第5話「今出ようと思ってたんだけど……」

 

 

■■勇者邸にターナカを迎えに来る従者シア■■

 


 

 呼び鈴が鳴ったので、そのまま入ってくるように促すと、勝手口から背の高い女性が入ってきた。

 

 腰の辺りまで毛先の垂れたクセの一つも見当たらない綺麗なブロンドに、パンツスタイルがよく似合うすらりと長い両脚。


 凛とした雰囲気を身にまとう彼女は、家に上がるなり僕に向かって深々とお辞儀をする。

 

 この人はシアさん。三年前から僕の従者を務めてくれている方だ。


 背中に長い定規でも入ってるみたいに姿勢の正しい彼女が、目の前でゆっくりと背筋を折り曲げている光景は、どこか気品に満ちていて、まるで美術館から選りすぐりの絵画を切り抜いて持ってきたようだとさえ思った。


 

「おはようございます、ターナカ。お出かけの時間になりましたので、お見送りに来まし……た」

 

「あ、おはようシアさん。いつも悪いね……」

 


 元はといえば、シアさんは騎士家系の出の人らしい。


 礼儀を重んじる律義さを持つ一方で、だけど同時に、その心根の部分には、温かさと芯の強さをちゃんと兼ね備えている。

 

 肝心のその仕事ぶりも、いつだって文句の付けようもないほどに洗練されたものだった。時折、僕にはもったいないと感じてしまうくらい、デキすぎた人なのである。

 

 

「…………」

 

「……ごめん、今出ようと思ってたんだけど……」



 そして、そんなちゃんとした人を前に、僕は既に――ちょっとやらかしていた。

 

 今日は王都へ出かける用事がある日だが、出発時間になっても、僕は絶賛準備の真っ最中である。


 外出予定の時、シアさんはいつもこうして、出かける前の僕の様子を見に来てくれる。この気配りのお陰もあって、僕はここ数年、公的な場に遅刻をやらかさずに済んでいた。


 

「……本日はヒース第三王子と練兵場視察のご予定ですが――なにをされてるんです貴方は」

 

「いや、勇者装備一式を探してたんだけど、盾どこにやったかなーって」

 

「それは分かりましたが」


 

 シアさんはため息をつきながら額に手をやった。

 

 うわ、手綺麗だな、この人。


 

「それで今はなにを?」

 

「え、なにをって」

 

 

 僕は自分の手元を見下ろした。

 

 水の入った桶とそれに浸けられた衣服。

 

 自分の行動に疑問符が浮かんだ。

 

 

「……なんで僕は洗濯をしてるんだ?」

 

「いやこっちが訊きたい!」


 

 よく通る声の小気味のいいツッコミが、我が家のお勝手に響いた。

 

 

「いや、たまたま目に付いて、出かける前に自動洗濯魔法陣にかけてこうとしたんだけど、結構汚れてたから先に軽く手洗いしようと思って」

 

「段取り! いつもながら行動の優先順位がおかしいぞ勇者ターナカよ!」


 

 それだけ感情が昂っているのか、シアさんの素が出ている。

 

 彼女は幼少期、他の男兄弟と同じような教育方針で育てられたのだそうで、普段だと、この世界の男性騎士に近い言葉遣いをしているらしい。もっとも、『らしい』なんて云い方をしてみても、日がな、あまりにも僕の「やらかし」が多いので、最近ではすっかり聞き馴染んだのだけども。


 

「……ごめんね」

 

「……ああ。こちらこそすみません。変なものを見るとそれなりの反応を取りたくなる性分なもので……。主人に対して過ぎた言葉でした」


「いや、これに関しては明らかに僕が悪いよ……」


「…………」


 

 少し沈黙があって、そのあとシアさんはクスリ、と笑った。


 

「――盾でしたら、外の戸口に立てかけてありました。昨日のコボルト討伐から帰った際にでも置きっぱなしにされたのでしょう。お洗濯は私が代わりにやっておきますから、ターナカはお出かけの準備をなさってください」

 

「ありがとう。君が従者をやってくれていつも助かってる」

 

「いえ、貴方のほうこそ、私にとってこれ以上ない主人です」


 

 その言葉に彼女の背景を少し思い出してしまって、僕は返答に迷う。

 


「そう戸惑わなくても良いのですよ。本当に思っていることを述べただけですから」


「あっ、僕戸惑っているように見えた……?」


「ええ、表情がすっと消えていましたので。そういう時はご配慮を頂いている時かと」


 

 …………。

 

 本当に、僕にはデキすぎた従者だ。


 

「ああ、それと、持ち物の準備が済んだら、私の方で髪型も整えましょう。普段は差し支えないかと思いますが、本日は貴い方の御前ですから」

 

「うん、分かった。よろしく頼むよ」

 

 

 シアさんは、外へ盾を取りに行く僕と入れ替わりで洗濯桶を引き受けると、慣れた手つきで服を洗い始めた。


 

「しかし、なんたってこのタイミングでお洗濯を? いつも週末にまとめてなさっていたじゃないですか」

 

「いや、それは今日君が家に来るだろうなって思って。だから目に付かないように隠ぺ……いやなんでもない気が向いただけさ」


「今隠蔽って云いかけました?」


 

 その目がゆっくりと自身の手元に向けられる。

 

 彼女はそこでに思い至ったようだった。

 

 

「あれ、これ女性モノでは……」 


 

 やべ、と思ったのも束の間。


 シアさんが云い切らないうちに、勝手口からリビングの方へ向かう扉が独りでに開いた。


 そこには素っ裸の女性が眠たげな目蓋を擦りながら立っていた。

 

 

「――朝から騒がしいなー。ユウ、いったい何事……」


 

 彼女は局部を隠すようにして掛け布団を引き擦っている。


 そうしていると、昨晩、この勇者邸の寝室でなにが行われたかは一目瞭然だった。

 

 

「「あ」」

 

 

 僕と女性、両方から声が漏れる。

 

 そして、間もなく。


 シアさんが――咆哮した。

 

 

「うおい、どうなっているんだこれはッッ!!」


「ちちち違う、待ってくれ。誤解です。シアさんが思うようなことはなにも……」


「女神イディア! 貴方はいったいここでなにをされていたのですか!!」


 

 ふらりと現れた裸の【女神】は、最初こそ訪問者の存在に気付いて驚いていたが、相手がシアさんだと分かると、すぐ気を取り直したようだった。


 揶揄うように笑って、寝癖の付いた群青色のショートカットをかき分けながら、彼女は躊躇いなく暴露した。

 

 

「女神は勇者とおせっせをされていたよ」

 

「『おせっせ』!!??」

 

 

 僕は頭を抱えた。


 シアさんの軽蔑するような視線が、気まずすぎて目を背けた僕の頭の左側を突き刺す。


 女神イディアよ。ボケチャンスだと思って目を輝かせないでください。


 世俗に染まりすぎだよアンタ。全然笑えないって。

 

 

「こらー! 女神と淫行すなー!」

 

 

 すると、今まで一度も聞いたことのないようなツッコミとともに、シアさんは僕に掴みかかり、ポカリ、ポカリと立て続けに頭を殴りつけた。

 

 従者にあるまじき暴力行為だが、責められる原因は大いに僕にあるので甘んじて受け入れる。


 

「ああ、それと【悪食大公】の娘シアよ。今の私は女神イディアではなく僧侶イドです。みだりに名を呼ばぬよう」


「そんなことはいいんです! これでいったい何回目ですか!! いつもいつもいつも!!!」


「体の相性がよくて」


「絶対そんなこと云うな女神という立場のお人が!」


「女神ではない、僧侶だ」


「どっちにしてもダメでしょうが!」

 

 

 僕を殴打するシアさんの拳がどんどんヒートアップしていく。


 長身ゆえの腕のリーチを活かした攻撃は、遠心力を伴って的確に僕の脳天を打ち抜き、決して回避を許さなかった。


 叩かれ過ぎて、髪の毛を整える前に頭の形自体が変わっちゃうんじゃないかと思った僕は、自分よりも背の高いシアさんを必死で押さえつけながら、僧侶イドこと【女神】に声をかける。


 

「イド、君がいると話がややこしくなる。今日のところはこれでお暇してくれ」

 

「えー。もう、しょうがないなあ」


 

 不服げに首肯すると――イドはその場でおもむろにステップを踏み始めた。


 

「ズン・タッ・タッ♪ ズン・タッ・タッ♪」


 

 リズムを口ずさみながら、掛け布団をドレスのように翻して舞うそのダンスは――まさにタンゴであった。


 いつの間に装備したのか、口元には深紅のバラを咥え、左手にはしっかりカスタネットを握っている。

 

  

「――オ・レ!」

 

 

 そして、カツッという乾いたカスタネットの音とともにイドの姿が忽然と消えた。


 はらりと布団、それから一輪のバラが地面に落ち、束の間の静寂が訪れる。

 

 

「「…………」」


 

 その様子を見終えて、僕とシアさんはしばらく顔を見合わせた。

 

 

「……ブフッ!」

 

 

 突然噴き出したのはシアさんだった。


 やがて、彼女はその場で体をくの字に折り、見ているこっちが引くほど笑い出した。


 

「…………」


 

 そういえばシアさんを雇った理由として、一番の決め手となった理由がある。

 

 もちろん、理由の中には職務に真面目であることや要領がいいことも含まれるが、僕自身、仕事について人にモノを云えたタチでもないため、それは人柄以上に重要なことではないと考えている。


 僕にとって決定打となったのは――彼女の笑いのツボがめちゃくちゃ浅かった、ということである。


 なんか【魔力詰まり】とか、そんな重々しい話もあるにはあったような気がするが、そんな個人の事情は些末なことだった。

 

 こういう無邪気に笑う人がいるとモチベが上がる。


 僕はなにより人が笑っているのを見るのが好きなのだ。


 

「……ふひゃー……ふひゃー……!」


 

 このほぼ異音と云って差し支えない引き笑いも、当初こそ過呼吸の亜種かと戸惑ったものだが、今となっては耳に心地よい。


 いったいどんな環境で育ったらこういうタイプの笑い方をするようになるのだろう。この事柄は別の事案に思いを馳せている途中の僕から、興味をしばしば奪ったものだ。


 ――と、そんな話は、今は一旦脇に置いておくとして。


 僕はそのチャンスを見逃さなかった。


 すかさず身支度を整えると、そのまま家を飛び出す。


 

「――じゃ、シアさん、行ってきまーす!」


 

 逃げるように足を進める背中の遠くのほうから「ひゃー……行ってらっ、ウェツ……ひゃー……!」と、もはや半分嗚咽の混じったような声が聞こえてくる。


 あれは多分、あと五分くらいずっとあのままだろうな、と僕は思った。


 


▲▲~了~▲▲

 

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