生きる世界はひどく気持ちの悪いものに見えていたはずだ。だから、彼を追い込んだのは、悪魔的な暴力そのものではなく、もっと陳腐な『凡庸な悪』……恐ろしいものを前にしてそれに盲従し、自ら選択することをやめちまった人間たちの――思考停止さ。実際、彼は休職を取り終えて、一度仕事場に復帰している。ダメになっちまったのは、そのあとのことだ。もうその時には、彼の世界は、体を壊す前のものと一八〇度違ったものになっちまっていたんだろう」


「……彼は私と初めて会った時、『他人を信用するのが苦手だ』と云っていました。あの言葉に、そんな背景があったなんて」


「ああ、あまりにも悲しすぎだろう? 確かにターナカは変わったところもあるが、本質的にはただのお人好しのお節介焼きだ。能力だって、それなりにある。ボクなんかはそんな彼に助けられていた人間の一人だった。……でもさ、そういう不器用ながらに手を差し伸べてくれるような優しいやつに限って、馬鹿ばっかり見させられるようにできているんだ。世界ってのは」


「そうかも、しれないですね……」



 ジュンが云い終えた時、二人の間に重苦しい空気が流れるのを背中で感じた。

 


「――と、まあ、酒で死んだってのはそんな背景が理由だよ。あれは『いっそ暴力の中心にいた人間と同じになれれば』なんていう――今際の希望のようなものだったんだろう。仮に彼が生き永らえていたとして、そんな人間になれていたとは到底思えないけれどね」



 『希望』。

 

 あえて言葉として表現するなら、確かにそういう云い方もできた類のことだったのかもしれない。


 分かったようなことを云いやがる。

 


「しかし、不思議です。そんな状況にあって、どうして彼は今あんなに――」


「あんなに前を向いて生きているのかって? まあ、変えたんだろう、自分自身世界ってやつを。きっかけがなんなのかは分からないがね」


「……訊いてみたいものですね、そのきっかけというのを。いつか、彼自身の口から」


「あん? 君は馬鹿か? 本人がいるんだから今訊けよ、怠惰だな」


「え……? いや、でもこういうのには順序というものが……」


「おーい、兄君ー、君の従者が訊きたいことあるんだってー。さっきからずっと聞こてるんだろー?」



 …………。


 僕が云うのもだけど、あの従妹には一度空気の読み方というものを教えてやったほうがいいだろうか。



「……やめろよ、聞こえてないフリしてるんだから。あと僕は従兄な」


「似たようなもんさ。――で、君、なんでから持ち直したの。こっち来てもしばらくはひどいもんだったろ。そんな素振りは見せていないつもりだったんだろうけど」


「…………」

 

 

 振り返って絶賛戸惑っている真っ最中のシアさんに視線を向けると、彼女は一瞬気まずそうに目を逸らした。だけど、すぐに思い直して、僕を正面からじっと見つめた。


 

「私、訊きたいです」



 真摯な言葉だった。


 そんなものを向けられては、答えないわけにもいかない。

 


「……ただ、訊きたいって云われてもな。イドと付き合うようになったり、ヒースさんと仲良くなったり、シアさんに散々お世話してもらったり、それらしいきっかけがいっぱいあって一口には答えづらいってのが正直なところだけど――まあ、でも理由のほうならシアさんも分かってるだろ」


「理由、ですか?」



 僕は一拍置いて、云う。

 


「なにを恨んだって結局、、ね」



 シアさんは少し目を見開いて、間もなく「あははっ」と屈託なく笑った。


 

「そうですね、あなたがそう思ってくれるなら、私も従者のしがいがあるというものです」



 僕はそんな反応が照れ臭くて頭を掻いた。



「――ほら、これで満足か、【紅雲あけぐも】の勇者殿」


「…………」


「……あれ、ジュン?」



 なぜかここでジュン・クルオスは足を止めている。


 瞬きの一つもしないままに僕の顔を見ているが、どうにも様子がおかしい。


 視線が合っているのに、目が合わないような……不気味でそら恐ろしい感覚が背筋を走る。


 やがてその口元がゆっくりと開かれた。



「『イドと付き合うようになった』……?」



 あれ。


 なんだろう。


 なんだか途轍もない地雷を踏み抜いてしまったような。


 あるいは予想だにしていなかった真のラスボスを呼び起こしてしまったような。


 すると――突然身動きが取れなくなった。



「わ、ジュンやめろ、なぜ僕を拘束する……!?」


「誰だその女はあああああ!!!!????」


 

 いつの間に距離を詰めたのか、目前に迫ったジュンが猛然とした勢いで僕を地面に押し倒し、自由の利かない体の上へ馬乗りになった。

 

 

「きみはぼくのものきみはぼくのものきみはぼくのものきみはぼくのものきみはぼくのものきみはぼくのもの――」


 

 焦点の合わない虚ろな目。


 無機質な声色で繰り返される言葉。

 

 な、なんだコレ。


 怖い。


 とにかくめちゃくちゃ怖い。


 

「――あ、そうだ殺そう」


 

 そう呟くと彼女はノータイムで僕の首を絞めてきた。


 その両手には徐々に力が込められ、呼吸の自由が奪われていく。

 


「あ、ぐ……お、落ち着けジュン、素数だ、素数を数えろ……!」


「二、三、五、七、一一、一三、一七、一九、二三、二九、三一、三七」



 スラスラである。


 比較的、落ち着いてはいるみたいだった。



「あ、が、が……」


「四一、四三、四七、五三、五九、六一、六七、七一、七三、七九、八三、八九、九七――」


 

 それから数分後――。


 シアさんの手を借りて(パワータイプのシアさんですら引きはがすのにだいぶ苦労していた)、豹変したジュンをどうにか抑えることに成功した。


 正気を取り戻した彼女はシアさんの胸を両手で鷲掴みにして(?)呼吸と精神を整えつつ、親の仇でも見るような視線を僕に送り続けている。


 

「……な、なんかごめん」



 どこか得心の行かない気持ちで謝罪しつつ。


 僕はジュンの前でできるだけイドの話をしないことを――心に決めた。

 



▲▲~了~▲▲

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る