十章「篝火」


「この場所が五年前の戦火から逃れたのは偶然じゃない」

 純に向かって秋島龍はそう言った。

「昔……まだキキョウが生きていた頃、彼女はここへ来て、オーケストラを聴くのが好きだった。だから、私はここを焼かず、後の【篝火】の拠点にしたのだ」

「……やはり、あの火災はあなたの――」

 その瞬間、音楽ホール全体が炎に包まれた。

「――くっ」

 突然襲いくる熱気に、純はたじろぐ。

「お前は、よく似ているよ……キキョウに。成長して、より一層近づいた。普段は、雲のように掴みどころがなくて、しかし、ここぞという場面では、誰よりも純粋に凛として――その眼に強いものを宿す」

 秋島龍――【篝火】は憂いを帯びた目で、高い天井を見上げる。

「私はね、純。他の全てを投げ打ってでも、もう一度、秋島桔梗に――お前の母親に会いたいのだ」

「…………」

 純は炎の中を歩き、舞台の上へあがる。

「あなたの気持ち、今の僕なら何となく分かるよ。大切な誰かのために、自分を投げ出したくなるような気持ち」

 彼女の脳裏に浮かぶのは、一人の青年の顔。

「でも、駄目だ」

「どういうことだ」

「そんなものはあなたのエゴでしかない。絶対に母さんはそんなこと望んでなんかいない」

「……」

「それに、分かってるはずだろう。【異能遣い】を使って研究をすることに意味なんかない。【異能】とは、いわばこの世界に最初からあった異常バグが押し広がっただけのものなんだ。そんなの一から再現できるようなものじゃない」

「ならば、私はその異常ごと再現するまで」

「強情だな」

 純は、眉を顰める。

「まあ、あなたが何と言おうと、僕の取るべき行動は変わらない。――そんなに会いたいのなら、もっといい方法を教えてやる」

「それは何だ」

「あなたがに行けばいい」

「……お前には、少し痛い目を見せなければならないようだ」

 純は不敵に笑った。

「上等だ」

 そして、純は【篝火】に向かって歩み出す。

 今までとは比べ物にならない熱量の風が彼女を襲った。

 やがて、あまりの高熱に彼女の服が燃え出す。

「死にたくなければ、それ以上は近づかないことだ」

 しかし、純は止まらなかった。

「……僕を殺すことは出来ないぜ」

 純はそれでも尚、前へ進む。

「何故だ。何故止まらない」

「意地があるのさ」

 それは、とても凄惨な光景だった。

 一歩を踏み出すごとに、彼女の真っ白な皮膚が焼け爛れてていく。

「おい、来るな」

「僕は……あなたを殺さなきゃいけない」

 周囲を肉の焦げる嫌な臭いがつつんだ。

 純が秋島龍の首元へと伸ばした手が、指先から灰に変わっていく。

「やめてくれ!」

「嫌だね」

 純は笑った。

 彼女は最後の一歩を踏み出す。

 その身体はとてもあっけなくこの世から消え去った。


      Φ


【篝火】の呼吸が荒れていた。

「馬鹿なことを……〝再生〟の能力は一度死に至ればたとえ肉体を再生しても生き返ることは出来ない」

 かといって、彼は純を前にその【異能】を抑えることは出来なかっただろう。そんなことをすれば、彼は間違いなく殺されていた。それだけの強い意志が彼女の眼に込められていたのだ。かつて愛した人間を彷彿とさせるその双眸に手を抜くことなど出来るはずがなかった。

「……ふふ」

 彼は力なく笑った。

 その笑いはやがて、高笑いへと変わった。

「何を悔いているんだ私は。一度は捨てたものじゃないか」

 秋島龍にとって、純はたった一人の娘だった。

 しかし、それはただ、それだけのこと。

 彼には果たさなければならない目的がある。

 そんなことは忘れてしまおう。

 そもそも秋島純を取り戻そうとしたのだって、彼女自身がまさにそう指摘していた通り、愛情とかでなく、ただ単にその〝再生〟系の【異能】が類を見ない珍しいものであったからに過ぎないのだから。

「しかし、あれは一体どんな性質のものだったんだろうな」

〝再生〟関連の【異能】であることには違いないのだが、他のそれとは違って、回復に随分と長い時間を要する。しかし、かといって〝再生〟の能力であるとしなければ説明がつかないような治癒力がある。

 そこで、彼は思い至る。あれはもしかすると傷の治癒そのものを目的とする【異能】ではなかったのかもしれない。何か他のことを目的としていて、その副産物として回復能力があっただけに過ぎないのではないだろうか。

 しかし、その考えの正しさを立証する術はこの世にはない。

 その【異能】の持ち主だった彼の娘はもうこの世には存在しないのだから。

「とにかく【治安隊】に居場所がばれた以上、【篝火】をどう再建させるかを考えなければならないな」

 そうして、燃え盛る音楽ホールから、秋島龍は出ていくことにする。もし【治安隊】が来ているのであれば、じきに追手が来るはずだ。この階層には出演者用控室という部屋があるのだが、そこに設置されている姿見を外すと、その裏に地下へ直通する小さな螺旋階段が設置されている。それは純を閉じ込めたあの部屋を作った時に、一緒に拵えておいたものだ。そこへさえ辿り着けば、地下の脱出ルートから、外へ控えているだろう【治安隊】の部隊にも気付かれることなく逃亡を図ることが出来る。

 この拠点にも随分と愛着があった。単なる愛着以上の――執着があった。しかし、こうなった以上背に腹は変えられない。捨てざるを得ないだろう。

 彼がステージから降りようとした時だった。


「――僕の【異能】の正体、知りたがっていたよね」


【篝火】の背筋に冷汗が流れた。

「何っ、死んだはずじゃ……」

 彼は振り返る。

 しかし、燃え盛るホールの中には誰の姿もなかった。

「どこだ、どこにいる」

「ここだよ」

 そして、彼は気付いた。


 ――その声が、自分の喉から発せられていたものだということに。


 意識とは関係なく、口が独りでに動き出す。

「僕の【異能】は――〝不死〟の能力」

 彼は自分の意識が遠のいていくのを感じた。

「悪いけど、僕が生きるために、食われてくれ」

 ――生きたいのなら、食いなさい。

 それは、秋島龍が五年前のあの日、純に向かって放った言葉だった。そのまま死ぬはずだった純は、その言葉の通り、双子の妹を食らったお陰で生き長らえることが出来た。

 あの儀式は、彼が提案し執り行ったものではない。ある日、突然現れた【道化】と名乗る男の指図によって行われたものだ。それは成功し、以来、彼も純も【異能】という奇妙な力を得ることになった。

 秋島龍はその時、こう思っていた。儀式を経た結果として、秋島純は〝再生〟の能力を手にする段階へと至り、眼前へと迫った死を免れることが出来たのだと。しかし、それは大きな勘違いだったのだ。あれは彼女の【異能】そのものを実現する儀式だった。つまり、あの儀式によって純は【異能】を『授かった』のではない。彼女こそがむしろ〝異常そのもの〟であり、彼女に眠っていた何らかの素質が、あの儀式を『成した』のである。彼女自身の言葉を借りるのであれば、秋島純という少女は――世界の〝異常(バグ)〟だったのだ。

「――私は死ぬのか」

 傍から見ればそれは、彼が自分自身と会話をしているような、奇妙な光景だった。

「ああ。そうだ」

 自分の腕を見る。そこには白くて細い少女の腕があった。

 彼の意識は徐々に暗くなっていき、やがて途絶えた。

 その戦いはとても静かに始まり、そして――とても静かに終わりを迎えたのだった。


      Φ


 大きな揺れを感じて桂はふと目を覚ます。

 そこは、どうやら搬送車の中らしかった。彼はベッドの上に寝かされていた。

「――目が覚めた? 桂」

 声が聞こえた途端に、桂はすぐそばに座っていたハルガに掴み掛った。

「ちょっと、桂……乱暴だよ」

「城咲……お前っ」

「待ってってば桂。落ち着いて」

「落ち着いていられるか! 今すぐ引き返せ! 俺は秋島を――」

「いや、だから……」

 ハルガは気まずそうに視線を搬送車の後ろの方に向けた。


「――呼んだかい、桂くん」


 桂はちょうど鳩が豆鉄砲でも食らったような、そんな間抜けな顔をしていた。彼は、恐る恐る、そちらへ視線を向けた。

「秋島……?」

 そこにはサイズの大きな白衣に身を包んだ川内純がいた。

「……や、久しぶり」

 そういって、彼女はいつもの人を食ったような笑みを浮かべた。

「お前……生きてたのかよ」

「うん。悪いね、生きてた」

 彼女は肩を竦める。大仰な動作。それも含めて、そこにいるのはどうやらまさしく秋島純のようだった。

「――君のおかげでやっと終わらせられた、ありがとう桂くん」

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