第20話「目前主義」



■■勇者ターナカと従者シア■■



 

「やあ、シアさん、目が覚めたね」


「ターナカ……すみません、私眠ってしまっていたようですね。すぐに後始末を致します」


 

 シアさんは立ち上がって、身なりを整えると、すぐに机の上を片付けようとした。


 そして、そこに、食器の代わり一冊の手帳が置いてあるのに気付く。

 

 

「……? 手帳、ですか?」


「僕は人に口頭でものを伝えるのが下手だから、それを渡した方が手っ取り早いと思ったんだ」



 彼女はそれを取り上げて中身に目を通した。


 

「これは【愚者の白暦】の……?」


「うん。依頼のついでに独自に調査してた内容」



 それから、一息置いて、僕は云った。



「シアさん、



 シアさんがハッとして僕を見た。


 その碧眼は驚きと疑念の色を称えていた。



「僕は、どうしても目の前のことにばかり気を取られてしまうんだ。姿も目的も見えないような『敵』に興味を持てるほど、広く、遠くを見つめるような視点を持っていない」


「しかし、【勇者】とは【魔王】を倒すために召喚された……」


「だから……分からないかな。『そんなことに興味はない』と云っているんだ」



 口元を押さえているのはどういう感情の表れなのだろう。


 僕が、話しながらも他人の感情の機微が分かるだけの人間だったらよかったのだけど。


 

「そこに書いた結論が僕の周囲で起こっていること――あるいは起こりつつあることの全てだ。僕はここのところ、この『目前の出来事』のために考え、行動している。あるいはこの道を歩くことで、最後に衝突することになるのは【魔王】よりもむしろ――」


「――ユーバ王、ですか」



 遮るようにして、シアさんは云った。


 少し目を通しただけで、その手帳に書いていることを大枠で理解したらしい。



「……そう。少し選択を間違えれば、グレン王子やヒース王子――他の【勇者】たちとも刃を交えることになるかもしれない。この場の次第によっては、君とも、ね」


「私は……」


「君は――どうする? それでも僕と一緒に戦いたかったと、もう一度云えるかい」


「…………」



 彼女は大股で僕に近付いてきた。


 それから乱暴に胸倉を掴んで、涙の滲んだ眼で僕を睨み付けた。


 それが僕にとっての回答となった。



「この場で僕を殺すか。それでもいいさ。君と僕のレベル差を考えれば、【衰弱(致死)】を付与するのはかなり骨の折れる作業になるだろうけど、なに、ゆっくり確実にやるといい。僕は抵抗しないと決めて――」


「――!」


 

 彼女は僕の胸に崩れ落ちるようにして、体重を預けた。


 いよいよ溢れ出した涙が、点々と床を濡らしていた。


 

。私は、ターナカがこんなことを考えているなんて知らずに……なにも知らずに……。きっと、私は貴方を孤独にさせたのだろう。主にそんな思いをさせるなんて私は従者として失格だ……」

 

「ま、待ってよ。シアさんが従者失格なんて、それだけはありえない。これは僕の責任だ。だから、孤独になったって、それは全て僕が――」



 頬を平手打ちされた。


 シアさんが云った。

 


「お前は――!」



 ああ、と思った。


 言葉が出なかった。


 ずっと。


 そんなことは言葉に出せなかった。


 だけど、それを云ってくれる人が僕の目の前にいた。



。貴方のような人が幸福になれない世界なんて間違っている。誰かを幸せにできる人間が、自分だけは報われない世界なんて、そんなの、あってはならない」


 

 痺れていた頬に感覚が戻った時に、そこを滴が伝っていることに気付いた。



「あ、う、うう」



 気付けば膝から崩れ落ちて。


 僕は泣いていた。



「う、っぐ、うう――」


 

 不意に温かさが僕を包んだ。


 シアさんが僕を抱きしめていた。



「きっと貴方は前の世界でもそうやって、ずっと孤独と戦ってきたのでしょうね。……もう一度どころか、何度だって云いましょう、ターナカ。私はあなたと一緒に戦いたい。敵として現れるのなら、ともに【魔王】とだって戦いましょう。貴方の道を阻むのなら、ともに祖国の王とだって戦いましょう。あるいは、貴方が迷い悩む時があるのなら、ともに貴方自身とだって、私は戦いましょう。力があるのなら、その全てを、貴方に捧げます。ですから、どうか――」


 

 彼女はゆっくりと祈るように、云った。


 

「――どうか、貴方自身が幸福となるために戦ってください。我が主君よ」



 

▲▲~了~▲▲

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