告白


 約束事も気になるが。



 神託とはいえ珂月が父神龍神の声を聞いたことに瑚春は驚いていた。


 これまで瑚春の周りで父神の声が聞けるのは祖母のカナデだけだった。


 龍神の託宣がおりるのは大山主にだけという話を聞いているが。


 闇御津羽は火を操る一族だ。


 けれど珂月は水技の異能も持つ。


 郷長は珂月さまのこと役立たずなんて言ってたけど。


 火と水という相反する力を身の内に併せ保つなんて、とても凄いことだと思う……。



「───瑚春、聞いてくれ。約束事の前に、あの場所のことについて話しておく。波八の湧き清水の一つ、おまえも見たあの水元がある場所は怨霊に憑かれている……」



 珂月はゆっくりと話しはじめた。



「あそこで命を落とした娘の怨霊だと聞いている。かなり昔から八千穂の山護りに伝わっている話だ。俺も山護りを継ぐとき先代の祖父から聞いた。その娘は水女神の力がある娘だったそうだ」



(母神様の……。それでは我が一族と同じ……)


 瑚春の一族、瓊岐の郷を治める水杜一族の祖先は、高天原から降りた水女神と伝えられ、母神ははかみ様と呼び慕い、水技の異能がある。



「前に沙弥子さまが言ってました。神世の時代に一度、水女神の力を継ぐ一族の娘が闇御津羽くらみつはに嫁いだと。でもそのような話、私は初めて聞きました。……怨霊はその方なのですか?」



「たぶん、そうなのだろう。一族同士の政争に巻き込まれ、謀の犠牲になったと聞いているが。真相はわからない。ただ……龍神は俺に言った。怨霊を祓い、娘の魂を鎮め清めてほしいと。だが我が一族に残る水女神の力は薄まり弱い。そしていままで何人もの山護りが幾度も封術を強化してきたが、あの辺りの邪気は近年少しずつ濃くなっている」



 たしかにあの場所周辺には穢れた霊気が漂っていたのを瑚春は思い出した。



「俺はそういう現状を龍神に伝えた。すると龍神は闇御津羽の中に残る水の力を継ぐ者と、水女神一族の異能を継ぐ娘の力があれば怨霊祓いは可能だと言ったのだ。───だから今一度だけ、水女神の娘が闇御津羽に嫁ぐことを許すのだと言われた。怨霊のせいで湧清水までもが穢れに染まってしまう前に。俺は龍神との約束を果たさなければと思っていた。春にと決められていた婚儀より早くおまえを迎えたいと龍神に申し出たのも、焦りがあったからだ。俺がおまえを娶る前に、暁がおまえを利用するために攫う可能性もあったから……。おまえが俺に嫁いだのは、こういう理由と約束があったからだ」



 ───私には嫁ぐ理由があった……。


「でも私にはなにも……。私は父神さまからなにも聞かされていません。託宣を受けたのはおばば様だったので。急な輿入れも、元旦に行う『若水迎えの儀』に間に合わせるためだと思っていましたから」



「急かせて理由を付けたのはこちらの勝手な都合だ」



「……そうでしたか」



 おばば様は何か知っていたのだろうか。


 龍神の声が聞けるカナデなら。



(知っていたかも。……私に言わなかっただけで)



 瑚春は嫁ぎたくないとカナデに言ったときに交わした会話を思い出した。


 父神でもある龍神に選ばれたことは誇りだと。


 必ず幸せになれるとカナデは言ったのだ。


 その日そのときに与えられたことを焦らずゆっくり行えばいいからと。


 そして龍神の娘という誇りを忘れずに、大地を潤す水のように生きろと。



 ───そうだった。



 私にできることがあるのなら、頑張ろうと思って嫁ぐことを決心したのだ。



「俺と龍神の約束事は誰も知らないことだ。話すのはおまえにだけだ」



「私が聞いてしまって、よかったのでしょうか」



「おまえは……」



 一瞬、何か言いかけてためらうように見えた珂月だったが、真っ直ぐな眼差しを瑚春に向けて言った。



「おまえには言っておかなければと思うようになった。おまえがここへ来たばかりの頃は、正直なところ、か弱いおまえに俺は期待を持てなかった。だが水元を次々と探し当てる力には驚いたし感謝もしている。そして水元探しも嫌がらずに俺と山へ入るところや、真面目で頑張り屋で意外と頑固なところも気に入った。……つまりだな、何が言いたいかというと」



 珂月は言葉を区切ると息を吐き、呼吸を整える様子の後で再び瑚春に向き直り言った。


「俺の妻になるおまえには、龍神との約束事を言わなければと思った。俺ひとりの力では、あの怨霊をどうすることもできない。───瑚春の力が必要なんだ。どうか協力してほしい」



 目の前で頭を下げる珂月に瑚春は慌てた。



「珂月さま、顔をあげて。私に……どれだけのことができるかわからないけど、精一杯お手伝いしますから」



「───ありがとう、瑚春」



「でも、あの……」



 自分を気に入ってくれたこと、妻になる存在だと珂月が認めてくれたことはとてもとても嬉しいのだが。



「私、弟子じゃなくてもいいんですか? 珂月さま、本当は……」



 私じゃなくて、妻に迎えたいひとがいるのではないだろうか。



 珂月さまに似合う女性は私ではなくてもっと……。



「なんだ、どうした。なにか不安なことがあるなら言ってくれ」



 いつになく、不機嫌ではない優しみのある表情と声に、瑚春はおもいきって言葉にした。



「珂月さまは私より沙弥子さまのようなひとが好みなのではないかと……」



「は? 沙弥子? なぜそうなる」



「だって沙弥子さまと話しているときの珂月さまはとても楽しそうで……。沙弥子さまは美人だし、凛としていて、とても素敵で。だから珂月さまは沙弥子さまのことが好きなのだと思って……」



「……おい。俺は沙弥子に一度もそういう特別な感情をもったことはないぞ。沙弥子は志朗の許嫁なのだぞ」



「えっ。沙弥子さまが?」



「ああ。言ってなかったか?」



(聞いてない!)



 瑚春は驚いたまま言葉を返した。



「だって、志朗さまは兄だと言ってませんでしたっけ?」



「兄妹のように育っただけで血は繋がっていない。歳は離れているがふたりは許嫁同士だ。早く夫婦になれと俺は言ってるが、志朗は俺の婚儀が済んでからといつも言うんだ。───それにしてもおまえ、なぜそんな勝手に思い込むんだ?」



 呆れたように珂月は言った。



「勝手なんかじゃ……。だって郷長さまが……」



「また暁か」



 珂月の表情が不機嫌に戻る。



「何を言われたんだ」



「珂月さまの好みは凛々しくて元気で覇気のある娘だと」



「おまえは俺よりもあいつの言った言葉を信じるのか?」



「私は……」



 瑚春は泣きそうになりながら首を振った。



 私は珂月さまを信じたい。それから父神さまやおばば様の言葉も。



「瑚春」



 呼びながら、そっと珂月の手が伸びて指先がまなじりに触れ、後れ毛を梳くように耳後ろへ優しく動いて止まった。


 ひんやりとしたその指先に戸惑いながらも、瑚春が目線を上げると、とても近くに珂月の顔があった。


 青みのある瞳がじっと瑚春に向いている。


 それはとても真摯な眼差しだった。



「心配しなくても俺はおまえを娶る。……俺は瑚春がいい。だがおまえはどうなんだ? おまえこそ、好きな男がいたのではないのか?」



「……そんなひとはいません」



 恋などしたこともなかったのだから。



「俺でいいのか?」



「……私も珂月さまがいい……」



 いつからか、なんてわからない。


 もうこんなに好きになっていた。



「それなら問題はない。俺だけを信じて安心していろ」



 止まっていた手が今度は瑚春の頭の真上に触れて、一度だけ優しく撫でる。そして次に手のひらがピタリと瑚春のおでこに当てられた。



「熱がある。───ほら、薬湯を飲め」



 瑚春は頷き、お椀を手に取ると口を寄せ薬湯を飲んだ。



「今日はもう余計なことを考えずに眠れ」



「でも怨霊に憑かれたあの場所のことが気になります……」



「冬の間、山は眠りに入る。雪深くなるにつれ森の奥地は凍り、閉ざされることで怨霊の気配も冬は弱まる。だから心配せず横になって休め」



「───はい」



 瑚春は言われた通り布団に入った。


 自分を見下ろす珂月の眼差しが、いつもよりとても優し気で。


 ドキドキと高鳴る鼓動をなんとか落ち着かせなきゃと思う瑚春に珂月が言った。



「よく眠って早く元気になってくれ。そうでないと安心して共寝もできないからな」




 ───えっ。


 そ、それって。つまり……。



「じゃあもう別々のお部屋で眠らなくてよいのですね?」



 聞き返したことに恥ずかしさがあったが、寂しさを感じていたひとり寝の夜が終わることの方がなんだかとても嬉しく思えた。



 安堵するような、嬉しそうにも見える瑚春の表情に、珂月は驚いて言葉に詰まったような顔をしたが。


 それは一瞬だけで。


 とても柔らかく微笑み頷いてから、珂月は部屋を後にした。









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神眷族の旦那さまはいつも不機嫌 ことは りこ @hanahotaru515

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